飛ぶための百歩

  • 岩崎書店
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感想 : 44
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784265860296

作品紹介・あらすじ

中学を卒業したばかりのルーチョは、5歳の時に失明した。だが世界は消えていなかった。
周りの目が気になり素直になれない中、無口な少女キアーラと出会い、大切な何かに気付いていく…。
大人への一歩を踏み出す少年少女の成長物語。

10代から大人まで読んでもらいたいイタリアの児童文学作品。

感想・レビュー・書評

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  • 5歳のときに視力を失った14歳の少年ルーチョは、叔母のベアとともにアルプス山脈の<百歩>という名前の山小屋を訪ねた。あらゆることに器用に対応する彼は、そのために人の手を借りることを極度に嫌い、登山の際も、ベアとスカーフで繋がるのみだった。山小屋で彼は、同い年の少女キアーラと山岳ガイドのティツィアーノと出会い、翌日彼らとともに<悪魔の頂き>にワシのひなを見に行くことになった。ところが、山が苦手なキアーラも頑張って登ったものの、ひなは見当たらない。巣立ったものかと思ったが、巣の近くにロープが残されており密猟だとわかった。

    人に頼ることに極度の嫌悪を持つ少年が、人とのつながりに喜びを見出す姿を、アルプスの美しい自然を背景に描いた物語。




    *******ここからはネタバレ*******

    まず、ルーチョの能力の高さに驚きます。目の見える人でも山歩きの足元には気を使うのに、それをスカーフ一枚や登山用ストックで乗り越えてしまうとは。
    叔母のベアの行動も大胆です。歩けなくなったときに山歩きの苦手な同い年の少女キアーラに彼を託すなんて。しかもキアーラは崖崩れして道が失われたところを彼と歩いているわけで、なんちゃって山女の私としては、「良い子は決して真似しないで」と言いたい。いやー、ここでは、「勇気ある撤退」でしょ。そう思う私はチャレンジ精神を失った人でしょうか?
    いや、そもそも登山の前夜に大雨があったんだから、道が悪くなっていることは予想してなくちゃね。

    挿絵が、可愛いのに残念です。
    36ページ「長いすの背もたれに手を置いた」とありますが、絵の長椅子には背もたれがありません。
    また、ベアとルーチョの飲み物はアイスティーのはずですが、紅茶のキアーラと同じカップが描かれています。
    ケーキの置き方も反対じゃない?と思いはしますが、もしかしたら、イタリアではこう置くのかも知れません???
    表紙の絵も逆ではないですか?彼がスカーフを巻くのは左手だったような?でもそうすると見開きで続けて絵が描けませんね。

    154ページと短い物語りの中に視覚障害者の想いや思春期の少女の気づまり感、猛禽類の盗難と密輸等多くのエピソードを入れたためか、特に後半部分はストーリーを心情説明で終わらせている感が目立った(特に110~111頁、146~147頁)。

    ルーチョにとって山は心地良いものであるはずなのに、あの悪夢の原因はなんだったのか?
    飛べなかったから?
    ラストでは飛べた。なぜ?何を乗り越えたから?盲導犬のアストラを?
    ???
    私の読解力では解けない疑問です。


    表現は平易で、刺激的な描写もないので中学年から読めると思います。

    • 図書館あきよしうたさん
      hanabiyahanaさん、コメントありがとうございます。

      私も、わからないんです。
      作者が描きたかったのは、お互い助け合うことで...
      hanabiyahanaさん、コメントありがとうございます。

      私も、わからないんです。
      作者が描きたかったのは、お互い助け合うことで得るものもあるということだったのではないかと思うのですが、最後の「飛ぶ」場面は、彼の悪夢を祓うための幻想だったのかも知れませんね。
      2020/05/18
    • hanabiyahanaさん
      図書館あきよしうたさん、お返事ありがとうございます。「悪夢を祓う幻想」、確かに途中で悪夢が出てきますね。あの悪夢のよくわかりませんでした。レ...
      図書館あきよしうたさん、お返事ありがとうございます。「悪夢を祓う幻想」、確かに途中で悪夢が出てきますね。あの悪夢のよくわかりませんでした。レビュー中のイラストのことなど、とても参考になりました。
      2020/05/18
    • 図書館あきよしうたさん
      細かくてごめんなさい(汗)です。

