クノップの「ドキュメント・ヒトラー暗殺計画」にあるように「続」で取り上げたベーゼラーガー兄弟は7月20日事件の関係者だという事は一言も書いていないので、ムーアヘッドの「ヒトラー暗殺」に書かれているようにフーベルト・ランツ将軍も関係者だと触れないのは著者が「総統」暗殺の関係者には関心がないのだろうか?またランツ将軍はこの本で書かれている武装解除したイタリア軍将兵の虐殺について継続裁判で有罪判決を受けた事も書かれていない。
 ドデカネス諸島に「真の平和が訪れたのは、ギリシャ国民総選挙が実施された1947年のこと」?軍事政権の崩壊後に王政廃止を決めた1974年の国民投票は知っているが、1947年と言えば王国政府とギリシャ共産党が戦ったギリシャ内戦の真っ最中なのに?当時のドデカネス諸島はイタリア領だったので戦後、ギリシャ領になったのは1947年に連合国側とイタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランドとの間に結ばれたパリ条約だ。
 有名なラウル・ヒルバーグの「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」とゲッツ・アリーの「ヒトラーの国民国家」で書かれているように師団長ウルリヒ・クレーマン将軍とロードス突撃師団はロードス島のユダヤ人をアウシュヴィッツへ送り、残された財産を管理していたのだが、ただの一言も書かれていない。この事実はロードス突撃師団を書くには絶対に落としてはいけないのだが、著者は違うようだ。
 たまたま「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」と「ヒトラーの国民国家」は読んでいたので、この本にあるような「国防軍神話」を卒業した「思い出の本」だ。
 ロードス突撃師団と一緒に出てくる第22歩兵師団にはディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍が聯隊長として勤務していたが、ビーヴァーの「ノルマンディー上陸作戦1944」に引用された盗聴記録にはウクライナでユダヤ人虐殺という「最悪の仕事」を実行したとある。「ヒトラーの特殊部隊 ブランデンブルク隊」には「ブランデンブルク部隊は「ユダヤ人問題の最終的解決」とは関係ない!」と主張したいが為に偶然、第22歩兵師団が何をしたのかに言及している。さて第22歩兵師団がこのシリーズの単行本で取り上げた際に「最悪の仕事」には言及しているだろうか?著者は「ヒトラーの特殊部隊 ブランデンブルク隊」を使ってブランデンブルク部隊を書いているので「知りませんでした」は済まない。そこに「ホロコースト全証言」73頁にあるフィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵の回想は一緒に収録すべきだ。

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 マルメディーとオラドゥールには言及しているが、フェーゲラインのSS騎兵旅団が1941年にプリピャチ湿地で何をしたのかが触れていないどころか、同じ事を書いているはずのクノップの「ヒトラーの親衛隊」と「ホロコースト全証言」、芝健介の「武装親衛隊とジェノサイド」とを読み比べたら投入された日時が実際より後にズレている。種本が「劣等民族」を二万人ほど虐殺したという出来事に触れたくないので投入日時を実際より遅らせているのか?「続」で取り上げた1944年7月20日付という非常に覚えやすい日にちに騎士十字章を授与されたフィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵はクノップの本ではウルリヒ・ド・メジエール将軍と並んで主だった証言者で「ヒトラーの親衛隊」と「ホロコースト全証言」にも出て来るにも関わらず読んでいないのか?
 あと「ヒトラーの親衛隊」にはダス・ライヒ師団はブーヘンヴァルトに休養部隊を持っていたという元武装SS隊員の証言がある。

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 ベーゼラーガー兄弟について、21世紀まで長生きしたフィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵の回想を使っているグイド・クノップの本(特に「ドキュメント・ヒトラー暗殺計画」)とは随分と違う。「ドキュメント・ヒトラー暗殺計画」を読んだ時に同姓同名だが別の兄弟を描いているのかと思ったくらいだ。この兄弟が7月20日事件の関係者だと触れている本で見た事があるのはシュタールベルクの回想録でチラッと出て来るのと質のよくないベルトルトの本くらいか?
 「ドキュメント・ヒトラー暗殺計画」にはゲオルグ・フォン・ベーゼラーガー男爵が対パルチザン戦で「無人地帯」を立案して期限までに立ち退かなかった住民を虐殺したとあるが、そんな事はこの本には何一つ書かれていない。騎兵部隊にT-34と戦わせるわけにはいかないので「必然的」に対パルチザン戦への投入になるのだが、いわゆる「三光作戦」になるのも「必然」なのかもしれない。
 たまたま「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」と「ヒトラーの国民国家」でロードス突撃師団の所業を読んでいたので「3」が一切、触れていないまでは「国防軍神話」から完全に脱却出来なかったものだ。
 ヴラーソフ将軍が映っているところだけトリミングされる事がある集合写真は一人だけ確認出来ないが、大体正確なようだ。著者は他の本で別人を「トルーヒン将軍」だと「同定」していたが、自分の本なのに照合しないらしい。SDのフレーリヒが陸軍のような帽章のついた制帽を被っているが、検索しているとアイヒマンが同じような帽子を被っている写真があったのでSDが「普段」のSD将校用の制帽ではない帽子を使っていた場合があるらしい。
 中公新書の「私のベルリン巡り」などに出て来るベルナウアー通りの「壁」の写真は今となれば貴重だ。活字で読むのと写真を見るのとでは違いがある。

