屍者の帝国 (河出文庫 え 7-1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (525ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413259

感想・レビュー・書評

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  • 架空の人物と歴史上の人物が入り乱れて活躍する19世紀が舞台のスチームパンク・・・という側面では気楽に読める娯楽作なのだけれど、いかんせんテーマが難解、SFとしての部分で脳みそがついていけず、ちょっとしんどい部分もありましたが、概ね楽しく読み終えました。しかしある意味、衒学的というか・・・作者が持っている同等の知識を読者も持っていないと完全には理解できないし、楽しめないのではないかとも思います。せめて巻末か巻頭に、登場人物一覧(元ネタと架空か実在かの区別)と、現実の歴史年表および地図、くらいは付録としてつける親切心は欲しかったかも。

    主人公は、かのホームズの相棒ワトソン君(※ストーリー上ではホームズと出会う前)、彼をとりまくおもな架空の登場人物たちは、カラマーゾフの兄弟、ドラキュラ退治のヴァン・ヘルシング、フランケンシュタインの怪物、風と共に去りぬのレッド・バトラー、未来のイブのハダリーなど。実在の人物は沢山登場しますが、主要キャラではバーナビーや、グラント、リットン、ニコライ・フョードロフあたりでしょうか。二部の舞台が西南戦争後の日本なのですが、こちらは得意ジャンルなので大体の背景や人物の立場を把握できているのでわかりやすかった。

    ストーリーは、ひらたくいえば「ゾンビもの」でもあります。死体にある種の霊素をインストールすることで復活させる技術が確立していているもう一つの過去、例えばカレル・チャペックが近未来ディストピアの労働力として描いた「ロボット」や「山椒魚」と同じように「屍者」が労働力として社会を支えている世界。彼らがゾンビと違うのは、けして自主的には人間を襲って仲間を増やしたりはしないこと。生前の記憶や意思を持たず命令されたことに従うだけの機械同然だということ。この設定自体は非常にユニークかつ、ありそうで誰もやらなかったなという印象で、この設定だけでいくらでも物語を広げられそうな素材としてとても興味深い。たとえば死体さえあれば、歴史上の有名人や偉人、早逝した女優や俳優、あるいはもっと身近で大切な人を亡くした場合も、いくらでも不死身の屍体として甦らせることができるんですもの。夢が広がります(笑)

    しかし最終的なテーマとしては結構普遍的な「死とは何か」「人間を動かすものは魂なのか?」「では魂とは何で、どこにあるのか?」というようなもので、そこはなんというか、本作で重要な役割を果たすメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」の頃から未解決のお題なわけですから、そこに新鮮味はなかったかな。これ言ったら身も蓋もないけど、だったらメアリ・シェリーを読めばいいわけで。

    ワトソンが追跡する「ザ・ワン」は、フランケンシュタイン博士の作った怪物=人造人間界のアダムともいうべき存在で、彼とハダリー=未来のイブが対決する場面というのはちょっと面白かったですが、フランケンシュタインの知名度に比べてハダリーと聞いて即座に出典が「未来のイブ」だと気づく読者はどのくらいいるのかわからないけれど、彼女の正体が中途半端な形で終わってしまったのは勿体ない。ラストのアイリーン=ハダリーとかこじつけっぽいし、フライデー=モリアーティ教授?ってのも無理があるような。単に時代が被っているからという理由だったのか他に理由があったのか、レッド・バトラーの登場もやや唐突でした。

    伊藤計劃のプロットを引き継いだ円城塔の仕事ぶりには頭が下がるし、それなりに面白く読めたけど、何かが惜しい。基本はエンタメ作品であるはずなのに、これだけのページ数を読み終えて痛快さとか満足感とかが薄いのがちょっと残念でした。

