罪と罰 (3) (光文社古典新訳文庫 Aト 1-9)

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  • Amazon.co.jp ・本 (536ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751845

作品紹介・あらすじ

殺人を犯した者の詳細な運命がつづられる最終巻。ラスコーリニコフをはじめ、母、妹、友人、そして娼婦ソーニャなど、あらゆる「主人公たち」が渦巻きながら生き生きと歩き、涙し、愛を語る。ペテルブルグの暑い夏の狂気は、ここに終わりを告げる…。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かったなー!

    分からないところもあった
    率直に言ってたくさんあった
    でも面白かった、かなり面白かった
    どうせ難しいだろう、理解できないだろうという思い込みで世界を閉じずに、これからも色んな古典に挑戦していきたいと思いました
    改めて目を見開かせられた転機の一冊になりそうですね
    日本の古典も読み直したいと思いました
    夏目漱石とかね

    さてドストエフスキーに話しを戻して自分なりの解釈というかそんなんを書き綴ってみたいと思います
    なんかてんで見当違いなことを言うかもしれませんが、多くの研究がされつくしているこの名著に果敢に挑むど素人の姿勢を評価してほしい
    今は甘やかす時代なのです
    またこの先幾ばくかのネタバレも含まれておりますが、この世界的古典の名作にネタバレもないよなという思いからこのまま行きます

    やはり『罪と罰』ですから、何が罪で何が罰かってところだと思うんですね

    まずは裏の主人公とも言えるスヴィドリガイロフですが、なんとなく妖しい、女たらしで主人公の妹ドゥーニャにしつこくつきまとい、妻を殺した疑われていますが、実はこの人確定的な「罪」は 何ひとつ語られていないんですね
    しかもピストル自殺の直前には娼婦のソーニャとみなしごとなったソーニャの妹弟にお金を渡すという善行も行っており、ラスコーリニコフの「罪」についても結局告発せずに死んでいきます

    実は善人だったのでは?なんて陳腐なことを言いたいのではありません
    めっちゃ悪人だったのだと思います
    事実偶然知ったラスコーリニコフの「罪」を利用してドゥーニャを脅したりしてますからね

    だけど悪人であることを自覚しつつも、そんな自分に 嫌気がさしていたんじゃないでしょうか
    生まれ変わりたいと心のどこかで思っているのに自分ではどうしようもなく同じことを繰り返してしまう
    どうしていいか分からなくなったときに純潔なドゥーニャと結ばれることが自分の「再生」の道と信じたのではないでしょうか
    そしてドゥーニャに はっきりと拒絶されたことで自分の思う「再生」の道が絶たれたと絶望したのではないか
    そして自分の生き方に「罰」を与えたのではないでしょうか

    そして主人公ラスコーリニコフです
    物語の最後まで定まらず、思考も評価も大きく振れまくります
    彼の「罪」とは何だったのでしょうか
    もちろん2人の女性を非常に身勝手な理由で殺害したことは大きな「罪」ですが、ドストエフスキーが彼に背負わせたかった「罪」はそれだけだったのでしょうか?
    自分は 「人間」そのものを代表させたかったのではないかと思うのです

    人間というのはとても謎の多い種だと思うんですよね
    人間の持つ身勝手さというか、揺れまくる思考とか、あととんでもなく残酷なことを正義と信じこんで実行しちゃうところとか
    もういろんな、なんでそうなるの?って同じ種でもてんで分からんし、言ったら自分のこともよく分からんし

    人の持つ罪深さというか、不安定さみたいなんをラスコーリニコフに背負わせたかったんかなぁと思いました

    では、「罰」は?

    それはもうずばり「愛」だと思うんですよね
    「本当の愛を知る」瞬間が「罪」を犯した後のラスコーリニコフの身に訪れることは、とんでもなく残酷な「罰」だと思うのです
    このことが真の意味での「罰」に気付き、自身がいかに身勝手な存在だったかを突きつけられ、そこに「後悔」が生まれます
    なぜあんなことをしてしまったのか、あんなことさえしなければもっと彼女と一緒にいられたのに、彼女を苦しめることもなかったのにと

    そして「再生」を目指す彼の新たな人生は、これまでの反省もせず、まわりを見下したままの人生に比べればそうとう苦難な道のりになるはずです
    今までの自分を全否定するところから始めねばなりません
    でもその道を進んだ先にしかソーニャと添い遂げる未来はないのです
    それに気付くことが「罰」なのですきっと

