イギリス帝国の歴史 (中公新書 2167)

著者 :
  • 中央公論新社
3.80
  • (16)
  • (39)
  • (26)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 479
感想 : 36
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121021670

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 新書文庫

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記はこちらに書きました。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=7227

  • 大英帝国の成立と展開、さらに縮小。シンガポールにて知ったことと世界史的視点を繋げるには良かった。さらにアラブの歴史の違う側の視点を知る意味でも勉強になったが、研究自体は革新性を感じない。

  • [唯一無二のヘゲモニー]かつて世界の陸地の約四分の一と海洋を支配したイギリス帝国。帝国から植民地という垂直関係だけではなく、両者の相互関係の中でイギリス帝国がどのような影響力を与え、そして与えられたかを、特にアジア地域との関係性の中で幅広く考察していく作品です。著者は、イギリス関係の著作を幅広く世に送り続けている秋田茂。


    イギリス帝国の幅広い顔が見えてくる一冊。単なる歴史の「強者」としてのイギリスではなく、ヘゲモニー国家として世界史的役割を果たした存在として捉える視線が非常に興味深い。特に、自由貿易体制や通信網の整備など、誰にとってもプラスになる国際公共財を提供しながら自国の影響力を高めていくところに(期せずしたものかもしれませんが)「巧みさ」を感じました。


    また、あまり知られていないアジア地域とイギリス帝国の関わり合いについての指摘も白眉。特に、物理的な影響力の行使が地理的制約にも伴って限定される中で、シティを中心とする経済・金融体制がアジアをしっかりとイギリス帝国につなぎとめていたことに驚きを覚えました。少し教科書的な記述が散見され、読み進めるのに努力を必要とするところもありましたが、グローバル国家の本格的な考察としてオススメです。

    〜ヘゲモニー国家は、世界諸地域に多様な国際公共財を提供してきた。それらは、国際秩序における「ゲームのルール」の形成に直結しており、アジア国際秩序を考えるうえでも不可欠の構成要素であった。〜

    新書ですがボリューム感あります☆5つ

  •  かなり読むのに時間がかかってしまった。中世の終わりから現代までのイギリスを中心とした世界史を駆け足で辿っていく感じ。何年に何が合って…と形式的な記述が多いため世界史の年表がざっくりにでも頭に入っていないと読みにくいし、内容の理解もいまいちになってしまう。
     植民地時代のイギリスは圧倒的な権力で支配していたのかと思っていたが実際には軍事力では解決できないことも多く、外交の駆け引きなど複雑なやりとりがあった。現在はアメリカにヘゲモニー国家の地位をとって代わられたが、イギリス帝国の遺産は現在も世界に大きな影響力を持っていることにも注目したい。
     教科書で教わるような歴史認識が近年見直されているようだ。新たな資料が見つかり、新たな定説がなされて、それが議論される。今確立されている歴史も事実ではなくあくまでひとつの認識ということを意識するべきだろう。

