- Amazon.co.jp ・本 (421ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003114513
感想・レビュー・書評
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美しい文体の作家は?と聞けば意見は分かれると思いますが、格好良い文体の作家は?と聞けば中島敦はかなりの高確率回答を得るのではないでしょうか。
〝漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩兵五千を率い、辺塞遮虜を発して北へ向かった。(中略)朔風は絨衣を吹いて寒く、如何にも万里孤軍来るの感が深い。漠北・浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。既に敵匈奴の勢力圏に深く進み行っているのである。秋とはいっても北地のこととて、苜蓿(うまごやし)も枯れ、楡や川柳の葉ももはや落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからないほどのただ沙(すな)と岩と磧と、水の無い河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、稀に訪れるものとては荒野に水を求める羚羊(かもしか)ぐらいのものである。突兀(とつこつ)と秋空をくぎる遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将兵一同誰一人として甘い懐郷の情などにそそられるものはない。それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。〝
をを、本を持って畳をゴロゴロしたくなるような格好よさではないですか!!
祖父、父と漢文学者の家で、自身も漢文学に親しみ作られた文体は、格調高くリズミカル、人の心の深淵を書くかと思えばユーモラスさも覗かせます。
この短編集では、中国の歴史書や伝承を小説化したもの、中島敦が南洋庁内務部地方課勤務の国語編集書記としてパラオ諸島に滞在した時の手記、儒教の家に育った中島敦自身の私小説のようなもの、が収められています。
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死を賭して匈奴討伐に向かった李陵将軍は、捕縛されて匈奴の客将となる。
漢の都では李陵の裏切りの報に、彼への讒謗で溢れるが、ただ一人李陵をかばい宮刑(去勢の刑)を受けた司馬遷。一介の役人が刑の屈辱、無気力を乗り越え大歴史編纂になるまで。
そして匈奴の地では、やはり漢から匈奴の捕囚となったがその禄を食むことを拒み、極寒の地で生き続けた蘇武。
彼らの苦しみ、意地、拘り、屈辱を超えたその先の境地。
/ 「李陵」
孔子の弟子、子路を主点として、孔子と弟子との言行録。
/ 「弟子」
弓を極めた男の行き着いた極地とは。
そんなアホな、と言いたくなりつつ、まあそんなこともありそうな寓話というか伝承世界。
/ 「名人伝」
文字の霊などと言うものが、いったいあるものか、どうか。
文字に取りつかれた男の研究と受難の日々。
/ 「文字禍」
自分とは何か、生きる意味とは何か、悩める沙悟浄は、河底賢人たちを巡り歩く。
海老の賢者だの鯰の行者だの、河の妖怪たち河底世界っぷりを想像するのも楽しい。
/ 「悟浄出世」
三蔵法師の弟子として一行に加わった沙悟浄。
ここの悟空人物像はなかなか見事だ。
/ 「悟浄歎異. ―沙門悟浄の手記」
以下 -環礁―ミクロネシヤ巡島記抄― が数作品。
その島にはずっと子供が生まれなかった。神様がこの島を途絶えさせようと決めたかのように。
最後の子供なら奇跡のように美しかろうと期待したら、風土病を患ったぼんやりした女児でがっかり、自然は自分ほどロマンチストではない…、という中島敦の美意識が面白かった。
/ 「寂しい島」
ふと休息に寄った家で会った女の強烈な目線…
日本統治時代のせいか、島の原始的な風習のせいか「疲れたからちょっと現地の家に入って休んだ。食事だしてもらった」が当たり前の生活です。
/ 「夾竹桃の家の女」
島のならず者少年ナポレオン(名前が大仰なこともおかしみを増してる)の捕り物記
/ 「ナポレオン」
自分が旅立つ前に期待していた南方の至福とはなんだろう…と、昼寝明けに考える話。
/ 「真昼」