    やっぱ愛だぜ

    • 土瓶さん
      なんだかんだ言っても読み切れたのは凄いね。
      もちろん尊敬はしないけど。
      おめでとう^^

      最後に愛は勝つ~♪
      なんだかんだ言っても読み切れたのは凄いね。
      もちろん尊敬はしないけど。
      おめでとう^^

      最後に愛は勝つ~♪
      2023/03/02
    • ひまわりめろんさん
      いや、真面目な話
      新訳めちゃ読みやすかったのよ
      挫折しちゃった人は新訳で是非トライしてほしい
      いや、真面目な話
      新訳めちゃ読みやすかったのよ
      挫折しちゃった人は新訳で是非トライしてほしい
      2023/03/18
  • 数十年ぶりの『罪と罰』、読了しました。
    やはり、良いですね。あらすじは言わずもがなですが、最後のシーンはジーンときます。
    この『罪と罰』は犯罪小説なのですが、人間性の喪失と再生の物語であり、そして純粋なラブストーリーでもあるのです。そして大団円とまではいかないものの希望に満ちたエンディング。心が洗われます。

    僕が1巻のレビューで書いた、高校生の時に読んだ時に一番心に残っている娼婦のソーニャに主人公のラスコーリニコフが罪の告白をするシーン。その場面を今回再読した際『罪と罰』を読んだ高校生だった自分の状況がありありと蘇りました。

    ラスコーリニコフからの罪の告白を受けたソーニャは、ラスコーリニコフからどうすればよいかを問われた際、目に涙をいっぱいに浮かべ、ラスコーリニコフの肩をつかんで、こう言うのです。この時、ソーニャの心は大きくラスコーリニコフへと傾きつつあり、もう愛し始めていた状況でもあります。その彼女が「自分が愛そうとしている男」に向かって言う言葉です。
      「さあ、立って!いますぐ、いますぐ、十字路に行って、そこに立つの。
       そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスをするの。
       それから、世界じゅうに向かって、四方にお辞儀をして、
       みんなに聞こえるように、
       『わたしは人殺しです!』って、こう言うの。
       そうすれば、神さまがもういちどあなたに命を授けてくださる。
       行くわね?行くわね?」
    このセリフ。数十年前にも読んだこのセリフ。完全に覚えていました。というか『罪と罰』の数あるセリフのなかで、このセリフしか覚えていません。
    高校生だった僕の心に深く刻み込まれ、数十年経ても今でも鮮明に覚えていたのです。
    どうして、このシーンだけを強烈に覚えているのだろう。
    今にして思えば、当時の僕の価値観が完全に打ち壊された瞬間だったからだと思います。

    日本人的に普通に考えれば、ここでソーニャの言うべきセリフは、
       「警察に行って自首しなさい」
    だと思います。もちろん『罪と罰』のソーニャも最終的には自首を勧めるのですが、まずは何を差し置いても、このセリフにあるとおり、
       自分の犯した罪を、自分が汚してしまった大地(神)に許しを請い、全世界に向かって懺悔をせよ
    と言うのです。
    この時、僕は雷に打たれたように、世界を理解しました。この時初めて「これが宗教を持っている人間とそうでない人間の違いなのだ」と、自分以外の世界がこの世にあるのだということを現実に「知った」のです。

    「人を二人も殺しておいて、許されるはずないじゃないか」
    当時の僕はそう思っていました。
    しかし、この小説の世界(僕の知らない宗教のある世界)では、「罪を悔い改めて、神に許しを請えば、神に許される」のです。
    愕然としました。
    「人を殺せば、警察に逮捕され、裁判を受けて有罪判決となり、刑務所に行って懲役刑を受ける、あるいは死刑になるまで、自分の罪は消えることはない」と当時の僕は信じて疑っていませんでした。しかし、それでも許される世界がある、ということを知り、そして「人間の罪を許すことができる『神』という存在があるのだ」ということを本当に知ったのが、この時だったのだと思います。
    『カルチャーショック』などという生やさしい言葉では言い表せません。自分にとっては天地がひっくり返るくらい驚いた経験だったのです。

    「キリスト教の教えとは、そういうものですよ」と簡単に言われるのかもしれませんが、キリスト教の本質など全く知らない当時の高校生の僕(今もキリスト教徒ではないですが・・・)にとっては「なんと神というものは寛大なのだ」とその偉大さに恐れおののいた瞬間でもあったのです。

    人間は罪を犯す、愚かな小さき存在です。
    それでも、人は精一杯、日々を生き、過ちを繰り返しながら、生活します。そしてこのラスコーリニコフのように絶対に許されない罪を犯してしまうこともあるでしょう。
    しかし、人は、真にそれを悔い改めて反省すれば、許されることがあるのです。