  • 本書は、19世紀の「パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)」と呼ばれた時代を中心に、カナダやニュージーランド・オーストラリアなど白人が定住した〈定住植民地〉、インドを中心にアジア・アフリカ地域で軍事的に支配下に置かれた〈従属領・直轄植民地〉といったいわゆる「公式帝国」だけでなく、「貿易や投資を通じた経済関係によって影響下におかれた」〈非公式帝国〉にまで対象を広げ、グローバルヒストリー的視点から、ヘゲモニー国家イギリスの歴史をとくにアジアとの関連から論じられています。
    「通常、ヘゲモニー国家は、近世までの世界帝国(アジアの中華帝国やムガール帝国、オスマン帝国など)と異なり、地球規模での影響力の行使にともなうコストを削減するために、統治のための官僚組織や軍事力を必要とする「公式帝国」(植民地)を持たないのが理想的な形態であった。しかし、世紀転換期のイギリスの場合は、英領インドに代表される従属植民地を各地に保有したヘゲモニー国家であった点がユニークであり、現代のアメリカ合衆国のヘゲモニー(パクス・アメリカーナ)とは決定的に異なる構造を有していた」(260頁)と、イギリス帝国の対外政策の特徴を論じています。つまり「本書は一国史的な歴史の見方を離れて、同時代的な歴史の展開、ヨコのつながりを重視するグローバルヒストリーの観点から、それぞれの諸地域がいかに相互に依存しながら一つの世界システム(世界経済)を形成してきたかを考察し、その過程での経済書利害の相互補完性を強調してきた」とのことです。そしてその結果「たとえば従来は別々に論じられてきた、貿易(モノ)と金融(カネ)の相互のつながりをどのように考えるのかという問題」を論じ、「19世紀末からの英領インドのボンベイで見られたような、植民地支配(公式帝国)のもとで展開された「植民地工業化」を世界史の文脈で再評価する問題」を検討課題としてあげています。
    とは書いていますが、正直私の力不足で内容をよく理解できませんでした。ですので、以後いくつか私が興味を持った個所を羅列し、できれば私なりの感想をつけます。もしこのブログの読者がこの本を取った際の何かの参考になればと思います。

    (18世紀)北米植民地にわたった白人年季奉公人は、現地社会では労働力としてプランターに歓迎された。しかし、彼らを送り出した本国イギリス側では、彼らは社会問題の種であったのであり、本国にとって北米植民地は、問題を解決する処理場(開放的な救貧院・刑務所)として機能した。本国イギリスは、社会問題をできるかぎり植民地に「輸出する」ことで解決しようと試みたのである。(56頁)

    (従来、1813年の東インド会社のインド貿易独占権廃止と1833年の中国貿易独占権廃止は綿製品市場の開拓をめざした新興の本国綿業資本、その圧力団体であるマンチェスター商業会議所による反対運動と政治的圧力の結果であると理解されてきたが、)しかし、ナポレオン戦争中の1813年の貿易自由化は、イギリス本国へのインド産品の流入を促すために取られた戦時の措置であり、東インド会社の支配領域を越えて通商利害を有するロンドン商人の意向を反映していた。また、33年の中国貿易独占権廃止も、29年の経済不況で打撃を受けたインド現地の経営代理商(agency houses)が、ロンドンへの送金を確保するために、インド綿製品やアヘンの輸出市場の拡大をめざして対中貿易の解放を強く要求したことから実現したのである。このように、東インド会社の貿易独占権の撤廃には、イギリス本国のマンチェスターの綿工業者たちが行使した政治的な圧力よりも、むしろ、ロンドン・シティに本拠を置いた通商・サーヴィス利害と、インド在住のアジア間貿易に従事したカントリー・トレーダーに代表されるイギリス商業資本の利害が強く反映されていた。(97頁)


    1822年にイギリス外相に就任したカニングは、スペインによる反動的な干渉政策に反対するカニング外交を展開した。この外交政策は、翌23年にアメリカ合衆国が表明したモンロー主義とともに、結果的にラテンアメリカの新興国の政治的独立を保障することになった。同時にそれは、ラテンアメリカ地域への経済的進出、輸出市場の確保をねらうイギリスの経済利害とも一致するものであった。以後イギリスは、ラテンアメリカ諸国と津商条約を結び、綿製品・機械類を輸出するとともに、現地で生産された小麦・牛肉(アルゼンチン)、コーヒー(ブラジル)硝石(ペルー)などの第一次産品を大量に輸入するようになった。自由貿易体制のもとで、ラテンアメリカ諸国は、イギリスへの経済的依存関係を強めていくことになるのである。

    zhangtanより
    上記2つの文章は、イギリスが「自由貿易帝国主義」を形成する上で欠かせない出来事だが、1813年「東インド会社のインド貿易独占廃止」、1823年「モンロー教書」、1833年「東インド会社の中国貿易独占権廃止」、1843年「虎門寨追加条約で中国に関税自主権を放棄させる」、1853年「クリミア戦争開始」と、1803年をのぞいて10年おきに起きています。年号とセットで覚えると便利です。