島で知り合った女性マリヤン(マリヤ)との交流。それは中島敦の帰郷で終わる。病気のため日本に帰った中島敦はこの数か月後に亡くなることになる。まさに「マリヤンが聞いたらなんというだろうか?」
/ 「マリヤン」
南方記小品いくつか。
/ 「風物抄」
中国の歴史記事より。
人間の根源的悪を具現化した小説。
(この作品はミクロネシア集の前に収録すべきでは…)
/ 「牛人」
最後の二作品は、中島敦の私小説的なものか。
三造少年が「地球がなくなったら」と恐れたり、自分の存在の意味を求めたり。
/ 「狼疾記」
成長した三造の語る伯父の姿。中島敦の祖父、伯父、父が漢文学者という儒学の家。ここに書かれる伯父をはじめとする親族はかなり自分を強く持った人たち。そんな家や親族に反発しつつも惹かれながら育った中島敦(小説では三造)の磨かれた感性、人間観察力、人生への疑問、などが感じられる。
最初はこんな親族いたら確かに大変だ、と思いつつ、亡くなった時には自分の親族の事のように胸に痛み、かつ先生らしい…と微笑ましささえ感じる、まさに作家の面目躍如たる私小説。
/ 「斗南先生」
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文体は変わっても作品の主人公たちは「自分はなぜ生きる、自分とは何者」に迷っているようですね。
そのため迷いのない周りの人間(斗南先生や孫悟空など)に戸惑いつつも眩しさを感じている。
「李陵」では、司馬遷の書の心得を「述べて作らず」としている。単なる事実列挙だけではなく、しかし著者の主張を入れ過ぎて事実を伝えられないことはしない。さらにはその人物を生気溌剌たるものにするための記述を加えるというもの。中島敦の自作への関わり方はまさにそのようなものだと思います。人物や文学への熱狂を抱えつつ、一歩引いた目線で物事をみて述べている。
まさに”格好いい”文章の作家です。
さて。漢文調でない文体も実に美しく繊細なのでメモ。
”汽船(ふね)はこの島を夜半に発(た)つ。それまで汐を待つのである。
私は甲板に出て欄干(てすり)に凭(よ)った。島の方角を見ると、闇の中に、ずっと低い所で、五つ六つの灯が微かにちらついて見える。空を仰いだ。檣(ほばしら)や索綱(つな)の黒い影の上に遥か高く、南国の星座が美しく燃えていた。ふと、古代希臘(ギリシャ)の或る神秘家の言った「天体の妙(たえ)なる諧音」のことが頭に浮かんだ。賢いその古代人はこう説いたのである。我々を取巻く天体の無数の星どもは常に巨大な音響――それも、調和的な宇宙の構成にふさわしい極めて調和的な壮大な諧音――を立てて廻転しつつあるのだが、地上の我々は太初よりそれに慣れ、それの聞えない世界は経験できないので、竟(つい)にその妙なる宇宙の大合唱を意識しないでいるのだ、と。先刻(さっき)夕方の浜辺で島民どもの死絶えた後(あと)のこの島を思い画いたように、今、私は、人類の絶えてしまったあとの・誰も見る者も無い・暗い天体の整然たる運転を――ピタゴラスのいう・巨大な音響を発しつつ廻転する無数の球体どもの様子を想像して見た。
何か、荒々しい悲しみに似たものが、ふっと、心の底から湧上って来るようであった。”詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
思いっきり泣くと、ストレス解消や健康にいいそうです。
それも、玉ねぎで涙を出すなどではだめで、感動して心から涙するのがいいそうです。
「山月記」はわずか十数ページの作品ですが、すごく泣けました。
最初の2ページでもう泣けて、最後の3ページくらいはもう止まりません。
あまりの素晴らしさに(そして作品も短いので)知人に全編朗読して聞かせてみました。
読みながら何度も涙をこらえたことは言うまでもありません。
読み終えた後の知人の感想は
「泣き所、あった?」
でした。
感動のポイントは人それぞれです。
なお、その知人は今はだんなさんになりました。-
はじめまして。
とても素敵なレビューに、思わずクリックしました。
高校の教科書にも載っていた懐かしい作品です。
確か私も音読しました。...はじめまして。
とても素敵なレビューに、思わずクリックしました。
高校の教科書にも載っていた懐かしい作品です。
確か私も音読しました。文章が素晴らしいのでよく覚えています。
でも誰かに読んだことはなかったな・(笑)
そういう行為をするということが、既にスペシャルですものね!