    本書のラスコーリニコフは、ソーニャにこうまで言われながらも、すぐには反省しません。自分は上手くできず失敗しただけだとうそぶくことすらあります。
    さらに予審判事のポルフィーリィーとの最終ラウンドでもラスコーリニコフは完全に敗北します。
      「あなたが殺したんですよ、ラスコーリニコフさん!あなたが殺したんです・・・」
    まるで、刑事コロンボの映画のラストシーンのようにラスコーリニコフはポルフィーリィーに鮮やかに殺人の罪を指摘されます。しかし、ポルフィーリィーはそこでラスコーリニコフを逮捕せず、何事も知らなかったかのように自首を勧めます。ここは、ポルフィーリィーの心意気に打たれる場面です。

    そして最終的に自首したラスコーリニコフはシベリアへ送られ厳しい労働を課せられます。ソーニャもラスコーリニコフのいるシベリアの受刑地の近くに住み、ラスコーリニコフを含めた受刑地の人達の面倒をみます。
    そのようなソーニャの無上の愛を感じ、ラスコーリニコフは本当の自分の罪深さを知り、そこで初めて本当に悔い改めるのです。

    数十年ぶりに読んだこの『罪と罰』、まるでタイムマシーンに乗って過去に戻ったかのように、いろいろと過去の自分を思い返すことができましたし、新たな発見もたくさんありました。
    やはり、このような百年以上も前に書かれた古典名作には、人類の英知が宿っているのですね。
    この『罪と罰』、10年後、20年後に再読した時には、また今と違った感情がわき上がるのかもしれません。
    本当に濃密で、意味のある読書体験でした。ありがとうございました。

    • kazzu008さん
      たけさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      たけさんも「罪と罰」積読中なのですね。
      なかなか読もうとする気が起きないのがロ...
      たけさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      たけさんも「罪と罰」積読中なのですね。
      なかなか読もうとする気が起きないのがロシア文学ですよね。僕は再読だったので、結構今回はスラスラと読めました。
      ぜひ、たけさんの「罪と罰」のレビューを読みたいと思いますので、頑張ってください!応援してます!
      2019/08/20
    • bmakiさん
      読了お疲れ様でしたm(_ _)m

      kazzu008さんのレビューは面白いですね(*^-^*)
      どの本もそうですが、レビューを読んだ後...
      読了お疲れ様でしたm(_ _)m

      kazzu008さんのレビューは面白いですね(*^-^*)
      どの本もそうですが、レビューを読んだ後の満足感が凄いです。
      このレビュー纏めたら一冊の本が出来上がるんじゃないかと思うくらい魅力的なコメントだなぁと思います。

      罪と罰は私には難しい作品でしたが、kazzu008さんのレビューを読んでから再読してみたら面白いだろうなぁ~と思いました(*^-^*)

      これからも色々な書籍のレビュー楽しみにしています♪
      2019/08/20
    • kazzu008さん
      bmakiさん。こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      僕のただ長いだけのレビューを褒めていただけるなんて感激です。それに「纏めれ...
      bmakiさん。こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      僕のただ長いだけのレビューを褒めていただけるなんて感激です。それに「纏めれば1冊の本ができる」だなんて、恐れ多いです(笑)
      僕のレビューを読んで『罪と罰』を再読してみたくなったなんて言われると感動ですね。読書人冥利に尽きます。

      bmakiさんのレビューも本音がすごく良く書かれていて、実際に読もうと思う本のレビューとして本当に参考になります。それにbmakiさんの本棚、すごく興味深い本がたくさんあってぜひこの本棚の中から選ばせていただきたいと思いますね。
      今後ともよろしくお願いします!ありがとうございました!
      2019/08/20
  • 最高だった。
    人生のうちで何度でも読み返したくなるであろう一冊。
    正直作者が描いた世界が深すぎて、一読では理解しきれてない部分、把握しきれてない部分はあると思うんだけどそれでも十分面白かった。
    なにより亀山郁夫さんの訳が素晴らしい。
    ここまで読み切れたのも読みやすい訳があったからこそだと思う。この「罪と罰」は1ページ1ページがドラマの連続で、どのシーンも本当にすごいんだけど、一番忘れられないのがラスコリーニコフが自首する前にドゥーニャとソーニャに向かって自分の思いをぶちまけるシーン。

