- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102045039
感想・レビュー・書評
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純粋な愛とは、神の望むものは一体なんだったのだろうか。
考えさせられる本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
《それなのに今、あなたなしに見ているわたしは、何から何まであなたから盗んで見てでもいるかのよう。》
愛ゆえに完璧であることをのぞみ、
愛ゆえにそれを達し得ないとは。
神への道はそれほどまでに狭いのか。
アリサもジェロームも狂うほどに繊細で、厳格だった。
アリサとジェロームの宗教観のズレが招いた悲劇かな。
簡単に手に入ってしまう幸福や成長の無い安定した生活に対する嫌悪感
はとても理解できるし、ジェロームが神に近づくことがジェロームにとっての徳行であり、それこそがアリサの幸福である、という考え方はとても美しいと思うけれど、、、
やっぱりアリサの宗教観は不幸だと思う。 -
自分が読んだのはどこの出版か忘れてしまったので申し訳ない。
私が読んだのは宗教色神様云々というよりも、アリサが愛を崇高なものとしているように取れた。北斗の拳のトキともまた違った愛し方だが、ジェロームも真剣なのに報われなさすぎて胸がいたい。愛の純度が高すぎて、触れる、汚すことができない。アリサはダイアモンドのようだ
あと、(私が読んだ奴は)巻末の解説がなきゃちょっと分かりにくいかもしれない。
しかし共感できる所があるので☆4。 -
自分にはクリティカルな内容だった。アリサやジュリエットの気持ちがジェロームにとって常に裏手裏手に回り続けるのが何とも言えない。しかし、「私はわかっていなかった」というようなトーンで書かれる裏の本当の気持ちとやらが果たして的を射たものかも分からない。
その点に関して、ともかく洞察と想像を刺激する作品。僕自身の十字架を踏まえて、読み返していくべき作品なのだろうなと思う。
恋愛というものがいかに(ジェロームにおいて)エゴにそれていくか、いや果たしてそれをエゴと名指すのは正しいのか。果たしてキリスト教、神への信仰へ逃れたと考えていいのか。キリスト教という要素は必然ではなく、もっと普遍化可能であろう。この作品におけるキリスト教を他の要素に置換できるというだけのことではなく、この作品においてもキリスト教が本筋でないのではないかという疑問提起。ようわからぬ。 -
何が幸福の条件を壊すのかで独自の視点を示します。男女の純愛物語、と言いたいところですが、ヒロインの「正しさ」に対する過剰なプラトニズムが現実の人間同士の愛の否認にまで至るというプラトニズム批判の傑作です。
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それでも一人くぐったのは、どうしてもジェロームが大切だったからなのかな。
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「《力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだすものすくなし》」
先生オススメ、恋愛小説と言えば、この1冊、、だそう。
むむむ、、高尚かと思いきや、なんだか笑ってしまうぐらい陳腐なやりとりも合ったりして、不思議だ。
でもこういうの、嫌いじゃない。
恋ってなんなのかなぁ、などと思うアラサー女子なのでありました。
ちょっとこれは、また時を置いて読み返さねばならないなぁ。。。
【8/17読了・初読・個人蔵書】 -
地上的な愛を拒み天上の愛を求めて生きるアリサと彼女を激しく恋い慕うジェローム。お互いがお互いのこと好きなんだけど、彼女を何の気なしに好きなジェロームと<徳>を求めて清く生きることを第一とするアリサは、何かが食い違ったまま、結局アリサの死によって永遠に別れることになります。
この本から得た教訓は「現実を愛する」ということでした。
ジェロームはアリサを理想化しすぎだし(アリサが直接そのようなことを言及したときすらも、理想化しすぎている事実を認めながらなお悪いとも思わず幻想にすがりつく様子には恐ろしさすら覚える)、
アリサはジェロームが自分を偶像化してるのに気づいてあえて離れようとしてるけど、結局はジェロームを愛したいというよりは「清さ」に執着してるだけじゃないかと思ったりして
どっちもどっちだな、って感じです。
クリスチャンの恋愛観として「神の前において聖い」ということはあるかもしれないけど、
これは「きよさ」を履き違えた失敗例だなぁと思いました。
なんていうか、神の前において正しい男女関係ってきっと本当はもっと幸せなものでしょ?とか思ったりして。
でも、大いに陥りやすい失敗だろうなーとも思う。
相手の現実を、神様との関係において、愛せるようになりたいものだなーと思いました。 -
結局のところ二人はお互いを愛していたのではなく、愛を成就すべく徳を積む行為(神へとお近づきになる道なのか?)に夢中になっていたのに過ぎないのかもしれない。
また、その過程で、ジェロームもアリサも本来の彼らを見ることなく、互いを神のように偶像崇拝してしまっていたとも思う。
恋やら愛はもっと世俗的で、シンプルなものなんじゃーん?
サリンジャーのフラニーとゾーイーにあった、太っちょおばさまはキリストなんだよ、の方が自分にはしっくりくる。人間が神へと近づくのではなくて、すでに人間の中に神は宿っているって思いたい。 -
アリサの破滅的な自己犠牲が純粋さによるものなのか、単なる固執なのか、いまいち私には理解に苦しむ。キリスト教の精神や福音書について、もっと知識があればまた違って読めるのかもしれない。