ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言
- KADOKAWA (2019年12月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784046044990
感想・レビュー・書評
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日本の認知症診療で一番有名な先生が認知症になられた。
それだけ聞くとものすごくインパクトがあるが、
認知症の程度としては軽度の段階のよう(なによりである)。
本書の内容は、ご自身の患者体験もあるが、それ以上に認知症という病気の総論(歴史、検査、診断、治療、対応)やご自身の経歴、功績などの記述が多い。
認知症や長谷川先生についてまず知る本としては最適だろう。
先生の若い時から現在まで変わらぬ患者さんへの姿勢ーその人中心のケアーの実践は素晴らしく、その思いは本書にも十分染み入っている。
認知症を自分ごととして、また自分の社会で、ちゃんと受容しようという気持ちにさせてくれる本である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「認知症になったからといって人が変わるわけではない。」
「認知症は突然ではなく、それまでのつながりの中にある」
といった言葉が印象的。
認知症の人と接する時に、無意識のうちに抱いてしまっている「あちら側の人」意識を変えるきっかけになる本。 -
認知症の専門家である著者が、当事者になって初めてわかった事を書いてくれたことは大きな意味があると思った。
認知症に限らず他の病気であっても、その人の尊厳が損なわれる事はないこと、病気ではなくその人自身と向き合う姿勢が大事だということが書かれており納得。当然のようだが忘れがちな事だと思うので、改めて肝に銘じておこうと思った。 -
長谷川式といえば医師で知らない人はいないと自信を持って言えるが、その作られるまでの経緯なども少し書いてくださっている。これまでの臨床医としての歩みや今思うことについて、身一つで書いてくださっており、全身で臨むような文章からは病院での姿が垣間見えるような気さえした。
とても感慨深く読めた。 -
長谷川スケールの考案者が認知症になる。ご本人はどう思っているのだろう。NHKスペシャルを見て読む事にした。
「認知症になったからといって、昨日までの自分とまるで変わってしまうわけではない。」
周りからとやかく言われる事は多くなったとか、転びやすくなったとか、本人としてはその程度の感覚なんだと思った。
だが、家族は困惑して失望し、周りは腫れ物ちさわるような扱い方をする。
周りの変化に戸惑い、不安になるのだとわかった。
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認知症についての第一人者である長谷川先生の自分が認知症になったことで分かった体験が綴られている本であった。認知症というと、ネガティブなイメージが先行してしまい、何もできない老人といったイメージがある。しかし、長谷川先生はそうではないと言うことを繰り返し主張していた。
認知症になったからといって、その人の連続性が途切れるわけではなく、その人らしさというのは残り続ける。ネガティブなイメージが先行してしまうのは、周囲が無理解なだけ、気付いていないだけという事が痛感させられた。
これは、障害とも同じ事であるとも思う。「害」という字が使われている理由として、障害は本人を取り巻く社会にあるものであり、その、「害」を社会が解決すべきものとして国連障害者権利条約の理念である社会モデルによって提唱されている。認知症も周囲によってもたらされる「害」があるということを念頭に置かなければならない。
特に印象に残ったものとして、p30の『最も重要なのは、周囲が、認知症の人をそのままの状態で受け入れてくれることです。「認知症です」言われたら、「そうですか。でも大丈夫ですよ。こちらでもちゃんと考えますから心配ありませんよ。」と言っていろいろ工夫してあげることです。』である。やはり、ここでも認知症の人を取り巻く環境が、その人にどう言った工夫を行っていけるかによって認知症の人の安心感が変わってくる。
しかし、ここで考えなければならないのが、工夫をして「あげる」という言葉である。「あげる」というと、上下の関係性が成立してしまうように感じた。上記で述べたように、認知症になったからと言って、その人自身は変わらない。工夫をしてあげるよりも、生活しやすいように「共に考えていく」ことの方が自分の中ではしっくりくる。 -
専門職としては、長谷川先生に親近感が湧き、とても興味深く読めました。認知症を取り巻く歴史や人生史に興味がある方にオススメです。
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人によってそれぞれの症状がある。
全治はあり得ない。
進行を遅らせることが最良。
介護保険は2000年から。
20年経った現在がある。 -
時間を分けられる余裕が欲しい。
気持ちのもんだ。
そこがなかなか。
宗教を上手く使う、っていうのは違うよな。