    19世紀中葉においてイギリスの対外政策を一手にになったのが、外相、次いで首相としてイギリス帝国の威信と力を誇示する「砲艦外交」を展開したパーマストンであった。・・・彼は「イギリスの通商業者、製造業者のために新たな市場を確保するのは政府の仕事である」との確信をいだいて、自由貿易帝国主義政策を世界各地で積極的に推進した。(106頁)

    インドでの鉄道建設にあたって最大の障害となったのが建設資金の調達であり、そのために考案されたのが「元利保証制度」(guaranteed system)であった。これは、鉄道建設にあたる会社の設立と運営を容易にするために、本国のインド相が、払い込まれた鉄道会社の資本全額の保全と、年5%の利子支払いを営業成績に関係なく自動的に保証するという破格の優遇制度であった。・・・インド相(実際には現地のインド政庁)が無条件に払込資本に対して年利5%の利子を保証し、インド政庁が鉄道建設用地の取得を代行し、おまけに経営不振の場合は事業自体を買い上げてくれるという好条件は、必然的に現地のインド財政に負担を押しつけることになり、採算性を度外視した鉄道建設と鉄道会社の放漫経営につながった。・・・鉄道建設の進展にともなって、インド経済は大きく変容した。商品作物の導入によるインド農業の商業化が進行して、土地所有関係は再編された。亜大陸の内陸部で栽培された棉花、小麦、茶、ジュート、油性種子などは、ボンベイ、マドラス、カルカッタ、カラチなどの港湾都市を中心に放射状に広がった鉄道を経由して、イギリス本国だけでなく、欧米諸国や世紀転換期の日本など、工業化が急速に進展しつつあった諸地域に輸出された。こうして英領インドは、イギリスを中止とする世界経済システムに全面的に組み込まれたのである。(110~113頁)
    zhangtanより
    もし世界史受験生がこの文章を読んだとしたら、19世紀後半インドの学者・運動家のナオロジーによる「富の流出」論をセットで覚えるといいのではないでしょうか。

    1870年代になると、インド統治政策そのものが、本国政党政治と密接に結びつくようになった。その立役者が、保守党首相のB・ディズレーリであった。彼は、イギリスの帝国外交政策として、本国からインドにいたる「エンパイア・ルート」(帝国連絡路・インドへの道)を、ほかのヨーロッパ列強の海外進出から防衛することを重視した。
    zhagntanより
    これも、1876年のスエズ運河株買収(このとき資金をユダヤ系資本家ロスチャイルド家から借りていますが、ディズレーリがユダヤ系であったこと(名前Disraeliにisraelつまりイスラエルがあることも授業のネタになるでしょう)がそれを可能にしたそうです)や、1878年の露土戦争後のサン・ステファノ条約に反対して結ばれたベルリン条約でキプロス島を獲得したことを考えると受験生も分かりやすいと思います。

    1840年には、植民地改革論者のE・ウェイクフィールドの「組織的植民論」(本国社会の過剰な人口対策として植民地への移民を奨励する議論)に影響を受けて、先住民マオリ族とのワイタンギ条約により、ニュージーランド植民地が成立している。(123頁)

    経済史において、19世紀末の第4・4半期にあたる1873~96年は「大不況」(the Great Depression)期と呼ばれる。イギリス経済は1873年のドイツに始まる世界恐慌から慢性的な不況におちいり、1879年恐慌、1890年のベアリング恐慌(アルゼンチン投資をめぐる金融不安)をへて96年にいたるまで、長期にわたる不況から抜け出せなかった。・・・「大不況」の原因は、後発の資本主義諸国の急速な工業化と、第一次産品生産国が本格的に世界市場に編入されたことによる世界の一体化、グローバル化の急速な進展であった。・・・イギリスは「世界の工場」から三大工業国の一つに転落し、製造業の国際競争力も低下して工業製品の輸出が停滞した。(134~135頁)

