- Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087472233
感想・レビュー・書評
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最上の読後感!
北極、南極と並ぶ三大極地エベレスト山頂。高度8,000m。ジェット機が飛ぶ高さ。地表という枠を外せば宇宙や深海に並んで人間を寄せ付けない場所。自然vs人。そんな俯瞰の知ったかなどはねのけるように、泥臭いほど人間の一人称視点によって切り取られている。
──神聖な場所だから人はそこを目指すのか。あるいは人が目指すからその場所が神聖になるのか─
なぜ山を目指す人間を描くのか。
風景がくどいほど説明されているわけではない。主人公を除けば、人物の背景も大して語られない。それなのに凄まじい没入感が襲ってくる。まさに極地にいて、歯をガチガチと鳴らし、足を震わせ、生死の境目がびったりと背中に張り付いているような恐怖すらせり上がってくる。これはすごい。
極限の世界を描きながら、徹底的に自分vs自分を掘り下げていく。ほかの「誰か」ではなく、まるで自分のストーリーのように感じられる。なぜ山を目指すのか。
── そこに山があるからじゃない。ここに俺がいるからだ。それしかやり方を知らないから登るんだ─
自分はいま、どんな山を登っているんだっけ?!
と思わず振り返りたい衝動に駆られた一文。
このセリフの余韻にしばらく泣きそうになった。今も。
またここでも、軽はずみなTVコメンテーターの批判や世間の反応に苦言が添えられている。「山の危険性を軽視するから事故に遭う」「糞の放置なんてモラルがなってない」「周りに迷惑」
作者はザイルを打ち込む。誰一人として山を軽視している者などいないと。
あとがきで知ったことだけど、夢枕獏さんご自身が登山家でヒマラヤの経験をお持ちらしい!この作品で「出し切った」と5回くらい連呼するほどの思いがぶち込まれている。それを軽めなテンションで語るのは人柄か。おかげで感動と納得感がさらに増した。
最近こういった本ばかり読んで自分にも変化が起きた。ニュースを見ても、すぐ馬鹿にする気にならなくなった。裏では何が起きていたのか、どんな心理だったのかを想像するようになってきた。どこまでいっても自分vs自分。今さら何をと言えばそれまでなんだけど。
本が血肉になるってことのひとつなのかなー。
山岳小説。
これはぜひもっと手を広げてみよう。 -
極地探検家や登山家はどのようなことを考え、なぜ危険な状況へ身を置くのかを知りたいと思って読み始めてみたが、予想していた以上に骨太の人間ドラマだった。
作中様々な「山屋」が登場するのだが、語り部の深町を含む多くが何らかの形で仕事などの現実に縛られているのに対して、どこまでも人間関係に不器用ながら一途に山に生きる羽生が好対照をなしていると思った。また、実際にエヴェレスト登頂を試みたまま帰らなかったジョージ・マロリーのカメラをめぐる謎解き要素もあり、読んでいてだれることがなかった。山に登る人間以外にも、現地で出会う元グルカ兵や老シェルパなどのキャラクターの人生や、外貨獲得の手段に乏しいネパールは観光客を呼ばなければならないが、その自然が観光客を呼ぶほど破壊されていくというネパールの現実が物語により深みを与えていた。
8000メートル級の山の中では、あまりにも空気が薄いのでただ眠るだけで体力を消耗し、おびただしい数の脳細胞が死んでいく。幻覚さえ見え始め、高山病で死んでしまうこともある。羽生の手記や地の文で高山病の症状が現れた影響に触れられている箇所がいくつかあるが、手袋をしているから脈をとれないことに気づけず、脈をとろうとして手袋を外してしまい、外気にさらされたために脈が取れなくなるのに自分の中で意識が堂々巡りしてそれに気づけない描写が特に生々しく恐ろしかった。何故こんなことをしているのか、投げ出してしまえば楽になるじゃないかと自分が語り掛けてくるところは長距離走の最後の方できつすぎてよくわからなくなってくる時間を思い出して本を読んでいるだけなのに苦しくなった。
当初の目当てだった山を登る人間の心情は細かく描写されているし、山を登ることへの理由は、深町が羽生のことを調べ始めてからの内面的変化の過程にその答えが語られている。羽生に影響されて深町がそれを自覚したように、読者も深町を通してそれを感じることができると思う。 -
なぜ命を賭してまで山に登るのか?
それはなぜ生きるのかと同じ問いだという。
そこに山があるから登るのではない。
オレがいるから山に登るのだと羽生は言った。
生きることに意味がないのと同じように、山に登ることに意味はない。
生きた時間の長さではなく、生きた時間の濃さなのか?
