実力も運のうち 能力主義は正義か?

制作 : 本田 由紀 
  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152100160

感想・レビュー・書評

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  • 貴族制度よりは能力主義のほうがまだマシだが、現代では能力主義の負の側面が拡大し、学歴を得られず敗者として位置づけられた人々の尊厳や機会が奪われている。
    エリートのおごりと労働者階級の不満が、トランプ大統領やイギリスのEU離脱を産んだ。

    能力主義の場では、生まれつきの環境で多くの事が規定され、格差の拡大にも繋がりやすい。
    たとえ才能に恵まれていても、生まれた環境によってはその能力を育てる事もできず、進学もできない。
    まさに親ガチャ。

    また、勝者として位置づけられた人々も、受験戦争・出世レースで消耗させられている。

    これらの問題提議にとどまらず、それを解消するための案まで提示。

  • 「運も実力のうち」ではなく、「実力も運のうち」である。似ているようで全く非なるもの、そして本書の核心でもある。

    副題にもある能力主義について、著者の専門である政治哲学から宗教、学歴主義、大学入試、経済、労働と様々な分野における現状と弊害が分かりやすく説明されている。

    日本でも不寛容社会と言われて久しいが、原因はこの能力主義にあるようだ。"自分が努力して得た成功は自分の手柄であり、失敗は自分の責任''
    最近では某メンタリストがとんでもない発言をしたが、この能力主義的思考が根底にあることは想像に難くない。

    また"能力主義の理想にとって重要なのは流動性であり、平等ではない。不平等を正当化している。"との説明には盲点を突かれたというか、確かになるほどなと納得。生まれてから能力主義の中で育った私は、能力主義が平等で当たり前だと思っていたが、能力主義は機会の平等は謳うが結果については平等など求めていない。しかもその機会の平等もうまく機能していない状況だ。

    著者がハーバード大学教授である事を鑑みても、本著が主にエリートへ向けてのメッセージなのだろうとは思うが、エリートがこの能力主義的思考を改めるのは相当難しいだろう(エリートはエリートで相当の努力をしてその地位についたのだから)。ましてや社会の能力主義に根差した政策や風潮、市民の(自虐的)思想まで変えるのは容易ではない。
    それでもなお著者はいくつかの対処策を提案していて、そのうちのどれかはいつか実現されないか…と期待をもってしまう。
    (大学入試において適格者をくじ引きによる合否決定するなんて、実現は難しいだろうが著者が説明する理由(適格者の中でどの若者が将来真に傑出した業績を挙げるか正確に評価するのは不可能)には納得)

    本編にも結論にも幾度となくでてきた「共通善」をより理解したいので、著者の別の本も読んでいきたい。

  • 初めてのサンデル教授の本。とても面白く、モヤとしてたことがよく理解できました。じっくり読んでいます。
    とくに、トランプ氏が大統領選挙に勝った2016年。忘れられていた白人レッドネック、ラストベルトエリア。。に支持された。という分析がたくさんありました。なんとなくわかった気になってました。
    ただ、ヒラリーがハイブロウすぎてソッポをむかれた、その理由がちょっとよくわかりませんでした。
    この本では、それが能力主義(機会の平等)が、すでに上手く出世できた人たちの、できなかった人たちへの侮蔑につながり、さらに逆転不可能(固定)されてるからだと説明されており、とてもよく理解できました。
    大学卒でない白人の2/3がトランプに投票した、大学卒以上の70%はヒラリーに投票した。p153近辺「所得よりも学位が投票を分断している」
    分断・トランプの登場の理由を「学位偏重主義」においているのが、この本のテーマです。
    米国民主党・中道左派が、「機会の平等」の解決策として「教育」を掲げてきたことも、データをもとに語られています。日本でもよく識者・経営者が「教育」を語りますが、その源流をみた気がします。
    結局、学位と出世が既得権益になる。出世できた人は、機会平等下の「自助」=努力の証と、自らを誇る。そこまでなら、いいのですが。。やってはいけないことに、そこに到達しない人たちを侮蔑する。日本でもたまに噴出する生活保護受ける資格ない、潰れる店は努力不足といった自己責任問題がありますが、それと同根でしょうか。
    サンデルは、そうした学位・出世した機会平等下のエリートたちに、「あんたがいい大学入れて出世できたのは、親が金持ちとか最初からゲタはいてたからでしょ」ということを主張します。
    だから、「大学入れず、出世できなかった人を馬鹿にしていいはずはないだろ!」ってことを述べたかったんだと思います。
    p152近辺に、労働者の味方だった米国民主党、英国労働党が、どんどん知識階級の党になり、労働者の票を失った結果、ポピュリズムとして愛国・右派に票が流れている。「民主党・知的エリートよ!そんなんで世の中いいの?」という分析です。
    日本に置き換えたらどうなのか?考えてみたくなる時に、とても助けになるフレームワークだと思いました。
    上述した日本の「生活保護」の問題も、数年前某芸人さんが未払い問題で叩かれました。しかし、数週間前ユーチューバー(メンタリスト)さんが叩かれた時は、まさにサンデルさんが言わんとしてた、成功者が上から目線で下を叩いてはアカンだろ、という風潮で、下を叩いてたユーチューバーが世間からバッシングされました。これってサンデルさんの主張の先を行ってるのか、それともトランプ現象が遅れて入って来てるのか。。その辺も考えてみたくなりました。
    それと、昨今メディアを賑わす「東大」ブランド話。。日本ならではの展開、進行、分析しがいがありそうです。

