- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784910827001
感想・レビュー・書評
-
はじめて異動した時、ベテランの先生から、「民主主義を育ててください」と言われた。その時はよくわからなかったし、そんなことができる立場じゃなかった。今はそれがちょっとできそうだ。にしても、最上位目標というものを共有する時間も場所もない。残念ながら。そして、最上位目標を考えずに、慣習で続けているものが多すぎる。変えようと思っても結局、みんな見ている方向が違うから、自分の立場から好き勝手言うだけで、方法ありきになってしまう。それじゃダメだから、近いうちに最上位目標を話し合える基礎を自分で作りたいと思う。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【日本の学校の大問題】(「子どもたちに民主主義を教えよう」)
⒈「思いやり」で対立は解消できない
・民主主義の成熟を妨げてきたのは、これまで日本でよいとされてきた「心の教育」。
対立を解きほぐすために何が必要かというと、どんな対立があるのかを明確にしなければいけない。そして対立を平和的に解決するには、お互いの利益を損ねないためにはどうしたらいいか対話を重ねないといけない。
そうした一連のプロセスを飛ばして、「思いやり」「美しい心」で解決しようとするのはあまりに乱暴。
・日本の道徳の指導方法:「忖度」や「空気の読み方」を教えている。
それができないと排除するのが日本。
学校は本来道徳教育をすべきではない。やるべきは市民教育。
道徳は国や時代や宗教によって大きく変わる。
「黄金律」でさえも大きく異なる。
これまで人類は異なる道徳をめぐって争ってきた。
もうそんな戦いはやめにしましょうということで人類が辿り着いたルールが「自由の相互承認」。
どんなモラルの持ち主もそれが他者の自由を侵害しない限りお互いに認め合うことをルールにすること。
モラル教育ではなく、自由の相互承認のルールを教え、実践できるようになるための市民教育が必要。
・教員志望「素敵な先生と出会いまして」が多いが、それを聞いていると「最悪な気分」(工藤)
子どもたちを見ている言葉には聞こえないから。
「私が受けてきた教育はこういうところが問題と感じますので現場に入ってこういうところを変えたいんです。それが子どもたちと日本の未来のためになると思います。」という若い人が切望されている。
⒉「いじめ撲滅」の発想がいじめを増やす
・いじめは心の教育で改善しようとする限り問題は改善しない。
・9割の生徒が加害者かつ被害者。
件数を減らすことが目的になると、大人による過度の介入か隠蔽。
・トルストイ「子供が喧嘩をすると、すぐに大人が割って入って仲裁しようとするけれども、緊急性が高くないならまずはそっと見守っていなさい。子供は人間関係を自分で築き直す力を持っている。
にもかかわらず、大人がすぐに介入すると人間関係を自力で修復する機会を失われて、かえって恨みを募らせる。」
⒊同質性と従順さの要求
・大空小学校初代校長木村泰子「教師の仮面を被らない」
・そもそも教師とは一体何なのか。
「自由の相互承認」をこそ教えるべき存在。
・学生は免許を取得するために、黙って従わなければならない。
問題は、民主主義の担い手であるはずの先生が理不尽に声を上げずに「何とかやり過ごせばいい」マインドを持ってしまうこと。
建前が慣習化すると、おかしいと思っても声を上げられなくなり、自分自身も染まってゆく
⒋ルールは守るもの、とだけ教える学校教育
・学校でルールを作り合う経験をもっとしてもいい。
やり方は、ルール作りの権限を子供に委ね、誰一人置き去りにしない状態を目指して知恵を奮ってもらう。
⒌学級王国の問題点
「クラスを家族のような場所にしていこう」となった日本のクラス制度。
家族モデルは子供も先生も苦しめる。
子どもは、「何で赤の他人と一致団結しなきゃいけないんだ」
教師は「子どもを愛せない自分や問題が起こったらは、「親」である自分のせい」真面目な先生ほど苦しむ。
・学級崩壊の原因は、「学級崩壊を起こしていないダントツに素晴らしい先生」の存在。
1人の先生の肩に学級の全ての責任が背負わされることの典型的な問題。
これは心の教育と似ていてできないことを背負わされているから。
・教員の技量がでこぼこであっても、ちゃんと子どもたちを支援できるチーム制に変えた。
・「毅然として叱れ」は大きな間違い。
叱ることは、効果がない上に弊害が大きい。
「叱る」は「怒る」と違っていい意味で捉えられがちだが、ネガティブな感情を与えることで操作する行為で、叱られた側は何かを学ぼうとするよりもネガティブから逃れることを優先する。
「叱る依存」が止まらなくなる。
・三つの問いかけ
「どうした?」「どうしたい?」「何か手伝えることはある?」
子供が教室を飛び出して見つかったら、怒らず、
「おお、ようやく見つけたよ。おう、どうした」
「この先生って今までの先生と全然違う!」となる。
人間として尊重してくれていると感じる。
⒍先生の技量を上げれば問題は解決するという幻想。
・教える技術の向上よりも、自律を支援する技術。
・一般的なリーダー「何をどのようにするか」
優れたリーダー「それは一体何のため?」
・信念のぶつけ合いではなく、
その奥にある欲望に目を向けて、互いの欲望を満たし合う第三のアイデアを考えてゆく。 -
素晴らしい本だった。ずっと思っていることがシンプルに言葉にされているのもすごかったんだけど、現場の立場から理想を実現して行く現実的なやり方が書いてあることと、それが結局民主的な考え方と繋がっていることが本当に素晴らしい本だと思った。バイブルにしよう。
-
様々なことを考えさせられる一冊。教育、学校の本質、民主主義とは。
再読したい。 -
多数決はA案B案のどちらでもいいとき(どちらになっても利害がない場合)使ってよい。
自由への相互承認
誰もが生きたいように生きたいと思っている。それを認めること。
お互いに認め合うことをルールにした社会作りをしていくことが大事。
憲法とは、国民から国家権力への命令である。
だからルールはみんなで作っていくもの。
「他者の自由を侵害しない限り、みんな違ってみんないい」こらが民主主義の考え方?
