- Amazon.co.jp ・本 (442ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152088574
感想・レビュー・書評
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スコットランドの奇才、アラスター・グレイの長編。
2023年に同タイトルで映画化され、主演のエマ・ストーンはアカデミー賞主演女優賞を受賞している。
映画を見てから原作を読んだ。
映画は映画で魅力はあったのだが、改めて原作を読むと、かなりテイストが異なっていて少々驚いた。別物とまでは言わないが、受ける印象は相当違う。この凝った仕掛けの原作を「忠実に」映画化するのはなかなか困難かもしれない。
メイン・ストーリーはヴィクトリア朝が舞台。「マッド・サイエンティスト」ゴドウィン(ゴッド)・バクスターと、彼の元にいる奇妙な美女ベラ・バクスター、ゴドウィンの友人としてゴドウィンともベラとも深く関わることになるアーチーボールド・マッキャンドレス、そして放蕩者の弁護士ダンカン・ウェダバーンが主な登場人物である。
ベラが奇妙というのは、見た目は成熟した大人の女性であるのに、言動が子供じみている点である。それは実はゴドウィンが自殺した妊婦の腹から取り上げた女児の脳を母親の頭蓋に移植したから、というゴシック・ホラー調の、つまりはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を彷彿させるような物語なのだ。
ベラは無類の純真さを持って自らの人生を生きようとしているだけなのだが、男たちは皆ベラに魅かれ、彼女に振り回される。ベラの「過去」が明らかになる終盤では、さらに別の男たちも姿を現す。
物語の間には、登場人物たちのいささかグロテスクな肖像画、骨や身体各部のスケッチが挿入され、ゴシック調の雰囲気を盛り上げている。
原作は二層・三層の枠物語形式になっている。アーチーボールドが回想として書いたのが『スコットランドの一公衆衛生官 医学博士アーチボールド・マッキャンドレスの若き日を彩るいくつかの挿話』。これが枠の最も内側である。これに後年、ベラが書いたあとがきが付される。実のところこれはかなり強烈なあとがきで、アーチーボールドが書いた内容をひっくり返すインパクトがある。ベラのあとがき付きのものを著者グレイが手に入れ、序文や詳細な註をつけたのが、本書『哀れなるものたち』という体裁である。序文と註がもう一度物語をひっくり返す。
訳者あとがきにはグレイが語ったものとして「わたしは真実しか言わないし、書きもしない。嘘をつくとき以外は」という言葉が引用されているのだが、いささか人を食ったような警句めいたフレーズである。あるいはこの訳者あとがきも著者の姿勢を踏襲した一種の枠であるのかもしれない。
さて、読者としては、誰の「語り」を信じればよいのだろうか。個人的にはベラの語りを支持したいところではあるが、そうすると怪奇譚の風味は失われる。やはりこのいささか混沌としたパッケージをそのまま味わうところに妙味があるのかもしれない。
『フランケンシュタイン』を想起させるヒントは、死体の蘇りという設定だけでなく、ゴドウィン(メアリー・シェリーの実父の姓)、ヴィクトリア(『フランケンシュタイン』の怪物を産んだ科学者のファーストネーム、ヴィクターの女性名)といった名前にもあるし、枠物語という形式も、あるいは『フランケンシュタイン』に則っているのかもしれない。
但し、本作は単に『フランケンシュタイン』のパロディというだけではなく、ヴィクトリア朝という時代へのオマージュでもあるように感じる。言葉遊びも随所にちりばめられ、ベラの成長に合わせて彼女の手紙の文体も自由自在に変化し、奇才が天衣無縫に遊んでいるようにも見えてくる。何だか、著者の掌で転がされているような読み心地でもある。
映画は比較的フェミニズム的な視点が中心となっており、それはそれで2020年代「らしい」ようには思う。原作はそこだけにフォーカスしているわけではないと思うのだが、とはいえ、さまざまな解釈を許す懐の深さを持っている作品であるのかもしれない。
奇妙なお話である。
なぜ著者がこれに『哀れなるものたち』とタイトルをつけたのかはいま一つ掴み切れない。
生きとし生けるもの、すべて哀れなるものなのだ、という呵々大笑が遠くから聞こえるような気もする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中身とは関係ないけど著者の名前の綴りはAlasdairなのにカタカナだとアラスターなのが気になってしまった。
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2008-04-00
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裏ページの紹介文にある「ポストモダン的技法によるゴシック奇譚」というのが、この本の印象を最も端的に現わした一文だろう。序文、本文、本文中に引用される手紙、別に記された書簡、最後は脚注までがストーリーの一部となるといった入り組んだ構造を駆使して、現代風のフランケンシュタイン奇譚を描き出す。
若干、ベラ、フッカー、アストレーの政治談議が中弛みしている印象はあるものの、全体的には読ませる。 -
小説家アラスター・グレイが入手した一冊の古書。そこには、19世紀末に実在した医師の"もう一つのフランケンシュタインの物語"ともいうべき驚愕の半生が記されていた……。
作中作である「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」で描かれる冒険に引き込まれるうち、まんまと作者の術中に……w。「序文」や「註」をも含めた多層的な語り(=騙り)の構成が見事。めまぐるしく入れ替わる虚と実にクラクラさせられる。
独特の味わいのアラスター・グレイ自身による挿絵も素敵。 -
19世紀後半のスコットランド・グラスゴーを主な舞台とした、奔放なベラの、波乱万丈な冒険が面白くて、ぐいぐい読めてしまう。
このベラを、『フランケンシュタイン』の名も無い怪物の女性版と紹介しているレビューもあるのだけれど、手記の作者マッキャンドレスがさんざんほのめかしているのは、ベラの創造主である外科医ゴドウィン・バクスター自身も、高名な外科医であったその父親から何らかの処置をほどこされた存在である、ということのように思える。
となると、怪物が、伴侶となるべき存在を自ら造りだした物語としても読めるということかしらん。
ベラとの出会いから結婚に至るまでを描いたアーチボールド・マッキャンドレスの手記と、その内容に異を唱えるヴィクトリア(=ベラ)の書簡。
編者としての「アラスター・グレイ」は、この書簡を、“自分の人生の出発点についての真相を隠そうとする精神障害の女性の書いた手紙”と断ずるが、果たしてそうなのか。
荒唐無稽で、あり得なさそうな話と、いかにも常識的な話との間で、さてどちらが本当?と、考え始めること自体、アラスター・グレイの策にまんまと嵌ってしまったと言えるのかもしれない。
ベラ誕生の経緯やバクスターも含めた3人の関係性はともかくとして、前へ前へと進む華やかな妻と、それを陰で支える夫というマッキャンドレス夫妻の夫婦のあり方や、バクスターの善良さや女性の自立に対する先見性、世の中の哀れな人々の力になりたいというベラの決意などは、揺るがないものとして二つの物語の間から立ち現われてくるように思う。
晩年のヴィクトリアが、友人に宛てた手紙のなかで、「暖かくて何があっても揺らがない男がよかった。―(略)―私の人生を通じてそういう人はひとりだけ」と語り、自分の最期を看取らせるのがアーチー(と名づけた犬)であるというのに、ちょっとしんみりする。夫の生前は、その存在すら忘れがちだったような彼女の、夫の死後35年経っての愛の告白と思えるので。
Poor Things by Alastair Gray -
面白い本ですよ!
挿絵もゴシック&モダンです!
手に入れた本を世に発表するという手法。
二冊本を読んでいるような、、、 -
読書中。