フォローさせていただきます。どうぞよろしく。
2017/05/03 -
nejidonさん^^
コメントありがとうございます!
普段は仕事関係の本ばかりレビューしていますが、
珍しく文学系の作品をレビューし...nejidonさん^^
コメントありがとうございます!
普段は仕事関係の本ばかりレビューしていますが、
珍しく文学系の作品をレビューしたら、こんな素敵なコメントをいただいて嬉しいです。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。2017/05/03
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詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて誌友と交わって切磋琢磨に努めたりしなかった。己の珠(たま)ではないことをおそれるが故に、あえて刻苦して磨こうともせず、己の内なる臆病な自尊心を飼い太らせる結果になった。この尊大な羞恥心が猛獣(虎)だった。▼人生は何事をもなさぬには余りに長いが、何事かをなすためには余りに短い。中島敦『山月記』1942
彼は殆ど本能的に「自分は自分が思っている程、自分ではないこと」を知っていた。中島敦『光と風と夢』1942
夜、床に就いてからじっと眼を閉じて、人類が無くなったあとの・無意義な・真黒な・無限の時の流れを想像して、恐ろしさに堪えられず、アッと大きな声を出して跳上った。中島敦『狼疾記』1976 -
日本随一のスピノティストである中島敦が書いた
作品をいくつか収めた本です。
やっぱり山月記が傑作なのですが、それしか知らないという御仁もいらっしゃるだろう。
あんまり知ってない(実は名前は知ってる)山月記以外の作品もいくつか収録されてます。
既に知ってるよ!という方は是非読みましょう(強要)
山月記の「何者かになりたかったのだが、努力をせず結局何にもなれなかった」という内容は、ある程度歳を重ねてしまうと誰にでも思うことはあるでしょう。
例えば大事な試験や面接があったとして前日にお酒をたくさん飲み、その後面接にでも挑んでしまえば、お酒を浴びるように飲んだ過去の自分が悪いから、言い訳ができ、本当は素面でも実力不足のせいで大事な場面でついついしくじるという事実を上書きするかのようにうやむやにできます。
人の内面を読むのが、過剰なほどうまい作者は本当にすごい。
ついついお酒を飲んで面接に挑んじゃう人にこの本をおすすめします。 -
又吉さんのYouTubeで紹介されていた本
人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い。
という言葉で有名だが、今の私には李徴が虎になり、人間の部分をしだいに失いかけてはじめて気づく、自身がかつて持っていた過剰な自己意識、根拠のないプライド、虚栄心を悔やむ部分が、我が身に照らしこの歳になって胸が痛む。
かつての私は李徴そのものではなかったか。虎になりかけていないか。
短いが、全てに無駄がなく、そして誰もが持っている人間の目を背けたくなる本性が表現されているからこそ、人生の座標軸を確かめるために、繰り返し読まねばならない名著だと思う。
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図書館で借りて読みはじめたけれど、冒頭の李陵の漢文調の美しさに、どうしても手元に欲しくなって購入することに。
李陵、山月記、悟浄出世はもちろんのこと、山月記(そして中島敦)を理解するにあたり、斗南先生や狼疾記が収録されているのが良かった。文字禍も、可笑しな設定の中に、存在と意義という深いテーマが綺麗に織り込まれていて鳥肌が。 -
ちょっと、変わった作風です。
全部じゃないですが、「中国の故事、古典の逸話にのっとって、独自の解釈と視点で人間ドラマを描く」ということですね。
つまりは、芥川龍之介さんもこういうの、やっていますね。漢籍に限りませんが、「蜘蛛の糸」「西方の人」とか。そういう感じ。