    「血なんてみんな流してるだろ。この世界じゃ、滝みたいに流されているだろ、これまでだってずっと流されてきただろ、シャンパンみたいに流されてきただろ。(中略)このおれだって、人々のためになることをしたかったんだし、何百、何千という善を成し得たかもしれないんだ、あのひとつの愚行な行為の代わりにさ」

    一人の人間が逡巡の末に罪を犯し、自らの罪を正当化する姿勢などを見せながらも、結局は自首し、(法律面と精神面での)罰を受けていく、という過程を見る中で本当にさまざまなことを考えさせられた。人を殺すという罪はどれくらいのものなのか。戦争では人を殺すということが正当化され、多く殺したものは英雄視されるのに、なぜ一人殺すと犯罪者として裁かれなければいけないのか。そう簡単に答えが導き出せる問いではないし、この本の中にわかりやすくその答えが提示されているわけでもない。でもその問いを、ここまで素晴らしく、ある意味美しく、ラスコリーニコフの物語に乗せて描き出せるドストエフスキーは本当にすごい。また必ず読み直したい。

  • 5よりの★4つです!
    もー、あれやこれや事件が多く起きすぎます!
    ただ③巻は「あっ!」という間に読み終えてしまいました。。咀嚼できるだろうか。
    『罪と罰』通してのヒットワードは“しらみ”です。

  • さて、この複雑で面白いたくさんの登場人物たちとラスコーリニコフというトンデモ青年の物語を読み終わって、思い上がり青年の無謀な殺人は、本人の罪だけでなく、家族はもちろん、周りの人たちをも否応なく巻き込む複雑なストーリーになるのだなあ、と。(名作なれば)世界中の読者も「これは何なのか!あれは何だったのだ!」と懊悩するのだよ。

    主人公の名前ラスコーリはロシア語で叩き割るの意味だそう。さすが主人公…、名に恥じない!?

    似たようなことは現実世界にもあった、ありますね。それを19世紀に予言したドストエフスキーは偉い。
    トルストイもそうだけど、その他大勢のロシア近代文学者の作品はとても奥深くすごい、近代文学の祖ですよ。その発祥の人々の国!!

    と言っていてもしょうがない。

    物語のご本人さんが反省したのだから、その後どうなるのはわからないけど、一応終わったと思いたい。
    しかしこの作品、読みどころが多くてね、3回ぐらいでは読み切れないのもほんとう。

  • 「『罪と罰』を読まない」をきっかけに今さらの初読。

    いやぁ、登場人物がしゃべるしゃべる。説明ゼリフではあるのですが、しゃべりのリズムが心地よくてグングン読めました。他の訳を読んでいないので比較はできないのですが、このリズムの良さは亀山訳のおかげでしょうか。

    読んでいるあいだ、演劇を見ているような感覚でした。いわゆる「静かな演劇」ではなく、演劇をあまり見ない人がイメージするようなザ・演劇。
    マルメラードフのお葬式の場面などはドタバタコメディの様相。
    台詞量もあるので、野田秀樹あたりに舞台化してほしいです。

    登場人物のキャラもいいので、冒頭に人物イラスト紹介つけて、ラノベレーベルから出して中学生に読ませたい。文豪だから読めじゃなくて、中二だから読めって感じで。

  • 海外小説の初心者としては、読み終わった直後は何もかも腑に落ちなかった。しかし、そこからひとつずつ、良心、罪悪感、罰といったものが意味するものを考えていくと、これまで歴史を学んでいても理解できなかった、信仰を持つ人々の感覚や行動心理が少しずつ自分に近づいてきて、どんどん目から鱗が落ちていって、なんだかものすごく面白い作品なんじゃないか、という気持ちに襲われてきた。
    きっと慣れてきたら、読むことと考えることを同時進行できるようになって、読んでいる最中から面白くて仕方なくなるんだろうな、と思う。

    小説が、ノンフィクションや学術書よりも現実世界を理解させてくれることがある、と実感させてくれた一作。しかし読みこなすまでの道のりは、果てしなく遠い気がする。

  • 読み終わった後もずっと登場人物たちが心のどこかにいる感じがする。
    雑踏の中で泣き叫んでいるカテリーナさんと、濡れた夜の風の中で黒い水面を見つめて佇むスヴァドリガイロフと、冷涼なシベリアの地でソーニャと寄り添って座るラスコーリニコフがまだずっとそこにいて、時々過去の記憶みたいにその時の声とか空気とか気配が蘇ってくる気がする。(遠くにボロボロの酔っ払い達とか苦虫を噛み潰したようなルージンもいる)


