ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス 51)

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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560070512

感想・レビュー・書評

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  • 高校を放校になったホールデンが、だらだらとしゃべる体で、掴みどころがない。でも、ホールデンなりの基準がありどそうで、亡くなった人や子供、純朴な人には好意的なようだ。そして、作為的な人や大人は概して嫌悪の対象となる。大人になる前の少年の社会への敵対的な意識というような単純な話にしたくはない。ホールデンの鬱屈した気持ちは誰でも持ち得るものだし、共感するから、ずっと読み継がれているのだろう。
    本当に久しぶりに読んだのだが、引き込まれるように読んでしまった。

  • 難しかったけど面白かった。

    大きくなったらまた読むー

  • またまた、偶々目についた名作を読んでみた。
    強烈な個性をしている、主人公のホールデン・コールフィールドは何事にも消極的で反抗的、周りを見下す態度を示すが、その多くは怯えと寂しさと自身の無さからくる反抗心と失望だと思う。
    作中では無茶で無謀、他者の迷惑も顧みず、自身過剰に振る舞う事が殆どであり、読んでいて不愉快通り越して、彼の行く末を心配してしまう程だった。
    彼のこういった行動や言動をさせている深層心理こそ、この本が伝えたいものであると思う。
    具体的には少年特有の、正義感と自身の無力さから来る嘆き、家族愛の美しさを、12歳の男の子の目を通じ、読者に実感してもらいながら伝えたいのだと思う。
    一見すると、元々持ち合わせた人格によって、周りから浮いてしまっているホールデンだけれども、その実、周りの大人や同世代の人々への失望と諦めは、過去の出来事によるショックが彼をここまで孤立させてしまったのだと思う。
    特に、彼がなりたいもの、ライ麦畑を走り回る子供たちを崖から救う存在になりたいという願望は、痛々しいまでに自分にとって必要なヒーロー的存在を願っている。
    自身も気が付いていない兄への劣等感、強者による弱者迫害への憎悪とそれに対する自身の無力感、恋心と家族愛を見事に描いており、自分の少年時代と、今の自分を暗い方向から深く見つめられる作品でした。
    また、彼と同じような境遇の少年は実はそれなりにいると思う。そんでもって、作中でも昔の先生が話をしてくれた、ホールデンのような考えが過去にもあり、学ぶという事を続ける事で、その事実を知り、自身が鼓舞され、さらにはその他者の経験をフィードバックできるようになる。そして、自分だけの悩みとして抱え込まず生きていくことが出来るというのは、かなり納得させられた。
    自分だけ、という孤独から解放されるだけでなく、そこから更に知を利用して次に進めるのは当然のことながらも、俺自身への教訓としても覚えておきたい。
    うん、これは教訓を得られる物語として間違いが無く、名作だ。
    あと、ライ麦畑でつかまえては曲名だとホールデンが語るが、それは実はあやまりで、本当はライ麦畑で会うならば、というロバート・バーンズの詩だと妹に指摘されていたのは笑えた。

  • シンプルにおもんない。最後まで読むのすら疲れる。ひねくれ者の独り言を永遠に聞かされている感じ。

  • うーんいまいちよく分からなかった。
    主人公(名前忘れた…)が思春期特有の周りの人物たちに
    不満を持ちまくっていたり、閉鎖的な空間にうんざりしていたり生きづらく感じてるのは何となく読み取れた。
    もう少し時間が経ってから再読すれば感じ方変わるかも。

  •  題名はすごく有名だが、未だ読んだことがなかった作品で、最近では村上春樹が翻訳したものが刊行されたらしいが、まずは今で出ているものを読んでみようと手に取った。
     それにしても作品全体を口語で作り上げたのは、50年代の若者のアメリカの風情を表す特筆すべき手法あるのかも知れないが、その雰囲気を醸すためなのか、訳にどうしても馴染めなかったのは自分だけだろうか。何度も「...なんだな」など口調を荒ぶれた様子を出すためなのであろうが、どうしても不自然さが出ているように感じた。
     いやもしかしたらその当時の若者にも理解が追いついてないのかもしれない。
     そして主人公のホールデンの、若者特有の危うさ、大人に対する反感、社会への不適合、女性に対する憧れと、いざことに及ぼうとすると何処か捨てきれぬ純粋さと臆病さ、そして若いにもかかわらず厭世的なところなどなど色々と本来見るべきところはあるのであるが、どうしても何処かに嫌悪感が残った。

  • 原題は「ライ麦畑の捕手」だったのだが、日本語訳は「ライ麦畑でつかまえて」である。これは、単なる誤訳という説もあるが、私は翻訳した人があえて『つかまえて』にしたのだと思う。コールフィールドはライ麦畑で子をつかまえてやれる者になりたい、と言っていたが、私は、その発言はコールフィールド特有の虚勢であって、本当は自分をライ麦畑でつかまえてほしかった、ということではないかと思う。しかし、翻訳者の野崎氏は亡くなってしまったので真相はわからない。だが、
    私は、この翻訳を野崎氏の作品への愛、言葉遊びだと考える。

