- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101005089
感想・レビュー・書評
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何故かここ数日、朝の爽やかな時間帯に、このねっとりとした話を読んでいた。
婦人が体験した奇妙な同性愛の顛末について語る。
語り口が軽やかな関西弁で、言葉の一つがなんともひらひらと漂うように響いてくるせいか、起きていることの湿気のようなものが薄まっていく。
でも、だんだん面では被害者を装いつつ、自分の利益を常に考えている人、ただただ人を振り回す癖のあるネチっこさみたいなものが同じ関西弁で濃く嫌らしく響いてくる。
谷崎潤一郎さんは「痴人の愛」を読んで以来で久しぶり。
またもや一人の女性に振り回される話、この人Mだな。
追記:江戸川乱歩さんも新潮文庫の夏カバー(赤一色)に惚れて購入し読み、いつのまにか命日に読んでいた。
この「卍」も2018年の夏カバー(赤一色)そして読了した本日(2021年7月24日)は谷崎潤一郎さんの誕生日…なんかカバーの魔力とかあるのかな?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
谷崎の変態異常性欲小説として有名(!)な本書ですが、自分としては、葛藤する恋愛心理や策略のド派手さ、どこまでも果てしのない疑心暗鬼、そして、誰もが陥っていく性愛の強欲ぶりが特に目を引き面白かったです。
とかく女性同士の性愛の方が脚光を浴びがちですが(自分も見学したいですけど(笑))、本書の本質からするとそんな異常性欲も可愛らしいものになって見え、むしろ、強欲ぶりと、それに伴う駆け引きというか策謀というか策略の凄まじさの方に圧倒されてしまいました。
性愛に取りつかれてしまった面々は誰もが真面目でもあり、誰もがねじれているようにも思え、一体全体、どういう駆け引き具合になっていて、結局、誰がどうしたいのかがまるで掴めないようなドロドロの愛憎劇に、こちらの頭もドロドロになってしまった感もあります。(笑)
つまるところ、このドロドロ劇の中心にいたのは美少女で処女(?)の光子であり、光子も含めて皆が強欲な性愛に翻弄されていたのですが、こうした泥沼から抜け出しひと皮剥け新たな段階に昇華できたのはやはり光子で、こうしたストーリー展開は美少女崇拝の谷崎の美的感覚の真骨頂であったともいえるでしょうね。
登場人物の誰もに驚かされる人物設計となっていて、「女の腐ったような」綿貫や語り手の園子夫人のハズ、それにお梅どん等の行く末を考えると、最初にレズに目覚めた語り手の園子夫人が一番真面目で正気であったのではとさえ思えてきます。(笑)
本書の構成がまたふるっていて、園子夫人が先生(谷崎を擬していと思われる)に振り返り語るというスタイルで全てが大阪弁で語られていて、凄まじい愛憎状態にもかかわらず、こうした趣向により、弾んだ調子とともに柔らかで温かくオブラートに包み込まれたような丸みを帯びた語り口がクッションとなって、なぜか読者に安心感を与えていたともいえます。光子が園子を「姉ちゃん」と呼ぶ様などはどこか可笑しみすら感じさせます。このような異常性愛もなんだ大したことはないのではないかという・・・。これは谷崎の術中に陥っていますかね?(笑)
谷崎が大阪に行きたての頃の作品ということで、後年のスマートな(?)異常性愛を基調とする作品と比べると少しごちゃごちゃ感があるように思えます。以降、より純化路線(性愛の)を歩んでいくことになるのでしょうね。(笑)-
mkt99さん、こんにちは(^^♪
そうそう、ものの見事に陥っておりましてよ!
さてわたくし、長年秘密にしてきたのですが、だいぶ前に映画...mkt99さん、こんにちは(^^♪
そうそう、ものの見事に陥っておりましてよ!
さてわたくし、長年秘密にしてきたのですが、だいぶ前に映画化されたものを観ました(笑)
若かりし日の若尾文子さんの、まぁ美しいこと可愛いこと。クラッときますよ。
そして岸田今日子さんの魅力的なこと。
このふたりだけももう十分なほどの作品でした。
カメラワークも相当にねちねちしてて、スタッフさんは楽しかっただろうなぁと推測できましたよ。
で、肝心の性愛の描写はとても穏当なものでした。
でも公開当時は「けしからん!!」だったのかもしれませんね。
谷崎が何を描きたかったのか、ようやく理解できる年齢になりつつあるので、カミングアウトしてみました(笑)。
本の方はあいにく未読ですが、機会がありましたら映画のほうもどうぞご覧あそばせ。
2015/10/13 -
nejidonさん、こんにちわ。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
そのような秘密をひた隠しにされていたのですかー...nejidonさん、こんにちわ。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
そのような秘密をひた隠しにされていたのですかー!(笑)
これを機にゲロって、すっきりされたことと思います。(笑)
若尾文子の美しさは想像できますが、自分としては岸田今日子も含めて、お歳を召された頃のイメージしかなくて、その二人の親密シーンを考えるとちょっと何かコワい感覚もあります。(笑)
しかし、若い魅力的な二人が文字通り絡み合うシーンなどはさぞや楽しかったことでしょうね!(^o^)
DVDを見つけたら、観てみたいですね!