    ◆結末についての自分の解釈
    結末については、ラスコーリニコフお前本当に良かったねえという気持ちになった。
    最後まで終わり方が予想できなくて、主人公に残酷な裁きや天罰が下って終わるんじゃないか、あるいは犯罪隠蔽の重圧と思想の遂行の板挟みになったり、何かしらのきっかけで突如目覚めた罪の自覚によって、発作的に命を絶ってしまうのではないかと気にかかっていた。
    けれどそうではなくて、結局最後までラスコーリニコフは自身の罪を理解していなかった。その代わり、最後まで自分を一つ高いところに置いていた主人公が、初めて自ら何かを捧げる(施すではなく)ただの1人の人になったこと、捧げる対象となったのが血の繋がりのある家族や高尚な思想でもなく全くの他者である1人の人であったことが描かれ、そこで初めて彼が他者や世界の重みに頭を垂れるような敬虔さを覚える予感を漂わせて終わる最後となっていた。
    このラストにした作者は思ったよりはるかに血の通った人だ!と感じたし、すっと綺麗に終わる結末だった。

    最後まで読んで、2巻のソーニャの家でのラザロの音読の場面の意味が朧げに把握できた。お互いに罪を犯し、全てを断つ自殺か、罪に身を委ねる堕落か、否応なく現実に押しつぶされる発狂かの道しか残されていないラスコーリニコフとソーニャの、他に取るべき道が何かという信念の対決だったのかな、と思った。
    ラスコーリニコフは既存の社会構造・権力を自分自身の裁量と破壊行為で打ち砕くこと、そしてソーニャは神(人智を超えた存在)を信じその教えを体現すること(他者を信じ他者に捧げること)を選ぶという宣言の場面だったのかもしれない。

    だから、ソーニャという人がラスコーリニコフに寄り添い続けて信念を真っ当したことも、ラスコーリニコフがそれに気付いて救いとなったことも、これから混迷の重たい社会の中を2人で歩んでいけることも良かったなと思う。


    ◆全体を通して
    構成がすごく巧みで、劇を見ているように様々な立場の登場人物が入れ替わり立ち替わりフォーカスされていくから飽きない。
    ラスコーリニコフだけの物語だと結末まで一本道になりすぎて説得力がないから、怒涛の嘆きやら酔っ払いやら街の騒めきやら主人公と読者を引っ張り回す重みがあって成り立つ話だと感じた。


    ◆スヴィドリガイロフについて
    3巻で一気に好きになった。この人はモテそう。

    彼が過去に本当に罪を犯したのかが曖昧なのは、社会からも裁かれず自身でもなあなあにして生きてきた人生の虚無感を表す為なのかなと感じた。自首せず時が過ぎて麻痺してしまった場合のラスコーリニコフ、または快楽に身を落としたソーニャを表しているような気もする。

    世間擦れして人心に通じ、内面に善悪が混濁して見え隠れしている人は魅力的だろう。でも、それ故に1番欲しいもの(アヴドーチャの清冽な心)を純粋に乞うことができず、相手からも自分からも信じてもらえず、絶望してしまうところが人間らしかった。
    すぐお金をちらつかせて言うことを聞かせようとするのは、千と千尋の神隠しのカオナシっぽい。女性に対して欲望抜きで考えられないのも哀しい。世の中をお金と欲望なしに見られなくなってるから、虚しくなってアヴドーチャみたいな人を求めたのかもしれない。

    この人がメインの章が終わった後は、ラスコーリニコフの鼻につく青い高慢さがまだ純粋に感じられて、ちょっとほっとできるようになった。
    結局、作中で1番現実的な経済問題の解決に貢献している部分も含めて、すごく良い立ち位置の人物だと思う。


    ◆カテリーナについて
    時代と社会に踏み潰されながら、必死に抗って叫んでいた人。胸を打つ強烈さ。哀れなんだけど、あまりにもパワーがあるから物語のコメディ部分も担当している気がする。
    主人公のことをあまり気にかけず、自分のことばっかり嘆いてる女性の登場人物としても好き。

  • ドスト氏が重すぎて、当分は軽めの本を読みます。

  • やっと罪と罰読み終わった!なんか女キャラばっか優しくて、というか自己犠牲に快感を覚えていて、宗教性の違いなのかなと思った。ソーニャ母が葬式にて貴族の娘である自分に相応しいもてなしや客を望むのにあまりにもひどい客人ばっかで混乱に満ちたシーンが気に入った。

