孤独の価値 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344983670

感想・レビュー・書評

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  •  「孤独=悪」と無条件に決めつけていませんか、という問題提起。「孤独」にはべったりと悪いイメージがこびりついているが、「自分だけの時間」と言い換えればどうだろう?
     タイトルはやや刺激的だが、内容はど真ん中の正論で、孤独というイメージの悪い言葉をテーマに「自分の頭で考える」ことの重要性が述べられている。
     寂しい人にも、そうでない人にもおすすめできる。

  • 「孤独」という言葉に悪い印象を持っていることが、いかに思い込みであるかがわかるような本でした。 僕はこの本を読む前から、一人の時間というものが好きでしたし、孤独を好む部分もありました。 しかし、その孤独ということについて取り立てて深く考えようとはしておらず、この本は僕にそのきっかけを与えてくれるものでした。 孤独という概念に限ったことではないですが、知らず知らずのうちに洗脳され思い込まされていることがかなりあるように思います。 考えることを放棄した瞬間に奴隷になり下がるというのは悲しいかな事実ですね。

  • 人と会わない生活が快適だったはずなのに、なにか物足りない…と思って読み始めた。そうそう、読書や物書きはこんなに楽しかったんだよ!と思い出すことが出来た。著者のエッセイは、おそらく初めて読んだけど、小説の雰囲気を思い出すことがチラホラあって読みやすかった。死体に驚かないキャラクタ、大好き!笑

  • 研究者であるからこそ、孤独の価値の著作に研究を絡めて書いてあってよかった。

    以下読書メモ
    ーーーーー
    ・すなわち、僕は、そういった孤独感が、主として外界の観察不足と本人の不自由な思考から生じるものだと感じていて、「思い込み」を取り除くことと、少し「考えてみる」ことが、危機的な孤独からの脱出の鍵になると考えているからである。

    ・ 思考しなかったら、つまりは人間ではない。人間というのは、考えるから人間なのだ。したがって、考えることを放棄してしまったら、それこそ救いようがない、という状態になってしまう。

    ・「死を怖れている人はいません。死に至る生を怖れているのよ」
    これも、同じ理屈だ。無意識のうちに、人間は現状(ポテンシャル)の変化を微分したもので感情を動かされているのだ。

    ・ だが、科学分野ではそうはいかない。他者に理解され、他者によって再現できなければ、「技術」にはならない。だから、作業がいくら孤独であっても、成果の評価には、広いコミュニケーションが不可欠になる。それは、人と会って楽しくおしゃべりをすることとは一線を画するものだが、僕にとっては、これが「社会との協調」である。

    ・芸術というのは、人間の最も醜いもの、最も虚しいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスのものをプラスに変換する行為だといえる。これは、覚えておいて損はない。たとえば、もし耐えられないような孤独のどん底に自分があると思ったら、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、そういった創作をすることを是非すすめたい。詩を読むという受け身の行為では効果はあまりない。それではますます孤独感を強くする危険さえある。しかし、自分で創り出す行為に時間を費やせば、気持ちの一部は必ず昇華される。もし、そういった才能を少しでも持っているなら、なんでも良いから試してみることをおすすめする。絵でも詩でも音楽でも演劇でもどんなものでも良い。アートであればその機能があるはずである。

    ・人間にとって孤独というものは、非常に価値のある状態である。これは、数ある欲求に直結する本能的なもの、動物的なものではなく、人間にだけある高尚な感覚といえる。孤独を知らなくても、もちろん生きていける。でも、それは動物的に生きているだけで、人間として生きていることにはならない、と極言することだって可能だろう。それくらい、人間らしい、人間だけの特権と言えるものだ。

    ・芸術以外に、孤独を変換するような創作的行為があるだろうか。一つは、「研究」がこれに当てはまる。研究は創作ではないが、オリジナリティー が必要であり、やはりなにかしらの発想が原動力になる。今すぐに生活に役立つというものでもないため、社会に必要なものだと認められにくい。それに、研究活動というのは、孤独を感じる行為だ。何故なら、世界の誰もまだ到達していない領域へ踏み入っていくのだから、少なくとも同じ経験をする仲間がいない。グループで研究を行う場合にも、それぞれに分担をしているだけで、個人の活動はやはり孤独の中にある。
    研究の本質は、自分を認めてほしいといった欲求とも少し違っている。もしそれがあるとしても、将来認められれば良い、という程度のものでしかない。それよりも、確かめたい自分、知りたい自分によって推進している。孤独が原動力といっても良いくらいだ。だから、孤独を受け入れるなら、なにか研究をすれば良い。研究が、孤独を消費してくれるだろう。

    ・最先端科学、数学といったものに挑戦しろと言っているのではない。自分の身近なことで良い。誰も調べたことがないものに着目し、そこに自分の道理を見つけるのである。大事なことは、他者のやっているものを真似しないこと。本を読むのはいいけれど、学ぶことは研究ではない。学んでいるうち、つまり情報を吸収しているうちは、まだ発想していない。それは、研究をするための資料集めであって、あくまでも準備段階、スタートする以前の行為だ。その段階では、孤独を感じることもない。むしろ、大勢の人間の足跡を辿るわけだから、他者の支援を体感し、感謝をすることになる。これは孤独でもないし、孤独の消費にもならない。

