カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
- 光文社 (2007年7月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751333
感想・レビュー・書評
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暫く間が空いたが、今日5巻を読み終えた。感想は?と聞かれると少し躊躇する。あまりにも表現が、気持ちが、そして神とのつながりや断絶が強すぎ、理解できない部分が多い。作者の神経の繊細さと激しさ、愛への狂おしいほどの猛進。兎に角もう一度読まないと理解は半分かもしれない。ロシアの人名や地名の難しさ。特に人名は下を噛みそうだし、相性と正式な呼び名の違いに混乱する。また、いつか読み直してみようとは思う本だ。
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エピローグ。
ドミトリーとカテリーナの和解。
(引用)こうして二人は、ほとんど意味もなく、狂おしい、ことによると真実とかけはなれた言葉をたどたどしく交し合っていたが、この瞬間にはすべてが真実であり、ともにひたむきに自分の言葉を信じていたのだった。
この二人はその場の情熱で自分にも嘘を吐くし、似たもの同士なんだろうね。裁判でのカーチャの虚偽発言が有罪に導いたのは間違いないし、ミーチャは甘んじてそれを受け入れようとしているということか。
そして、イリューシャの葬儀で幕。書かれなかった第2の小説に繋がる箇所。
その後は亀山先生の解説。ドストエフスキーの生涯と評論「解題」。
ドストエフスキーはギャンブルが止まらなかったり、かなり破滅型の人だったんだな。恋愛についても(闘争の中で、奪われるという予感の中かでしか人を愛することのできないマゾヒスト)とあり、大作家はかなり問題のある性格と知った。
亀山先生の解題には、自分の読みの浅さを思い知らされた。全部書いていると限がないので、心に留めておくところを幾つか記す。
・記述のポリフォニー性。登場人物を光と影から交錯させ、作者の一方的なまなざしを許さないとある。
・破天荒なミーチャの行動に目が行ってしまうが、事件の罪人イワンの隠れた悪魔性が主題だったと思う。実行犯スメルジャコフが彼の深層心理を体現したばかりでなく、少女リーザの変身はイワンの関係性に起こっている。これは完全に読み落としていた。スメルジャコフとリーザと彼の幻影である悪魔もイワンの分身ということなんだろう。
・大審問官の説話は教会批判でキリスト批判ではないと思ったが、キリストと思しき「彼」は言葉を発していない。悪魔と手を組んだと自白する大審問官に接吻するだけ。この接吻とこの話の後にアリョーシャがイワンに与えた接吻の意味を亀山先生は注目する。アリョーシャの意味とイワンの受け取った意味が同一でないとの示唆。
・イワンは、神がなければすべてが許されている、という。スメルジャコフはそれに従う。では、神がいたならば。これがイワンの精神病を引き起こす。エピローグではイワンの命が尽きようとしていることが告げられるが、第2の小説での登場は想定されていなかったのだろうか。
・この長編の自伝性についてドストエフスキー自身の内なる父殺しについては、NHKの100分de名著でも亀山先生レクチャーしていた。それから考えても、やはりイワンを一番の主役なんだろうな。ミーチャは父の死について、特段の感情持たなかったようだし、アリョーシャには長老ゾシマの死の方が重要だったろうし。
面白かったけど、かなりの難物。いつかは再読しようと思う。 -
エピローグと解説だけで一冊。
他の小説なら考えられないけれど、4冊分高嶺を乗り越えた心持ちでは当たり前に感じてしまう不思議。
一言では語り尽くせない作品です。
作者が伝えたかったことは何なのか?
メインテーマは何なのか?
少なくとも犯人を当てるだけのミステリーでも、理想的な宗教物語を現代風に語りたい訳でもないことは分かります。
そこから先を、藪に踏み込むように進む重労働が、この本の特長といえるでしょう。
おっ、イリューシャのこのワンシーンは、ゾシマ長老のあのシーンとかぶってるぞ。そうつかの間喜ぶも、2000ページある中のほんの数行です。まだそれを翻す発言があるかもしれない。1万ピース超えのジクソーパズルに手を出した気分になりました。
大層辛そうだな、と思われるかもしれませんが、それは人それぞれです。
表面的でない、肉厚な人物像を前にして読み解こうするか、よくわからんと投げ出すか。スルメを一口で飲み込もうとするなら止めておくのが無難です。
読後感がパチパチと長続きしているので、この後YouTubeの解説にも手を出してみようと思います。
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本編からはちょっと空いてしまったけど、これでとうとう、本大長編を読了。正直、本編の後半とかと比べると、本補足版はあまり楽しめなかったけど、後半の訳者による解題は熱量が圧巻。自身のあとがきでも書かれているように、それだけで新書何冊分、みたいなインパクト。細かいところは結構忘れてたけど、裏に秘められていそうな情報とか、結構読み応えもあった。書かれなかった第2部ありき、っていう読み方が望ましい物語なのね。あと、前半でかなり辛い章があったけど、やっぱりそこで挫折する人が多いってことも書かれていて、変な話、ちょっと安心しました(笑)。読みやすく訳した、って書かれていたけど、それでも十分キツかったです(苦笑)。
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読み終わった。この本は、何をテーマにしていたのだろう。多くのことが思い起こされるが、人生と同じく、一度は考え、悩むことがたくさん盛り込まれている。そこに、裁判という小説としてのエンターテイメントも加えられている感じがした。
伝えたいのは、ドストエフスキーの思想。それをエンタメ作品にのせて吐き出した?
あまりにも評価が高いだけに、どう言っていいのかわからないが、素直に言うなら、もう一度読みたい。訳もわからず読み進めた部分、得に登場人物の深層心理を理解を深めつつ、状況の進み具合を把握しつつ読んだら、もう少し物語に没入して楽しく読めそうだ。 -
最終巻はエピローグが数十ページ。残りの大部分は解説となり、ドストエフスキーの生涯、解題、訳者あとがき。
エピローグのみ別巻とする配分は初めてらしい。気になる登場人物たちのその後は、アリョーシャと少年たちの未来を予感させて終わる。続編が予定されていた本作だが、刊行直後に作者が亡くなってしまい執筆されずに終わった。13年後のアリョーシャを見てみたかった……。
エピローグ部分は短いのですぐ読み終わる。その後の解説などは必ずしも読む必要はないのかもしれないが、読み飛ばす人は意外に少ないのではないか。圧倒的なエネルギーを持つ本作を読み解くには、何がしかの思考補助が有用で、訳者・亀山郁夫先生の「解題」は非常に大きな助けになった。
とても長い小説でありながら、多くの人に読まれ続ける『カラマーゾフの兄弟』。圧巻のラストを目の当たりにして、やはり人類の至宝といえる文学のひとつなのだと強い確信を抱いた。 -
ついに読み終わりました。
読み終えた自分を褒めたいです。
後半はとても面白く読めましたが、
それでも難解で、解説を読んで補っています。
登場人物が一筋縄ではいかない感情起伏の激しい人々ばかりの中、アリューシャは、ホッとする存在でした。最後の言葉が意味するものは何なのか?
しばらく考えています。 -
本編は全体の一割ほど。あとは解説。
解説を読むと、本編をもう一度読まねばという気になる。