実力も運のうち 能力主義は正義か?

制作 : 本田 由紀 
  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152100160

感想・レビュー・書評

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  • 「実力も運のうち 能力主義は正義か?」と問いかけるタイトル。当然、本書の主張ではNoだということだ。

    まず、能力とは何か。
    能の力、すなわち才能の大きさのことだろう。では、才能とは何か。才能は、多様である。誰もが才能を持っている。トレーダーとしての才能がある人がある人もいれば、大道芸の才能がある人も。つまり、「才能の大きさ」を、万人を比較するための物差しとして使用している「能力主義」は欠陥の多いシステムなのだ。


    現在の社会において、人の処遇を決めている能力は、学歴である。学歴を能力の証明として使用しているのが現代社会だ。学歴が高いと、能力が高いとみなされ、多くの金銭的報酬を受け取ることができる。このような恩恵を受けられた大人は、自分の子供の教育には労力や金銭を惜しまない。

    ハーバードの学生の親の2/3は米国の所得規模で上位20%の家庭の出身だ。日本の東大でも似たような調査があった気がする。裕福な親は子供に良い大学に行かせられるよう潤沢な資金を投じて教育を受けさせることができる。そして、そうした親は総じて学歴も高い。

    しかし、子供側からすれば、1点を競う大学入試競争を勝ち抜き、入学資格を手に入れたことは、「自分が努力したから」に他ならない。つまり、「努力して、良い大学の入学資格を手に入れた自分は、能力が高い」という驕りを生んでしまう。子供は、自分の学歴の背景には、勉強を応援してくれる家庭環境や潤沢な資金があったことなどの様々な幸運に気づくことができない。
    これによって、子供は学歴を能力を判断する物差しとして持つようになり、学歴が低い人を「能力が低い」と判断するようになる。子供からしたら、「大学入試競争を勝ち抜けなかった人」だからだ。大学入試競争が、親の経済力や家庭環境によって「勝ちやすさ」が変わる不平等なものではなく、子供自身の能力を平等に競うものだと思っているからだ。

    このような子供はすでに大人になり、「裕福な親」として子供に潤沢な教育を施している。そして、大企業社長や政治家など社会に対して大きな影響力を持つ人々が、学歴を人を判断する物差しとして使っているので、現在では学歴が人の処遇を決めているのである。

    学歴偏重主義は、現在では「容認されている最後の偏見」である。今は、障害者やLGBTへの差別は「あり得ない」時代。しかし、学歴による「区別」は明確に行われている。学歴だけは「誰もが才能の許す限り」得られるものだとされているからだ。

    よって、学歴の高い人は能力が高いと考えられ、報酬の高い仕事に「値する」とされる。医者・弁護士・企業役員など。

    サンデルはこの「能力主義」に疑問を呈している。

  • なぜトランプ氏を米国の多くの人が支持し、大統領に当選したのか、本書を読んでようやくわかったような気がする。
    リベラルは、実現したいことは正しいと思うのだけれど、その影響まで考えられておらず、そしていまも本質的には理解できていないのだろう。そのために、同じ過ちを繰り返し続けているように思う。

    日本でも、裕福ないわゆるエリートとそれ以外の人々は、小学校や中学校から分かれることが多く、前者は「世の中には様々な人がいること」を体感として持ちづらい。早晩、日本でも国政レベルで同様のことが起こるだろうし、すでに一部の地方自治体では起こっている。2019年の東京大学入学式で上野千鶴子氏が祝辞で伝えたことからも、その土壌は浸透しつつある。
    ただでさえ衰退を始めている日本は、少しでも課題を認識し、対応策を実施して傷を軽くしていかないといけないのだろうと思う。

  • 原題は、The tyranny of merit - What’s become of the common good (能力専制 - 共通善はどうなるのか)
    これの邦題を、『実力も運のうち- 能力主義は正義か?』とするセンスがまず素晴らしい。極端な話、読まなくても主題は通じてしまう。