  •  伊藤計劃のあとをついで円城塔が書き上げた。非常に長くて山を登るように読んだ。
     情報量が多い割にカタルシスが少なく、盛り上がりにかけるので最後の方は辛かった。この小説に出てくる驚くべき情報は、本当かどうかわからないのも分かりにくさに拍車をかけている。物語としての面白さが少なく感じた。
     主人公はホームズに登場するワトソンで、まだホームズには会う前の話だ。そのほかにもカラマーゾフだとかヘルシングだとか創作の人物が出てくる。実在の人物としてはバーナビーやフョードロフも出てくる。なので創作物や歴史に詳しい方が面白く読めるだろう。ハダリーが、ホームズに登場するアイリーンになって、フライデーがモリアーティになるのは無理矢理だけど、けっこう面白そうな感じがするので続編として書いて欲しいな。
     19世紀、屍者を労働力として使う世界。伊藤計劃が、ここからどのような物語を書くのか気になる。円城塔は死が薄れている世界で、死とは何か? 魂とは何か? という事を書いた。ザ・ワンは、人に菌株がいてそれが意思を決める、というような事言った。屍者を増やすと菌株の拡大派が増長して、世界は屍者しかいなくなり、生者も生きながら屍者になる。この辺りの話はややこしいし、確定していないので、よく分からない。
     全体的に本筋や目的を提示していないので、エンタメ作品としての魅力が無い。情報量に見合う興奮が無かった。ヘルシングは菌株のことを言葉と言い換えてもいいといった。これは虐殺器官からの引用と見てもいい。円城塔が亡き伊藤計劃に対してのメッセージが本文にはあるのかもしれないが、それを読み解こうと思うほどの熱量を持てる物語ではなかった。
     円城塔については他の小説を読んだことがないのだが、著書を読んで癖を知らないと、この作者については分からないかもしれない。文章からはそんな印象を受けた。

  • "伊藤計劃さんが2009年に惜しまれつつこの世を去った。
    その方が残したわずかな原稿と円城塔さん、および本書に携わった方々の尽力により完成したもの。
    過去の古典的名作へのオマージュにあふれた作品。
    イギリスの小説家メアリー・シェリーさんが生み出した作品、「フランケンシュタイン」。
    この作品が事実だった世界を描いている。"

  • 劇場版を見終えてから購入、約一年かけて読了。

    エピローグに「■」が置かれたところを『ハーモニー』の例の部分を読んだときに近しい気分で受け取った。人を乗り継いでいく菌株、X、あるいは言葉、は私たち読み手だったのではないか……俺が、俺たちが略(ガンダム並感)という気持ち。菌株と同じ視点を読者が共有していたかのような。あんまりな言いようなので言い換えると、印字された文章、そうでなくても言葉、としてしか存在しなかったものが、私たちがそれを読むことによってようやく形を持つ=読者と言葉のあいだに「わたしなるもの」(ワトソンはじめ物語内存在)が立ち現れる、という解釈をした。フライデーの手記に対しての「将来的な読み手」としての私たち。私たちにはワトソン、つまり「わたし」のことが「見えている」。そのつもりでいるし、そう祈りたい。私たちの読み手はいったいどこにいるだろう。

    ぼんやり劇場版をふり返ると、あれは舞台背景を同じくしたオリジナルだったのではないか、という思いがわいてくる。劇場版は劇場版で楽しめた人間なので今あれこれ言うのもお門違いだとは思うのだけれども、一点、フライデーという存在が物語内で持つ役割は書籍版と劇場版で違うのだから、あの独白をねじ込んで無理に書籍版を踏襲する必要はなかったのでは……とは感じるところ。劇場版は「Project Itoh」としての関連性を押し出したいせいか、『ハーモニー』に対する『屍者の帝国』という意味合いを強く感じる設定とストーリーであったなあと思う。本の感想に書くことではない。

    伊藤計劃:円城塔の関係性をワトソン:フライデーの関係に落とし込んでいると読むのはどうなのか……という思いが強かったが、エピローグの独白とあとがきの引用文を何度か読むにつけ、事実そうなのではないかと思い始めてしまう部分もあり、それでいいのかと感じる自分もあり。

  • 時は19世紀のロンドン。死体にあるソフトウェアをアップロードすることで「屍者」として動かし、労働力として活用することが一般的になっているこの世界において、優秀な医学生ジョン・ワトソンは諜報機関の大物「M」の誘いを受け、大英帝国の諜報員として英領インドに旅立つ。目的は、「屍者の帝国」を作ろうとした男の秘密を探り出すこと。次々と現れる謎の協力者たちやライバルたちや美女との権謀術数をくぐり抜けながら、戦乱のアフガニスタンへ、開国直後の日本へ、興隆著しいアメリカへ・・・世界各地を転々とするワトソンは、やがてある書物が全ての謎を解明する鍵となることを知る。その書物は今どこに?そして、書物と屍者をめぐる壮大な可能性とは?