    世紀転換期の英領インドでは、政策面でのロンドン・シティの金融利害優位の構図は変わらず、金本位制が堅持された。・・・インドは、ポンドの価値が金で保証されポンド通貨が世界中で通用した国際金本位制、いわゆる「ポンド体制」の最大の安定要因、安全弁であり、その意味で、世紀転換期のインドは「イギリス王冠の輝ける宝石」であった。(142頁)

    インド側にとっても、日本航路の開設と日本棉花商とのインド棉の直接取引は、イギリスの植民地支配に批判的なナショナリズムが形成されてくるなかで、実利をともなうものであった。というのも、英領インドの内陸部で生産されたインド棉花は、当初予想されていた本国のマンチェスター向けではなく、輸出の6割近くが日本の大阪に向けて積み出されていたからである。インドにおける植民地鉄道建設の受益者の一つが大阪の近代綿紡績業であった点は、注目に値する。(165頁)
    zhangtanより
    世界史だけを教えている人は、この明治時代における日本とインドの関係は分かりません。日本史では、ボンベイ航路とインドからの綿花輸入がしっかり出てきます。日本で世界史を学んでいるならば、世界史の授業でも取り上げるべき内容だと思います。

    世紀転換期以降のアジア間貿易の発展は、英領インドの棉花生産―日本とインドの近代綿糸紡績業―中国の手織綿布生産―太糸・粗製厚地布の消費という連鎖を中心に、その半分近くが綿業にかかわる「綿業基軸体制」によって支えられていた。すなわち、紡がれた綿糸は中国へ輸出され、中国では輸入した綿糸が手織機で織布に仕上げられて、広大な国内市場で販売された。その連鎖のなかでも、とくに、インドの棉花と機会紡績制綿糸の東アジア向け輸出が重要な役割を果たした。(167頁)

    一般に、植民地支配のもとでは、非ヨーロッパ地域での工業化は抑圧される、と考えられてきた。そうした見解の典型が、K・マルクスのインド論であり、彼は、18世紀後半―19世紀初頭の東インド会社支配のインド(ベンガル地方)では、それまで圧倒的な国際競争力を有したインド現地の綿織物業は、植民地化を進めるイギリス当局の強圧的政策により輸出市場を失い、壊滅状態に追い込まれていった、その代わりに、マンチェスター産のイギリス製綿糸・綿布が大量に輸出されてインド市場を席巻し、綿業をめぐる英印関係は完全に逆転した、と主張した。こうしたマルクスのインド論は、現地の事情を知らない、ヨーロッパ中心的な見方であり、歴史的現実の一部をとらえたにすぎない。英領インドでは、植民地支配下にありながら、近代的な機械化された綿紡績業が現地人資本の手で発展し、同時に在来産業としての伝統的な綿業も存続した。
    zhangtanより
    この説明には衝撃を受けました。今まで、機械生産されたイギリスの安価な綿製品がインドの現地綿産業を破壊し、インド人のイギリスに対する不満が高まった、と教えられまた教えてきました。確かに山川出版社の新課程版『詳説世界史B』では「(対イギリスの貿易赤字を)中国へのアヘン・綿花の輸出や、東南アジアやアフリカへの綿製品輸出、イギリスへの一次産品輸出などによっておぎなうという多角的な貿易構造の形成で対応した。」(289頁)と、イギリスに代わり東南アジアやアフリカへその市場を転換したことが書かれてあります。私の読み込み不足でした。

    インド棉花の輸出には、ラリー・ブラザーズなどの多国籍貿易商だけでなく、大阪の棉花輸入を斡旋したボンベイのパールシー教徒タタ一族も関与していた。(183頁)

