忘れられた日本人 (岩波文庫 青 164-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003316412

感想・レビュー・書評

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  • 忘れられているが、忘れてはいけない日本人の姿。戦前から戦後まもなく日本全国の民間伝承を調査した民族学の名著。
    長崎の対馬を先祖に持つ関係で読んでみました。初めの章にこの地方のしきたりや伝承が載っていました。
    この本に登場する日本人は、司馬遼太郎さんが、理想としているような鎌倉武士の起源を原形とする姿ではないかと思い浮かびました。
    特に宮本常一の祖父の宮本市五郎の話は胸を打つ。…仕事(百姓)を終えると神様、仏様を拝んでねた。とにかくよくつづくものだと思われるほど働いたのである。しかし、そういう生活に不平も持たず疑問も持たず、一日一日を無事にすごされることを感謝していた。市五郎の楽しみは仕事をしているときに歌をうたうことであった…
    この祖父と幼期期に一緒に寝て、おびただしい数の昔話や伝承を聞いて育った宮本さんが、大人になり古老から多くの伝承を集めることを仕事にしたのも頷けます。

  • 百姓という英雄たち

  • ・面白い!
    ・西日本が記述の中心であることが、なんとも嬉しい。
    ・もとは「年寄たち」という総題が想定されていたのだとか……「忘れられた日本人」は同じ意味だが、より大上段に構えた表現であって、もとの素朴な想定のほうが内容にフィットしている。
    ・寄合とか地域会とかめんどくせぇと肌で嫌悪するシティボーイなので、興味を持ったのは多くの人と同じく「土佐源氏」が、結構作者による創作なのだという事情を聴いてから。
    ・が、むしろ冒頭の「対馬にて」「村の寄りあい」あたりで、記述内容と、地の文の文体と、差し挟まれる聞き取り引用会話文の面白さが、「女の世間」を経て「土佐源氏」で大爆発する、という構成の妙に強烈に引き込まれた。
    ・その頂点が、148p「(略)つい手がふれて、わしが手をにぎったらふりはなしもしなかった。/秋じゃったのう。/わしはどうしてもその嫁さんとねてみとうなって、(略)」。
    ・「人のぬくみ」を思い出す「私の祖父」や、「非農民の粋」を語る「世間師」、そして貴重な取材源を疎かにしない「文字をもつ伝承者」が後半にくる、やはり構成の妙味。
    ・隙のない連作短編集の構成だ。
    ・奥さんをないがしろにして「助手」を伴って取材旅行に出ていた自身の「いろざんげ」を、「土佐源氏」に代弁させたのだ、という読み解きも、実に文学的でぐっとくる。
    ・ちくま日本文学022の文庫解説では石牟礼道子が解説を寄せているのだとか。確かに、石牟礼道子、森崎和江、上野英信、谷川雁らサークル村の活動と、近接する研究だ、とは思う。が、敢えて露悪的に言えば、根本に左翼思想を置いて、日本の原郷を目的として探る、という活動と、宮本常一の活動は、因果が逆なのだと感じた。宮本の左右政治思想は知らない、が、この本を読むと、思想より人への興味が先行しているように思えるのだ。
    ・また、被差別部落に生まれ落ちたことを根拠に文筆活動を組み立てんとする中上健次に対して、「中上健次の同和理解は暗くて浅い、私の理解ではもっと明るくて深いものだ」と言ったという。勝手な推測だが、路地出身とはいえボンボンのインテリに過ぎなかった中上の近代性を、むしろ前近代性から批判し得る見聞をたくさん仕入れている、ということなのだろう。「山に生きる人々」にて、ある種の作家(三角寛とか?)のサンカ幻想を意に介さない記述があるらしいが、うーんたとえば吉本隆明に「どういうことですか」と質問を繰り返した岸田秀のごとき、カラッとした鷹揚さが感じられるのだ。
    ・左翼ー日本探求という点では、宮崎駿も同じ文脈に入れるべき。文芸や表現が、左翼的心情を出発点にしたりモチベーションの源にしたりするのはありうべきことだが、主張の道具に、作品や研究が使われてしまう可能性もあるのだな、とここ数年の石牟礼ー森崎読書で知った。いやむしろ石牟礼ー森崎は、谷川ー上野のその傾向に抗しているのかもしれない……今のところは想像するばかり。そこに思春期に熱中した中上や大江も加わってきたり、いずれ読みたい柳田国男や折口信夫や南方熊楠もきっと関わってくるんだろうと想像されるが、何かしらのストッパーとして、宮本常一を憶えておきたい。



    柳田国男・渋沢敬三の指導下に,生涯旅する人として,日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が,文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し,「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす.「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作. (解説 網野善彦)

