両手にトカレフ

  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591173992

感想・レビュー・書評

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  • 『ぼくイエ』を読んだ息子氏が「この本でぼくの中学校はすごくキラキラした場所のように描かれているけれど、実際には(家庭の事情などで)クラブ活動やバンドや演劇をできない生徒もいる。そんな生徒の存在が見えなくなっている」と感想を言ってくれたおかげで書かれた小説なのだそう。ありがとう、息子氏。
    大人は子どもを助ける時に、いつも大人のルールでやろうとする。子どもには子どもの意思があるのに、それを確認してはもらえない。今の社会や学校の仕組みでは、きっと支えきれない。だからこそ、新しい仕組みを作って支えるのが政治の仕事では? 前例がないことには対応できないなら、これから先、この社会に希望なんてない。
    とにかく、金子文子の本を読んでみたいし、ケイ・テンペストのラップも聴かないと。そして、大人のやるべきことを考えます。

  • こんな毒親、許せない!
    でも、ミアの未来が明るくなりそうでよかった。
    それにしても、ミアが読んでいるフミコの話も織り交ぜるのが、斬新。
    フミコの話も読んでみたくなりました!

  • とても良かった、、、
    生まれた時代も国も違う、二人の女の子の話は、絶対重ならない平行の世界のはずなのに、どちらの話かわからなくなるような気すらする。
    絶望して、でも世界の全てがNOじゃない、世界は変えられる、かもしれない。
    分からないことを知りたいと願うウィルが素敵。

  • ブレイディみかこはホンモノだ。
    弱者への捨て身のエンパシー。

    父に捨てられたカネコフミコ。
    「邪魔者を見る目つき。あのとき、彼はそんな顔をしていた。私たちさえ自分の人生からいなくなればと強烈に願っていた。
    大人はあんな目をして子どもを見てはいけない。私はここにいてはいけないのだと子どもが考えるようになるから。そんな目をされたところで、私はもう生まれていたのに。私の不在を願う人がいたとしても、私はすでにこの世界に存在してしまっていたのに。」

    子どもに寄り添う、という言葉は使い古された感があるが、言葉を尽くして、私たち読者に語りかける。こんな子どもたちを存在させているのは誰?こんな大人を存在させているのはあなたたちではないの?


    小さいアジア人の中年の女性が、イギリスの地で、生きづらさを抱えている人たちにこんなにも深く心を寄せ、こんなにも彼ら彼女らを洞察しているのを、おそらくそこにいる人たちは誰も知らないのだろうなと思うと、不思議な気がする。

    こんなふうに、じっと見ていてくれる人は存在するのだ。それが、人間社会というものだ。
    だから、きっと私たちの周りにも、そんな人たちは潜んでいるのだろうと思う。そして、知らないふりで手を差し伸べてくれていたりするのだろう。

    ああ、人間ってすごい、と思う。同時に、人間って愚かだとも思う。

    伊藤野枝と金子文子は境遇と思想、似たもの同士だが、金子文子のことを考えるときは悲しくて胸が苦しくなる。

    おそらくブレイディみかこもそうなんじゃないか?

    夫であった大杉栄と朴烈の違いかもしれない。(二人とも妻たちと比べたらいい加減な男なのだが。)
    伊藤野枝は寂しい「女」であり、金子文子はさみしい「人」だからかも。

    小説という形でしか書けないものを炙り出したい、という作者の意図は、見事に達成できている。

    ブレイディみかこという作家が今存在していることに感謝したい。

  • 著者が隅々まで慎重に気を配りながら書いたのがよくわかる、その真摯さにまず胸を打たれた。
    貧しく、保護者もあてに出来ない子どもたちの姿はもちろん、子どもはそこから抜け出させようとしている親と子の複雑さ、貧困世帯を消費していることの自覚。
    これまでのエッセイ・ノンフィクションで丁寧に見、描いてきた分厚い下地を感じた。
    十代の子にぜひ読んで欲しい、あなたを守りたいと思っている大人は必ずいる。
    大人にも読んで欲しい、そして子どもを守る存在になって欲しい。
    私もそうありたい。

