人新世の「資本論」 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
3.99
  • (513)
  • (600)
  • (292)
  • (81)
  • (25)
本棚登録 : 7680
感想 : 644
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087211351

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 資本主義では残念ながら、如何に努力しても二酸化炭素排出を止める事は出来ない。何故なら、常に経済成長し続け利益を追求する事が資本主義そのものの原則だからである。先進国発展の裏に搾取されるグローバルサウスの問題も興味深い。マルクスやコモンと言った考え方は非常に難しく理解しづらいものがある。

  • 専門用語が多くて読みづらいけど、内容は素晴らしいと思う。
    資本主義や気候変動を地球規模で見ると、様々な課題があり、今までの考え方がひっくり返った。
    安い物を買うという行為が環境破壊に繫がるなんて思いもしなかった。

    将来が不安で悲観的になりそう。
    今の資本主義に慣れすぎて、3.5%の革命者にとても入れそうにない。

  • これまで中核諸国の大企業や超富裕層を中心に資本主義による経済成長が推し進められ、結果として周辺諸国の人的搾取や環境破壊が為されてきたが最早影響は発展途上国に留まらず、気候変動や自然災害の増加など先進国にも影響を及ぼし始めているという。
    解決策として、経済の脱成長と、地球全体の環境を国境を越えた共通のものとして取り扱うことが重要とのこと。
    個人的にできる取り組みとしては、SDGsを謳った商品でも購入する際はその製作過程での環境への影響をよく考えること、企業によるグリーンウォッシュに注意すること、かな。

  • そぞろ書房さんで交換させていただいた本。
    資本主義について初心者の私にはちと荷が重かったです。まだ読んでませんが、同じ斎藤さんの「ゼロからの『資本論』」を先に読んだ方がよいかもしれません。
    ただ、環境危機であること、脱成長コミュニズムの必要性は理解できたと思います。これからの生活を考えていきたいと思います。

  • 斉藤さんと成田教授が対談した動画を見たが。成田さんが冒頭で論破してて議論が続かなかった。成田さん的にはもっとラディカルな姿勢を斉藤さんに見たそうだった。
    成田さん的には3つの点で社会主義がイケテなさそうに見えると。
    1.資本主義は色々問題はあるものの、大きな視点で見ると格差の是正は進んでいる。特に途上国の経済状態が徐々に改善して全体で見ると格差は改善。道路で言うと、渋滞にはハマっているものの、ゆっくりであるが前には進んでいると言える。が、社会主義はこの道を逆走しようと言うもの。渋滞しながらも進んでるのに逆走するひつようあるのか?
    2.現代の政治体制てきにはどう転んでも社会主義体制に移行することが政治的に不可能だろう点。確かに先進国ではどう転んでも政治的に社会主義選択しないよね。
    3.脱成長、社会主義を主張してる人たち自身が、生活レベルを落とすことが本当にできるのか?そこまでやる気があるのか甚だ疑問。
    と、まあ纏めるとこんな感じ。まあその通りだしぐうの音もでないよね。
    本書自体もマルクスに対する知識がないので後半はちんぷんかんぷん。

