- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480064707
感想・レビュー・書評
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現代訳おどろきのおもしろさ。
現実にもなっとくいかない、かといって宗教的思想も合わない、そんな私にはとてもしっくりときた。
辛口だしユーモアがあって子供向けとあってやさしい文章。
2012年の今でもじゅうぶんに痛切だ。
すこし救われたぐらい。伝説の書物。 -
なぜもっと早く読まなかったんだろう。
福澤諭吉が慶應義塾を創設した意図、そこに通う学生に何を求めていたか。そんな想いなどつゆ知らず、のうのうと4年間を過ごし、さらにそこから5年も過ぎてしまったことが心底悔やまれる。
学問とは何か。「学問で重要なのは、それを実際に生かすことである。実際に生かせない学問は、学問でないのに等しい。」知見を広め、交流を深め、実践することで初めて学問は学問としての役割を果たす。
また学問とは、実践の場で求められる判断力を確立するための手段にすぎない。
世間に蔓延るリーダーシップ論のハウツー本を読むくらいなら、これを何回も読み込むことを強くお勧めします。
リーダー論に興味が無くても、自分が社会で如何に生きていくべきか、と刺激を受けるはず。
こんなにもdog-earを付けた本は初めて。人生の節目節目で読み返したい大事な本がまた一冊増えた。 -
「独立自尊」私の一番すきな言葉です。
下記本の抜粋。
下記抜粋。
>内側
自分に底知れぬ深く、静かな教養をもつこと。
>外側
人と接して、知識活動を増やし、品行を高めること。
知識と行動が一致して、初めて生きた学問になる。 -
まさに、今、日本人が読むべき書籍です。
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福沢諭吉さんの「学問ノススメ」現代語訳版です。
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」は有名な下りですが、その後「と云えり。」と続くところは見逃せません。
「身分社会ではなくなって平等と言われているけど、能力の差や貧富の差があるのは何ぞや。それは、学問をすることによって生まれるのだから、みなさん勉強しましょう。」と啓蒙しています。
豊かさにも様々な価値観があって、お金の為だけに学ぶ訳ではないですが、この強い思いは胸が熱くなります。明治という激動の時代。西欧列強に飲み込まれる危機意識を抱きながら必死で勉強されたのだろうなと思うと、安定的な雇用に身を守られ安堵してしまっている自分は、まだまだ甘いと再認識します。 -
学問のすすめは有名だが読んだことなかった。
福沢諭吉はまるで現代まだ生きていているかのような思想だ。
自己啓発本として、時折読み返したい。 -
『学問ノスゝメ』の現代語訳。多くの人のように、私も「天は人の上に~」の一文しか知らなかったので、ほかにはどんなことが書かれているのかと、読んでみました。
斎藤孝氏による、優しく平易な文章になっています。
この本は、初めから世間向けに書かれたというわけではなかったそうです。
諭吉が所属していた中津藩内で読まれるようにと執筆したものだったのが、「広く世間に公表すべきだ」と言われて慶応義塾でも発表し、そののちに一般本として発刊されたといういきさつを知りました。
そのためか、難しいことは書いておらず、学ぶことの大切さを丁寧に伝えようとする気持ちが伝わってきます。
現代から見るため、歴史の中の人というイメージですが、旧幕府時代には東海道で「お茶盆」行列に会うと、土下座をした話などを旧態依然として述べているのが、歴史の中のさらに古い歴史という感じで、おもしろく感じました。
そのほかにも、戦国時代の桶狭間の戦いや、当時から見て数年前に起こった普仏戦争などが話の引き合いに出されています。
文語体で書かれた古めかしいオリジナルにも、歴史的出来事が語られていたと知り、(昔の人も、同じ学習をしていたんだな)と感慨深い気持ちになります。
急激な西洋化の過程にあった当時の日本で、一大ブームであっただろう西洋文明のすべてをあがめてはいけない、と冷静にブレーキをかけているところに、器の大きさを感じました。