  • 大正期、日本のアナキスト、金子文子の生き様とイギリスの貧困層で暮らすミアを照らし合わせた一冊。

    半分は金子文子の物語で構成されていて、ブレディ氏のテーマのようなイギリスの階層社会をフィクション化している、映画化でも狙っているのだろうか…
    深いようで、浅い気もする… 力強さは感じるがなんだろ、多分すぐ忘れてしまう一冊かもしれない。

    ぼくはイエロー、の方が好きかも。

  • 大正時代の日本に生まれた少女との出会いがイギリスの今を生きる少女の明日を照らす。

    生まれた家で、育ててくれる親で、子どもの人生は変わる。
    裕福な家で、優しい家族に囲まれて育つ子どもと、貧しい家で子育てさえできない親の元で育つ子ども。
    温かい寝床で寝ること、一日三食食べること、成長にあった洋服を着ること。そんな当たり前が当たり前じゃない生活。
    この二人だけじゃない。世界中にフミコもミアもいる。親も環境も選べない、自分が子どもであることを悔しいという子どもたち。自分をあきらめている子どもたち。
    子どもという牢獄を生きている彼らを、どうしたら救えるのか。
    わからないことをわかるようになりながら生きていく。まだ知らないたくさんのことを知るまで生きていく。
    この空の下で泣いている誰かに、そこじゃない世界はいまここにあり、ここから広がっていくんだ、と伝えるために生きていく。
    フミコとミアの涙の向こうにある光が、今もどこかで泣いている子どもたちに届きますように。

  • 確かに!両手にトカレフくらい持ってないと生きるのって大変だよね!!

    母親は鬱、父親はいない。まだ小さな弟をひとりで守る14歳のお姉ちゃんミア。
    そんなミアが図書館で出会ったカネコフミコの自伝。

    ミアの現状と百年前のフミコの境遇が重なって、今も昔もどこの国でも貧困になす術なく翻弄される子どもがいる。
    なかなか抜け出せない現状に息苦しさも感じます。

    しかしミアの現状は同級生に「リリックを書いて」と言われたときから少しずつ変わっていきます。

    言葉の力は思ってる以上に偉大で、人を助けるのはやっぱり人で、愛は地球を救わないかもしれないけど周囲の大切な人くらいは救わせて。

    「ミアと話がしてみたい」と思っていたら一気に読みおわってしまいました。

  • 国も違う時代も違うふたつの話が交差する。どちらも辛い生活を送る子ども。生まれた環境を変えることはできずらひたすら耐えるしかない運命。いつかは好転するだろうと淡い期待を持ち、何度も裏切られて、希望をもつことすら諦めてしまう。
    『両手にトカレフ』カッコいい、ラップが自分の生きる世界を自分で変えるなんて。

  • 日本に実在した不遇の女性の存在と、その手記を土台として書かれた?小説。時間を超えて英訳された書籍をイギリスの不遇の少女が読み、影響を受けつつ人生の転機を生き抜いていくというもの。2つの物語に感情移入する分、疲れもするが面白い。主人公がイギリス人である点も良かった。「映画を読んでいる」ような感覚。バッドエンドでない点も読後感が重苦しくならずに済んで有難い。

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著者プロフィール

ブレイディ みかこ:ライター、コラムニスト。1965年福岡市生まれ。音楽好きが高じて渡英、96年からブライトン在住。著書に『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』『ジンセイハ、オンガクデアル──LIFE IS MUSIC』『オンガクハ、セイジデアル──MUSIC IS POLITICS』(ちくま文庫)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)、『他者の靴を履く』(文藝春秋)、『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』(岩波現代文庫)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)、『リスペクト――R・E・S・P・E・C・T』(筑摩書房)など多数。

「2023年 『ワイルドサイドをほっつき歩け』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ブレイディみかこの作品

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