文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062582865

作品紹介・あらすじ

「噫憲法よ汝已に生まれたり」国の内外で識者から迎え入れられた明治憲法。ウエスタンインパクトとナショナリズムの一九世紀、木戸、大久保、伊藤、山県らが西洋体験をもとに描いた「この国のかたち」とは?日本型立憲国家が誕生するまでのドラマを描く。

感想・レビュー・書評

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  • 明治憲法について、「文明史」的観点からその成立史を描く。岩倉使節団から書き起こし、伊藤がヨーロッパ留学を経て「行政を含めたconsititution」という枠組を獲得したという流れは、政治過程史的な叙述と一線を画していて非常に面白かった。ドイツやフランスの当時の状況を参酌しながら伊藤が憲法観を形成していったというのは、空間的に広い視野で憲法制定過程を位置づけるという意味で興味深い。いわゆる「マルチアーカイバル」的な手法で(2003年時点ではこの言葉はまだなかったと思うが)憲法制定史を描いている、と言えるかもしれない。

    しかしこれが著者36歳のときの本か・・・すごいね。

  • 憲法がこんなに大事なものだとは
    現代で騒いでいるヤツにはわからんだろな

  • 2003年刊行。著者は兵庫県立大学助教授。岩倉遣欧使節、伊藤博文の欧州視察、山縣有朋の欧州視察を軸に、帝国憲法、憲法秩序たる下位法の策定が西洋文明の継受という側面のあったことを叙述。事実摘示は他書、例えば、伊藤博文、山縣有朋、大久保利通らの人物評伝でも知りうるが、これらを上手く拾い上げ、旧憲法の隠れた意義に目を向けさせらた。ただ、アジア初の憲法制定が欧州、アジア・中東その他の地域に及ぼした影響は余り書かれていない。些か残念な点だが、帝国憲法の国内的影響とは違う、世界史的意味合いを看取しうる書である。

  • テーマ史

  • 図書館で借りてきた本。憲法を勉強している今、せっかくだから明治憲法のことも少しは知っておいた方がいいかなと思って借りてきたのだが。。

    「新憲法の誕生」のように、どのように明治憲法の中身が作られたのかが書いてあるのかと思ったが、そういう具体的なことは全く触れず、明治憲法はどのような人がどのような人に話を聞いてにどのように考えて作られたのか、という「明治憲法を巡ってのあれこれ」という話だった。主に中心となった人物は明治憲法を作るように指示された伊藤博文だったんだけどね。

    明治憲法はその当時のドイツ憲法をそっくりそのまま移植したもの、と考えられがちだが、憲法が制定されたあとにヨーロッパやアメリカ各国の大学の有名な学者などに配布したところ確かにドイツ憲法とは似たものであるが、そこにはちゃんと「日本的なものが根付いている」という評判だったそうだ。

    確かに憲法は「この国のかたち」で、将来どのような国にしていくかを考えた重要な法律だが、やっぱり今の目で見ると明治憲法を作った人たちは国民(その当時は臣民だが)なんか「いかに飼い慣らすように仕向けていくか」の対象しかなり得ないんだよね。政府に歯向かわずに協力していく臣民をどう育てていくか。当時は帝国主義だから仕方のないことなのかも知れないけど、でも、これって今も政府首脳や国会議員や官僚はそう思ってないか?という感じも最近すごくするんだよね。あれから100年以上経つのに日本は何も変わってないのではないだろうかってことがすごく怖いし、絶対に「先祖返り」なんかしちゃいけないと思う今日この頃。

    結局明治憲法は上からの押しつけ憲法、今の憲法はGHQの押しつけ憲法(と言えども当時の政府首脳が一生懸命「日本化」した挙げ句のものなので、純粋にGHQの押しつけとは言えないと思っている)で、日本国民は一回も「自主憲法」を作ったことがない国民なのだよねえ。。まぁ、今の風潮だと今さら自主憲法を作るよりは今の憲法を大切に守っていく方がいいんじゃないかとわたしは思っているが。