  • ようやく読了。長かったけど最後の方は展開が早く一気に読んだ。面白かった。ラスコーリニコフの心情描写の細かさはまさに芸術的。ポルフィーリとのにらみ合い、腹の探り合いが味があって面白い。
    ラスコーリニコフの狂信的な信念からの犯罪、自白という泥沼状態からソフィアとの愛によって浄化される様は圧巻。ラズミーヒンとドゥーニャの兄に対する愛もまた暖かい。
    それにしても世の中を変えてきた革命者が多くの死者を生み出しても罰せられず歴史に名を残してきたのに、凡人は罪を犯したら必ず罰せられるという理不尽な世界の有り様を問題提議している。罪とは一体なんなのか?愛する人を悲しませる行為をずっと心の底から涌き出てくる後悔という形で抱えてきたラスコーリニコフの描写が一つの答えなのかもしれない。

  • 1巻と2巻は2週間くらいかけて何とか読み終えたけど、この3巻は朝から晩までかけて1日で読み終えてしまった。
    今さっき読み終え、まだ虚無感が残っている。今まで読んだ本の中でトップクラスに心にズシンと来る1冊だった。
    色んな知識人がこの作品をべた褒めしてるから、そのバイアスがかかってるとは思うけど。

    登場人物が全員好きだった。
    ルージンも勿論悪役で性格も悪いんだろうけど、動機はどうであれ、主人公と揉めなければいい人で終わりそう。現実世界でいい人だと思われてる人でも、ルージンみたいな人沢山いるんだろうな。心では相手を見下してる人。

    スヴィドリガイロフもいいキャラしてた。突然現れた謎の人物。心の魂胆を見抜かれ主人公と対立するけど、最終的にはドゥーニャに拒絶され自殺。小さい子を助けたりしてる描写から、ルージンみたいな心からの悪人では無いんだろうね。
    本当に妻を毒殺したのかどうか、彼の自殺に至るまで心理プロセスなど、まだまだ読み取れてない部分も沢山あるので、時間と気力があればまた考察してみたい。多分しないと思うけど。

    結局ナポレオン主義は間違ってたのかな?それとも間違ってる間違ってないとかの次元の問題じゃないのかな?
    エピローグの疫病の話から読み取れるように、みんなが皆ラスコーリニコフみたいな考えになったら世界は崩壊する。
    選ばれた人間というものが神様によって明確に教えられていれば、このシステムは正しく働く。
    でも功利主義的な考えが常に正しいとは限らないし難しいね。

    ラスコーリニコフが警察署で自首するシーンが自分の中でピークだったから、エピローグは個人的に蛇足だった気がする。自首するシーンで心臓バクバクだったのに、心が安らかになっちゃった。
    まあ主人公の再生のの気持ちが見れたのは嬉しいし、あった方が作品として綺麗に終わるのは分かるけど。

    他にとカテリーナさんの発狂シーンや、ラスコーリニコフの「協同組合」の看板のシーン等々お気に入りのシーンが沢山ある。
    付箋を貼っておいたのでそこだけでもまた読み直したい。

  • 再読
    エピローグでのソーニャの存在が際立っている
    エンディングもとても良くて、訳の良さなのか全体を通じて小難しい文学という感じではなく、物語にしっかり入り込めた
    自分としては、罪と罰は、この光文社版が一番好き

  • エピローグの最後の段落を何度も読み返してしまった。
    世界的名作。読み応えがとてつもなかった。
    余韻がすごい

    「読書ガイド」・「訳者あとがき」も良かった

  • 第3巻。ラスコーリニコフは神を信じたのではなく、ソーニャを信じたのだ。その一点だけを胸に生き、人生への希望は持っていなかった。だから、ただ生きた。

  • いやあ良かった。余韻が残る。書物は異界への入り口だと内田樹先生が言っていたけれど、本当にその通りだった。150年前のロシアへあっという間に連れて行かれる。ときにはもどって来られずに、ホームのベンチにしばらく座り込むこともあった。どうしてだろう、殺人犯の主人公に感情移入することができる。後半、かなり大きな存在となるスヴィドリガイロフ。ドゥーニャと2人になったシーンは、ちょうど並行して「痴漢外来」を読んでいたこともあり、それぞれの心理的状況を深く感じ取ることができた。そして、ピストル自殺。次第に近づいていく感じはしていたが、それでも最後まで、いや本当にアメリカに向かうのではと思ったり、最終的にはそっちが死ぬのかあ、というのが正直な感想。主人公ラスコーリニコフは結局、死を選ばなかった。エピローグ、入院する場面ではもう一波乱あるのかと思ったが、持ち直してくれた。ソーニャとの人生を受け入れ、明るく、前向きに終われたのではないか。清々しい気分である。ところで、「カラマーゾフの兄弟」を10年ほど前に読んで、次は・・・と思っていたのがいまになってしまった。また、10年後? 今度は「悪霊」か、「白痴」か・・・

