- Amazon.co.jp ・本 (32ページ)
- / ISBN・EAN: 9784494007509
作品紹介・あらすじ
「おはよう」「がんばれ」「いただきます」「いってきます」「ただいま」「あそぼ」そのことばをかわすことができる、みんなの生活は、どこへいったのか?1945年8月6日の朝、ウランの核分裂がヒロシマでひきおこしたことは、どこまで広がるのか?ピカドンを体験したカタリベたちは、今の日本をじっと見つめているのだ。その視線の向こうにあるのは-。
感想・レビュー・書評
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今日という日に、この本を選んでみた。
おりしも昨日、映画監督のオリバー・ストーンさんが、読売新聞のインタビューにこう答えている。
【原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい】と。
今更、という思いもあるが、溜飲が下がったのは確かだ。
大抵の米国人は【原爆投下は必要なことだった】とその正当性を教わるらしい。
かつてクリントン元米大統領の口から「原爆投下で戦争が終わったのだからあれは良いことだった」という言葉が出たときは、戦勝国とはこのようなものかと、あいた口が塞がらなかったものである。
この本の作者であるアーサー・ビナードさんも、そういうひとりだった。
そのことに何の疑念も抱かなかった彼が、来日して広島を訪れ「ピカドン」に出会う。
想像するにあまりある衝撃である。
この後彼は幾度となく平和記念資料館を訪れ、広島の人たちと語り合い、自らに課せられた課題を、この一冊にまとめあげた。
これは、あの日被爆したモノたちの語る、主を探す声である。写真は岡倉禎志さん。
モノが、語り部としてこれほど雄弁だったなんて、私も目からウロコだった。
手袋、やかん、眼鏡、中身の入ったままのお弁当箱、手製のワンピース、中学生の学帽、影だけが残った銀行の階段・・
詩人であるビナードさんの言葉は一見やさしげだが、実は鋭く心を突いてくる。
ひとを とじこめて なんになる?
ほんとうに とじこめなきゃならないのは
ウランじゃないか・・
おれたちは やくめを さがしているんだ
これは、鍵の写真の語る言葉である。
モノが、ここまで訴える力を持っているなどと、思ったことも無かった。
アーサー・ビナードさんのイマジネーションと豊かな言語に脱帽である。
米国人である彼が、この一冊を世に出したということは価値があるのではないだろうか。
出来るものなら、海外にも翻訳して出してもらいたいものだ。
語り部になってくれている14のモノたちのプロフィールは最後に出てくる。
読むと約17分かかり、解説を少し加えても20分くらいはかかるだろう。
小学生の夏のお話し会にも良いし、ご家庭でもどうぞ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ヒロシマの空が「ピカアアアアッ-」と光って「ド-ン」という物凄い大音響が鳴り響いた、あの8月6日の朝。 喜びも悲しみも苦楽を共にし、歯を食いしばって生きてきた人たちの〝よすが〟(形見となったモノ) を写真に収め、「ピカドン」の瞬間を語り紡いだアメリカ人作家の「原爆の記憶」・・・黒焦げの弁当箱のご飯とおかず、憲兵隊司令部に収容された米軍捕虜獄舎の鍵束(表紙画像)、住友銀行広島支店の階段に腰掛けた人の黒い影・・・凄惨な戦争の記憶をとおして、失われた命の尊さを深く心に刻まれ、沈思黙考を迫られる警告の書。
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ヒロシマの14の遺品が語る「さがしています」。
アメリカで生まれ育った詩人が代弁する、あの日広島で一人一人の身に起きたこと。
司令部の鍵は独房のもの。日本人の憲兵もアメリカ人の捕虜も等しく放射線と熱線と爆風にさらされた。
弁当箱、眼鏡、靴、ビー玉、帽子、時計。
著者の「ピカドン」に相当する英語が存在しないということに気づいて課題だと感じたというあとがきが心に残りました。
想像力と意志で二度とこんなさがしものを繰り返さぬようにしなくては。 -
ふと見かけて、タイトルに強く引きつけられ手に取りました。読んで納得、原爆で主人を亡くしたモノ達が主人公でした。
写真と文章の力に圧倒された一冊です。 -
議員石をバックに、主を失ったモノたちが静かに語っている。
Atomic Bomb や Nuclear Weapon ではない、「ピカドン」という言葉が、全てだと思う。