- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784778313593
感想・レビュー・書評
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自らの覚書のために
そもそも「戦後」とは要するに、敗戦後の日本が敗戦の事実を無意識の彼方へと隠蔽しつつ、戦前の権力構造を相当程度温存したまま、近隣諸国との友好関係を上辺で取り繕いながら---言い換えれば、それをカネで買いながら---、「平和と繁栄」を享受してきた時代であった。p115
占領軍の「天皇への敬愛」が単なる打算にすぎないことを理解できないのが戦後日本の保守であり、このことを理解はしても「米国の打算」が国家の当然の行為にすぎないことを理解しないのが戦後日本の左派である。言うなれば、前者は絶対的にナイーヴであり、後者は相対的にナイーヴである。P128
日本が米国の属国にほかならないことを誰もが知りながら、政治家たちは日米の政治的関係は対等である(少なくとも対等なものに近づきつつある)と口先では言う。このことは、一種の精神的ストレスをもたらす。一方で「我が国は立派な主権国家である」と言われながら、それは真っ赤な嘘であることを無意識の水準では熟知しているからである。領土問題に典型的に現れるように、対アジア関係となると「我が国の主権に対する侵害」という懸念が異常なる昂奮を惹起するのはこの精神構造ゆえである。無意識の領域に堆積した不満はアジアに対してぶちまけれれる。言うなれば、それは「主権の欲求不満」の解消である。P140
こうした決議(※非核三原則についての国会決議)を(しばしば全会一致で)繰り返しながら、すでに触れたように、沖縄核密約を米国と取り交わし、あまつさえ、核武装について西ドイツに話を持ち掛けることまでしていたのが、この国の政権であった。してみれば、非核三原則や「唯一の被爆国」であることの強調が一体なんのためになされてきたのかは、ほとんど考えるまでもなく理解できる。ここには真剣なものなど何ひとつ存在しない。彼らが唯一真剣に取り組んでいたのは、国民を騙すことだけであった。そして、シニシズムを自明の社会原理としてしまった国民の側も、進んで騙されてきた。P159
その定義上絶対的に変化を拒むものである国体に手を付けることなど、到底不可能に思われるかもしれない。しかしながら、それは真に永久不変のものなどではない。というのも、すでに見たように、「永遠に変えられないもの」の歴史的起源は明らかにされているからである。それはとどのつまり、伊藤博文らによる発明品(無論それは高度に精緻な機械である)であるにすぎない。三・一一以降のわれわれが、「各人が自らの命をかけて護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏付けられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。P185 -
「永続敗戦」という表現があまりにも圧巻。戦後の概念どころか、あの戦争そのものに対する認識までも根底から覆されてしまった。「敗戦」を「終戦」という言葉に置き換え、対米従属を続けるこの国の構造。また、それにしがみつく権力中枢。その背景には国体護持という大義名分のもと、革新の芽をつぶして敗戦の道を選んだ国家的罪がすべての元凶であったと考える。かつてA級戦犯と呼ばれた人たちは、天皇庇護のために命を賭したと言われているが、海軍に罪をなすりつけられ、あげくのはてに守ろうとした国体がこんな侮辱的な様では、死んでも死にきれないのではなかろうか?そもそも戦中も戦後も、いったい我々は何を守ってきたのだろうか?敗戦どころか戦後すらも永続的に終わらない気がする。
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ニホンゴてムツカシイねー
一つの文が長いので理解しながら読むのにすごい時間がかかる。というかたぶんぜんぜん理解できてない。
ようするに、負けを負けと認めないと前へ進めないぞってこと? -
目からウロコでした
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須藤元気お勧め
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侮辱の時代に生きる、怒りの書。
3.11と続く原発で明らかになった「ぼんやりと、ただなんとなく何かが決まり、何かが進んでいた」という事実(進めていた者も、またそれを知らなかった(知ろうとしなかった)者も同罪であるとしている)。
なぜその事実が生まれる土壌ができたのか、戦後の平和と繁栄の陰に隠れて進んできたこの事態を招いたきっかけを「戦後処理」をキーワードに問うてゆく。
たまたま映画「無知の知」を見た後から読み始めたのだけれど、通底するものを感じた。 -
20141107 読み方を間違えると大変な事になりそう。本当の意味での戦後を経験している人がどんどん亡くなっているので余計にややこいし。独立国とは何か、若い世代には戦争抜きで考えてもらいたい。
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赤坂Lib