原作もあまり性愛の描写はありませんで、初期の頃に二人が鏡の前で抱き合うシーンが唯一の艶めかしい箇所といえるかもしれません。大半は自己中心的な強欲がらくる疑心暗鬼と壮烈な駆け引きの心理描写が物語の中心でして、背景はアブノーマルですが、どちらかというと昼ドラの脚本のような気もします。
自分が一番面白かったのは、誰もが強欲に絡んでいく物語進行でして、終盤には「○○よ、お前もかー!」と思わず心の中で叫んでしまいました。(笑)
処女(?)の美少女の進化も見逃すことはできません。
若尾文子、ちゃんと進化していますかね?(笑)2015/10/14
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軽い本が読みたかったので谷崎潤一郎の『卍』。私にとって谷崎は軽い方。
というのは文章が読みやすいからで、内容は一般的に考えると軽くないのかな?ただこの作品に関してはトラジコメディじゃないかなと思います。『痴人の愛』もコメディが入っていて、映画版の方を観るとより強調されている。
最近、大映の増村保造監督の映画をちょいちょい観ていて、増村監督って谷崎や三島由紀夫原作の映画をかなりやっている(三島とは大学からの知人)。他に谷崎原作だと大映時代の市川崑さんも。
『卍』も増村監督の映画版があって、そのうち観る予定だけど先に原作からと思って読みました。
手に取るまで全く知らなかったのだけど、レズビアン、バイセクシャルものでした。映画だと私が観たものは『噂のふたり』『テルマ&ルイーズ』『モンスター』『キャロル』『お嬢さん』などで、やっぱりそれらと若干近いところも感じる。
LGBTものだと、いまなら社会派作品になることが多いけど、『卍』はそうではなくてミステリ小説に近い。というよりほぼミステリ小説なんじゃないかな。
文章が全編大阪弁の口語で書かれていることが特徴です。そして主人公の園子さんが先生(ワトソン君的なポジションの谷崎?)に対して語っていくという手法。じわじわと怖いのは、ここが若干「信頼できない語り手」になっている点。
冒頭から、登場人物のふたりはすでに亡くなっていることが示唆されている。主要登場人物は男女ふたりずつ4人で、これが4本の腕を持つ卍という字のように絡み合って、それぞれの欲望や思惑を満たすために嘘をついたり、謀略をめぐらす。
……という、いつもどおりの谷崎で、面白かったです。大阪弁のリズムですらすらと読みやすい反面、読みにくいところもあったり、「嘘」のプロットが若干複雑でよくわからないところもあったけど、楽しめました。
谷崎は関東大震災のあとに神戸に移住して、『痴人の愛』を発表。その次ぐらいが『卍』で大阪弁、そして『春琴抄』でこのスタイルが完成される。
たまたま少し前にロマンポルノの『四畳半 襖の裏張り』を観たけど、いわゆる大正ロマンでまず思いつくのが谷崎。『卍』は昭和初期の話。明治の末ぐらいに女性同士の心中事件が大きく報道された結果、女性の同性愛が注目されるようになってきたとのこと。『小さいおうち』に引用されてた吉屋信子さんも大正時代にデビューしている。
『卍』はレズビアンものとしてはかなり古くて、谷崎だから耽美で変態もの……男性側からの興味本位的な部分もあることは留意すべきかと思う。だけど、現在の作品でも百合やBLなど、すでにジャンルとして成立しているし、女性がBLを読む時の受け止め方とそう大差ないのかもしれません。
トッドヘインズ監督の『キャロル』の他の方の感想で、ケイトブランシェットがファムファタール的だと捉えた方がけっこういて、私はそんなに思わなかったのだけど、そういうファムファタールとしてはだいぶ前に谷崎がやっているから、そことの共通性はあると思う(そして『キャロル』の終わり方は『卒業』に非常に近いと感じた)。
私の脳内キャスティングでは、園子さんの夫の柿内氏は小林桂樹さん…成瀬巳喜男の『めし』みたいなイメージ。最後はちょっと違うけど。
もうひとりの男、綿貫はピーター。池畑慎之介。市川崑の『獄門島』の鵜飼のイメージがあるせいか。
女性陣ふたりはとくになし。
増村監督の映画版だと、ファムファタールの光子が若尾文子。増村&若尾コンビ。綿貫が『しびれくらげ』にも出ていた川津祐介。
園子が岸田今日子で、夫が船越英二と、大映時代の市川崑と共通するキャスティング。 -
ひととの距離を掴めないひとたち。
光子の場合には歪んだ自己愛を見せる。
P.103『異性の人に崇拝しられるより同性の人に崇拝しられる時が、自分は一番誇り感じる』
人格の異常(personality disorder)に魅力を感じるということは往々にして実存しうる。