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 この本にはヴラーソフ将軍がドイツ軍の捕虜になった赤軍の将軍達に協力するように説得する場面があるが、「ポネジェリン大将」という人物から唾を吐きかけられそうになったとある。どうやら「勝利と悲劇」と「モスクワ攻防1941」に出て来るポネジェーリン少将のようだ。「モスクワ攻防1941」には彼の娘は父親がドイツ軍の捕虜収容所でドイツ軍に協力するのを拒んだと語っているのは、この出来事を指すようだ。ポネジェーリン少将はドイツ軍に一切、協力しなかったのに「祖国を裏切ってドイツ・ファシストに協力した」とスターリンに邪推されて名指しで罵倒された末に最終的には銃殺されたので、むしろ彼の方が悲劇の人物だと見えて仕方がない。ヴラーソフは国内戦で赤軍の幹部となったという点では似たような経歴を持つポネジェーリンを叩き上げでスターリンの言う事を口移しにしか出来ない男だと評したそうだが、それならヴラーソフは国内戦で赤軍に召集されなかったら正教会の神父として生きていたかもしれないだろう。ポネジェーリンを説得出来なかったので捨て台詞のような事をドイツ人に言えなかったヴラーソフは第2突撃軍の破滅でスターリンや共産主義に対する視点が変わったにしろ、彼がドイツ軍の捕虜になった1942年7月にはドイツ軍がソ連で何をしたのかは、ある程度知っていたはずなのにドイツ軍に協力する道を選んだのは何故か、になる。
 ヴラーソフが赤軍に逮捕された時の描写が何か小説じみていると思っていたら、ビーヴァーの「ベルリン陥落1945」に引用されている報告書の記述と一致しているが、途中から変わっている事に気がついた。偶然、赤軍と出くわした事に気がついたヴラーソフが自動車の座席で毛布をかぶって横たわって病人を装うとしていた、ではみっともないからだろう。これ、ジューコフの回想録に言及されていた。ブニャチェンコ師団の偵察大隊長のコスチェンコ少佐はカミンスキー旅団出身だと序文にあるシュテーンベルクの本で言及されているのに、「幻影」ではブニャチェンコの着任でカミンスキー旅団の「いわゆる”将校”」は全員どこかに飛ばされたと筆を曲げているので他にも著者が知っていても嘘を書いている個所がありそうだ。例えば1945年2月16日のパレードにオットー・ホーフマンSS大将が参加しているのに一切、出て来ないのはSS人種及び移住本部長としてヴァンゼー会議に出席した人物だからだろうか?ロシア解放軍がドイツ軍の東方部隊でのロシア人部隊で使われていた名目上の名称から師団として編成されたのはヒムラーが関わっている事は隠しようがないが、ホーフマンは「南西」SS及び警察高権指導者なので出席していたもおかしくはないのに。
 ゲーレンは成り行き上、あれこれ出て来るが、戦後ドイツの政治史上に登場してDDRが目の敵にしてきたテーオドーア・オーバーレンダーは素っ気なく登場する。あまりに素っ気なさ過ぎて分からなかったぐらいだ。
 芝健介の「武装SS」でフレーリヒの本と並んで、この本が使われているように日本語で読めるこの主題の本は類書がなかったし、せいぜい「二つの独裁の犠牲者」が増えたぐらいだろう。7月20日事件の関係者を「軍旗宣誓を破って総統を殺そうとした輩」と暗に否定的な評価をしているので、著者の立場が透けて見えてくる。さすがにこの主題を書く場合、ドイツ軍がソ連に対して何をしたのかは避けて通れないので、ドイツ軍を「ボリシェヴィキからの解放者」だと一度は信じて協力した人々(捕虜収容所で餓死するよりマシだと志願した人々もいるにしろ)がドイツ軍に対して憎悪を抱いた事も避けて通れないのだろう。