    1921-22年のワシントン会議では、日英同盟の更新が論争点になった。イギリス本国やオーストラリア、ニュージーランドが、同盟の更新を主張したのに対して、カナダはアメリカの支持を得て、日本の北太平洋や中国での脅威を理由に、同盟の撤廃を強硬に主張した。最終的に本国政府は、米加両国の利害に配慮して日英同盟を廃棄し、代わりに四カ国条約を締結した。日本はこの決定に不満を表明し、日英関係は一時的に悪化した。(202頁)

    (世界恐慌に対応するためのスターリングブロックについて)、1930年代のスターリング圏には、イギリス本国と、オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランド、アイルランドのドミニオン(カナダ連邦とニューファンドランドは除く)、英領インド、海峡植民地などの従属領、香港、アデンなどの直轄植民地を含む公式帝国だけでなく、イギリスと緊密な貿易・金融関係を有したスカンジナビア諸国、バルト三国、ポルトガル、シャム(タイ)、イラク、エジプト、アルゼンチン等の、公式帝国に属さない諸国が含まれていた。(209頁)

    (第二次世界大戦において)アメリカからの支援を取り付けるに際して、イギリスはアメリカの反植民地主義の伝統を無視できなかった。たとえば、1941年8月に、米大統領F・ローズヴェルトは、ニューファンドランド沖での英米首脳会談で、英首相W・チャーチルの抵抗を押し切り、あらゆる国民に対する民族自決を認め、ファシズムだけでなく、植民地主義も批判する「大西洋憲章」を発表した。チャーチルは下院で演説し、大西洋憲章はインド、ビルマなどのイギリス帝国諸地域には適用されない、とあえて弁明している。(222~223頁)

  • イギリス帝国歴史を、18世紀から現代まで通説する。東インド会社、北米植民地、ジェントルマン資本主義、コモンウェルス、脱植民地化、そして第2次世界大戦後に。
    興隆を極めた帝国支配だが、決定的打撃はスエズ戦争の敗退によりもたらされた。そしてアメリカという新たなヘゲモニー国家のジュニアパートナーたる道を選ぶ。
    現代は、世界経済の中心がアジア太平洋経済圏に移行しつつある。そのシステムの基盤を作り上げたのがイギリス帝国であるというのが本書の立場で、グローバルヒストリーという視点を大切にしている。

  •  本書は,近年のグローバルヒステリーの研究結果を踏まえながら,18世紀から20世紀末までのイギリス帝国の形成・発展・解体の過程を,主にアジア諸地域(特にインド)との関係性から論ずるというものである.
     また,本書では同時に,今日,環大西洋圏に変わって世界経済の中心となりつつある,アジア太平洋圏の経済システムの基礎が,如何に形作られたかという問題についても,これに対するイギリス帝国の関与とその意義を明らかとする.本書は2013年度読売・吉野作造賞を受賞するに至ったが,一読すれば,それも納得できる内容である.イギリスの一国史という視点を離れ,同時代の諸地域・諸国家間のヨコの関係,つながりに注目しながら,それらとの「比較」と「関係」という観点で歴史を論ずる,グローバルヒステリーの手法は新鮮で,非常に興味深いものであった.今日,TPPやEUの問題を契機として,グローバリズムに関する議論は世界的に高まっているが,本書が提示する,ヘゲモニー国家たるイギリス帝国の,世界の経済システム形成に対する考察は,この点で極めて有意義な観点を読者に与えてくれるものであり,現在の世界を考える上でも,一読の価値は十二分にある一冊である.

  • かつては世界の四分の一の土地を支配したイギリス帝国の変遷を、アングロ・サクソン系国家の推移、特にコモンウェルズを形成するアジア諸国(特にインド)との交易から勉強できる一冊。

    日本との関係でいえば、日清戦争直前の1893年に神戸と英領ボンベイを結んだ日本郵船社の航路は日本で初の国際定期航路とのこと。
    近時、韓国に5,000億円に相当する偽の外債券詐欺があったらしい(今は紙で発行してないw)けど、本物のロスチャイルド・アーカイブ蔵の、日露戦争資金調達向け日本政府外債の写真も掲載されていて迫力がある。

