- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101024011
作品紹介・あらすじ
白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。
感想・レビュー・書評
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特に青鬼の褌を洗う女ですが
一応奥様がモデルとされていますが
可愛くってしょうがない感じが
にじみ出ております
ひねくれた溺愛が心をくすぐりました
戦争のさなか
馬鹿々々しさや絶望があっても
しっかり生きている感じ
白痴や女性に対する
憎悪や嫌悪があっても
それは自分の怒りの投影であり
そのなかで 支え合う姿には
愛を感じます詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
わたしは坂口や太宰を読むタイミングを、もはや永久に失したのかもしれない。
「白痴」を手に取るくらいには快復してきたけど、「白痴」一編で限界。
全編まともに読んでたら、お腹が悪くなる。
あああ、三島は大丈夫だといいけど。 -
ハンチバックの市川沙央氏が対談でおすすめしていた。情欲や愛情、戦中前後の暮らしぶりや人間模様、生き様が新鮮だった。
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肉慾、肉慾、肉慾、、、
うんざりするほど脂身だらけの描写。
なのに、読むことを放棄しないのは
通奏低音の堕落論に自分を見るからか。 -
6冊目『白痴』(坂口安吾 著、1948年12月、1996年6月 改版、新潮社)
坂口安吾の代表作「白痴」を含む、全7編が収録された短編集。
全ての作品に共通して描かれるのは堕落と肉欲。
人間の生の本質を、男女のまぐわいを通して描き出そうとする安吾。明確な答えを読者に提示するタイプの小説は一つとしてない。執筆をしながら作者本人が自問自答を繰り返し、その答えを探求しているかのような印象を受ける作品が揃っている。
「火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ」 -
戦時下の混沌とした、言いようのない不安感と破滅思想、芸術家として死にたいジレンマがそこはかとなく漂う作品。
私の感覚としてこの時代の死生観は、殺伐としていて、生きることも死ぬこともさほど大きな価値はなく、ただ眼前の事実を嚥下するというイメージがあるが、まさにそう。まさに冷たい灰色。
初めての坂口安吾でした。 -
登場人物は、男女の肉体関係を、浮気を、戦争を愛する。それが正しいかどうかよりも、そういった小説のフィクション性が、現実の輪郭を際立たせること。というかなんなら「現実はフィクションを含む」ことを思い知らされる。
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大東亜戦争末期、敗戦直後の作品ならではの退廃感に満ちた作品群。 『堕落論』の実践、と言われる小説のようだが、堕落論を読んでいてもよく分からないところが多く、少々ぶっ飛んだ感ある。
表題作の「白痴」では、ブラックジャックの「白痴」の回を思い出した。小学生の時に「白痴」ということばをそのとき初めて聞いたので。
人間は堕落する生き物である、というよりは、楽をしたいプログラムが埋め込まれているから省エネで餓死せずに生き残ってきたのだろうとおもう。
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戦争。
生と死が日常に戯れる環境下で、人間は克己心の拠り所をどう置くか?
表題作『白痴』の、伊沢と言う男の歪んだ優越感を始め、数々の乱暴で頽廃的な思想には目を覆いたくなるが、決して背けてはならない。
ただそこに生きた炎を。
人それぞれが燃やす権利を。 -
戦後すぐ無頼派と呼ばれ時代の寵児となった著者の短編集。どの物語も戦中、戦後の混乱・退廃を描いたもので通じるものがある。『堕落論』での「戦争に負けたから堕ちるのではなく人間だから堕ちるのだ、美なる真理を編み出すためには堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要だ」という主張を思いながら読んだ。どれも読んでいて楽しい類のものではないが、続きが気になり読ませるものがある。
『いずこへ』『白痴』『母の上京』『外套と青空』『私は海をだきしめていたい』『戦争と一人の女』『青鬼の褌を洗う女』を収録。
『いずこへ』
自伝小説、ニート文学を超越した落伍者文学。
『白痴』
敗戦間近の蒲田の場末に暮らす映画演出家の男と、隣家の肉欲の塊のような白痴の女の「理知なき交流」を描く。『堕落論』の主張を作品化したものと言われる。
『戦争と一人の女』
空襲下のニヒリスティックな男女の物語。
『青鬼の褌を洗う女』
戦前から戦後を舞台に、一人の女性のたくましく生きる姿を描く。