  • ずっしりと重い本で、ずいぶん、読み切るには、体力と脳力のいる作業だ。
    ①人新世という言葉を初めて知った。「人新世」は、1980年代に生態学者ユージン・F・ストーマーが異なる意味で「人新世」を使用していた。地球の大気に関して直近数世紀の人類行動の影響が新たな地質時代を構成するほど重要であると考えた大気化学者パウル・クルッツェンによって2000年にこの用語が広く普及した。人新世とは、人類の経済活動が地球を破壊する環境危機の時代。
    本書は、刺激的な言葉で幕開けをする。マルクスが「宗教はアヘンである」と言った。斎藤公平は、SDGsは「大衆のアヘン」であると言いきる。人間が地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまった。現実を直視しなければならないという。この問題提起の仕方は、強力なアジテーションである。久しぶりに、元気のいい、若き、新しきマルクス主義者の登場である。
    SDGs(エズ・ディー・ジーズ)は、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で決められた、2016年〜2030年までの15年間で世界が達成すべきゴール;国際社会共通の目標を表した。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない( leave no one behind)」ことを誓っている。なぜ、この目標が、アヘンなのか?が本書では述べられる。
    経済成長を進めれば、確実に地球破壊が進む。現在起こっている大雨による洪水や台風の巨大化は、確実に地球温暖化の影響を受けている。地球温暖化に向けて、CO2の排出規制を強くすることが求められている。
    人新世の時代は、ビル、工場、道路、農地、ダムなどが地表を埋めつくし、海洋にはマイクロプラスチックが大量に浮遊し、産業革命以降、人間は石炭と石油などの化石燃料を大量に使用し、二酸化炭素を膨大に排出した。温室効果ガス世界資料センター(WDCGG)の解析による2018年の世界の平均濃度は、前年と比べて2.3ppm増えて407.8ppm。 工業化(1750年)以前の平均的な値とされる278ppmと比べて、47%増加している。
    ウィリアムノードハウスは「気候変動の経済学」でノーベル賞を受賞。1991年に炭素税を導入を提唱、CO2削減のモデルの構築をした。経済成長と新技術があれば、現在と同じ水準の自然環境を維持できると考えた。彼の計算によると2100年には、3.5℃も上昇する。パリ協定2100年までの気温上昇を産業革命前として、2.2℃未満に抑えこむ。
    最近 100年に一度の異常気象が、毎年各地でおこっている。2020年6月シベリアで気温が38度。
    2018年西日本豪雨の被害総額は、約1兆2150億円に上り、単一の水害としては統計を開始した1961年以降で最悪だった。
    ジェームズハンセンは、1988年に「気候変動は99%の確率で人為的にひきおこされている」と発表した。スウェーデンの16歳の環境活動家グレタトゥーンベルは「資本主義が経済成長を優先する限りは、気候変動は解決できない。」という。
    著者は、マルクスは「資本主義は自らの矛盾を別のところへ転嫁し、不可視化する」という事例を上げていく。
    先進国社会の豊かさは、劣悪な条件で働く人を遠くに転嫁して、環境汚染、森林破壊をおこしていく。外部化社会を作り、不可視化する。中核においては、過剰発展をして、周辺は過少発展と環境破壊をする。そのグローバル化が地球の隅々まで及んだ。発展途上国は資源、エネルギー、食糧、は先進国にうばわれていく。「オランダの誤謬」とは、オランダ国内は大気汚染や水質汚染の程度は低いが途上国では大気汚染や水質汚染、ごみ処理問題に苦しめられていることをいう。そのような外部化社会でおこっていることが、「知らない」から「知りたくない」に変っていく。自分たちに関係ないことだと、見ないようにしてしまう。人新世は、むしりとってきた「安価な労働力」のフロンティアの消滅、発展途上国の安価な自然もついに消尽している。
    ①技術的発展でのこえようとする。NET Negative Emmision Technolgy 大気から、CO2を除去する。②空間的転嫁、南米から欧州へ。③時間的現象、森林破壊と気候変動。つまり、地球を覆い尽くすことで、地球の温暖化が丸ごと発生することになる。つまるところ、将来を犠牲にして、現代を繁栄させている。否定的帰結をたえず、周辺部へ転嫁。気候変動は、転嫁の帰結である。
    緑の経済成長。経済と地球温暖化のデカップリング(切り離す)。「資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステム」資本主義は、気候変動さえも、利潤獲得のチャンスとなる。関東大震災の時においても、コロナ騒動においてでもある。惨時便乗型資本主義がある。公正な資源配分が資本主義のもとでは、恒常的にはできない。
    では、どうすればいいのか?

    ②150年前のマルクスの主張の見直し。
    果たして、資本主義以外の選択肢は存在しないのか?中国やソビエトの社会主義の実情を見ても、どうも不具合なところが多い。一党独裁と生産手段の国有化の状況。それは、マルクス理論から見てどうなのか?と問う。また、マルクス主義は、階級闘争ばかり扱って、環境問題は扱えないのではないか?
    マルクスエンゲルス全集(大月書店)は、全53巻4万ページであるが著作集に過ぎない。マルクスがロンドンの大英博物館などで書いた研究ノートなどのマルクスの一次資料を集めて、現在 MEGAマルクスエンゲルス全集が始まり、新たに全32巻が追加された。最終的には、100巻を超えるという。
    若きマルクスは、「生産至上主義」であった。資本主義の発展とともに多くの労働者が資本家たちに搾取される。そのことで、格差が増大する。生産が過剰になり、恐慌が起こる。そういう中で、労働者は団結して、社会主義革命を起こす。それが結実したのが、共産党宣言。その20年後 1867年に、マルクスは「資本論」の第1巻を出す。マルクスは、第2巻、第3巻は未完のままでエンゲルスが書いた。その間のマルクス自身の変化が、今回の本では紹介されている。
    人新世の環境危機の時代を、生き延びるために、晩期マルクスの思索から汲み取ろうとする。
    コモンを地球として考える。社会的に人々に共有され、管理されるべき富をどう共有するかについて考察する。
    脱成長コミュニズム①使用価値経済の変換。使用価値に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。②労働時間の短縮。労働時間を削減して、生活の質を向上させる。③画一的な分業の廃止して、労働の創造性を回復させる。④生産過程の民主化⑤エッセンシャルワークの重視。クソくだらない仕事や会議はやめる。以上のようなことをポイントにして、自然回帰ではなく、新しい合理性を作り上げていく。例として、バルセロナの気候非常事態宣言による「フィアレスシティ」国を超えた自治体の連携。現在77もの拠点が参加している。その中で、気候正義を掲げ、それをテコとした新しい社会の創出。
    こうやって、マルクスは、脱成長の新しい姿を見せるのか。資本主義が地球を破壊し尽くす前に、新しく踏み出していく。ふーん。なるほど。いい本だが、咀嚼するには、かなりの分量の本を読まねば、理解できないのだ。自分の思考のパラダイムを変換するには、いい本だった。