    当時ニュースにもなった、2019年度の東大入学式での上野千鶴子教授の祝辞の中の、以下のくだりと似た趣旨が320頁にわたってみっしり書いてある。

    引用始
    あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

    あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
    引用終


    印象に残ったフレーズ(サンデル氏ではなく、ナイト氏の言葉)

    P207
    金儲けがうまいことは、功績の尺度でもなければ貢献の価値の尺度でもない。すべての成功者が本当に言えるのは次のことだ。類いまれな天分や狡猾さ、タイミングや才能、幸運、勇気、断固たる決意といったものの不可思議な絡まり合いを通じて、いかなるときも消費者の需要を形づくる欲求や願望の寄せ集めに ーそれがいかに深刻なものであれ馬鹿げたものであれー  どうにかして効率的に応えてきた、と。

  • 「これからの正義の話をしよう」を始めとするベストセラーを残す著者による、現在の能力主義をめぐる弊害と解決策を提示した一冊。
    過去、生まれや人種による差別をなくすために導入された能力主義的な考え方が、学歴社会を生み新たな格差が徐々に目立つようになり、ブレグジットやトランプ当選で顕在化した課題はどのようなもので、どう解決すべきか、といった内容。
    アメリカを中心とした政治情勢や様々な研究結果などを基にし、考察を加えています。課題解決策については、少し現実場馴れしている印象もありますが、それだけ問題意識があるということの表れであるのかもしれません。
    若干、似たような内容が繰り返しているような部分も見受けられますが、能力主義を完全に否定するのではなく、よりよい制度に変えていこうとする著者の思いが伝わってきます。一朝一夕に変わることができるものではなく、国によって状況が違うため、難しい面もあるものの、今後どのような社会にしていくべきか、そのためのヒントがこめられている一冊だと感じました。

    ▼成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何かである。これが能力主義的倫理の核心だ。この倫理が称えるのは、自由(自らの運命を努力によって支配する能力)と、自力で獲得したものに対する自らのふさわしさだ。
    ▼自分の成功は自分の手柄、自分の努力の成果、自分が勝ち取った何かであるという信念だ。
    ▼高い教育を受けた者に政府を運営させることは、彼らが健全な判断力と労働者の暮らしへの共感的な理解ーつまり、アリストテレスの言う実践知と市民的美的ーを身につけているかぎり、一般的には望ましいと言える。だが、歴史が示すところによれば、一流の学歴と、実践知やいまこの場での共通善を見極める能力とあいだには、ほとんど関係がない。
    ▼人種差別や性差別が嫌われている(廃絶されないまでも不信を抱かれている)時代にあって、学歴偏重主義は容認されている最後の偏見なのだ。欧米では、学歴が低い人びとへの蔑視は、その他の恵まれない状況にある集団への偏見と比較して非常に目立つか、少なくとも容易に認められるのである。
    ▼非大卒者が政府にほとんどいないという状況は、能力主義時代の所産だ。しかし、先例がないわけではない。これが、大半の労働者が選挙権を手にする以前の状態への逆戻りだと気づくのは少々難しい。こんにちのヨーロッパ議会に高学歴者が多いという特徴は、財産資格によって参政権が制限されていた十九世紀末によく見られた状況に似ている。
    ▼優れた統治のために必要なのは、実践知と市民的美徳、つまり共通善について熟考し、それを効率よく推進する能力である。ところが、現代のほとんどの大学ではー最高の評価を受けている大学でさえーこれらのいずれの能力も十分に養成されているとは言いがたい。
    ▼不平等の解決策としてひたすら教育に焦点を当てる出世のレトリックには、非難されても仕方がない面がある。尊厳ある仕事や社会的な敬意を得る条件は大学の学位だという考え方に基づいて政治を構築すれば、民主主義的な生活を腐敗させてしまう。大学の学位を持たない人びとの貢献をおとしめ、学歴の低い社会人への偏見をあおり、働く人びとの大半を代議政治から実質的に排除し、政治的反動を誘発することになるのである。
    ▼消費者であり、生産者であるというわれわれのアイデンティティを仲裁するのが、政治の役目だ。ところが、グローバリゼーション・プロジェクトは経済成長の最大化を追求した結果、消費者の幸福を追求することになり、外部委託、移民、金融化などが生産者の幸福に及ぼす影響をほとんど顧みなかった。グローバリゼーションを支配するエリートは、このプロジェクトから生じた不平等に立ち向かわなかっただけではない。グローバリゼーションが労働の尊厳に与えた有害な影響に目もくれなかったのだ。