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 ドイツ軍将兵の見えないところで「ユダヤ人問題の最終的解決」が行われたかのような事が書かれているが、著者と近いとおぼしきヴァルター・ネーリング将軍は「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」にあるようにチュニジアのユダヤ人を強制労働を課した人物で、最後のヒトラーの誕生日にパレードを行ったロードス島の部隊はロードス島のユダヤ人をアウシュヴィッツへ送り、残された財産を管理していたロードス突撃師団で、前師団長のクレーマン将軍がチラッと出て来てもロードス島で何をしたかは触れもしない。
 何より海軍が「零時」のあと、「編入した」という「SS関係者」とはヒムラーが連れてきたリヒャルト・グリュックスやルードルフ・ヘースのような「関係者」で、強制収容所での犯罪などに関わりを持った「SS関係者」を逮捕して英軍に突き出すより「戦友意識」で庇い立てする方が「正しい」というのが「将校としての」著者の認識らしく、うっかり書いてしまったようだ。自分自身が強制収容所に送られていたかもしれないミルヒ元帥がベルゲン・ベルゼンにいた囚人は「ポーランド人とユダヤ人で、われわれのような人間ではない」と認識していたとあるのが「将校としての」意識なのか?これはヘースの回想録で言及されているのに最近邦訳が出た似たような2冊の本には何故か出て来ない。デーニッツ提督とドイツ海軍、フレンスブルク政府を批判するには絶好の対象のはずなのに。
 「スターリングラード」で赤軍の捕虜になってから「自由ドイツ」国民委員会に参加したベルンハルト・ベヒラーの階級は少佐が正しいようだが「中佐」となっているのは著者が誤記しているのだろうか?
 こういう本が「パウル・カレルとは違う」と「評価」していた本があるが、さてどうだが。

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 クラクフに連行された関係者の中でアモン・ゲートというSS将校がポーランド人に分かってしまったという個所があるが、「シンドラーのリスト」が公開されるまでプワシェフ強制収容所の所長だったSS将校が有名ではなかったはずだ。「シンドラーのリスト」が公開されるまで原作本を除いて、ゲートが出て来るような日本語で読める本はあったのだろうか?プワシェフ強制収容所はクラクフの近くにあり、ポーランドで行われたアウシュヴィッツ裁判はクラクフで開催されたと分かれば位置づけが分かってくる。
 ヘースの写真を見ているとオスマン朝の鉄半月章を佩用しているのはパレスチナに派遣されたドイツ軍の一員として叙勲されたそうだ。ドイツ軍の将軍達がオスマン軍に起用されていた事は言及されても、ヘースのような兵士は他に出て来ない。一級戦功十字章が剣なしから剣付になるのは「ユダヤ人問題の最終的解決」に対する「貢献」で叙勲されたわけだ。

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 この本で当時の事を語っているドイツ軍の将校は赤軍の捕虜になってから「自由ドイツ」国民委員会の副会長になったハインリヒ・フォン・アインジーデル伯爵、「ヒトラーの戦士たち」にあるように第11軍司令官エーリヒ・フォン・マンシュタインのふがいなさに嫌気がさしたらしく、この本には白バラ運動のビラを配布したとあるウルリヒ・グンツェルト中尉、そして7月20日事件の関係者であるフィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵といった「零時」前から距離を置いていた人が目につく。そういう人でないと語らないのだろうか?
 「ヒトラーの戦士たち」でエーリヒ・フォン・マンシュタインを取り上げた際に彼が第11軍司令官としてユダヤ人の虐殺を命令した事は一応触れていても扱いが軽いのは彼の子ども達に取材しているからだろうが、この本では「ライヒェナウ指令」で悪名高いヴァルター・フォン・ライヒェナウ元帥だけが言及されている。「親ナチの元帥」フォン・ライヒェナウの義理の妹はユダヤ人を匿っていたマリア・フォン・マルツァーン伯爵夫人なので単純ではない。
 同じ原書房から回想録の邦訳が出ていたアニタ・ラスカー-ウォルフィッシュの回想が多用されているが、初版では彼女を「ドイツ人」と罵倒していたらしく邦訳が出た時点ではラスカー姉妹はブレスラウ出身なのに「ドレスデン出身」の仮名の人物にしていたファニア・フェヌロンの回想も引用しているのはおかしな感じ。フェヌロンを「編曲が出来るがハスキーな声のシャンソン歌手で、ポーランド人を反ユダヤ主義者と見て、フランス語を出来る人間しか評価しない女」と酷評した本があるが、イルマ・グレーゼからベルゲン・ベルゼンに英軍が来た事を親切にも伝えてくれたというので実は密告者なのかもしれない。シャンソン歌手がアルマ・ロゼの囚人オーケストラにいるのは不自然なので、編曲とドイツ語が出来るので配属されたのだろうか?
 ベルリンで匿われたハンス・ローゼンタールというクイズ解答者はコーネリアス・ライアンの「ヒトラー最後の戦闘」や「ドイツにおけるユダヤ人の歴史」で言及される人か?ドイツでは有名なので「アーリア人」に匿われたユダヤ人の例として挙げられているのだろう。長い間、ドイツとは絶縁していたアニタ・ラスカー-ウォルフィッシュの友人で「せめて一時間だけでも」の語り手のコンラート・ラッテのように「零時」のあとのドイツで経歴を積んでいたのは同じだ。