      日本人の挿絵は、可愛いものが多いのですが、物語と合っていないと、ちゃんと読んでいないなぁって残念にな...
      細かくてごめんなさい(汗)です。

      日本人の挿絵は、可愛いものが多いのですが、物語と合っていないと、ちゃんと読んでいないなぁって残念になるんです。こう、自分の世界で作られた絵と違って、うまくはまらない。そうすると、私のイメージと挿絵とどっちが違うんだ?と思って読み直すんです。特に子どもにすすめる「選書本」の編集対象として読むときには、それが選書本に入れるか外すかの判定に関わることもあるので(絵本の場合は内容と絵が違ったら、完全アウトです。こどもが迷いますからね)。

      多分、普段楽しみで読むときには読み飛ばす(見飛ばす)んでしょうけど。

      ご意見伺えて嬉しかったです。

      またいろいろお話させてくださいね。
      2020/05/31
  • 第66回(2020年)青少年読書感想文全国コンクール 小学校高学年の部 課題図書。


    表紙画・挿画が、イラストレーターのまめふくさんなので、今さらだが読みたくなった。

    イタリアの児童文学。
    民話以外で読むのは初めて。


    5歳で視力を失ったが、そのことにより得たもの(鍛えられた鋭敏な聴覚や嗅覚、洞察力)に注力し、頑固なまでに自分の力で生きようとする14歳の少年ルーチョと、学校では自分をうまく出せずに孤独だったやはり14歳の少女キアーラがアルプスの山小屋で出会う。
    家族にもどうすることも出来なかった、2人の心の奥にあるわだかまりが、短いけれど濃密な時間を共に過ごすことで、解かれていく。

    余談だが、ルーチョって英語のルートのことかな?
    キアーラは、確か輝きだったと思う。
    名前も本来の2人の姿を表しているようだ。

    人間は目からの情報に頼り過ぎなのだろうなぁ。
    ルーチョは5歳まで視力があったので、その頃の記憶から映像への変換能力も高い。そして、聴覚、嗅覚、触覚といった感覚が研ぎ澄まされていて、いわゆる健常者よりも、多くの情報を感じとっているようにみえる。
    同じ世界にいても、受け取る情報が違う。
    それは悪いことばかりではない、と思える。

    そう思えるのは、主人公がまだ幼く、柔らかい心の時に視力を失ったため、変化した世界を受け入れられたから…?
    実は、ここ数年聴力が落ちて中等度難聴者になってしまった自分は、更年期も相まってかなり後ろ向きな気持ちなのだ。
    こんな風に、考えを変えられたらなぁ…。


    イタリアアルプスの木々の緑、澄みきった空気、美味しいパニーノ!
    こんな自然の中で少しでも過ごせたら、体の中の毒素も後ろ向きな自分も捨てられそう。

    2021.6.26

  • タイトルがいい。
    前向きでメッセージ性がある。
    小学校の読書感想文の課題作品だったので読んだが、大人が読んでも楽しめる。

  • 目が見えなくなることは、私にとって、すごく辛いイメージがあり、実際にちょっと目を瞑るだけでも、ものすごい不安を覚える。

    でも、それって、本当に見えないわけではないから、真意を理解することにはならないのですが、目の見えない人全てが、辛い気持ちで生きているわけではないことは、この物語が教えてくれました。
    悲観的になるよりも、それに合わせた生き方を考えることの大切さを。

    この物語の主人公「ルーチョ」も、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされることで、自然や動物を愛し、山登りを楽しんでいます。

    しかし、彼はそれ以外の世界が、あくまで目の見える人の為に作られた世界であることを痛感し、彼の中でも他人に迷惑をかけたくない気持ちが強くなることで、人に助けを求めず、意地を張る姿が目立つようになりました。

    所詮、目の見える人たちに、自分の辛さなんて分かるわけがないと思い込んでいたルーチョですが、そんな彼の考え方を見直すきっかけとなる、ある出来事が起こります。

    それは目の見える人の言葉ですが、それでもルーチョは他の人のそれとは違う、共感に近い感覚を覚えます。

    なぜか?