    <目次>
    序論ー入学すること
    第1章 勝者と敗者
    第2章 「偉大なのは善良だから」-能力の道徳の簡単な歴史
    第3章 出世のレトリック
    第4章 学歴偏重主義ー何より受け入れがたい偏見
    第5章 成功の倫理学
    第6章 選別装置
    第7章 労働を承認する
    結論ー能力と共通善

  • なぜ、イギリスはEUから離脱する選択をしたのか、なぜ、トランプ大統領が生まれたのか、に対する一つの答え。

    コロナ禍でエッセンシャルワーカーと呼ばれるようになった日常生活に欠かせないさまざまな現場で働く方達は、その社会貢献度に見合った、他職種より高い収入を得られているのだろうか。

    実は、経済的報酬は、需給で決まる価値に過ぎない。
    ヘッジファンドマネジャーが、教師よりはるかに多くのお金を手にするように、経済的報酬は、その仕事の社会における重要性や道徳的な功績とも、ほとんど関係がない。

    それなのに、つい、高収入は、高い能力、高い社会的功績の結果だと考えてしまい、そのような認識が、自分を苦しめているということに気づきました。

  • 新自由主義と能力主義が手に手を取って、グローバル化という船に乗りました。辿り着いたのは暗黒郷。そこでは誰かのために汗を流すのは愚か者、指先ひとつで自分のためだけのことをするのが賢い者とされ、愚か者は満足な暮らしどころか人としての誇りさえ持つことは許されませんでした。自由に能力を発揮しさえすれば人種や性別は関係ないことになりましたが、それはもっと深刻な差別と分断を生み出しました。しかも、それを解消することは金融経済という金脈をあきらめることを意味しました。賢い者の欺瞞に気づいた愚か者たちは、憎しみによって自分たちのリーダーを選びさえするようになりました。それが、アメリカという国でした。

    という話。
    根が深い。
    日本にはまた違った文脈があるようにも思える。

  • 単語の意味に難解な部分があり、序盤はやや理解に苦労したが、本編における課題の認識(能力主義の蔓延が産んだ現代の課題)とそれらに対する一貫性のある著者の見解により、中盤からは非常スピーディ且つ納得的に読み進めることが出来た。

    能力主義的な価値観がどのように生まれ、どのように肥大化してきたのがかわかりやすく纏められており、また歴史的、政治的等多岐にわたる分野からの見解も記されている点で、非常に学ぶ点が多かった。

    これらは、ある種避けられない価値観であり、改善に向けた明確な対処法も限られている点であることが一番の課題であり、本件の難しいところだと思う。

    個人的には次の2箇所が特に印象的だった。

    『プロテスタントの労働倫理は、恩寵と能力、無力さと自助の緊迫した対立として始まった。最終的に、能力が恩寵を駆逐した。支配と自己実現の倫理が、感謝と謙虚さの倫理を圧倒した。』
    『懸命に働き、ルールを守って行動する人びとは、その才能の許すかぎり出世できなければならない。能力主義エリートはこのスローガンを唱えることにすっかり慣れてしまったので、それが人を鼓舞する力を失いつつあることに気がつかなかった。グローバリゼーションの恩恵を分かち合えない人々の怒りの高まりにも鈍感で、不満の空気を見逃してしまった。』