    私は、学生の頃にこの作品を読み、同族嫌悪と小っ恥ずかしさを感じた。しかし、成人してからこの作品を読むとこれはこれで、若さがあるからこその考え、青臭くも美しい心を感じた。学生時代に一度、成人後にもう一度読むべき作品である。

  • 優しく止めて欲しかった青年の、自分を探し直すような放浪。

  • NHKラジオ英会話のテキストに『名著への招待—海外文学の本棚から—』という連載が載っており、そこで『ライ麦畑でつかまえて』が紹介されていたのがきっかけで読んだ。
    村上春樹訳とすごく迷ったが、野崎孝訳のほうが口が悪そうだったのでこちらにした。
    私に合った訳だったと思う。

    タイトルは知っていたが、どんな内容なのかは全く知らなかった。
    タイトルのイメージでなんとなく「キラキラした青春の話かな」と思っていたが、全く違った。
    青春小説ではあるものの、「学校もクソ、通っているヤツらもみんなクソ」という感じで、とても良かった。
    でも主人公のホールデン・コールフィールドは、自分のことを卑下することは言わない。
    私たち読者はホールデンの話を、彼が入院している病院で聞いている。
    読者に話しかけている形で進んでいくから、彼は私たちに対してもなんとか取り繕おうとしているのだろうと思った。

    ホールデンは学校を辞めさせられることになり、退学予定よりも早く学校を飛び出して、寄り道をしながら家に向かっていく。

    彼は誰かに連絡を取ってはどうしようもないことばかりしており、何をしているんだ!?の連続で、読んでいる私までハラハラしたり恥ずかしくなったりした。
    途中、再会した女の子に勢いでプロポーズ紛いのことをし始めたときはどうしようかと思った。
    しかもあとになって「どうして彼女を相手にあんなことを言い出したのか、自分でもよくわかんない」と言っていて、私は頭を抱えてしまった。

    とにかくいいことがなく、踏んだり蹴ったりなホールデンを見ていると、「自業自得だ」と笑いたくなるかもしれない。
    それでもぽつりと「僕はなんだか悲しくなっちゃった」「どうしてだかわかんないけど、泣けてきちゃったんだ」と言われると、私は彼のことをどうしても突き放せない。
    いじらしく思えてしまうんだから、ずるいと思う。

    ホールデンは妹のフィービーや、亡くなった弟・アリーをとても大切に愛しく思っている。
    寒空の下で肺炎になって死ぬんじゃないかと思ったときには、ホールデンは両親が気の毒でたまらないと考える。
    特に母親のほうは、弟・アリーの死からまだ回復しきっていないから気の毒だ、と。
    彼はどうしようもないことばかりしているように見えるが、心の根っこは優しい子なんだろうなと思った。

    ホールデンはひどく気が滅入ったときに、亡くなった弟・アリーに話しかける。
    アリーを遊びに連れて行かなかった日のことを考えて、「おまえの自転車をとってきて、ボビー・ファロンの家の前へおいで」と言う。
    その日、弟に言えなかった言葉を。
    彼の繊細な心の中に、ずっと引っかかっている出来事なのだろう。
    ひどくさみしい気持ちになった。

    タイトル『ライ麦畑でつかまえて』は、ホールデンが聞き間違えた歌から取っている。
    本来は『ライ麦畑で会うならば』という詩なのだが、彼は「ライ麦畑でつかまえて」と子どもが歌うのを聞いて、胸が霽れるような気持ちになった。
    そして妹・フィービーに彼はこう言う。

    「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない——誰もって大人はだよ——僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ——つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」(P269)

    ぼんやりとした光の中にあるような、現実逃避のような空想。
    でもそれは、ここではない遠くに行ってしまいたいホールデンの気持ちの表れのようで、胸が苦しくなった。

    翻訳小説は言い回しが独特で「頑張って読む」ことになりやすいのだが、この作品は話し口調で進んでいくからか、するすると読めた。
    アメリカ文学版太宰治という読み心地だった。
    太宰作品や中原中也(本人)が好きな人は、好みの作風だと思う(根拠は私です)。

    白水社のHPに訳者解説が載っており、そちらもとても良かったのでぜひ読んでみてほしい。

  • 世間でも評判の良いペンシー高校に通う16歳の少年ホールデン・コールフィールド。
    彼は学校の人間関係にうんざりし、寮を飛びだして可愛い妹に会いにいく。

    大人に嫌悪感を抱きながらも、大人のルールを守るコールフィールドが初々しくて少しかわいそう。特に好きなシーンは、妹のフィービーとけんかして、距離を置きながら歩き続けるシーン。
    「彼女は、僕と並んで歩こうとはしなかったが、それでもそんなに遠くへ離れもしなかった。」
    すごく大切な人とけんかをしても、何があっても、少なくともこの2人のような距離を保っていけたらなぁと思った。

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