  • 今度は明治憲法ができるまでの話。岩倉使節団で、伊藤博文がはしゃいで船で裁判のままごとしたとか岩倉具視が結局現地で洋装にしたことへの同行者のひんしゅくとか、グナイストにすげなくされたこととか、シュタインは自分の国での事情もあって優しかったとか、発布の日に憲法正本を伊藤博文が忘れてきた話とか、がんばって豪勢にして盛り上げようとした発布の日とか、当時の人たちの日記なんかからでてくるそういう話が面白かった。最初はとにかく憲法導入、だったのが、国の特性を考えること、行政の大事さなどに気づき、どんな思想に影響受けたみたいな話もさることながら。
    具体的に細かい条文の成り立ちみたいな話はこの本では扱ってない。
    井上毅氏が、年上の裁判官に人気(自分調査)な理由も、共鳴すると思われるところがなんとなく解せた。

  • 最今の改憲議論のプロセスを理解しようと通読。「Constitution」の本来の意味は「国のかたち」。岩倉使節団、伊藤再渡欧、山県欧訪。天狗だった伊藤博文が井上毅に出し抜かれて消沈し、再渡欧で自信回復。その過程で捉えた単なる憲法論議を超えた日本古来の歴史・制度・習慣に基づいた国のかたち作り。立憲政治が免疫不全を起こすことなく日本に移植されるために、拙速に欧米の憲法を真似するのでなく、明治に入って20年以上かけて「国のかたち」を考えた。開国し諸外国の技術が大量流入する中、右往左往することなく丁寧に国のかたちを考えた当時の志士達を単純に尊敬。また逆に米国に作られた憲法を後生大事に一切の変更を加えずに守り続けている現代日本人の耐性(柔軟性?)も歴史的にみるともしかしたらスゴイのかもしれない。


    以下、備忘メモ。

    憲法は治者非治者の権利義務を記す法典。自主独立な文明国となり不平等条約を改正するための目標とされた立憲制度だが、渡欧でわかった西欧政治の指導原理は私利の追求、個人の自律・自主性に根ざした法理と道理の分離。JusticeもSocietyも道義的色彩は無く、あくまで利益政治の手段。東洋が徳による羊の文明とすると西洋は利益競争による狼の文明。個人間競争から社会・国家間競争へと続く太平の戦争が国際政治の本質で、そのための手段としての国家形成、ナショナリズム涵養。ビスマルク曰く、所詮、公法は列国の権利保全のためであり、利があれば公法を活用するが、そうでなければ武力に訴えるのが政治の現実。とはいえ一方で西欧では急進的な開化主義は咎められ、旧習を徒に廃棄するのではなく伝統を維持しながら漸進的に進む。国の政治の仕組みは、その国の文化や国民性といった所与の条件によって自ら形作られるものであって、人知によって新たに構成されるものではない。国民国家として民の参加をどう位置づけるかが重要。木戸は、文明が広く行き渡っていない日本では、まずプロイセン型の天皇の英断と有志による「独裁の憲法」を描く。

    その後、伊藤の再渡欧時に見たのは議会内の政党政治・階級闘争・イデオロギー対立の激化で歳入歳出がままならず国政が停滞するドイツ。議会には軍備・予算に介入させるべきでないという助言を受けながら、憲法だけでなく行政法が重要という認識にいたる。立憲政治では君主、立法部、行政部のバランスが重要で、君主が主導すると専制君主制、立法部だと絶対民主制、行政部だと独裁制に陥る。特に絶対民主制は多数専制となり国家の土台を崩す。変化に柔軟に対応できるよう行政の自律が課題であり、そのための官僚制度、官僚育成のための帝国大学というのが民権派に対抗する論理。議会制度に国民参加は必須であるが、階級・民族等の政治イデオロギーで議会が引き裂かれないために国民精神といった内的な支柱が必要。また議会を外から補完するシステム、行政部の役割、議会が破綻した際の高権的に救済する立憲君主が必要で、漸進的に議会政治を日本に定着させていくという考えに至る。枢密院はこの議会と政府が対立した際の天皇の政治決定を支援する顧問団であり、これがイギリス流にもプロイセン流にもない独自性というのが伊藤の主張。またこれで天皇の政治的突出にたがをはめ、天皇の政治活動が制度化。ただこうして憲法発布のお祝いが続くが国民は内容自体は知らず、ただ国民、民権派を抱え込んだ政治の空間(公共圏)が成立。議会の場を政党勢力が席捲することは不可避だが、党派主義に国の統治が蹂躙されるのを危惧し、憲法制定されても議会政治や政党内閣は時期尚早というのが伊藤の考え。その最中に欧訪した山県が見たのもポピュリズム、大衆政治の軽挙妄動に国家転覆の危機にあったフランスだった。