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 この本に出て来る人は不思議と有名人や回想録の邦訳がある人がいるので意外と人間関係が分かりやすい。
 この本の「零時」のあとの紹介では出て来ないが、DDR時代のフンボルト大学教授になったヴォルフガング・ハーリヒはKPDと関わりを持った脱走兵なのに「普通の脱走兵」と違ってギロチン台にも強制収容所にも執行猶予部隊にも送られずに禁固3か月で済んだのは両親が有名人だからだろうか?
 ルート・アンドレアス-フリードリヒの「ベルリン地下組織」という邦題の日記はDDR時代の有名人ローベルト・ハーヴェマンが摘発された時に匿っていたユダヤ人の仮名を日記に記したと批判しているが、当の本人がコンラート・ラッテを仮名の「コンラート・バウアー」で書いている事は、この本には出て来ない。アンドレアス-フリードリヒの本の邦訳が出た時点では「コンラート・バウアー」は公表されるのを拒んだとあるのに、娘から家族について聞かれて心境に変化があったのが分かる。
 「零時」のあとのドイツで経歴を築いたラッテと違って、長い間ドイツとは絶縁していたアニタ・ラスカー-ウォルフィッシュとはブレスラウ時代の友人なので登場する。フランス語が話せるのでフランス人と称してブレスラウから脱出しようとしたとあるので、アウシュヴィッツでアルマ・ロゼの囚人オーケストラでフランス人の「編曲が出来るハスキーな声のシャンソン歌手」ファニア・フェヌロンと親しくしていたらしいが、彼女の回想録で自分と姉が「傲慢なドイツ人」と酷評されているので抗議をしたらしくフェヌロンの本の邦訳では「ドレスデン出身」の仮名扱いになっている。
 ラッテがユダヤ人学校でマイモニデスをラムバムと呼ぶのを習っていたので牧師が持っていた蔵書を言い当てて「ゲスターポのスパイでないという検査を無意識に通った」という個所がある。ラッテがマイモニデスを原語のアラビア語やヘブライ語訳の書名を読めるとは思えないので、おそらくドイツ語訳だろう。と同時に公然とマイモニデスの著書を書棚に並べていてもゲスターポがやって来るわけではないのも分かる。

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 とにかく複雑な感情を持っている本だ。お値段は張るが、意外と類書のない「書物としての新約聖書」を紹介した入門書だ。
 改版するなら刊行当時に「話題になっていた」?「死海文書の謎」やシーリングの「イエスのミステリー」など知らない人もいるだろうから削除していいだろうか。
 この本ではRSVが"Epistle"ではなく”Letter"と訳したのを評価しているのに例の新約聖書のドデカい分冊本では「書物としての新約聖書」で書いた評価には一切言及しないで他人事のように正反対な事を書いている。この本では「聖書の世界」と「聖書外典偽典」で「二重出版」した人がいると批判しているけれど、さてどうだが。この本の原稿を書いた時には「聖書の世界」の「新約聖書外典」と「教会教父文書」が講談社文芸文庫で再版するとは知らなかったらしい。他人の事をあれこれ批判するなら自分が書いた事も整合性を持たせて書くべきだ。何しろ「たかがヘンデルでさえ」とバカにしている「例のオラトリオ「メサイア」」のテキストの翻訳を依頼されたら請け負っているのだ。
 「聖書の世界」と「聖書外典偽典」を紹介していない「門脇文庫 日本語聖書翻訳史」で自分が書いたマルコ伝の注解書が紹介されていないと「下劣な党派心」だと批判している。この本を使っていたら新共同訳が「旧約聖書続編」を使ったのは昭和9年に日本聖公会が刊行した「舊約聖書続篇」があるのを受け継いだ為であり、これは新共同訳の「聖書について」に「すでに戦前に使用されていた「続編」の用語を採用することにした」と書かれている事を指すと分かるのだが。日本語訳聖書については「門脇文庫 日本語聖書翻訳史」と海老澤有道の「日本の聖書」を参照すれば、もっとマシな内容になった可能性はある。例えばベルギー人のエミール・ラゲ神父を「フランス人」と書いている個所は彼がパリ外国宣教会から派遣されているので勘違いしたのか?
 ただし新改訳第2版を持っているらしくあとがきを引用しているのに頁をめくって奥付を見る手間をしないので海老澤有道が第1版の刊行年度は昭和45年なのに誤記した「1973年」を鵜呑みにしている。また新改訳聖書を「英訳のNIVにほぼ対応する」とあるのは「ほぼ」正しいとしても、新改訳聖書のスポンサーはNASBを刊行したロックマン財団であり、日本側と版権を巡って裁判闘争をしたぐらいなので、NASBにも触れた方がよかったのではないか。
 反権威主義の割にはオックスブリッジ崇拝はあるらしく、"The Catholic Study Bible"はオックスフォード大学出版局が出した書名であり、"New American Bible"は"NAB"をロゴに使っている。当のオックスフォード大学出版局が出した"The Precise Parallel New Testament"の背表紙には使われている8種の新約聖書の中に"New American Bible"は"NAB"とある。そんなにオックスフォード大学出版局が好きなら「ファンダメンタル」御用達のスコフィールド注釈付き聖書の版元なので紹介したらどうなのか?と言いたくなる。
 これはメッツガーの「新約聖書の本文研究」の方が辛辣だが、エラスムスが校訂したギリシャ語新約聖書について「世情に通じたエラスムス」ではなく版元のフローベンが準備期間を置かずに刊行していた。この本にあるようにエラスムスは「コンマ・ヨハンネウム」を認識した程度には写本の校合をしていたとしても、どういう写本が古くて良質なのかは彼が生きていた時代には分かるわけがないだろう?言ってみればエラスムスに1年足らずの日数でほとんど一からネストレ26版並みの校訂をしろ、と要求するようなものだ。第一、エラスムスはギリシャ語は取得してもヘブライ語とアラム語は取得出来なかったと...

