- Amazon.co.jp ・マンガ (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784796616690
感想・レビュー・書評
-
河口にほど近く、広く、ゆっくりと澱む河。セイタカワダチソウが茂るその河原で、いじめられっこの山田は、腐りゆく死体を発見する。
「自分が生きてるのか死んでるのかいつもわからないでいるけど/この死体をみると勇気が出るんだ」。
過食しては吐く行為を繰り返すモデルのこずえもまた、この死体を愛していた。
ふたりは、いつも率直で、「かわいい」ハルナにだけは心を許している。
山田を執拗にいじめ抜くハルナの恋人、一方通行の好意を山田に寄せる少女、父親のわからない子どもを妊娠するハルナの友人。
それぞれに重い状況を抱えた高校生たちがからみ合いながら物語は進行する。そして、新たな死体が、ひとつ生まれる。
傑作ぞろいと言われる岡崎京子作品のなかでも、誰もが「代表作」と言い切る作品。90年代はじめの「都会」に生きる高校生たちの姿を描く。
傑作ぞろいと言われる岡崎京子作品のなかでも、誰もが「代表作」と言い切る作品。90年代はじめの「都会」に生きる高校生たちの姿を描く。
岩井俊二監督作「リリイシュシュのすべて」のような繊細なタッチで、表向きは他愛のないダイエットやファッションの話に明け暮れる高校生活の裏にある、生きていることや愛されている実感が持てずに死体や摂食障害やドラッグや恋愛にのめり込む高校生の形にならない悩みや嫉妬や欲望を丁寧に描いて、岡崎京子の最高傑作として読み継がれています。
「食べたい、食べたい、お腹がはちきれるほど、すべてを忘れるほど、すべての欲求と不安を満たすほど、そしてすべてすっかり吐き出してしまうのよ、全部空っぽになるまで」「世の中みんなきれいぶってステキぶって楽しいぶってるけど、あたしにも無いけど、あんたらにも逃げ道ないぞ、ざまぁみろって」などの印象的な台詞も、記憶に残ります。
「平坦な日常で僕らが生き延びること」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この漫画は、漫画というよりは小説的であり、確かに絵があるという意味では漫画というよりはむしろ映画である。この作品が抱えている空気というのは高校生の、都会の、青春の持つ退屈さそのものであり、閉塞感はこの時代の持っていた空気―失われた10年と後に言われる90年代、そのものである。
いかにソーシャルメディアが発達しても、いや誰もが「つながり」を強く希求していることが明らかになってしまった今だからこそ、この作品が持つ閉塞感、焦燥感はさらに輝きを増している。
ラストシーンに向かう破滅、カットインしてくるコマ割り、セリフ、確かに少し陳腐で、明示しすぎている暗喩に失笑する向きもあろうが、それでもこの時のトウキョウだからこそ生み出せた、時代を代表しうる作品だと僕は思う。 -
岡崎京子さんのマンガを読んだのはこれが最初じゃないけど代表作といえばやっぱりこれを挙げてしまうお。もうこんなものまで描いてしまうんだな、って苦しくなる展開だお。今でも出会ったマンガベスト10に入るおね。
-
まるで1本の映画を観たような気分。
スリルと痛々しさが交錯して
私はなんだか息苦しくなるのです。
それでも覗いてみたい。
岡崎京子の世界を。 -
純文学のような漫画という前評ぴったり。「恐るべき子供たち」の現代日本版的なカホリというか、80年代の都心の高校生たちのキブンそのもの。
岡崎京子自身のあとがきが、これまた美しい詩のようなのですが、story全体を端的に表現していて、"凄み"さえ感じる。
例えば、ここ。
「あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供たち(中略)彼ら(彼女ら)は別に何らかのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。」
描かれた高校生たちは母子家庭、父の会社の倒産・浮気、醜い姉、過食症のモデル、同性愛の男子・・・などなど、現代らしい問題を抱えて、淡々と、クールにたたずんでいる。
事件などおころうとおこらまいと、ね。
so what,,,life goes on -
岡崎京子岡崎京子さんの作品『リバーズエッジ(2000)』を読了。
-
death
play