    山県欧訪のテーマは地方自治。グナイストは、日本はフランスのようなトップダウンではなく、ボトムアップ型の地方制度が合うと説く。日本の政治組織の基盤は住民、特に小規模な町や村が要諦で、土地の名士を中心とする住民の隣保活動の延長でのインフラ整備、治安、救貧等の自主・独立な行政処理が推奨された。ただ一方で国政では、国会は時期尚早で、政府に自由を与える官治政治、強権をもった政府による迅速かつ効果的な施策、開発独裁を主張。またシュタインからは外交について、兵力を持っても保護する勢力圏、勢力圏の存亡に影響を与える政治・軍事範囲でる利益圏があり、勢力圏のみならず利益圏を確立し、維持していくことが独立国家の必要要件と説かれる。利益圏を設定し、そこに外国勢力が進出してきた際には毅然とした措置をとるという一環した外交方針があってはじめて、一国は外国の尊敬を受ける。最後にクルメツキからは、議会が反政府的にならないための具体的な方策、政府による議会コントロールの説明を受ける。いろいろと話を聞き、西洋の文明だからといってやみくもに倣うに値しないという認識に至る。国会は場合によっては国家の転覆に導くので自由放任をしすぎてはいけない。自由放任という文明の病弊に侵されたのが西洋。やみくもに国会開設をすると西洋と同様、議会を巣窟とする民権派・急過激派により日本の政治が蹂躙されてしまうかもしれないという危惧。一方で欧州の地方議会の穏便ぶりは優れている。春風和気とした議事、平々坦々とした進行。日本伝来の美徳である「人」が西洋文明の波濤に対する橋頭堡になりうる。憲法が既成事実化した今、その憲法を「人」によって可能な限り滅殺するという考えに至る。

    伊藤の狙いは漸進主義。究極的には憲法は慣習法。やみくもに欧米の憲法を導入するのではなく、その国の歴史、文化に合った形でなければ受け入れられるない。また逆に欧米に認められるためにも憲法は日本的でなければばらない。文明の制度が免疫不全を起こすことなく無事日本に移植されるための制度的補償、国民の政治的活力の秩序化が必要。君主・議会・行政のConstitution(国制)の器の中でどうやって憲政が育っていくかが課題。伊藤が国制は社会の動きに応じて変容していくものと捉えていた。一方、山県は国家体制の不動性を求めてやまない。伊藤は未来に開かれた進化的なものだったのに対し、山県にとっては憲法は維新の大業の一部、それを守ることが重要。また地方自治のために政論にうつつを抜かさず、国家の公益を磐石ならしめる忠良なる臣民の育成が必要。山県は人の上に立ち国を導いていく者として、内閣の閣員が内紛することなく、一致協和して国政に関与することを求めた。下は地方自治から上は内閣論まで、山県の秩序感は一環して「人」。伊藤は立憲政治を完全に機能させるため、議会政治に傾斜した憲法論を行政によって相対化する術を重視。行政部や君主制などの議会制度以外の国家諸制度は、全体として立憲体制を構成するものとして有機的に結び合っていた。山県においては、議会以外の諸制度の自律化が進み、やがてはそれらの肥大化によって立憲制度そのものの相対化がもたらされようとする。

  • もう一度読みたい。

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著者プロフィール

瀧井 一博(たきい・かずひろ):1967年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学)。専門は法制史(国制史、比較法史)。国際日本文化研究センター教授。著書『伊藤博文』(中公新書)、『明治国家をつくった人びと』(講談社現代新書)、『「明治」という遺産』(ミネルヴァ書房)、『大久保利通』(新潮選書)、『明治史講義【グローバル研究篇】』(編著、ちくま新書)など。

「2023年 『増補 文明史のなかの明治憲法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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