ねむれ巴里 (中公文庫 か 18-9)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (354ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122045415

感想・レビュー・書評

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  • 2019.12.23

  • 東南アジアからパリへ放浪の旅に出た夫婦の旅行エッセイ。一足先にパリに行った妻を追い夫も到着。資金難の末に仲間たちから金を借り、停滞の中の生活が綴られている。‬

  • 解説:中野孝次
    瘴癘蛮雨◆四人の留学生◆冬の森◆泥手・泥足◆処女の夢◆22番・ダゲールまで◆うしろに眼のない譚◆あぶれ者ふたり◆伯爵夫人モニチ◆枯葉◆ふたつのふるさと◆リオンの宿◆ねむれ巴里◆巴里人といういなか者◆巴里・春秋◆硝子のステッキ

  • 詩人、金子光晴の渡仏中の日々を綴る自伝。まさに、晩年に書かれたもののはずですが、筆致は強烈で、すこしも枯れた感じがしません。金子光晴の書いたものをまともに読むのは、これが初めてでしたが、非常な存在感と、何かしら、不安になる薄暗さがありました。

  • 印象的だったのは「冬の森」の一節で、仲睦まじいフランス人の老夫婦を妻と見て。

    ・・・このふたりの同じ愛情をここまで保留させたことは神の意地悪としか思えなかった。僕は、傍らの彼女が、やはり瞠目して眺めているのを見て、この人生で、
    こんなことが窮極の幸福であると思わせたくなかった。

    金子光晴、複雑な方のようです・・・

    ひとつ、ご存知の方がいらしたら。
    「白々」ってどういう意味の言葉でしょう?

    ”白々、でなければ、のぞき”と使われていたので、
    あまりお行儀の良くない言葉のようですが。 

  • これは鎮魂歌ですね。巴里の地に散った同胞たちへの。明日をも知れぬ生き死にの境界を彷徨いながら、どんな阿漕な仕事に手を染めようと、詩人の魂だけは安売りしない。這い上がれる当てもないどん底の中、無意識にもその聖域だけは守っていたように思えるのです。

  • 書かれたのが随分と時間が経ってから、というのも当然、関係しているにしても妻の部屋であるのに「入っていいのか」と聞いてからでなければ入れないほど不安なのに、そもそもそれが旅の理由でもあるというのに、感情を俯瞰しているような印象がある。そしてそのように感情や行為に距離があるような書き方であればこそ、余計にそれが際立つのだろう。(『西ひがし』に続く)

  •  1929(昭和4)年のパリへの旅の話。この著者「金子光晴」は、1895年(明治28)年の愛知県生まれ。

     読み終えて、どの時代も旅をする人の思うところは変わらないんだなぁという感想を持った。ただその旅人レベルが現代とは桁違いである。この「金子光晴」がパリでした体験は、現代の日本に生きる僕らからしたら、あり得ないことだらけである。

     この本は明日どうなるか分からない窮乏の旅を、夫婦で過ごした生々しい人間の生活の記録である。混沌としたパリの一面を、著者の混沌かつリアルな文章で綴られている。ただただ「金子光晴」の生きた痕跡を感じる。

  • 「どくろ杯・ねむれ巴里・西ひがし」
    金子光晴は知的障害者かも知れない
    彼に引き寄せられて絡み付いて世間をはみ出していく森三千代も
    引けをとらない流れ者だったのだろう
    それほどに彼の人生は映像化されているように見える
    何年もたった過去のディテールを克明に描けるあたりも
    前後の不安におびえる前に行動してしまう社会性のなさも
    彼の人となりを物語っているようだ

    プライドが故に自尊心をかなぐり捨て
    自分を保とうとする故に相対する自分を持て余し
    永遠に旅から休むことができずに赤裸々に生きる

    そこには社会性から抜けられない多くの人間達にとっての
    嘘のない無い物ねだりの魅力が詰まっているのだろう
    最近のテレビで「世界一のダンディーは誰だ」と言う番組に
    どこまでもあか抜けしない金子光晴がノミネートされていた
    結局はアカデミックな「サイード」とその裏側にある植木等に
    競り負けてしまったけれど
    その人間くさい存在は揺るがないようだ

    インテリーにとって型破りでありながらホットさせる彼らこそが
    気の置けない高嶺の花に違いない

    私にとってのドン・キホーテ・デラマンチャと孫悟空と良寛が
    生涯のあこがれとなったのと同じようなことなのだろう
    それは自分にできない人生を選んでいる者に対するジェラシーですら
    あるのかもしれない

  • どくろ杯の続編。すいすい読める本ではないが、思わず時間がかかった。
    夫人の森三千代を先に巴里に送り、金策の後、自身も巴里へ。夫人の住まいの扉をノックするとき、男がいるかもしれないと考える。「入って大丈夫なの?」読んでいて、気持ちが荒ぶ。何故、二人でいるんだろう。

    「ラ・ボエーム」のことも出てきた。あのオペラの貧乏芸術家達の生活は貧しくとも美しいものだが、この二人には将来も目的もなく、相変わらずのその日暮らし。
    心情を吐露する段では、息の長いセンテンスが続く。何ともリズムの良い文章。著者の詩作に通じるよう。巴里や自分自身をボロクソに貶している。
    手榴弾を片手に死んでいった中国人の女兵士の姿にゾクゾクしているという記述。何があったか、今ひとつ判りづらいが、そう云えばこの人は、やがて軍国に傾く日本に喧嘩を売るんだよな、と変に納得。しかし、巴里にも日本にも属そうとしない心情は疲れるだろうに。

    巴里にいる日本人同朋やフランス人。ロクデナシばかり。著者自身、そのロクデナシであることは間違いない。少々ウンザリしながら、ページを捲る。
    なんでこの本を読み続けたのか、僕自身分からない。適当な感想が表現できないが、毎日この本を少しずつ読み続けることを楽しんでいたことは確かなこと。

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著者プロフィール

金子 光晴(かねこ・みつはる):詩人。1895年、愛知県生まれ。早稲田大学高等予科文科、東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科、慶應義塾大学文学部予科をすべて中退。1919年、初の詩集『赤土の家』を発表した後に渡欧。23年、『こがね蟲』で評価を受ける。28年、妻・森美千代とともにアジア・ヨーロッパへ。32年帰国。37年『鮫』、48年『落下傘』ほか多くの抵抗詩を書く。53年、『人間の悲劇』で読売文学賞受賞。主な作品として詩集『蛾』『女たちへのエレジー』『IL』、小説『風流尸解記』、随筆『どくろ杯』『ねむれ巴里』ほか多数。1975年没。

「2023年 『詩人/人間の悲劇 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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