その例えとして、ある先生を尊敬するあまり、その先生が夜更かし・朝寝をして不健康であるところまで真似するのはおかしい、と、誰にでもわかりやすい、卑近な例を挙げています。
なんだか偉大な教育者のものの例えとは思えず、親しみが持てます。
また、東西風俗の差にも言及してあり、西洋文化について仔細な情報を持っていたことがわかります。
「西洋では毎日風呂に入るが、日本では月に1,2回しか入らない」とか、「西洋人がちり紙で鼻をかんで使い捨てるのに、日本人はハンカチを使い洗濯する」など、現在の日本からはとおくかけ離れた当時の暮らしぶりが伺い知れます。
もはやすっかり西洋風になり、むしろエコロジーとしてハンカチ返りが提唱されるような現在。
著者が見たらどう思うことでしょうか。
また、宗教戦争で血が流れた西洋について、かなり批判的な姿勢を持っていることが、はっきりとは明言されていないものの、文章からわかりました。
「西施(せいし)の顰(ひそみ)に倣う」という慣用句を用いながら、東洋の良いところは失うべきではない、とした彼の主張は、当時の日本に聞きいれられたのでしょうか。
全編を通じて学問の素晴らしさについて書かれてあり、日本の近代化は人々の知識量の向上に依るとする彼の信念が、日本の識字率上昇や学習環境改善につながっていき、十分な教育を受けられる今の私たちの環境があるんだと納得できます。
時折斎藤氏による太字になった文が見られますが、わかりやすく、すらすらと読めるだけに、必要ないと感じました。
また、著者がべた褒めしている佐倉宗五郎については、全く知りませんでした。
文中にも伝承しか残っていないと書かれており、資料は少ないようですが、福沢諭吉に天晴れと言わしめたこの人物について、今後気に留めていこうと思いました。 -
一万円札の人という印象しかなかった福沢諭吉。
解説にも書かれているが、
「ざっくりとして快活な人」であった。
明治時代。
情報が少なく文明が遅れているこの時代に
当時の風潮に流されず現代にも通ずる客観的な考え方ができる福沢諭吉が、
今もなお偉人として語り継がれている理由が分かった気がする。
自分の経験と照らし合わせながら思い当たる部分が多々あり、
過去の自分を反省しながら読んだ。 -
明治大学教授の齋藤孝先生による福沢諭吉の「学問のすすめ」の現代語訳です。岩波文庫版が本当に難しくて読むのを躊躇しておりましたが、こうして現代語訳を読むことができて、本当にうれしく思います。
前に僕は岩波文庫から出版されている『福澤諭吉の手紙』を読んでものの見事に挫折して、それ以来福澤諭吉さんの顔をみるのは一万円札で十分だなと思っていると、僕の尊敬する明治大学の齋藤孝教授が現代語に訳してくださったので、こりゃあいい機会じゃわいと手に入れて読んで見ることにしました。
読んでみて齋藤先生が『学問のすすめ』は日本最強のビジネス書だとおっしゃる理由がよくわかりました。明治時代に福澤諭吉が慶応義塾を設立したのは学生に『実学』を教えるためだったということを僕は何かで読んだことがありまして、今回この現代語訳された本書を読んで、なるほどなぁと感じ入ってしまいました。そのなかでも僕が特に目からウロコだったのは『怨望は最大の悪徳』という箇所で、最近少し、人をねたみすぎていたなと、反省してしまいました。
マイナスのことにあんまりエネルギーを使ってはイカンなと。ただ、どうしても納得がいかないのは忠臣蔵に関するところで、法治国家で行くと福澤さんの行っているこの方が正しいんですけれど、情緒的に受け入れることができないというのはどこか旧弊のようなものが僕の中にも根付いているということなのでしょうか?そいていちばん最初のほうに書かれてある
『実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の流れを察知するのも学問である』
この言葉こそが、これからの自分に最も必要なものだと感じております。
この本は手元に置いて、何度となく読み返してみたい本のひとつになりました。そしてできれば、福澤諭吉先生の息吹を感じるためにも慶応大学のキャンパスを歩いてみて、学食なんぞを食べることができれば、幸せに思っています。