空気人形 [DVD]

監督 : 是枝裕和 
出演 : ぺ・ドゥナ  ARATA  板尾創路  オダギリジョー  高橋昌也 
  • バンダイビジュアル
3.63
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感想 : 415
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4934569636034

感想・レビュー・書評

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  • 心というものを持ってしまったが故に
    悲しみや憎しみや迷いを抱えてしまうけど、

    自分のなかにある温かな愛情や、美しいものを感じ取ることが出来る

    悲しい結末だけど、劇中でのぞみが得た気付きを語る言葉は、もやもやしてうまく言葉にできないが確かに感じ取れるこの世界の仕組みみたいなものを的確に表現していると思った

  • 人形が心を持ってしまったというファンタジーはあるけど、-≪グレムリン≫のように凶暴化する例もあるが-それにしては妙に生々しい。どぎついと感じるとこもあって、見てはいけないものを見てる感じになるが、かと思うととてもキレイだったり純情だったりする不思議なテイストの映画。

    単に心を持った人形の話とするにはいろいろなメタファーに満ちている。
    現代人ってこんな風に中身は空っぽで、自分の心をもてあましてるだけじゃないの とかアイドルってのはこういうことか、人とのコミュニケーションを面倒くさがり空気人形で癒されてる現代にあって、その空気人形が心を持ちコミュニケーションに踏み出す皮肉 とか、イノセンスが見る現代の世相とかイノセンス同士の恋愛はこうした人形にしかもうできないとか。 

    しかしそういうメタファーは理屈であって、映画を見てそう感じとったわけではない。あるのは空気人形をしているペ・ドゥナの存在感である。無機質な人形から表情豊かな女の子まで自在の演技で不思議な感触を持っている。彼女なくしてこの映画はないだろうという感じだ。

    というあたりに感心しながらやはりどこに感情移入していいのか。感触の悪さのほうが残る。どういうメタファーなのかと正解は何だなんて思っているうちに終わってしまった。テンポがややぬるいのもマイナス。

     キネ旬ベストテン2009年 6位。

  • ある日、とつぜん空気人形(ラヴドール)が心を持ってしまった。
    美しいと感じられる喜び、人を好きになる幸福に満ち溢れるが、心を持つということは悲しみや切なさも感じるということ。
    果たして、空気人形は心を持って幸せだったのか。
    心を失って生きている人間を対極的に描く事でその問いかけが一層深くなっている。

    ラストの美しさに救われた。

  • なんとも綺麗で切ない映画だと思う。板尾が、オダギリジョーが素晴らしい(笑)ありえない設定ではあるが、なんとも味わい深い作品でまた見たくなる魅力がある。「私は性欲処理の代用品」という独白の即物性、犯されオナホールを自分で取り出し洗うシーンの数奇性、空気を抜いては息を吹き込むことに欲情?する男との交接シーンの特異性、、なんともマニアックなシーンのオンパレードなんだが、不思議と自然でピュアな清らかさがある。ラストのゴミ捨て場に横たわる空気人形はなんとも悲しくしかし美しい。

  • 誰もが自分勝手だろう?
    愛と称した一方的な押し付けがましい感情で、
    対象を規定しているんだ。
    在って欲しいように在ることを望むんだ。

    だから。
    あんなにも愛でていた持ち主が心を否定したり、
    受け入れてくれたと思う店長が性欲の捌け口にしたり、
    運命の人と感じた他者が最も残酷で、
    生かしたり殺したりするんだ。

    「みんな同じようなもの」という象徴は、
    人形には理解し得なかった。
    だって、人形だから。

    そうして誰しもが、
    傷ついているのだけれど、
    それを見ないようにして、
    残るは心を得たゆえに死んだ人形。



    是枝監督が描くいつもどこかファンタジックな、
    ふわりとした空気感が、
    こんなにもマッチしている作品も新鮮だ。
    そして、ロケーションが素晴らしい。

  • 妙な切なさが胸にあふれる。たしか、福山雅治も絶賛していた。

  • 劇場で。

    ボクはいつから心を持っているんだろ。
    もしくは心を持っているのだろうか。
    ボクに心が亡くなったら
    燃えるゴミ…

    虚しいような、悲しいような
    チャーミングにも思えた。
    「空気人形」ステキでした。

    ペ・ドゥナ
    大好き!になるかも!
    リンダ!の時にはかわいいけど
    出させてもらっているだけ感が強かったように感じる。
    けど今回は作品としてマッチしてたと思う。