人格、認知や行動に一貫した偏りがあったり、他者操作性があるようなひとを魅力的であると感じるのは別段おかしなことではない。
そして、この物語では光子という歪んだ自己愛に魅入られてしまったひとたち。
中盤以降、どうもおかしな方向へ話しが傾いてしまい、猜疑心或いは嫉妬によって操作されていく。
冷静で客観的な思考、現実を吟味する力が弱まり、渦中にいるひとすべてが身動きがとれなくなる。
まるで卍のように。
彼女たちの関係がいよいよ決定的ににっちもさっちもいかなくなった時、読み手は思わずこう呟くことになる。
マジ卍。
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日本人は谷崎潤一郎をもっと誇れ。
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「卍」は吉祥の徴と聞いていたのだけれど、この作品に限っては、捩れた情愛の兆だったようです。
正直、「その三十」に来るまでは、「なんでこのタイトルにしたんだ?三つ巴くらいがちょうどじゃない?」と思っていました。
「今まで読んだ谷崎より全然気持ち悪くないや」と侮ってさえいました。
それが、「その三十」を読んだ途端。
それまで確かに見ていたはずのたおやかな大阪弁たちは曖昧に去り、気づけば、赤地にぬめりと刷り込まれた「卍」が頭の中を埋め尽くして。
男女四人の情愛が、崇敬が、執念が、ぐるぐるぐると、「卍」のように誰もが誰にも追いつけないまま回っているような。
それでいて、誰かと誰かは繋がり合っているような、いや、どこかで全てが結ばれているような。
なんとも不気味な気持ち悪さに囚われていました。
作中の、一人の女をめぐって堕ちていく男女について語る園子の緻密な破綻の描き様は、さすが谷崎、なのですが。
それより何より、このタイトルの妙が、凄まじい。
このタイトルより他に、この作品を説明するのに相応しい言葉も文字も、私には思いつきません… -
故郷の祖母と話しているような文体が懐かしかった。
内容はスキャンダラス、だけどはっきりとは書いていないから上品でもあった。後半の薬を多用する辺りからはヤベーな・・・と思って読んだ。 -
あまり読み慣れない文体(関西弁、昔の言葉)だったので、最初の方は読みづらかったが、慣れるとテンポよく読めた。
1回2人が離れたとき、このまま夫と幸せになれと思ったがそうもいかず(笑)、まさか夫まであんなことになろうとは…。
私も、園子と同じように、最初は光子さんは好きで綿貫と付き合っているのかと思ったけど、綿貫のことが分かってきてから状況が一変。
光子さんはどこまで計算していたのか、本当は園子とその夫のことをどう思っていたのか…。
光子さん側の独白も見てみたかった。
物語には関係ないが、2人が園子の夫のことを「ハズさん」と呼んでいるのが可愛くていいなと思った。
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淡々とした語り口ながらも大阪弁(船場言葉)によって優美さを備えた文体となっており、淫靡な内容ながらも明るさ、華やかさを感じた。
内容に関しては既に様々に書かれているため敢えて記すことはしない。
特殊な三角、いや四角関係をもった者たちの逼迫した心理描写、今後どのような展開を迎えるのか気になって思わず読み進めてしまった -
大阪弁の柔和で湿っぽい言葉遣いで展開する禁断の愛憎劇。
サキュバス的、ニンフ的なメンタリティな奸婦光子が誘う背徳の底無し沼。
窮地にすぐ「死ぬ死ぬ」言い、約束を全く守らず自由に行動する園子に、共感よりも戦慄した…
人間の欲望と弱さ、愚かさが怖すぎる! -
関西を舞台にしている作品で、物語の中のやり取りも大阪弁で交わされており親近感が湧く。女のバトルはいつになっても恐ろしいものだ。
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ひと昔前の昼ドラを思わせる、衝撃の展開。
四人の感情が複雑に絡まりあっていく。
独占したくて、欺く。
信じるがゆえ、欺かれる。
光子が本当に愛したのは誰だったのか。
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谷崎氏は淫靡な悪女を描くのが本当に巧い。三角関係の話であるが、そこには同性の愛、異性の愛、不倫が複雑怪奇に絡み合う。物語は終始園子の独白という形で進む。話題が往来しながら古風な関西弁を畳み掛ける女性特有の語らい、一字下げを排した独特な構成と文体にも関わらず読み辛さは感じない一方で読者は心地よい錯綜を味わう。
