- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122001367
感想・レビュー・書評
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パリの叔父のもとへやってきた少女ザジは、地下鉄に乗るのを楽しみにしていたのに、なんと地下鉄はスト中。
街に出たザジは、奇妙な人物と奇妙な出来事にまきこまれてゆく。
文章とか詳しい内容とかはほとんどわからなかったけど、なんか面白かったなぁ。
決してスタイリッシュではないけれど、洒落ている。可愛くはないけど、チャーミング。下品な言葉(名台詞「けつくらえ!」)を連発し、子どもっぽいのに妙に道理がわかっている風なザジがおかしい。周りの大人たちも、絶対に変なのに、なんだかとっても楽しげで、読んでいて胡散臭さがなかった。
この本、口語体というか演劇体(?)というか、とにかく文章が“生身”な感じで、内容もとても自由度が高い。文章の合間や終わりに「(身振り)」だとか「(間)」なんて表現が出てくるし、確信犯的に何度も同じ言葉が使われる。
なんでも、フィクションがシュルレアリズムにがちがちに囚われ、難解になっていた当時のフランス文芸界に、斬新な文体で一石を投じた本であるそうだ。
この時代背景を知らないと、わけがわからない文章に「??」と面食らうだろう。正直、私も話の筋は全然わからなかった。しかし、それでもなんとなく読んでいて楽しく、くすっとしてしまう雰囲気がきちんと伝わってくるのだから不思議なものである。
フランス文学は今までなんとなく受け付けなくて、自分には合わないのだと思っていたけれど、これは楽しめた一冊だった。
追記;この本を読んだあとで映画も観たところ、私には映画のほうが楽しめて、好きだった。原作よりもドタバタに徹していたところがよかったのだと思う。スプラスティックでカラフルな演出が、見た目にも楽ししかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ザジは1960年のフランス映画。本はノベライゼーションかと思っていたら、小説の映画化だった。作者クノーはアカデミー・ゴンクールの会員らしい。しかし小説を読むと浮かんでくるのは映画のシーンだ。
ザジがパリに着くと、楽しみにしていた地下鉄がストで走っていない。そこで怒り爆発……。と、ストーリーはわかりやすいが、フランス人の書くものはわかりにくい。全編に散りばめられたユーモアも、クノーによると「あることを言いながら、もうひとつのことを伝える」方法なのだそうだ。フランスものは「哲学」を意識しないと勘違いしがちだ。
パリで「哲学カフェ」というのに遭遇したことがある。カフェに集まって哲学を論じ合う。そこには清掃夫のあんちゃんも、売り子のねえちゃんもやってくる。そして議論に参加する。これがフランス。
そういえばテレビのコメンテーターという哲学者もいたっけ。だからザジの攻撃性も、きっと別の意味を持っているのだろう。そしてそれを受け入れて1日をめちゃくちゃにされるのも楽しいことなのだろう。そんな子供が無条件で期待していたメトロ。素敵な乗り物でないはずがない。 -
書くことのできる言葉について考える。
普段喋っている調子をそのまま書き出したところで果たして意味は伝わるのだろうかということを考えてみたりした。ずーっと続いていく漫才を見ているイメージの本。 -
ルイ・マル監督の映画を劇場で観て、その勢いで、このレーモン・クノーの原作も衝動買いして読みました。導入部分の軽快な会話を読むと、観たシーンが浮かんできて、原作のセリフがしっかり活かされているなと感じます。「けつ喰らえ」というザジの印象的なフレーズも随所に散りばめられていますね。諧謔というか、パンクというのか。あと、言葉遊びしているところも多いのかもしれませんね。フランス語ならではの言い回しとか。また、文字として読むことで、戦後をまだ引きずっていたり、実存主義が流行っていたりという、当時の時代背景が反映されていることにも気付かされました。フランス語が分かると、より深く楽しめるんでしょうね。忘れてましたが、挿画が何枚か入っているんですが、これも楽しいです。そして最後のザジの決め台詞(捨て台詞?!)は、テキストで読んでも、映画同様にカッコイイです。
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映画観るより先に読んだんだろう。何しろ、存在は知っていても観ることが出来なかったのだから。クノーは、「はまむぎ」で既知。カバーは、現行のものよりこのイラストレーション版の方が馴染み深いぞ。
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言葉の可能性の執拗までの探求、とあるだけあって、
会話の応酬って感じで読めましたが、
やっぱり原書で読まなきゃ分からない部分があるんだろうなあ、
と思ってしまった。
フランス語で読むなんて全く出来ない己としては
、他の方の訳も読んでみたいと思います。
理解力の無さを棚に上げてますが。 -
「なんてくせえやつらだ」に始まり、「年をとったわ」で終わる。何回読んでも意味不明で支離滅裂、脈絡に乏しいストーリーなのだが、これまた味わい深い。訳もよいと思う。
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ザジに会わせたい日本人は、野原しんのすけ。
ケツだけ星人にあのセリフかましてもらいたいじゃないか。 -
'60年に公開された映画がリマスターされてリバイバル公開中だというので、どんなお話だろうと手に取ってみた。──地下鉄がまだ物珍しい時代、つまりはパリ万博に合わせて第1号線が開通した1900年からさほど経っていない頃か(エッフェル塔に対するフロイト的な解釈を口にするシニックなパリジャンも出てくる)。けれど実存主義の連中がカフェにたむろする、等の記述から第一次大戦後、エコール・ド・パリの時代とも(サルトルだって1905年生まれだ)。とはいえ、そんな細かい時代背景など吹っ飛ぶくらいに物語はポップかつシュール。そもそも、ザジの母親が娘を兄夫婦に預ける理由が恋人との逢瀬だし、何故かモテモテなガブリエル伯父さんはオカマバーのダンサーだし、警官だか痴漢だか判らない男ややたら惚れっぽい未亡人、騒々しい羊の群のような外国人団体客が入り乱れ、彼らの向こうを張って口汚く罵るザジ、10才。小憎らしさと可愛らしさの同居が何だかフランス的と妙に納得。文体も時にしかつめらしく時に軽やかに、佐藤亜紀風に言うならディエーゲーシスとミメーシスの間を自在に行ったり来たりしながら、まさにザジがパリのメトロに夢見た“ジェット・コースター”的な疾走感を地でいっている。これが映画ではどうなるのか。俄然観てみたくなってきた! アナクロ? ケツ食らえ!
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ついていけない感じが魅力?寸劇芝居を見ているよう。
これは原著でなければ面白さがわからないのでは…テンポが。