    日本の俳優さんだとおっぱいの事で
    出ない、出れないと騒ぎそうだけど
    それを超え、表現し得る大きな人かなぁ。

    伊藤佐智子さんのステキなファッションも、
    空気が抜けるシーンとか空気を吹き込むとことか映像も
    ドキドキもんでした。
    ごちそうさんでした。

  • ①ある朝突然人間の心を持った人形のぞみは、純一という”他者”や、水や光、土などの有機的な”世界”と出会い関わりあうことで、生の喜びや愛という感覚を獲得していき、空気入れ(=再生・不死のメタファー)を捨てて、不可逆な時間軸における有限で一回性の生を自ら選んだ。
    冒頭の”心”が表すものは”好奇心”であり、空気入れを捨てたときこそが”自らの意志”という意味で真に”心”を宿した瞬間といえるのではないか。

    ②空気人形は所有的な愛のメタファー。所有的な愛が求めるのは、自律的人格としての他者ではなく、自らの欲望を実現する他律的なプログラムでしかない。持ち主の所有的な愛から逃れたのぞみは、純一と互いの欠如を満たし、未来の可能性を分かち合う”自己と他者”ーいわば並列的な愛の関係を築こうとしていたのだろう。

    ③劇中に登場する吉野弘の「生命は」の詩が、人間(生命)がみな自らに抱く欠如を、他者(世界)に満たしてもらうことで成立していることを伝えているのと対比して、脇役の登場人物たちはみな他者との関わりを断絶し、自身でその欠如を埋めようと孤独に、焦燥や絶望、卑下にあえぎながら生きているのが印象的。

    ④最後のシーンで拒食症の女性が、ゴミ捨て場で死んで人形(無機物)に帰ったのぞみを見て、きれいとつぶやいたこと。その真意は、死んでいるような生を過ごしている自分と比べて美しく生を全うしたのぞみへの羨ましさとも取れるし、はじめから人形のように生も死もない空虚の世界で生きれたらという生への逃避的な憧れとも取れる。

    ⑤ペ・ドゥナがともかく可愛い。演技がすごく嵌ってる。

  • 「予想外の展開」がある、ということは知ってたけど、あんなことになるなんて想像していなかった....
    見ながら、あの純一(ARATA)の苦しそうな息と、のぞみ(ペドゥナ)の真剣ながら悲しむ表情みてると、おい空気人形なにやってんだよ...って思った。
    のぞみのあの行動は、彼女が感じた「孤独・空っぽ」を純一と共有して、なにかで満たしてもらいたい、そして純一の空っぽは、自分が満たしてあげたい、という気持ちだろう。
    空気人形であるが故の誤解・純粋さから生まれた、新たな孤独。

    周りの人々も
    みんな空っぽなんだ。
    どこかに、空っぽを感じている。

    まあこれはその「こころ」に重点をおいている映画だから気にしないことにしてたけど、

    あれって、殺人、になるの...?
    ゴミステーションに放置してたけど、なんかそこスルーだったよね(笑)

    ARATAもペドゥナも、あと板尾創路も、みんな適役だった。
    脇役でありながら主役でもある、あの地の住人たちも。

  • 純粋なことは、残酷でもある。

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著者プロフィール

著者)是枝裕和 Hirokazu KORE-EDA
映画監督。1962 年東京生まれ。87 年早稲田大学第一文学部卒業後、テレビマンユニオン に参加し、主にドキュメンタリー番組を演出。14 年に独立し、制作者集団「分福」を立ち 上げる。主な監督作品に、『誰も知らない』(04/カンヌ国際映画祭最優秀男優賞)、『そ して父になる』(13/カンヌ国際映画祭審査員賞)、『万引き家族』(18/カンヌ国際映画 祭パルムドール、第 91 回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)、『真実』(19/ヴェネ チア国際映画祭オープニング作品)。次回作では、主演にソン・ガンホ、カン・ドンウォ ン、ぺ・ドゥナを迎えて韓国映画『ブローカー(仮)』を 21 年撮影予定。

「2020年 『真実 La Vérité シナリオ対訳 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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