狭き門 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102045039

感想・レビュー・書評

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  • 読みはじめたばかり。ジッドの他の作品の書籍が見つけられずにこれを読んでいる。
    味わって読みたい、早く読み終わってしまいたくない本というものがあるけど、これもその1つ。

    ジッドはサガンから知った。

    ある人が、この狭き門は若きウェルテルの悩みのような若い人の興味を引くというようなことを書いていて、確かにそうなのかもしれないと思う。しかし、ところどころというより根底に流れる人への寛容さというようなものや、徳とでも言うものが、人生をある程度経験した今だから感じられると思う。

  • 父にすすめられて

  • “狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。”

    せっかく相思相愛なのにアリサは神に近づきたいためにジェロームと結婚することを拒み、死んでしまう。
    地上での幸福を放棄するって…
    神に近づけるならば、ジェロームをその場所へ連れて行けるなら…みたいな考えになるようだ。
    ついてけない。

    でも、永久に地上で結ばれずにいた方が余計に恋い焦がれそう。
    この2人が結婚して果たして死ぬまで変わらず愛せたかはわからないし。

    結ばれなかったからこそ、ジェロームは忘れられずに当時の気持ちを持ち続けているわけだし。
    その永久の束縛は、アリサの望んでたこととはまた違うと思う。
    はっきり言って罪だなぁ。

  • 2017/12/15 読了

  • 「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すものすくなし。」(マタイ伝 7:13~14)

    有名な聖句なのでご存知の方も多かろう。『狭き門』はこの聖句に由来する。一昔前は青年子女の必読書だった。特に多くの子女の紅涙をしぼった名作である。

    今ではその19世紀的なふるい恋愛形態からほとんど見向きもされない。だが我々シニア層より上の層からは圧倒的な賞賛と支持とを得て非常によく読まれた。かく言うわたしも「一冊の本」としてこれを深く心に刻んでいる。

    主人公で語り手のジェロームの回想としてノルマンディー地方の美しい風景とともに2歳年上の従姉アリサとの純愛とその宗教との板ばさみの苦悩が美しくも陶酔的に描かれている。

    小説前半で女主人公のアリサの母親の不義出奔の数日後の朝、小さなチャペルでのヴォーティエ牧師の説教としてこの聖句は登場する。

    ある夜、この不幸の為、悲嘆に打ち震えるいじらしい魂とか弱い肉体に遭遇したジェロームは、わが全生涯の目的はこの少女をあらゆる恐怖、不幸、悪から守ってやる事のほかにないという決意に至る。ここは全篇のうちでも最も感動的な箇所の一つである。

    そして彼は説教につれ心の緊張が極点に達し、着飾り笑いさざめく人々とは歩をともにすまい、敢えて骨を折り、苦行し、悲しみを乗り越えて「狭き門」を通り抜けようと決意する。
    しかもこの門はアリサの部屋の戸口になっているのだ。

    この様に「狭き門」とはこの場合、愛のため自己に課する試練・努力を意味する。

    これ以上に純粋で美しい小説をわたしは知らない。

  • 主人公のジェロームは従姉のアリサに愛を覚え、アリサも彼を愛する。しかし、神の国に憧れる彼女は、禁欲主義によってその愛を拒み、衰弱死してしまう…
    本作は、このように悲劇の恋愛を描いた話ですが、主題が福音書的な愛という宗教に絡んだテーマであること、また自己犠牲への批判を含んだ内容であるということなどから、とても考えさせられる一冊です。
    (情報工学科 B3)

  • 先日取り上げた遠藤周作氏の『作家の日記』の中で、クリスト教文学としてのジッドについても言及がありましたので、『狭き門』を開いてみます。
    手つ取り早く、カヴァー裏の紹介文を引用すると―


    早く父を失ったジェロームは少年時代から夏を叔父のもとで過すが、そこで従姉のアリサを知り秘かな愛を覚える。しかし、母親の不倫等の不幸な環境のために天上の愛を求めて生きるアリサは、ジェロームへの思慕を断ち切れず彼を愛しながらも、地上的な愛を拒み人知れず死んでゆく。残された日記には、彼を思う気持ちと“狭き門”を通って神へ進む戦いとの苦悩が記されていた......。


    まあ、愉快な話ではございません。血沸き肉躍るストオリイでもありません。実質無宗教が多い日本人にとつては、理解しにくい内容でもあります。アリサつてさあ、何だか面倒くさい女だよね、なんて言はれさうです。

    魂の救済や心の安寧を宗教に求めるならば、衣食足りて礼節を知る世界には宗教は不必要な気もします。せつかく広い門があるなら、そちらを通れば良い。態々狭い門をくぐる必要はありますまい。しかしアリサは、ストイックにも楽な道を歩まなかつたのでした。ジェロームへの書簡や日記を読むと、自己犠牲に陶酔してゐたとも受け取れます。若き日の遠藤周作氏は、「宗教的心理の躓き」と表現しました。

    相思相愛の関係なのに、周囲も祝福するのに、戦争や病気などで引き裂かれるやうな運命でもないのに、成就しない二人の愛。ジェロームはかはいさうだし、通俗的には妹のジュリエットが掴んだ小市民的な幸せを応援したくなります。
    しかし本書のアリサの告白は、比類ないほどの美しさを見せます。本書の白眉であります。純粋すぎて、穢れたわたくしには結構眩しい。目が眩んでゐる間にアリサは向かふ側へ行つてしまひました。

    生意気を言はせていただくと、翻訳がちよつと......仏語解釈の講義ならいいでせうが、文藝作品の翻訳としては、用語の選択とか、紋切り型の訳語とかが気になつてしまひました。新訳が欲しいな、と思つてゐたら、既に「光文社新訳古典文庫」の一冊として出てゐました(訳・中条省平/中条志穂)。
    此方の方が良かつたかな?

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-668.html

  • アリサは信仰と恋の間で引き裂かれたために苦しんだということでいいのかな。一般的な現代日本人の感覚からすると、それって両立できないの?そんなに深刻にならなくても…とつい思ってしまう。
    でも、ジェロームにしろアリサにしろ結局相手ではなく自分に酔っているのでは?という感じがした。君にふさわしくなるために自分を高めようと努力する僕、貴方の将来のために現世での自らの幸せを犠牲にする私。でも最終的にアリサは一人で狭き門に入ることを選んだということで、それは誰のためってつまりは自分自身のためではないの?
    よく理解できなくて呑み込めていない部分があるんだと思う。誰かかみ砕いて教えてくれ…。

  • アリサの美しさ、挙動、そのすべてが繊細なガラス細工のように描かれている。本当に、主に導かれるかのように、天上に召されてしまった。幸福に手を伸ばすこともできたろうに、そうしなかったアリサ。ジェロームを思うと、ジュリエットを思うと、まぁなんとも言えない複雑な思いになるのだけれど、きっとアリサは母の不義を自らの原罪のように感じてしまったのではあるまいか。私はキリスト教徒ではないのではっきりとしたことはわからないがやはりりっぱだったと思わずにはいられない。そして今まで興味を持てなかったヨーロッパ庭園の美しさの片鱗を垣間見ることができた。華やかな表面だけを見ていたが、そこには華やかさと喜びとともに、やっぱり深い思想や悲しみも埋まっていたのだ。

  • 個人的には世界で1番美しい物語だと思っている。
    10数年ぶりに読んだが、ラスト数ページは当時と変わらない鮮明な印象。

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