お友達に勧められた本です。中島敦さん。何十年も前から本屋さんで名前は見ていたけど、読んだことありませんでした。
1909-1942。33歳で病死しちゃったんですね。1942というと、十五年戦争、日中&太平洋戦争の真っ最中。まだ、日本劣勢があらわにならない頃ですね。
貧しくは無く漢学教養豊かに育ち、当時の東大の文学部だそうなんで、超エリートさんではあった訳です。
卒業後、教員やったり、南洋(当時日本領だった)に教科書の仕事で行ったり。
で、戦局悪化で帰国して、小説がちょっと雑誌に載って短編集が二冊出たかな、と思ったら、気管支ぜんそくで亡くなったそうです。ネットで拾える知識ですが。
それを、中島敦さんは漢籍でやるんですが、この理解というか、漢籍の教養がすごいですね。
つまりは、幼少期からそういう環境にいた賜物のようですが。
この当時の文学者の中でも、若いのに群を抜いていたのではないでしょうか。
だけど、漢籍口調一本だったら、読みにくいんですけど。
「山月記」も「悟浄」もそうなんですが、冒頭にグッっと漢籍口調で世界観を見せておいて、
だんだんと読み易い口語日本語になっていくんです。
そのあたり、ほぼアマチュアとして亡くなったはずなのに、意外にエンターテイメント。
内容的には、「自意識」の問題だったり、「人間の心理の裏腹さ、変わりやすさ」みたいなことだったり、
割と徹底して、「エゴに苦しむ人の心」っていう感じなんです。
そう書くと、やや自家中毒なブンガクでございってヤツかなあ、と聞こえてしまうんですが、
これが虎に変身する話だったり、西遊記の沙悟浄だったり、漢と匈奴の宿命の戦いだったり、孔子とその弟子の大河ドラマだったりします。
正直、面白い。面白く読んでいるうちに、グっとなんだか、冒険譚から人のエゴの話へとすり替わっちゃうんです。
なかなかとっつきが悪そうに見える小説なんですが、読んで良かった。面白かった。
特に「悟浄出世」「悟浄歎異」「山月記」「李陵」「牛人」「弟子」 このあたりは、ゾクゾクするくらい面白かったです。
※ですが、何せ早世したアマチュア作家さんなんで、つまらない短編も、あります。
11編読みましたが、まあ、上記6編だけで十分な気がしました…。
また、この6編だけでも、極上の味わい、堪能しました。
##########備忘録##########
●李陵…
歴史的なともかくとして。
中国の武将に李陵さんという名将がいて。
当時の中国は、北方の、ちょいと民族の異なる部族と戦争していました。
李陵さんは、善戦空しく、捕虜になります。
名将なもんだから、敵部族の長が、手厚くもてなします。敬意を払います。
一方で故国中国では、「失敗して捕まった」「裏切った」とかいろんな中傷が飛んで、家族が殺されちゃう。
初めは、中国に帰りたい。何とか敵を殺して脱走したい。
…でも、だんだん。故国に帰ったら罰せられてしまう。ここでは英雄として遇されている。
慕ってくれる若者もいる。どうしよう…。というお話です。
これに、李陵さんのことを弁護したばかりに、宮刑というおぞましい刑に処された司馬遷さんのお話が錯綜します。
「史記」を書いた人ですね。
ここンところの錯綜具合は、バランス的にはちょっとゴツゴツしていますが、
その辺はまあ。これは死後発表の遺稿だそうなんで。
●山月記…
これも中国のお話。
秀才が居て、詩文に秀で、詩人として大成したかった。
傲岸に人を見下していた。
だが、才能芽を開かず。落魄して小役人になっていた。鬱々と暮らし、失踪。
数年後、友人がとある山中で、虎と出会った。その虎が、詩人(希望だった男)の変わり果てた姿だった。
そして虎が、わが身のエゴの過ちを語る…。
●悟浄出世…
「西遊記」の沙悟浄さんなんですね。
河童っていうか、水中妖怪世界の一市民なんですね。
で、この悟浄さんが、
「自分はなぜ在るのか」「己は何者か」「俺の自意識からどうやって逃れられるのか」
みたいな、実存?存在そのものの疑問を持ちます。
それを、水中妖怪世界の色んな賢人を尋ねて珍問答を繰り広げるけど、悟れず。
そして最後に天界の声みたいに、「もうすぐ三蔵法師が来るから、ついていけ」…。