    特に興味深かったのは、リヴァプールとアフリカ大陸のガンビア、カリブのジャマイカを結ぶ大西洋の三角貿易。 今のイギリスの音楽文化に繋がるものを感じた。

  • 秋田茂氏によるイギリス帝国の構造とその盛衰についての著作です。

    本書では「長い18世紀」から現代に至るまでのイギリス帝国について、主に経済面から歴史学の研究成果に触れながら考察を行っていきます。
    さらに副題にもあるようにイギリス帝国の経済ネットワークとアジア各国との関わりについても検討を加えていきます。

    本書のイギリス帝国についての語りにおいて特徴的なのは、ヨーロッパ中心的な検討から脱した現在の歴史学研究を参照することによって、イギリス帝国の内部について「イギリス本国」と「植民地」といった形骸的な見方の中では隠されていた多様な経済的関係が紹介されていることでしょう。
    例えばイギリス本国においても「ロンドン・シティにおける金融資本」と「マンチェスターを中心とした綿工業資本」の間では、植民地政策において求めることが異なります。植民地の側においてもカナダ・インド・南アフリカとそれぞれの植民地においてイギリス本国に対する要求は異なり、更にはインドの中でも現地行政府であるインド政庁とアジア貿易に携わるイギリスや現地インドの商人たちでは望ましい政策は違います。広大なイギリス帝国の内部では、このような様々な利害関係が帝国内貿易というモノ・カネのつながりを通して複雑に絡み合っていたのです。
    本書は上記のような多様なステークホルダーについて詳細な分析を行い、イギリス帝国の時代ごとの経済的本質がそのパワーバランスにしたがって、様々に変化して行ったことを明らかにしています。
    こうしたイギリス中心の帝国観とは異なる見方を導入することによって、イギリス帝国内において植民地側の主体性が従来考えられていたよりも強く発揮されており、本国と植民地の協調によって帝国が運営されていたことがわかってきます。

    更に本書ではイギリス帝国の「正統な」支配地域である公式帝国に関する考察のみならず、その経済的影響下にあった非公式帝国との貿易やこれらの地域に国境を超えて影響力を及ぼす源泉となった「自由貿易体制」や「国際公共財」についても検討していくことによって、イギリス帝国という存在が世界経済に対して及ぼした影響が明らかになります。特にインドに対して大きな経済的紐帯を持っていた東アジア地域について、中国・日本それぞれの近代におけるイギリス帝国の影が見られることを本書では指摘しています。東アジア世界の近代化は、欧米列強による強制的な開国がひとつの契機ではありますが先行して世界経済の中にあったインドと接続することで発生したと考えられます。こうした点からも少なくとも経済的には「西洋vs非西洋」という考え方は必ずしも当てはまらないことがわかります。

    本書を読むとイギリス帝国を通じて世界経済がヨーロッパからアジアまで網の目のように関係性が構築されており、植民地の支配費用の負担なども考えると必ずしも西洋にのみ利があるような構造であったわけでもないことがわかります。そこで問題になるのは西洋が主導権を握っていた20世紀前半までの世界のありようの原因が何であったのかを改めて考える必要があると思います。

    本書でイギリス帝国の分析に使用された様々な手法は、大日本帝国の構造や現代アメリカを中心とした国際関係の分析に用いて考えてみると、新たな視点が得られると思いますので、そういう点でも面白く読めたと思います。

全36件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1958年生まれ。大阪大学大学院文学研究科・教授
(主要業績)
『イギリス帝国とアジア国際秩序』(名古屋大学出版会、2003年:第20回大平正芳記念賞2004年)、『イギリス帝国の歴史―アジアから考える』(中公新書、2012年:第14回読売・吉野作造賞2013年)、Shigeru Akita (ed.), Gentlemanly Capitalism, Imperialism and Global History (London and New York: Palgrave-Macmillan, 2002).

「2020年 『グローバルヒストリーから考える新しい大学歴史教育』 で使われていた紹介文から引用しています。」

秋田茂の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×