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 赤軍の捕虜になってからのパウルス元帥を書いた個所は20年以上前に原書が出て邦訳があるグイド・クノップの「ヒトラーの戦士たち」に「ドイツ解放軍」構想を除くとほぼ書かれている内容だ。大木毅は自身が訳した「ヒトラーの元帥 マンシュタイン」に「ヒトラーの戦士たち」が使われているので存在は知っているはずだ。それなのに「残念ながら、そうした成果はなお日本には伝わっていないようだ」と人騙しの言葉を書く神経がしれないし、おそらく「ヒトラーの戦士たち」を読んでいないので大木毅の駄法螺を見抜けない岩波書店と角川書店の編集者の勉強不足も問題だ。あるいは「売れっ子ライター様」なので知っていてもだんまりか。もっとも大木毅が朝日新聞の論座と新潮社の「指揮官たちの第二次大戦」でデーニッツ提督を書いた時にクノップの「ヒトラーの共犯者」を多用しているのに、「ヒトラーの共犯者」には「水晶の夜」の時点ではデーニッツが上官に口頭で抗議した事は書いてあるのに触れていない為にヒトラーの政権掌握と同時に「ナチの海軍士官」になったかのように読めてしまうので、朝日新聞と新潮社の編集者も似たようなものらしい。
 同じ事を書いているのにクノップの本と相違点があるのは高橋慶史だけかと思っていたが他にもいたわけだ。

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 著者は「もしほんとうに、聖書と歴史的文献の間に矛盾がある場合には、筆者自身も聖書をとる」と福音派の牧師らしく「聖書無謬説」を取っている。が、列王記下やエレミヤ書はマナセ王がユダ滅亡の諸悪の根源視しているのに歴代誌下ではマナセは改悛してエルサレムに帰還しているし、エホヤキム王はおそらく暗殺されて埋葬されなかったのか、それともバビロンに連行されたのか、エホヤキン王は母后ネフシュタをはじめとする人々ともにバビロンに連行されたのか、それとも単独でバビロンに連行されたのか、相互に矛盾している。エレミヤ書はヤハウェは印章のある指輪としてエホヤキン王と彼の子孫を捨てたとあるが、ハガイ書では彼の孫のゼルバベルを印章のある指輪としてはめる事になっているので、ハガイは偽預言者ではないのか?それともヤハウェさんはお天気な神様なのか?こういう聖書自体の矛盾点にはいっさい触れていない。「エルサレムの陥落とユダの滅亡」はエホバの証人の教義にとって重要なものだが、逆に聖書自体の矛盾を露わにするものだ。
 エホバの証人に対して教義の矛盾を指摘する為の本なので、エホバの証人の出版物には接し得ないような部外者には分かりにくい。