●悟浄歎異…
「悟浄出世」の続きですね。
三蔵法師、孫悟空、猪八戒と四人カルテットで旅をもうしているんです。
そして、悟浄の一人称、意識の中で、仲間三人それぞれの人物評が為される。
そういう、ひたすら悟浄の意識内の小説で、小説リアルタイム時間では、ほぼ何も起こらない、という、変わった小説です。
なんだけど、面白い。
どんな西遊記ものよりも、三人のキャラクターがものすごくハッキリくっきり立ち上がってきます。
描写の力、言葉の力。そして悟浄の、ニンゲンらしい、でも謙虚で前向きな姿勢も好感。
●弟子…
孔子と、その弟子の話。
そもそも、古代中国で孔子さんっていうのはこういう立場だったのかあ、というのも判ります。
これまた、実は「悟浄歎異」的な、多少欠点もある(頭脳鋭敏ではない、という)弟子と師匠の、長い時間の大河ドラマ。
これはケッコウ劇的です。弟子サイドの意識の中での孔子像、理想と現実の間で割り切れない自意識、という面白い話がありつつも、
シェークスピア悲劇的な展開。娯楽的です。
●牛人…
中国。豪族?がいて、正妻の子と妾腹の子。
この妾腹の子が、長い長い年月をかけて、復讐していく…という短編なんですが。
これが、怖い。凄いです。
ミステリーです。ホラーです。ドキドキします。いやー、怖かった。面白かった…。
●名人伝…
弓の名人が、最終的には弓と言うものを忘れてしまう境地になる、という話。
今一つ、深みは無かった。
●文字禍…
これまた異色な、古代アッシリアが舞台という短編。
文字、というものに精霊があるのか、というテーマから、学問とアカデミズムの中で現実と乖離していく怖さ、みたいな話。
むしろ、自分の学問の中にしか現実を認めなくなる…という。
まあでも、まあまあでした。
ここから先は、日本が舞台で、基本は私小説風。
●狼疾記…
職場で、あまり相手にされない惨めなオジサンが居る。
そのおじさんと飲むことになってしまった主人公。
主人公は主人公で暇を持て余して自意識を持て余して、俗悪なオジサンを心で罵倒したりする。
…というだけの短編。なんだか尻切れトンボ感。
●斗南先生…
「私」の叔父という人が、生涯独身生涯ほぼ無職、世に出ることなく終わった漢学者だった。
その叔父の晩年の想い出、死ぬまで。
我儘勝手な叔父に振り回された想い出を淡々と。
小品で、悪くないけれど、写生的で起伏に乏しい。
●環礁~ミクロネシア巡島記抄~ …
これはもう、南洋生活のスケッチなんですね。
やがて日本軍が玉砕しまくることになる島々の、原色にあふれる南洋世界が描かれます。
現地の人たちとの交流、というより観察日記的な。
水木しげるさんが交流した南洋の人たちもこんな感じだったのかなあ、という感慨。
文章は上手いと思うけど、南洋に興味ない限り、そんなに面白いものじゃありません…。 -
ふと思い出して「文字禍」を再読。
前にいつ読んだのか忘れてるくらいだから、内容もラスト以外ぼんやりとしか覚えていなかったけど、さすが中島敦だと改めて思いました。
物事を(文字を通して)深く知ろうとすればするほど、文字に潜む「何か」に侵され、素直に物事を捉えられなくなってしまう文字禍と言う病。それでも「何も知らない方が良かった」と思えるかどうか。
きっとそれでも人は貪欲に何かを知ろうとする。
そうであるならば厳しい取捨選択が迫られるはず。それが出来ないのであれば、いつか文字(情報)に押し潰される。 -
院生だったときに友だちにすすめられていたけど、読んだことがなくて。
でも、今このとき読んだからこそ、これあたしのこと書いてるのか?ってくらい、自分の物語だった。
とくに「山月記」「悟浄出世」「狼疾記」耳が痛く、我が身を振り返らせること。
中島敦はこんな小説を書いている間も、ここに描かれていることを我が身のこととして考えていたのだろうか。
この想いを抱えている人が、こうして小説を完成させていることが、私には謎。
どんな心境だったんだろう、なぜこれを書いたのだろう。
解せない。
知りたい。 -
☆西遊記を題材にした
「悟浄出世」「悟浄嘆異 」を
もっと読んで見たかったです。
悟浄の人間くささが好きです。