不謹慎ながら綿貫を本書の園子の姿は「北九州監禁事件」を思い出してしまった。狂気に落ちた綿貫と、光子観音と称し園子とハズを真綿で弱らす描写はなんとも凄まじい。しかしその物語をなんのかんの言って始終抑揚と平静さを以て語る園子が最たる悪魔なのかもしれない。 -
細雪にど嵌まりしたあとで、読んだ卍。後ろのほうの解説にもありましたが、この小説のあと年月を経て、細雪に昇華したんだなーと思うと感慨深いです。
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最初はいたずら心から始まった同性愛ごっこがやがて三角関係になり、四角関係になり、破綻するまで。
綿貫さん最初は普通の人かと思っていたのに、豹変しましたね。それはお梅さんも同じ。光子も同じ。
お互いを狂ったように求める愛と言うのはとても情熱的で頭がぼーっとするようにのめり込むものなのだろうけど、その結末として一人残されるというのはどういう気分だろうか。
段々と登場人物が正気をなくしていく姿が生々しく描かれています。恋にのめり込む人ほどこういう傾向が強いのかしら。ちょっと怖い。 -
初谷崎。
貸していただきました。
やー、妄想たっぷり(笑)
狂ってました。
イカれてます。
大好き。 -
わざわざ言うまでもない名作。最初から最後までたちこめる官能的な空気と柔らかい関西弁、背徳の恋……どろどろとした愛憎劇なのにどこかさらっとしている。卍というタイトルを読み終えてから反芻するとぞくりとした。ややこしくこじれた話だけれど人間が皆美しい。重なる嘘と裏切りと倒錯する人間関係に、うっとりと酔う。
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真実を語っているのは誰なのか、最後になるまで分からず、恋愛小説というよりミステリ小説を読んでいる気分になる。
園子と孝太郎、光子と綿貫の2組の男女が織りなす、倒錯的で濃密な愛憎は、卍のように入り乱れている。より正確に言うと、園子と孝太郎夫妻が、光子と綿貫の恋愛に巻き込まれ、翻弄される形となる。
互いに猜疑心に苛まれながらも、愛に溺れていく姿はとても美しく、これこそまさに美の本質。 -
今年の谷崎潤一郎はこれ。三つ巴かと思いきや…
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知人と「パートナーがその同性と浮気したらどうする」という話になった。「なんか、敵わないよね」という結論に至った気がする。本書はそんな昔話を思い起こさせる。
ただ、設定としての同性愛や中村光夫が解説で使う「変態性欲」というキツめの言葉、触れ込みの「淫靡で濃密な愛憎」を真に受けると谷崎は誤読すると思う。
見えてくるのは周囲を誤魔化してでも崇拝される者たろうとするエゴに満ちた悪魔的人間と、跪かざるを得ない凡夫たちだ。悪魔はそのまま谷崎的な女性崇拝につながるのだろう。
物語はその関係性を構築するため緻密に稼働する。まるで悪魔に奉仕するかのように。 -
光子の誘惑というか、悪魔的な魅力がホント恐ろしい…。
異性のみならず、同性をこうも骨抜きにまでしてしまうその手段。少し味わってみたいけど、味わったら多分ハズさんと同じ道に陥るんだろうな(笑)
ミステリーみたいな感じもして、ハラハラしながら読み進められました。 -
頂き物の本。
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はじめは慣れない関西弁で読みにくいなと思ったけど、慣れたら続きが気になりすぎてお風呂でも読んでました。
自分とは住む世界も時代も違う話なんだけど、登場する女の人がリアル!いるいるこんな女!笑
谷崎潤一郎はちょっと苦手と思ってたけど、これは好き! -
複雑に絡み合うストーリーを美しい文章で書いてありとてもおもしろかった。
毎度のごとく狂気じみた美に奔放される話だったが、登場人物たち全員純粋に捻くれていて、最後まで誰に同情していいのやらわからない人の本質に近い傑作だった。 -
谷崎さん、あなた叙述の天才です。
特に関西弁でこれをやらせたら右に出るものいません。
おかげで内容が内容というこんな話を、まぁよくもこれだけぐいぐいと、読ませてくれました。
なんか、もう参りましたと言うほかはない。 -
垣内夫人、その夫、光子、綿貫の四つ巴にからんだ愛欲を、全編まったりとした大阪弁で語られる希有な小説。