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 「エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々」に代表されるエホバの証人の出版物で書かれている初代会長ラッセルの生涯と19世紀の「再臨運動」などを通して「本当のラッセル像」を書こうとしている。ウィリアム・ミラーの「再臨運動」はセブンスデー・アドヴェンティストのような宗派の誕生にもつながるので19世紀アメリカの宗教シーンを知るには重要だ。部外者にはナザレのイエスの言葉に反して「再臨の日時」を読み解いては外れるキリスト教の歴史の分厚い1頁につけ加えるだけだとしか見えない。
 ミラーは「聖書欄外に書かれている引照箇所とクルーデンの『聖書語句索引』だけを使いながら」とあるので欽定訳を使っていたようだ。
 エホバの証人の「終末予言」の外し方と誤魔化し方は悪質だとしても、福音派には「イスラエル建国から40年後に「地球最後の日」が来る」とかいう本があったのに、いっさい触れていない。イスラエル建国から40年後といえば第1次インティファーダを指すのか?
 英訳新世界訳聖書には"grand master"という変わった訳語を使っているので、「これは、新世界訳の最終的な責任を負ったフレデリック・フランズがフリーメイソンであったことを示唆する」とある。となるとラッセルもラザフォードもノアも、甥のレイモンド・フランズを含めて統治体の成員も「フリーメイソン」なのか?特に議長に全権を持っている時代はフレデリック・フランズだけが「フリーメイソン」だとしても動きうる組織ではないだろう。
 ラッセルの伝記はないそうなので断片的に書かれたものや「エホバの証人の年鑑」などエホバの証人の出版物などを参照しているので、ラッセルとフリーメーソンとの関係については推測になってしまうようだ。フリーメーソンが「古代エジプトの神話」を使っているというのは、どういう事を指すのか?ラッセルの時代にはヒエログリフが解読されて研究が進んでいるのに、この本で言及されているのはギリシャ・ローマの古典を通してキリスト教徒が知り得たシャンポリオン以前の「エジプト神話」を指すように読めてしまう。
 またラザフォードが放棄するまでの「ピラミッド崇拝」は、この本にあるように「ピラミッドにキリストの再臨が記されている」という「ピラミッド学」と密接につながっているが、それは当時の思想シーンの中で論じるべきで「異端審問」的な発想ではない。
 この本、「良心の危機」の該当個所とそんなに変わりがないし、レイモンド・フランズの文章は類書と違って自分達や親しい人々を排斥した組織に対する憎悪を前面に出していないので、こちらの方が読みやすい。ものみの塔の日本語訳出版物には接し得ても、19世紀アメリカの宗教やオカルト文献を読み込んだ研究者でないと分かりそうもなさそうだ。
 エホバの証人が最初に印刷した新約聖書がベンジャミン・ウィルソンのエンファティック・ダイアグロットなのは「再臨予言」が外れた時に読者が見つけてくれたので小手先のごまかしに使った「記念すべき出版物」なわけだ。
 おそらく「広島会衆の排斥」での中心人物の金沢司が書いた「ものみの塔の終焉」には、この本での理解と違って「新しい光」で教義が変わったと理解したエホバの証人には「昔のものみの塔誌を持ち出しても、「あれは古い見解だから」の一言で片付けられてしまうことが多いのである」。何だか日本共産党や創価学会が教義の変遷や以前の教義との矛盾を指摘されても官僚的に頭を切り替えたかのように「スターリンの大国主義的な指導」とか「日顕宗の権威主義」とかに還元してしまうのと似ている。案外この「ものみの塔の終焉」の理解が「ものみの塔の終焉」がなかなか来ない事に結びつきそうだ。

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 「日本語版”新世界訳聖書”は二重訳である点で不正確を免れません」とあるが、それなら新改訳聖書は第3版までの本文はロックマン財団がスポンサーになった関係でロックマン財団が「自由主義神学」で訳されたRSVに対抗して「正しいキリスト教の神学」の「観点」で翻訳中だったNASBに影響されていなかったのか?
 「一般のInterlinearであるネストレ版では"punishment"と訳しているのです」と書いているところを見ると、この著者はネストレがいかなる出版物なのかを理解していないのかもしれない。これでギリシャ語聖書王国逐語訳を使って新世界訳聖書を批判しようとしても無理がありそうだ。
 ルカ23章43節について、ウェストコット・ホートの本文に読点があるので「新世界訳は改竄している!」と息巻いているが、それはウェストコット・ホートの編集者がつけた読点であって古い写本は単語を切れ目無く書かれている。今となっては「正しい読み」など誰にも分からないだろう。なのでここは新改訳聖書と新世界訳聖書の解釈の違いに由来するとも言えるのだ。第一、ギリシャ語聖書王国逐語訳には該当個所の注釈が書かれているのに著者は読み飛ばしているのか、無視しているのか。まさか霊媒を通して天国にいるルカの霊を呼び出して「正しい読み」を教えてもらった、とは言わないだろうね?新世界訳聖書の翻訳者が自分達の教義に都合がいいように括弧つきで余計な句をつけ加えた個所の反論はいいとしても、こういう強引な「批判」をしていると逆効果ではないのか。この説得力の無い「聖句の解釈」は「「エホバの証人」の悲劇」の増補版でも使っているのは福音派の信者さんには「分かりやすい」のだろうか?