  • あぁ 終ってしまった…
    42.195㎞のフルマラソンを走り終わったあとは
    きっと こんな感じを持つのでしょうね
    (残念ながら、私はその経験を持ちません)

    人が生きていくこと
    人が罪を犯してしまうこと
    人が人を裁こうとすること
    人がもう一度 生き延びてみようとすること
    人が人を支えていくこと

    何か独特の 読み終えた後の余韻が
    続きます

  • 最後まで読んだところで、しまったー!と思った。
    これは改心完了して終わる話ではなくて、改心の入口に立つまでの話だったのかー!!
    そう思って読めば、間のイライラも軽減された気がする…。
    まあ、多分それでもラスコーリニコフはビンタしたいと思うけど…。
    ラズミーヒンは好きだし、スヴィドリガイロフは彼についてだけ一作にまとめて欲しい面白さだった。
    他の登場人物も、それぞれのエピソードは面白く、正直、ラスコーリニコフがいないところが楽しみだった。

  • 大変に、重く興味深い案件について、一方で峻厳にハードボイルドな一方で。
    その範囲内では、実はすこぶるロマンチックな小説だったなあ、という感想。

    「チャップリンの殺人狂時代」という映画があって、最高傑作じゃないかというくらいに上物です。
    初老のチャップリンは、おなじみの「放浪紳士チャーリー」ではなく、実におしゃれな紳士。
    そして、初老の女性たちを手玉にとっては金目当てに殺していきます。淡々と無感情に。(お金がどうしても必要な事情があるんですが)
    裁判でチャップリンが。
    「戦場で100万人を殺したら英雄だ。日常で1人や2人を殺したら犯罪者だ」
    つまり、チャップリン版の「罪と罰」なんです。

    ことほどさように、「殺人」という究極な出来事をネタに、「罪とは?罰とは?」という味わいの人間ドラマは、玉石混交多数あります。
    恐らく、そういったことの原初が「罪と罰」なのではないでしょうか。
    (ま、実は聖書とかが先行している訳ですが、近代的にそれを表現したのは、「罪と罰」が嚆矢では。)

    (松本清張さんを筆頭に、「社会派ミステリー」みたいなものは古今東西、その味わいがあります。
    最近だとテレビドラマでも「それでも生きていく」とか「ナオミとカナコ」などもありましたね)

    と言う訳で、言ってみれば極上のミステリ、「罪と罰」。最終第三巻。

    第3巻は、本当に読ませどころ、名場面が目白押し。
    ほとんどがラスコリ君、一部、スメルジャコフに密着した、ドキドキの最終巻。
    ほんとうに、息遣いが聞こえてきそうな緊迫感は、「人が文字を紙に書くだけで、それも、150年前のロシア人が書いているのに、これだけ面白いんだなあ」と感服。
    本当に、ミステリーなんですよね。極上のミステリーっていうのは、当然ながら人間ドラマであり、社会を映している、という言葉を改めてかみしめました。

    まあただ、けっこうロマンチックなんですよね。
    そのあたりが、カフカさんとかとは一線を画するか。
    その分、ドストさんの持ち味は、なんていうか、鉄槌として、重量級ですね。
    フットワークは重いかもだけど、一発でもまともにくらうと、もうKO寸前までいっちゃうような、重量パンチ。

    それから翻訳の亀山さんですが、バカ売れしている分だけ、翻訳業界?からは誤訳の指摘などあるそうですね。
    ただ、「とにかく読み易くはしている」という評価はあるそうです。
    だとすれば、僕としては「読み易くしているのであれば、最大ミッションクリアなんだし、上出来なのでは?」と思ってしまいます。
    読みぬけば、そりゃオモシロイに決まってるんです。面白いんだから。
    ただ、外国語だし昔の話しだし、読みぬくのが苦痛になることが多い。そこを助けれくれれば、いちばんだと思います。