    加えて、能力主義が駆逐してしまったとされる『労働の尊厳』も忘れてはいけないと思う。

    これからを生きる1人として、出会えて良かった本の一つです。

  • 貴族のみが大学に通えていた時代には庶民に成功の道は無かったけれど、現代は能力さえあれば誰でも大学に行き良い仕事に就き成功できるようになった。本書は一見すると平等で良い事のように思えるこの"能力主義"の問題点を指摘する。

    小難しい文章も多く、その辺は理解しようとせず軽く読み流したけれど全体的には目から鱗の面白さ。

    まず成績は親の収入に比例する傾向があるという身も蓋もない不平等な現実。勉強ができたのも努力できたのも生まれた環境によるものが大きいのに、人は運による成功でも、自分の努力によるものだと思い込む習性があり傲慢になる。そしてそれが富裕層と貧困層の断絶を大きくする。これは分かる気がする。

    現代のアメリカでは親の経済状態を子供が引き継ぐ率が高いので、貧乏で将来の見込みがない若者がアメリカと中国にいる場合、中国の若者の方が大成功する可能性は高いらしい。アメリカンドリームは今のアメリカでは中々起こせないという残念な話。

    じゃあ親の収入に左右されない完全な能力主義社会を仮に実現したらいい社会になるのかというと、成功しなかった者は能力が低い者という決定的な烙印を押されることになり、金の格差ではなく実力の格差を生むだけになるだろうと。その場合も結局、成功する能力を持って生まれるかの運勝負っていう。

    収入の高さこそが絶対と考える風潮にも釘を刺していて、需要と供給の関係で高い給料が貰えているだけで、高収入者が教師や清掃員よりも偉いわけではないっていう当たり前で忘れがちな正論も。成功者の傲慢化の話とも繋がっていて、確かにいわゆる成功者が収入でマウント取る姿はネットとかで見る。

  • たくさん論点がありましたが、印象的だった論点を3つ、自分が見返す用としてメモします。

    1.機会均等は大切。だがそれだけでは平等は達せられない。
    ・「能力主義による社会は、"平等な社会"ではなく、"能力に基づいた不平等"に合意する社会である」と言う視点で見ることができる(一方、世襲制の社会は"資産に基づいた不平等"に合意する社会)。
    ・能力主義の社会は、勝者には都合が良い社会だが、敗者には自責を強いる残酷な面を併せ持つ社会。

    2.意思決定者に偏りがある民主主義は、機能することが難しい。
    ・現代は、学歴に偏りがありすぎている。トランプ元大統領当選の理由の一つは、学歴差別への反発
    ・リンカーンの時代は、意思決定者に今ほど学歴の偏りがなかった

    3. 「出世しようがしまいが、尊厳と文化のある生活を送れること」の実現に向かうことが、分断を避ける道となる可能性がある。
    ・「尊厳と文化のある生活」とは、例として「仲間の市民と公共の問題について熟議し」と本文中にあったため、「自治をしている感覚」「自分たち市民が政治に影響を与えられると感じられる感覚」「自分の意見を蔑ろにされずに議論できる感覚」を筆者は想定されているのかな、と私は思いました。

    ・本書全体を通して学歴差別が大きな問題として取り上げられており、1&2への解決策として筆者は、「その大学での講義についていける」という一定水準の選考を通過した者の中から、抽選で大学の合格者を決めることを挙げています。
    ・抽選制を組み込む利点として、
    -若者にストレスを与える受験準備を緩和することができる
    -親が大学卒で親から勉強等を教わることができたり、親が資産を持ち家庭教師等についてもらえること等による有利さが、抽選だと合格に影響を与えづらくなる
    という点を挙げています。

  • たかがGoogleのことを「グーグル先生」などと呼んでいる場合ではない。サンデル先生の本を読もう。「正義の話をしよう」もそうだったが、深く考えるというのはどういうことなのかということを学べると思う。

    この本の場合は、タイトルのとおり、能力主義(功績主義)について様々な角度から論ぜられている。

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

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