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 イギリス軍の捕虜になったドイツ軍将兵や武装SS隊員の会話を盗聴した記録を元にした本。序文にナイツェルは邦訳がある戦記で盗聴記録の存在を知ったとあるので、意外な本が先に使っている可能性がある。ドイツ語の会話をイギリス軍の関係者が英語に訳したものを再びナイツェルがドイツ語に戻して書いた本を日本語に訳しているので意味合いが微妙に変わっている個所はあるかもしれない。
 ゲオルグ・フォン・ベーゼラーガー男爵らしい人物が死ぬまでに剣柏葉章を授与したいと語っていたと別の将校が語っている一文がある。ナイツェルが関わりを持っていたグイド・クノップの「ドキュメント・ヒトラー暗殺計画」にあるようにゲオルグ・フォン・ベーゼラーガー男爵はヒトラーを殺そうとしていた将校の1人だが、同時にその「総統の名において」授与される勲章が欲しいという「首の病気」にかかっていたとは興味深い。
 「ヒトラーの特攻隊」で取材に応じているように、この本が執筆されている時点では現存者だったハヨ・ヘルマンは自分が立案したエルベ特別行動隊の指揮を執ると考えていなかったのかと問われて「いいえ、それは考えていません」と答えたとアドルフ・ガランドが語っている。こういう「剣柏葉付騎士十字章に輝く」英雄の「死ぬのは他人、自分は21世紀まで生きたい」とも言えそうな発想は腹立たしい限りだ。
 それにしても「たとえば空軍はノルウェー戦役において五つの騎士十字勲章を爆撃機パイロットに与えているが、これは敵艦を撃沈したという「錯覚」によるものであった」というのは1940年というドイツ軍が優勢で裏が取りやすい時期なのに、まるで台湾沖航空戦での「戦果」紛いの誤報がまかり通っていたのには驚かされる。「ドイツ空軍は戦果について確認する」という本があるが、結局は当の搭乗員が高速で動く飛行機内で見た煙や火炎などで「戦果を確認」したものを積み重ねているだけなのは台湾沖航空戦での帝国海軍の搭乗員と変わらないし、それ以上は当時ではどこの軍隊でも無理だろう。「海軍もたとえばUボートの艦長による報告を、文字通りには受け取らなかった。何人かは、自分の成功を誇張する行為で札付きであることが知られていた。しかしながら彼らは顕彰を受けたのである」もっとひどい例はデタラメの「戦果」でヒトラーとムッソリーニから勲章を授与されたイタリア軍の艦長も紹介されている。
 この本には出て来ないがエルンスト・バルクマンの「輝かしい戦果」なるものが実は架空のものなのはノルマンディー戦のような敗戦におけるプロパガンダには必要なのかもしれない。エーリヒ・ハルトマンのような「超エースの輝かしい戦果」なるものは実は撃墜していない赤軍機を「撃墜」したとか部下の戦果を横取りしたとかいった「戦果」を積み上げてきたものに見えてくる。邦訳のあるハルトマンの伝記にはデタラメな個所があって、クノップとの関係でナイツェルは面識がある可能性が高いフィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵は1944年7月20日付という非常に覚えやすい日に騎士十字章を授与されているが、その時の写真を見ると彼を含めた将校達は拳銃を携帯したままヒトラーから勲章を授与されているのに、この「超エース」様は「俺はSSから拳銃を預けろと言われたが拒否した」と自分を「ヒトラーに物申した英雄」だと高下駄を履いていたり、卑劣な空軍大佐ハヨ・ヘルマンはルーデルのような「札付きのナチ」として知られている関係上、明らかに自分も「札付きのナチ」と見られたくないからか、最近邦訳が出た本を見ると一緒にソ連のラーゲリにいた上官なのにハルトマンの伝記には登場しない。ハルトマンの正体に気がつくと彼が「自分の成功を誇張する行為で札付き」な男にしか思えなくなってきた。まだ捕虜扱いの時期に少佐なので働く必要がないのに食堂という「特権的」なとこ...