    夭折したワン・アンド・オンリーなSF作家・伊藤計劃が書き遺したプロローグとプロットとを基に、円城塔が完結させた合作。
    伊藤計劃も円城塔も、どちらも読んだことがある鴨としては、全くテイストの異なるこの二人の作家がどのように融合あるいは化学反応を見せているのか、その点を楽しみに手に取ってみました。伊藤計劃のプロットに忠実に書き進めたとはいえ、伊藤計劃自身が手がけたのはプロローグの30ページ程度のみ。たぶん相当に円城塔寄りの作品になっているのでは、と予想してたんですが、読了後の感想は「思ったよりも伊藤計劃」でした。

    といっても、他の伊藤計劃作品とはかーなり違います。ジャンルとしては歴史改変もの、更に絞ればスチームパンク。これまでの伊藤計劃作品は現実社会と地続きの世界観の中、やたらと内省的な登場人物たちが個人の内面でいろいろと葛藤しつつ社会との軋轢にも苦しむというダークでクールなイメージで統一されていますが、この「屍者の帝国」はもぅ登場人物からしてパロディそのものですし、キャラの立ちまくった漫画的な脇役たち、スラップスティックな場面展開とド派手な戦闘シーン、ファンタスティックで絵画的なクライマックスと、何ともまぁ賑やかなこと賑やかなこと。正直なところ、少々とっ散らかって収拾がついていない印象も無きにしも非ずです。
    が、そんなおもちゃ箱のようなストーリー展開の底辺を重低音のように貫いているテーマ、「言葉と認識」「言葉と人間」の関係性というテーマが実に伊藤計劃的なんですね。「虐殺器官」も「ハーモニー」も、同様のテーマあるいは問題意識から書かれた作品だと鴨は理解しています。そういう意味で、この作品はまぎれもなく伊藤計劃の作品と言えますし、そこを最大限尊重してラストまで書き切った円城塔の力もたいへんなものだと鴨は思います。まぁ、クライマックスに至るまでのファンタスティックな突っ走りぶりは、伊藤計劃のプロットに従ったとはいえ思いっきり円城塔ワールドになっちゃってますがヽ( ´ー`)ノ

    ただ、鴨的には残念ながらストーリー全体のとっ散らかりぶりが目についてしまい、かつSFというより幻想小説だろコレといった印象もあって、面白かった!と言い切るには至らないところ。どちらかというと、円城塔慣れしている人にお勧めかもしれません。伊藤計劃しか読んだことのない人がコレを読むと、相当ビビると思います(笑)

  • この物語の始まりも衝撃的だが、終わりはさらに衝撃的。
    19世紀のサブカルチャーのオンパレードの今作。
    歴史に残るのは当然なんだろうな。

  • 初読。わかってない部分もたぶん多いが、『フランケンシュタイン』の後日談としても『ホームズ』のワトソンの前日譚としても歴史改変ものとしてもおもしろかった。ロボット三原則もちょっと出てきて、いろいろな知識があれば、もっといろいろ楽しめそう。
    もう少し若いときに読んでたらめちゃくちゃはまってただろうなと思った。

  • 伊藤計劃の『虐殺器官』をちょっと前に読んで面白かったので購入。
    実際伊藤計劃が書いたのはプロローグだけらしいので、結末や根幹の設定含めて円城塔の作品と言った方がいいっぽい。
    中盤けっこう読みづらかったけど、全体的な世界観はかなり好き。
    クライマックスシーンは映像映えしそうだな、、と思ったので映画化してると知ってうれしかった
    円城塔の他の作品も読みたいなと思った

  • 読む「バイオハザード」って感じですんごい引き込まれた。屍者に霊素ってもの入れて資源(人的な意味で)にできるとかいうトンデモ19世紀だった。会いに行った先の屍者の帝国の王カラマーゾフは死ぬし、ヴィクターの手記と初めの屍者ザ・ワンを追いかけて世界をめぐる。

    日本の浜離宮(大里化学)でのアクションシーンがマジでかっこいい。山澤カッコよすぎ。

    にしても、、、Xの正体は驚いた。まさかそれを持ってくる発想はなかった。

  • 『虐殺器官』の言葉による社会の崩壊,『ハーモニー』の意識の喪失という2つのテーマを合わせたような作品.歴史改変モノの一種で,所々に実在の歴史上の人物が登場する.十分に複雑な文字列はすべての可能性をはらむなど,円城塔らしいエッセンスも盛り込まれている.

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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