    私の中の固定観念も、度々見直さなければいけないと思ったのですが、「目の見えないこと」が最も辛いこととは限らず、人の数だけ、その人自身にしか分からない辛さがあるということだと、私は思いました。

    誰にも言えなかった、辛い思い。
    でも、その勇気を振り絞っての心からの声に、ルーチョはきっと心の奥深くに響くものを感じ取った。

    そして、その瞬間、世界の広さを改めて実感し、自分だけが辛いのではなかった、心強さを得たのだと思います。

  • 多言語翻訳ルートマップ! ~JVTAから飛び立ったマルチリンガルたち~ 〈イタリア語の映像翻訳〉 — 字幕翻訳・吹き替え翻訳 日本映像翻訳アカデミー|映像翻訳 翻訳学校 翻訳受注
    https://www.jvta.net/tyo/multilingual2021-4/

    飛ぶための百歩 - 株式会社岩崎書店 このサイトは、子どもの本の岩崎書店のサイトです。
    https://www.iwasakishoten.co.jp/smp/book/b458746.html

  • 眼が見えない障害を持つ少年ルーチョは誰かに手を差し伸べられるのが嫌で素直になれない。可哀想とかお荷物と思われていると感じる事があるから。
    キアーラは外では自分らしくいられないと苦しんでいた。「ルーチョには『できないこと』には理由がある。でも私は自分がどうしてできないのか理由さえわからない」と。
    思春期真っただ中の子どもたちは、障害があっても無くても、同じように胸の中に苦しみを抱えている。
    二人を出会わせることで、障害もひとつの個性と捉えられたら、遠慮や躊躇の壁を飛び越えられるのではないか、と作者の思いを感じる。
    ルーチョは眼は見えないが、聴力、記憶力、臭覚、素晴らしい能力で活躍する。

    密猟者たちに狙われる巣立ち間近のワシの雛の話と、14歳の子どもたちの話を合わせることで、大きく未来に向かって羽ばたくラストでした。

  • 簡単に言うと盲目の少年の精神的自立を描いた作品。
    全盲のルーチョは14歳。自宅は自由に動き回ることができても、外では人の助けなしには行動出来ないことを悔しく思っている。そんな彼に自然を感じてもらおうと、叔母のベアトリーチェがアルプス登山に誘う。山小屋の主の孫娘キアーラは、本当の自分が出せず、学校になじんでいない。この三人と山岳ガイドのティツィアーノが鷲の巣を見に行くことになる。一方、密猟者二人も鷲の雛を盗むため、同じ巣を目指していた。

    割と短いので読みやすく、上手くまとまっている。絵(まめふく)も可愛いし(でも、短パン生足で登山はしないから、そこはマイナス)、まあ、悪くはない。
    しかし、人にいちいち頼むのはうんざりだという障害のある少年の話なら『テオの「ありがとう」ノート』があるし、自分に価値を見いだせない思春期の少年(少女)が山で自分の長所を見出し、自信を取り戻す話なら最近では『ぼくたちのP』がある。
    この3冊なら、テオが一番良いと思う。
    この本で出てくる密猟者2人組は、物語のために作られた人物という感じで、現実味がなく、漫画みたい。(そのマヌケぶりからも、タイムボカンのワルサー、グロッキーコンビを思い出した。)
    襲われる鷲の一家も擬人化されていて、ここは思春期の子どもが読むには子供っぽいなあと感じた。
    ラストはなかなかよいのだけど、強く若者に薦めたいという程でもなかった。
    パニーノは美味しそうだった。さすがイタリア。

  • 数ページで、好きになった。静かでいて、音楽のような森の描写が美しい。できないことは恥ずかしいことじゃない。

  • ルーチョの感覚や心理がはっきり表現されていて、文もすっきりとしていて、読みやすい。

  • 目が見えないことがどういうことなのかを伝えている。よくある話だけど、目が見えないから他の感覚が研ぎ澄まされるというやつ。実際はそうならざるを得ない部分が大きい。
    意外と目が見えない人って人生楽しんでるだよなぁ。帰って余計なことは見えない方がいいのかな。周りを見ると目で見る娯楽ばかり。いらない物もたくさん見ているんだろうか。目だけに頼らないように生きたい。

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