  •  論旨の節々を補填するロジックや一冊を通したストーリーはかなり納得感のある一方、「脱成長」という人間の根源的欲求と反するような社会を実現するには想像を絶するハードルがあるに違いない。希少性を人工的に生み出す資本主義の側面を批判する一方、現に貧困地域のマイノリティが使用価値以上の「価値」を上手く生み出して貧困を脱する事例もある。筆者も脱成長コミュニズムの実現の困難さにあとがきで触れていたが、実際に実社会にこの思想を定着させるイメージまではまだ湧きづらいと感じた。
    ____________________________
     晩年のマルクスは、自然科学研究と共同体研究を経て、進歩史観と完全に決別し、無限の経済成長ではなく地球を“コモン”として持続可能に管理することを求めた脱成長コミュニズムを掲げていると捉えなすことができる。
     資本主義は、相対的な希少性を人工的に生み出すことで、本来コモンが持つ使用価値に付加価値を付けて利益を追求している。そうして発展してきた先進国社会の“豊かさ”は、その代償をグローバルサウスといった外部に転嫁することで生まれたものであり、気候変動の観点で外部化による成長は限界を迎えている。
     際限なく利潤を追求する資本主義が困窮をもたらす悪循環から脱する解決策こそ、消費主義や物質主義と決別した脱成長コミュニズムであり晩年のマルクスが提唱した社会である。

  • 資本主義の限界、気候変動を解決するのは、脱成長コミュニズムしかない。マルクスの思想を深く研究し、従来の解釈とは異なるコミュニズムを持ち出して、現在の行きすぎた資本主義を是正し、地球を救う。総論賛成だが、さて、個々人がどう動けば良いのか、イメージがしにくい。

  • 現代における仕事や価値の判断についてまわる「お金」の概念の違和感を自分なりに解釈するために資本主義に関する本を探していて見つけた一冊。前半の問題定義やそれに対する解釈はとても役に立った。意外でもないが、ブルシットジョブへの言及もあって繋がった部分もある。提案される社会形式に賛成できるか否かは個々人のものだが、少なくとも啓蒙という意味で一読する価値は高いと思った。
    環境問題には直結しないかもしれないが、コモンやコミュニズムに関する提案はソフトウェアの世界には既にあると思った。Gnu/Linuxを始めとするFSFの活動はコモンに対する社会運動だと言えるし、大くの企業は資本主義の立場からOSSとして搾取している面はあるものの、コモンへ返している部分もあると言える。これらは維持、拡大していくべきだろうと改めて感じる。
    また生産に対する職人の解体へのアンチパターンとして、アジャイルやスクラムを捉えることもできそうだと思う。ソフトウェアを第二次産業的に分解して開発する手法をウォーターフォールとするならば、それでは生産性を確保できず多くの企業が苦しんでいた。これは無意識にこれまでの資本主義的な考え方に囚われていたと見ることができるかもしれない。ソフトウェアはゴルツの言う開放的技術なのだろう。開発者からすれば当然だが、この解体された世界のいわゆるSIはできることが部分的すぎることが多い。これは職人的世界とのギャップになり、現実的には転職で課題になる。
    日本には職人性を捨てずにいる中小企業が多くあると思う。どのような形にせよ、生産至上主義的な発想からの転換は、むしろ日本には福音なのではないだろうか。