    ・どうして自分はこんな馬鹿げたことをしているのだろう、という疑問が大事なのだ。それを体感することが本質だと思う。何故なら、人生なんて、そもそも同じくらい無駄で馬鹿馬鹿しいものなのだ。もちろん、孤独も無駄なものである。けれども、実も食べられず、花も美しくない草でも、生長したり、枯れたりという変化をして、それを貴方は見守ることになる。雑草を毎日眺めて、なにかを考える。雑草なんて、なんの役にも立たないけれど、それでも、エネルギィを消費して生きているのである。

    ・ 創作は、豊かな社会では人々を満足させる機能がある。研究も、将来的には人類の生活を支えるかもしれない。しかし、今すぐにそれがなくても良い、という性質のものである。現に、多くの人が、「芸術なんか何の役に立つんだ?」「研究は金にならない」と眉を顰める。特に、ばりばりと仕事をしている世代、毎日我慢して働いて家族の生活を支えている人にとっては、「そんなものに費やす時間はないよ」と否定する無駄以外のなにものでもない。しかし、無駄なものに価値を見いだすことが、その本質であり、それにこそ人間だけが到達できる精神がある。孤独が教えてくれるものとは、この価値なのだ。それは紛れもなく貧しさとは正反対のものであり、豊かさの中でしか見つけられない。

    ・結婚をして子供を作ってという人生が「人の幸せ」だ、という決めつけが崩れかけているだけなのである。もっと自由に生きられるのではないか、孤独であっても自分の人生なのだから好きなようにしたい、と気づいた人が増えている、というだけのことだろう。非常に自然な流れだと思われる。

  • 私は普段、こういった自己啓発本というものが苦手なジャンルの1つなのだが、1番大ファンの森先生の作品であることがその1、そしてその2に、私自身が非常に孤独というものを感じやすいことを自ら理解している上で、解決策としてとても興味をそそられるタイトルだった。
    森先生の言葉で言うならば、今の私は「仮死状態」にあるのだろう(笑)そうなんだよな。
    もっと色んなことに興味が芽生え、1人を充分楽しめるようになれば、孤独という感情は薄れていくのだろう。
    私は人が怖いけれど、人と居るのが好きだ。空気のような存在で、2人だけれど1人で居るような、だけれどちゃんと2人で居るような。
    そんなふうに居られたら、私はもう孤独ではないのかもしれない。

  • 色んな人が言及してるけど、「孤独」の定義が私のと違う、としか。

  • [図書館]

    この人のエッセイを読むといつも思うけれど、このひとの子供の意見を聞いてみたい。「嬉しくてもはしゃぐな、悲しくても泣くな」と教育したという。言葉が通じるまでは、叩いて教えたという。
    いつも偉そうだし言及されているほとんどの分野において、この人に文句付けられるほど私に知識や経験や思考力があるわけないんだけど、この方針だけは虐待親と何が違うの?と感じる。


    「絆は大切」「友達を大事にしよう」というメディアの一辺倒な感動の押し売りを真に受けてる人が多すぎる。
    多くの人が、何を望んでいるのかということは、マスコミの宣伝とは逆方向であることが多い。そもそも宣伝というのは、売れなくて困っているから、「今、これが売れています!」と呼び込むのである。宣伝は、現実ではなく願望なのだ。

    寂しい時には「作詞」をしてみよ、というのに少し笑ってしまったが、一理あるなぁと思った。

    芸術や研究とは、無駄なものに価値を見出すことが、その本質であり、そこにこそ人間だけが到達できる精神がある。孤独が教えてくれるものとは、この価値なのだ。それは、紛れもなく、貧しさとは正反対のものであり、豊かさの中でしか見つけられない。

  • おもしろいが、同じような話をくどくどしているような印象を受けてしまい残念。

  • 「孤独は創造に望ましい環境。孤独は人間に好ましい状態で、それを追求してきたのが現代社会。それを受け入れ、楽しむ心境をつくろう」という結論になるほど。実行方法も書いてあり実践的。ただ。如何せん冗長すぎて、読むのに骨が折れた。九割くらいは無駄な文章だと思うが、時折はっとする考察がある。

  • 中学校と高専、合わせて八年間、クラスメイトとの寮生活を送っていた。学校にいる間だけでなく、朝から晩まで、常に仲間と共にいるのである。それはそれで、当時の私にはとても楽しい環境だった。じゃあ、今、同じ生活をしてみるか? と問われたならば、もう無理だ(^^;;
    孤独の楽しさ、孤独の価値を知ってしまったら、常に誰かと一緒にいるという状態は、苦痛でしかない。
    もっとも、私が孤独を愛するようになったのは、この八年間の経験があってのことなのだろう。本書で言うところの、ブランコの喩えに当てはまるかもしれない。
    とは言っても、今でも、人と会うことや、遊びに行くことが嫌いなわけではなく、仕事もしていれば、同僚とも、来客とも話をするし、会議にも出るし、出れば議論にも参加する。
    ただし、飲み会には、ほぼ参加しない。入社当時は行った。けれど、職場での、自分の立ち位置が定まり始めた頃からは、しなくなった。そうして、孤独の時間を確保するようになった。
    実は、孤独になること自体、全然、怖いとか、寂しいとか、感じることはなかったのだけれど、それよりも、「自ら孤独を選ぶ」というやり方が、果たして正しいのか? という不安があった。こんなことをしている自分は大丈夫なのか? という疑念である。
    しかし、本書がそれを肯定してくれた。
    これからも、大勢を認めながら、私は孤独を愛していこうと思った。

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著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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