    さて、今年は、「カラマーゾフの兄弟」まで一気に駆け抜けるかどうか。
    楽しみです。



    以下、物語段取りの備忘録。

    ###############
    ラスコリ君=青春の殺人者。インテリの元大学生。金貸しの老婆と、その妹を殺害した。
    ソーニャ=ラスコリ君の運命のソウルメイト。貧乏な家族の為に売春婦。
    ラスコリ妹=美人で聡明で貧乏で知的な女性。
    金持ち嫌味君=ラスコリ妹に言い寄ったが、ふられた。
    暑苦しい正義感君=ラスコリ君の大親友。ラスコリ妹を愛している。
    ポル刑事=ラスコリ君を追い詰める刑事。物的証拠はないが、状況証拠と尋問で迫る、なかなか深いことを言う。
    スメルジャコフ=金持ちで、かつてラスコリ妹に迫った。妻を含め複数の殺人の疑惑がかかる、謎めいた男。

    まあこの辺の登場人物で話は追えます。

    序盤まず。
    ラスコリ妹に、けんもほろろにふられた「金持ち嫌味君」。
    プライド高いのでどうにも憤懣やるかたなく、復讐に及びます。
    たまたま、ソーニャの父の葬儀食事会があり、その場で、巧みにしかけて、ソーニャが金を盗んだかのように言いがかりを付けます。
    この場面が、すごいなあ。
    最終的に、「金持ち嫌味君」の陰謀は暴かれ、却って大恥をかかされることになります。
    そこまでの、ソーニャにかかるストレス。悲劇性。
    そこからどんでんになっての、スカッと溜飲の下がる痛快さ。
    実にハラハラとドキドキとスカッとが、素晴らしい!夢中で読めました。

    一方で、ラスコリ君は。
    ソーニャに「俺が老婆を殺した」と告白。
    それをなんとなんと、スメルジャコフが立ち聞きしてました!

    さあ、今度はスメルジャコフが、それをネタにラスコリ君に迫ります。
    ただ、ここんところは、いまいち目的はよくわかりませんが。
    ここのところのスメルジャコフのいやらしさ、ラスコリ君へのプレッシャー、これもなかなか読みごたえがすごい。
    そして、スメルジャコフは、「お兄ちゃんを助けたければ」と、ラスコリ妹に迫るんですね。
    これは目的がはっきりしていまして、カラダと、そして愛情をよこせ、ということですね。
    このスメルジャコフとラスコリ妹の場面。これまた名場面。
    迫る男、脅す男。弱る女、悩む女。
    とうとう、女が折れます。抱かれるか...だが、そこでやっぱり拒絶!
    ここのところ、スメルジャコフの何とも魅力的な悪漢ぶり。悪とはなんと魅力的な物でしょう。
    悪いんだけど、なんだか心の半分で応援してしまうような...。
    そして、スメルジャコフの魅力がすごいんですが、この悪漢、ラスコリ妹に拒絶されて、「絶望」しちゃうんですね。
    この後、雨のペテルブルクを彷徨って、自殺する。
    このスメルジャコフのラスト・ダンスの道行きが、たまらない味わいですね。

    さあ、ラスコリ君は、ソーニャと妹に見守られるように、警察に自首します。
    この自首シーンも絶品...
    自首しに来た局面で、「スメルジャコフが死んだ」と知ってしまうラスコリ君。
    「え?じゃあ自首しなくても、あいつが密告するってことはもうない?」と動揺するラスコリ君。
    思わず、自首せずに警察署から出て来ちゃうラスコリ君...。

    ここから、やっぱり自首~シベリア送り。でも、最終的に納得は行ってないラスコリ君。
    つまり、本当に悪いことをしたと思えないラスコリ君。
    それが最終的にシベリアの地で、唐突にソーニャの膝に泣き崩れるラスコリ君...。
    この最期の大きな見せ場は、ちょいと読み手によって好みが分かれるところかもしれませんが。

    1巻、2巻と読みぬいてきたら、もう本当に3巻は止まりませんね。怒涛に読み切りました。そして、読み終える直前には、「ああ、読み終わっちゃうんだな。ちょっと哀しいな」と思えたっていうことは、とっても素敵な読書だったなあ、と思います。
    さすが、ドストさん。

  • 自分は凡人の権利を踏みにじることが許される天才側の人間だと思い込むことは罪ですか。
    英雄気取って流した血に、自分は只の凡人でしかないと気付いて絶望し葛藤し苦悩するのは罰ですか。
    そんな現実に、精々傷ついて頭を冷やせばいい。
    ラスコーリニコフには、彼をするソーニャがいて、彼を心配する家族がいる。
    そんな平凡な幸せがすぐ傍にあるのに‥。
    人を殺めた罪が消えることはないけれど、然るべき罰を受けることは無駄じゃない。
    私にはまだ難しくて理解しきれていない気がするから、いつかまた必ず再読します。

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