    どのページだったかあのオバマ大統領も、任命したスタッフの大部分はアイビーりーグ出身。ということも書いてありました。あのオバマさんも、この能力主義に囚われているのか、、、というのは驚きです。そしてバイデンさん。数十年ぶりのアイビーリーグ以外の大統領らしいですが、これは、サンデル視点では米国社会がバランスを取ってると言えるのか。。今後どうなるのか?諸々考えが広がる本でした。ということは、とてもいい本であると思います。

    ちなみに、原題にもある"Merit" 。語源を引くと、こんな風に出てきます。本の中では「功績」と訳しています。日本語の「メリット」とは違いますし、的確な訳が難しいですね。自分の努力を世間で認めてくれた、その証みたいな感じでしょうか。勲章・認定証・資格。。。
    "The noun is derived from Middle English merit, merite (“quality of person’s character or conduct deserving of reward or punishment; such reward or punishment; excellence, worthiness; benefit; right to be rewarded for spiritual service; retribution at doomsday; virtue through which Jesus Christ brings about salvation; virtue possessed by a holy person; power of a pagan deity”)"

  • 能力とは何か?功績とは何か?
    どこまで個人の範疇で、どこまで社会の範疇か?
    能力主義は必ず勝者と敗者を生み、敗者には屈辱や怒りが生まれる。
    それが表面化したのがトランプの勝利である。
    専門家による政治(テクノクラート)は民主主義の範疇なのだろうか?
    不平等を社会的流動性でカバーするアメリカンドリームはもう機能しておらず、世界的にもそんな国は一握りである。
    高等教育を重視すればするほど、不平等を個人の能力の問題に落とし込み、敗者の自己責任にしている。
    そして、現在の政治は高等教育を受けたものが占有しているのが現状である。
    所得、人種など広い意味の多様性を共有する公共の場を作り、互いに尊重できる条件を作ることが有効である。

  • 「能力主義」の是非を問う一冊。課題の出発点は、いわゆる社会的エリートと言われる人々は、自身の地位や仕事の業績は「努力して能力を磨いた」からだと言う。その地位を手に入れるために超有名難関大学に入学・卒業できたことも「受験勉強を頑張ったから」と言う。身分や人種ではなく、努力の上に成立していると言う主張。一方、難関大学に入学できるのは、一定の世帯収入がある家庭の子女がほとんどであり、最下層からのしあがることはほとんどない(この傾向は日本でも見られる)。これにより、社会的地位が固定し世襲化する能力貴族社会が到来している。つまり、「高等研究・高等教育機関であり、努力の結晶・成長のきっかけを掴む場所・誰に対しても能力を生かす学びを提供する場所」である大学が序列メーカー・世襲能力貴族の製造装置となっていると言う現実。

    では、真に才能や努力のみを評価し、それに報いる報酬体系を実現することが幸せな社会かというと、これは別な話。むしろ、この社会で結果を出せなかった人は、それを運や家庭環境、DNA、人種や性別が理由ではなく、純粋に本人の努力が足りなかったからというレッテルを貼られる、むしろ究極の格差肯定・差別社会となる危険性を孕んでいる。

    サンデル教授の解決策は、水平的多様化を尊重し、共通善や道徳教育から出発すると言うもの。さすが共同体主義者と思うし、わからないでもない。前半でこれだけ課題と現状を分析した割に、解決策としては抽象的でやや物足りないが、米国だけでなく、日本でも定着しつつある格差社会や政治の機能不全を原点から学ぶことから始めないとということか。

