- Amazon.co.jp ・本 (92ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003420959
感想・レビュー・書評
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何度となく読み返すべき名著。社会科学とは何であり、何のために存在するのか。その的確な指摘が、学問と向き合う姿勢を示してくれる。そしてその姿勢は、謙虚さと勇気とをくれる。
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これを買うくらいならば、「職業としての政治」の方がオススメです。
内容的にも、学者を目指したいけれど、どうしたら良いのか分からないような若者は読んでもよいかもしれません。 -
「運命」「宿命」という言葉がたくさん使われていることにとても注目する。神々の闘争という時代に運命性を込めて、これに正々堂々と向かい合い、自らが選びとった価値にことごとく責任を持って行動する。これを伝えるのは学問であるのだ、という風に僕は読んだ。すごく、アツかった。総ての局面においてこれらの言葉を肝に銘じておこう。あと前半に、教える立場にある教授に関してヴェーバーの考える倫理の話があったが、そこ読みながらゼミ教授の「教授」としての技量に感服。生意気ですかね。
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「学問の進歩はつねにみずから時代遅れとなることを欲することから生じる」
学問に生きるには、一生学び続けることを厭わない覚悟が必要だな。 -
あまり面白くなかった。多分、ゆっくりと時間が流れる時代だったのだろう。薄っぺらいから読めたようなものだ。一番興味深かったのは、トルストイに触れた部分である。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100727/p9 -
難しかった。けれども、生徒の前に立つ者としての公正な態度、学問そのものについて、が書かれてある。
わかりにくかった点もあり。 -
【内容】
第1次大戦後の混迷のドイツ。
青年たちは事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、教師のかわりに指導者を欲した。
学問と政策の峻別を説くこの名高い講演で、ウェーバー(1864‐1920)はこうした風潮を鍛えらるべき弱さだと批判し、「日々の仕事(ザッヘ)に帰れ」と彼らを叱咤する。
それは聴衆に「脅かすような」印象を与えたという。
(以上、アマゾンより引用)
【感想】
今でも問うべきところが多い本であることに、間違いはない。
学生はもちろんだが、中高で教師をやっている人も是非読んで欲しい本であろう。
教師は政治的指導者ではなく、学問を単純に教えるべき存在であり、自らの政治的意見や主観から自由でなければならないということは、今でこそ肝に銘じるべきではないだろうか。
またインターネットでも政治的に偏向した意見が散見されるが、もし彼らが学生であるならば、本来的に学生の本分に戻るべきであろう。
社会科学的事実は、道徳や政治的倫理的主観や価値から自由でなければならないということも説かれている。
学問とは本来的にそういうものであるということは、云うまでもないし、むしろそうあるべきである。
むやみな理想や世界観を描く前に、事実や現実を見据え、粛々と学問に携わるべきである、それが学生のあるべき姿だ。と、単純な主張で片付けることも出来るが、むしろ真っ当であるがゆえに、見落としていることもある。
だからこそ説得力を持つのであり、気づかされることもある。
マックス・ヴェーバーの著作は二つ目であるけども、「云われてみれば確かにそうだ。」と思わされることが多い。 -
彼の言いたいことはやはりシンプル
ただ、話し方は非常に複雑
それは役者も行っている通りなんだけど、読めば読むほどそう感じる
あえて、一番気になった部分は、
噛み砕くと、良い教授(研究者)と良い教師は別と言ってた箇所
大学の教授~~、もっと授業なんとかしてくれ~~~ -
「もし君たちがこれこれの立場をとるべく決心すれば、君たちはその特定の神にのみ仕え、他の神には侮辱を与えることになる」