私にはわからない。
そこまで危険と隣り合わせな濃い時間を過ごしたことがないから。
私はできるだけ安全で安心に生きたいと思う。
けど、そこまで、命を賭けれるものがあって、闘っている熱い男たちに惹かれるし、羨ましいと思う。 -
「ヒリヒリする山」、8000メートル級の山稜が持つ意味をこれ以上に的確な表現した言葉があるだろうか。マロリーの「Because it's there.」のように、登攀者に余計な言葉は要らない。最善を尽くしても山嶺を望めない、神に愛されているか否かが支配する世界。
「エヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登攀」という人類未踏に挑む羽生と、山に魅せられた者として後を追う深町。一つひとつの文章が躍動的で時に息苦しい。「ヒリヒリした山」が読者に伝染する。画家がキャンパスに命を刻むように、登攀者が山に命を賭けるように、著者は魂を削って本書を描き上げた。
トレッキング程度の登山しか嗜んだことはない私だがが深町の語る「濃い時間」を味わってみたくさせる。 -
山の魅力、山の怖さを
存分に堪能出来る骨太の作品。
羽生が山に挑む姿には狂気さえ感じる。
ネタバレしたくないから、書きたい事が書けない(笑)
とってもボリューミーな本だけど
山の事だけでなく、複雑に色んな話を描いているので知らなかった事が沢山!!でした。
とにかく、迫力満点!! 力強く、また悲しいぐらいに山を愛する伝説的クライマーの生涯。
オススメしたいですm(*_ _)m -
山岳小説を読むのはほとんど初めて。
タイトルからしてただ山に登るだけのストーリーかと思っていたが、人間ドラマが濃密に描かれた、人の生きざまを描いた作品。
ネパールのカトマンドゥ、怪しげな古道具屋で主人公があるカメラを手にとったことで物語は動き出す。
そのカメラは、かつてエヴェレスト登頂に挑戦して帰ってこなかったイギリスの登山家、ジョージ・マロニーのカメラと同じ型のものだった。
そのカメラを通して、羽生という山に生きる男と出会い、主人公は羽生に惹かれていく。
本作品の発刊後、ジョージ・マロニーは遺体で発見されたのだが、カメラは実際見つかっていない。
マロニーはエベレストの初登頂を果たしたのかどうか。
そのカメラのフィルムには、真実が写っていると言われている。
上記のような史実をミステリー要素として組み込み、上下巻のボリュームでもさらさらと読めていく。
発刊されたのは20年以上前だが、気になることは特にない。
羽生というキャラクターは実在した日本人の登山家をモデルにしたと言われている。
カトマンドゥの町の熱気、高山病、標高5000mより上の登山環境、ベースキャンプの様子など、緻密に描かれており、特に高山病の描写(幻覚、幻聴など)は読んでいるこちらまで苦しくなる。
「エヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登攀」、人類が成し遂げたことのないことへ挑戦する羽生と、それをカメラで追う主人公。
最後に羽生が残した手記が心に刺さる。
「ありったけのこころでおもえ。想え。」
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これはしばらく余韻を引きずる事になりそう。
まるで私も一緒にエヴェレストに登っているかの様に息苦しくなってしまいました。
あぁ、この人たちはどうして山へ行ってしまうのだろう。
酸素が薄い中で深町が自分自身へと問い掛けているシーン、とても生々しくて
思わず「もう良いじゃない」と言ってしまいたくなりました。
羽生の手記も同様に凄まじいものを見てしまったとガツンとやられました。
作者があとがきで『書き残したことはありません』
『全部書いた。全部吐き出した』
と書いていますが、
その心ちゃんと受け取りました。と伝えたい。 -
熱き男達の生き様!面白かった。
山男にゃ惚れてはいけない。 -
圧巻の一言。
人はなぜ山に登るのか、という哲学。
あっさり当たり前の...
人はなぜ山に登るのか、という哲学。
あっさり当たり前のことを断言しますが人生ですよね!
私たちがただ生きて死ぬように、山に登ることには大した意味はないんじゃないかなと思ってます。登ってないから言ってますが!笑
山の頂上に登ることが、あるいは登れなかったことが、私たちの生活にごく日常にありふれているのではないかとおもうのです。
初登峰!となるとまた違う世界なんでしょうが。。
いつかは富士山に...と思いながらはや〇〇年ってタイプでして...
今は読書を楽しむのが日常に...
いつかは富士山に...と思いながらはや〇〇年ってタイプでして...
今は読書を楽しむのが日常になりつつあります(*^^*)
図書館の返却日との戦いももはや日常に(笑)
これからも宜しくお願いいたします♪
図書館通いの読書は心から羨ましいです。
ぜひまた勉強させて下さい。
図書館通いの読書は心から羨ましいです。
ぜひまた勉強させて下さい。