    個人的には、努力に報いる・頑張った奴が出世するということについては全面的に賛成。ただ、同時に全ての個人の尊厳を尊重するということは別問題として考えなければならない。どう頑張ってもできないことで、人としての尊厳を損なわれるのは受け入れられない。植物の種がたまたま落ちた土地で芽を出し、日当たりの良い場所だなあと思っていたら、建物が建っちゃって陽が当たらなくなることだってある。もちろん努力はするのだが、置かれた場所で咲くしかないのだ。

  •  培われた能力は本人の努力だけでなく、その人の出自、家庭環境などの環境に依るところもあるのに、そのことに無自覚な一部のエリートは能力のない者を「努力不足」と一蹴し、社会で分断を生んでいる…という話。
     イギリス、オランダ、ベルギーで行われた調査(その後アメリカで似た調査を行っても結果は同じ)で分かった、大学教育を受けた回答者は教育水準の低い人々に対するマイナス感情が、その他の不利な立場にある人々(宗教や人種、貧困、身体的不利など)よりも大きい、という結果が印象に残った。人種差別やジェンダー差別などは許されないという真っ当な価値観が共有され始めている中で、最後まで許される差別が学歴である。なぜならそれは個人の努力次第だからである、という考えが透けて見える結果であった。
     世の中には「努力すれば願いは叶う」なんてとてもじゃないが考えられないという人がたくさんいる。そのことに思い当たらない傲慢さは社会に軋轢を生む、ということは当たり前といえば当たり前だと思う。

  •  「能力主義」を疑え。

     なぜトランプ政権が誕生し、ブレグジットが起こり、世界各地でポピュリストが支持されるようになったのか? そこに、自らに尊厳を持てなくなった人たちの存在を見る。そしてそれは、「能力主義」を推し進めてきた結果なのだという。
    「勝者は自分たちの成功を「自分自身の能力、自分自身の努力、自分自身の優れた業績への報酬に過ぎない」と考え、したがって、自分より成功していない人びとを見下す事だろう。出世できなかった人びとは、責任は全て自分にあると感じるはずだ。」そしてそれが学位を持つものと持たないものの決定的な断裂を生んでいるのが、現在のアメリカ社会という。

     最後に著者はこう書く。「人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分の力だけで身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ・・・」「能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ」

  • 本田氏の解説にあるように能力を功績と読み替えて読んだ方がもっと分かりやすいような気がした。能力には潜在的な意味の方が強いような気がするので。
    訳はともかく、メリトクラシーの問題についてうなずけることが多い。オバマ大統領がスマートという言葉を何回使ったかなど、細かい指摘もあり、色々な角度からアプローチしている。ついついこういう問題は経済問題に向かうような気がしていたが、正義や人間の尊厳の問題にむかっていて、さすがだと思った。

  • 学歴偏重社会の弊害については、資格のある学生の中からクジ引きで合格者を選別するというアイデアが新鮮に感じた。議員についても選挙ではなくクジ引きで当落を決める等の実験的手法が提案されているが、そうした偶然性を織り込ませることで、世の中に一定の余裕や豊かさが生まれるのではないかという考えには共感する。
    最後の章の労働への承認については、給与税減税や逆に低所得者への給与補助というアイデアが示されるが、社会の共通善への労働を通じた貢献を考える際に、こうした金銭を持ち出す取り組みは矛盾しないのだろうか?或いはプロスポーツ選手の高額報酬に対して「金額が問題ではない、プライドの問題なんだ」とのコメントが紹介されるが、ここでもやはり結局は年俸の額面が焦点になる。
    承認と金銭的報酬の分かちがたく結びついた関係に、著者でさえほぐしきれない難しさを感じてしまう。

  • 激しく難しい。
    特に第五章のハイエクとロールズ批判の章。とてつもなく微妙なニュアンスの相違を巡る議論で、とても深いところまで込み入っていてついていけない。
    7章で、どういう労働が承認と評価に値するか、という問題が、我々は市民として互いに何を負っているか、という問題と関連していると言う。社会的な承認や評価は、その共同体における価値観や共通善の観念が、市民たちによって共有されていなければそもそも出来ないからだ、というまぁ至極もっともな話ではあるのだけれど、どうも違和感がある。素直に受け入れられない。
    あらゆる市民は何かしら、必ず共同体に属しているしそれに対して何かを負っているという前提が、どうしても嫌な感じがする。戦中の超国家主義であるとか今の中国で進みつつある事態のような、共同体と個人とを天秤にかける(その上で共同体を優先し、個人の自由を奪う)ような思想に転落しかねない危うさが、プンプン漂っている。
    サンデル先生自身の思想の危うさというわけではなく、それが危険な方向へ誤解されやすそうだといえ危うさ。

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

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