  • 資本主義からどう脱却して持続可能な世の中を作るかを考えた新しい経済思想本。
    サステナビリティという言葉は世の中で多く聞こえるようになったし、企業活動としてもこれを欠落させているとリスクがある世の中になった。しかし、いまだに社会は資本主義経済であり、資源を大量に利用してより便利な世界を実現しようとしている。
    斎藤氏の本は、資本主義経済の中ではもはや資源を使い尽くして持続可能な世の中を保てない、今こそ新しい経済思想を持ち、実行すべき、ということを説いている。
    私の結論としては、半分正しいがやや過激、という印象。

    以下、要点。
    まずは気候ケインズ主義について。再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるための大型財政出動や公共投資を行う。そうやって安定した高賃金の雇用を作り出し、有効需要を増やし、景気を刺激することを目指す。そしてプラネタリーバウンダリーという指標をベースに地球が自浄作用を持てるラインを引き、そこまでを推進するというもの。しかし、結果として9領域のうち四項目がすでにこの限界を超えてしまっている。
    なぜこれが起きるか?まずは経済成長すればその分新しい分野への投資が起こり、そこで二酸化炭素が排出される。またエネルギー源を石油から他のエネルギーに変えても、その資源は結局グローバルサウスから搾取して先進国で使われる。見かけ上の二酸化炭素排出が減っても、結局資源の利用という観点ではGDP成長と資源消費は先進国で正比例し続けている。つまり同じ問題が他の資源で起きるだけになっている。これは確かにそうだ、という納得感が持てた。

    そこで斎藤氏が唱えるのが、脱成長コミュニズムであり、資本主義をやめていくことを掲げている。では成長をやめて何を実現すべきなのか?それがマルクスが本来晩年に取り組んでいた「コモンズ」という経済観念。彼の資本論では今までその内容を正しく伝えられてきておらず、最新のマルクス研究MEGAによりわかってきた内容とのこと。
    人々が「豊かな社会」で暮らし、繁栄するために水や土壌のような自然環境、電力や交通機関といった社会的インフラ、教育や医療といったものの一定基準が必要。これらを社会全体にとって共通の財産として、国家のルールや市場的基準に任せずに、社会的に管理・運営していこうという取り組みである。この管理は、生産者が生産手段として共同で管理していくのがポイント。
    経済の概念では、資源のようなものの囲い込みを行い、人工的な希少性を作る事で高い資本を生み出してしまうが、こういった生きるためのインフラになるものは、公富として全ての人に正しく分配されるべき、これがマルクスもとい斎藤氏の主張である。そして物質的欲求から自由になるところで自由な国を作り、集団的で、文化的な活動の領域にこそ、人間的自由の本質がある、そうしなければ長時間の労働を貨幣の代わりに行う奴隷と化す、とも述べている。
    最後にはスペイン、バロセロナにおける市政の事例、フィアレスシティのことや、そういう市民団体のグローバルな繋がりであるミュニシパリズムの話も出ており、非常に面白かった。

    先進国が責任転嫁せずに、グローバルで資源を正しく配分していくこと、そのためにこれまでの制度や資本主義の考え方を見直していくことは必要だが、個人的にはいくつか疑問が残る。

    資本主義から抜けるという場合、特に資源囲い込みをベースに儲けてきたような企業が多数存在する中で、それをどう実現するのか。またこのような変革をグローバルでどう同時多発的にやっていくのか。そして先進国は今までより明らかに豊かに資源が使えなくなる中で、どう「それでいい」というオーソライズをとっていくのか。
    マルクスの共産主義は失敗に終わったと言われているが(コモンズの部分が欠落していたとはいえ)、本当にこれが新しい時代において成功するモデルなのか?

    国ではなく市民が中心となりこういった価値観をベースに活動をして世の中をかえていくべき。多分それが斎藤氏の主張なのだろうけれど、コロナのような圧倒的な危機ではない中で、市民が動いて変えていく!だけの思想はなかなか厳しい。また豊かさを得てきた先進国が簡単に本当に必要なレベルまで資源利用を減らすことは容易ではない。とても考えされられるし、共感する点も多かったご、それらを考えないと机上の空論になってしまうな、と思った一冊。
    とはいえ2023年最初の読書としては素晴らしかった。

全644件中 71 - 80件を表示

著者プロフィール

1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marxʼs Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。著書に『人新世の「資本論」 』(集英社新書)などがある。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

斎藤幸平の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
内田樹
劉 慈欣
マルクス・ガブリ...
トマ・ピケティ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×