責任ある行動をとる力(当事者意識を持つ)
対立やジレンマに対応する力
新たな価値を創造する力
これらを手段として、誰もが取り残されない社会をらつくっていく。
話し合いをするときのポイントは「誰が気分を害するか」ではなく、「誰の利益を損ねるか」を考える。
この案を採用したら、誰が得をして誰が損をするのか。損をさせない方法はあるか、と考える癖をつける。
「トラブルが起こらない社会」を目指すのが「心の教育」で「トラブルが起きた時に解決できる人材がたくさんいる社会」を目指すのが「行動の教育」であり、民主主義教育である。
トラブルが起きた時には、「どうした?」「どうしたい?」「何か手伝えることはあるかい?」の声がけ。
これからの教員に求められる能力は「自律を支援する技術」
リーダーが全校生徒に語る時に必要なのが、みんなを当事者に変えていく言葉である。
三者面談の目標
「学校と保護者の信頼関係が増す」「学校と子どもの信頼関係が増す」「親子関係が少しでも良くなる」 -
苫野さんと工藤さんが対話することで工藤さんの独りよがりにならない実践となっている。
簡単に読めるし、教員養成としても考えさせる面もあるので、ぜひ読んでみることをお勧めする。 -
ちょうど、「民主主義とは何か?」と疑問に思っていたところにこの本が出版され、すぐに購入した。
大方の議論に異論は今のところない。
改革をしていく、デモクラシーを起こしていくことはとても勇気がいることだ。教育学部生の頃は志高かったはずの私も、若手教員になり、気づけば周りに流されて「仕方ない」と思ってしまったりする。しかしそんな若手でも少しずつ変えていけるのだというメッセージには励まされた。
納得できないのは「心の教育」への批判である。
「トラブルが起きない社会」が問題なのは理解できる。しかしそれを「心の教育」のせいだとするのはクリティカルではない気がするし、「心」の軽視を感じる。
私自身「心」について語る材料をもっていないので深く議論はできないが、違和感が残る。 -
学校は民主主義の土台をつくる場である、という常日頃考えていたことを言語化してくれた本です。
本書では、理想的な民主主義とは何か?ということをはっきりと示しています。「誰一人置き去りにしない社会をつくる」ということです。
この定義、すごい!と心から感じました。
今の日本も、民主主義を謳う諸外国も、この理想にはまだまだ届いていませんが、「誰一人置き去りにしない」ことを原点にし、そこを目指すことが教育や社会をよりよくすることは明白です。
今後、自分の教育の軸にもなり得る言葉を掴めたような気がしました。
民主主義の実現のために「最上位目標」を設定する、というところも目から鱗でした。
子どもたちだけでなく大人同士でも多数決なしに話し合いの結論を出すことは難しいです。根気と時間が膨大に必要です。
「最上位目標」の合意をしたとしても難しいかもしれませんが、話が逸れたときなど、常に立ち返る本質としてとても重要であることは間違いないと思いました。
一方で、工藤さんは行政に近い立場だったこともあるからか、組合を軽んじた発言や教員への管理的な言葉などはやや気になりました。
苫野さんが対談相手であることでその辺は上手くバランスがとれているのかなとも思います。
学校は社会の縮図です。
自分が「こんな社会にしたい、生活したい」と思えるようなクラス、学校を作っていくことが教員の大切な役目だと思ってきました。
本書は、これまでの自分の教育観を言語化し、強化・アップデートしてくれた一冊です。
教員養成の入門書としてもおすすめです。 -
学校改革の旗手と教育哲学者が教育の本質を徹底議論。
「多数決で決めよう」のどこに問題があるか、わかりますか?
この問いに、明確に答えられる人がどのくらいいるのでしょう。
対立を乗り越え合意形成のプロセスを経験させる、学校で起きるトラブルこそが絶好の学び場であるはずです。
いじめ、理不尽な校則、不登校、体罰、心の教育、多数者の専制、今の学校が抱える問題を分析し、何ができるか、どこから変えていけるかを明確に示してくれます。
教育をめぐる議論って、すぐに「○○すべきだ」「いや、◇◆すべきだ」と「べき論」が交わされてしまいますよね。でも、べき論をめぐる対立は、多くの場合どこにも行きつきません。そこで、そんな信念の奥底にある欲望、つまり「○○したい」「~でありたい」に目を向けてみる。するとそこに、意外と相互理解が生まれる可能性が見えてくるんですね。私たちは、異なる信念は許しがたく思ってしまうんですけど、その底の欲望に対しては、「ああ、その気持ちならわかるなぁ」なんて思えたりするんですね。「意外に同じことを望んでいたんだね」ということも見えてきたりします。だったら、そのお互いの欲望を満たす、もっといいアイデアを見つけていこうと、建設的な対話ができるようにもなる。意識しているといないとでは、議論の質が大きく違ってくるのではないかと思います。 ー 136ページ
僕は日本の学校に民主主義が浸透したかを示すひとつのバロメーターは、高校野球の甲子園大会がなくなるときだと思っているんです。僕も甲子園を見るのは大好きですけど、どう考えても夏の炎天下にフラフラになったエースが連投するって人権的に大問題でしょう。それに一度負けたら試合ができなくなるトーナメント方式も大問題ですね。 ー 209ページ