    目次

    凡例

    対馬にて
    村の寄りあい
    名倉談義
    子供をさがす
    女の世間
    土佐源氏
    土佐寺川夜話
    梶田富五郎翁
    私の祖父
    世間師(一)
    世間師(二)
    文字をもつ伝承者(一)
    文字をもつ伝承者(二)

    あとがき

    解説(網野善彦)
    注(田村善次郎)

  • 「この学問は私のようなものを勇気づけます。自分らの生活を卑下しなくてもいいことを教えてくれるのですから」

  • 東京中心・今の時代を最善と考える傾向のある私にとって、民俗学はその意義がよくわからない学問であった。しかし、この本を読むと、各地方特有の生活の合理性、世間的には有名でない人がそれぞれの立場で懸命に生きてきたことが追体験でき、民俗学の意義を少し理解できたと思う。
    また、西洋の法を継受し作り上げられた現代の法体系ではうまく解決できない事象について、紛争解決のためのヒントが得られそうな本でもある。

  • 聴く人がいたから、100年を経た現在でも、話し手の言葉が残っている。ありがたい。受け止めきれないほどの文字や動画と暮らす現在の私にとって、むしろ本書のなかの話し手たちの言葉のほうがゆっくりと身体に染みる。そんな感覚がある。

  • いまでは通信技術などが発達し、電話ひとつあれば離島を含む日本の隅々まで容易につながることができる。地方の誰かに話を聞きたければ、自分のいる場所から電話の一本入れたらすむ。だが本書の時代は電話などない。筆者はそのような環境のなかでこの物語を自らの足でかき集めたのだ。当時は道路網も十分ではなかっただろう。彼の行くような地方では尚更だ。まずその点に感銘をうける。
     本作のいえば「土佐源氏」である。面白さはいうまでもない。筆者が取り上げなければこの物語は世界のどこかの砂粒のように一生誰かの心に留まることのなかっただろうと思う。しかしながら、土佐源氏の物語には少し引っかかる点がいくつかある。内容そのものを批判する訳では全くないが、まずここまでのことをこれほど詳細に覚えておくことがはたして可能なのかという点。録音技術は当然ないし、筆者がメモの達人だったとしても土佐源氏の話を一言一句記録できるものだろうかということは疑問に思う。また雰囲気がとても小説のようで、創作のように見えないこともなかった。このような点で本作が現実にあったのかという点を疑問に思う瞬間があった。
     といっても、本書に対して言えることは完全に一読の価値がある本だということしかない。この本の価値に比べれば、土佐源氏の物語が本当か本当でないかは全く問題ではない。本書に登場する人々とその暮らしぶりは、いまとなっては失われた日本の景色を私たちに教えてくれる。このタイトルの通り私たちは彼らを「忘れていたこと」を教えられるのだ。
    これからもたまに読み返して自分が生まれる前の日本に想いを馳せたいと思った。
     

  • 書店で手に取るまで、恥ずかしながらこの本のことを知りませんでした。不朽の名著!岩波文庫70刷です! 司馬遼太郎や近代日本史の本を読んで、戦前の日本がわっかたように思っていたことが恥ずかしい。
    古老のひとつ一つの話が、短編小説のようでもあります。著者の宮本常一氏が只者ではないことがすぐにわかります。

  • 世に名を残した偉人だけでなく、一生懸命生きた普通の人達のおかげで今の豊かな暮らしがある。そのことが、地道な取材を方言を交えた臨場感溢れる描写で描かれていて、白黒の昔の映像が鮮やかに蘇るような感覚になった。なんとなく知識としてはあったけど、現実に落とし込むとこういう感じか!とか、えっそうだったの!!という事実までが生き生きと見えてくる。
    『土佐源氏』については映画や小説のような読みごたえがあって印象的

  • 辺境の地で黙々と生きる日本人の知恵。
    村では、寄合制度が形成され、そこでは表面的には村の取り決めや自治が行われていたが、本質的には村の人々との知識の共有がメインだった。
    今から120.130年前は、読み書きができない人の方が多く、読み書きができるひとの役割が非常に大きかった。そのような人々は、正確に村で起きていることを記録し、伝承し、のちの世代を発展させることを目的としていた。今の時代で考えてみると、文字は溢れんばかりに存在していて、その存在意義を考える暇もない。のちの時代へと伝えていくという文字の一面を考えてみると、もう少し責任を持たないといけないかもしれない。
    今、日本にある村は絶滅しつつあるが、昔はそのコミュニティで人々が生活を営み、生きた知識を繋いで行ったという事実をこれからの時代にも伝えていかなければならない。

著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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