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 著者達は赤軍が「野蛮な赤の軍隊」のように書いているが、1941年6月22日に戦争が始めたのはドイツと同盟国と対独協力政権の軍隊だという視点がないらしい。そもそもロシア文学に相当な偏見があるので、第三帝国のイデオロギーと親和性がありそうだ。
 エーリヒ・ハルトマンはダイヤモンド章をヒトラーから授与される時にSSから拳銃を預けるように言われて拒否したそうだが、1944年7月20日付という非常に覚えやすい日にちに騎士十字章を授与されたフィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵が勲章を授与された時の写真をネットで見ると彼や他の将校は拳銃を携帯したままだった。どうやら「7月20日事件後はSSが将校の武器を預けないとヒトラーと会えない」というのは「例外」ではなかったかもしれない。ひょっとしたら最期までヒトラーに忠誠を誓っていた国防軍の軍人達による卑劣な弁明なのか?ハルトマンは同著者の他の本で傷痍軍人のフォン・シュタウフェンベルク伯爵が拳銃を使ってヒトラーを殺さなかったとバカにしているが、左手に残った三本の指で拳銃を抜いてヒトラーに向ける前に取り押さえられるのが筋だ。本当は「総統を殺そうと軍旗宣誓を破った貴族出の将校共」を軽蔑していたのだろう。
 ハルトマンは「零時」を迎えた時の最終階級は少佐なので働く必要がないのに、まだ捕虜扱いされていた時に食堂で働いていたと分かる個所がある。戦犯として有罪判決を受けてから「将校として労働を拒否する」と「主張」していたという人物にしては不可解だ。そもそもソ連の捕虜収容所で食堂という「超特権的な」場所で働いていたというのは実はこの男は一時期、反ファシスト学校に行った反ファシストだった時期があるのではないか?同じように類推するのは、この男はスメルシュの将校に捕虜取り扱いの書類を見せてもらったとの事だが、ロシア語が話せると「スパイ」と見做されるのに「ドイツ・ファシストの将校」がロシア語でスメルシュの将校に書類を見せてほしいと頼むと射殺されるのが筋だ。よくいってドイツ軍の捕虜になったスメルシュの将校から捕獲した書類を読んだか、あるいは反ファシスト学校で何かの弾みで書類を読む機会があったのか。
 「ブランデンブルク隊員の手記」にハルトマンの伝記と重なるようなラーゲリでの戦友達を紹介されていたが、終生ヒトラーを崇拝していたハヨ・ヘルマン大佐の名前があって上官格だそうだ。しかしハルトマンの伝記には出て来ないのはヘルマンのイデオロギーが絡むのだろう。ドイツ連邦空軍の将校が「実はナチでした」では軍歴を重ねられないだろうし、DDRから「復讐主義者のナチ」だと攻撃されてしまう。またスヴェルドロフ州にもいたとあるのに、ハルトマンの伝記には出て来ないのは不可解だ。
 こう思うとエーリヒ・ハルトマンは「不屈の英雄」どころかナイツェルの「兵士というもの」の表現を借りれば「グロテスクなまでに誇張されたパイロットによる報告がどこまで真実なのか」と疑ってしまうし「自分の成功を誇張する行為で札つきである」男のように見えてくる。実はハルトマンの「輝かしい戦果」なるものはエルンスト・バルクマンの架空の「戦果」みたいに丸っきりのフィクションか部下の戦果を横取りして「自分の戦果」にしたのか。ハルトマンの容姿が第三帝国が求める「アーリア人」なので「ボリシェヴィキに率いられたスラヴ・アジアの野蛮人と戦う英雄」にふさわしくダイヤモンド章を貰うまでに至ったのか。ハルトマンが連邦空軍に入隊する時に大尉で入隊するように求めたという政治家に取り入っていた「臆病者」の将校が出て来るのは本当のところはハルトマンの正体を知っているか見抜いたか、あるいはハルトマンの国民社会主義イデオロギーを口実に入隊を拒否しようとしていたのかもしれない。

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 何でも「柘植久慶」というペンネームでデビューする前にフランス外人部隊について書いていた事があるらしいが、この本には参考文献目録がないので本文で言及されている本で判断するしかない。ジュール・ロワの本は「ディエンビエンフー陥落」という邦題で刊行されているのに原題を日本語訳して書いている。たまたまジュール・ロワの本が我が家にあったので気がついたのだが、この本のディエンビエンフー戦の記述は細かいようでいて実はジュール・ロワの引き写しだ。しかし、この本のようなフランス外人部隊の歴史を書こうとすれば「ディエンビエンフー陥落」は別として、今でもフランス語などの文献(質はともあれ)を参考にせざるを得ないだろうが、ジュール・ロワの邦訳本を持っているか、存在を知った読者が古書店などで購入して読み比べたら気がつくだろうに。それで邦訳がある事を読者に知られないように邦訳の存在を書かないのだろうか。
 種本にはスーザン・トラヴァースの写真がなかったらしい。まさか彼女が健在で回想録を書いて邦訳が出るとは思わなかっただろう。トラヴァースが書いているように第13准旅団長だったアミラクヴァリ中佐は本当にグルジア人の亡命者で名乗っているのは偽名ではなく本名で公爵だ。彼は年齢的に見てロシア軍の軍籍はなかっただろうし、せいぜい幼年学校どまりだろう。国内戦当時、白衛軍に参加した事すらなかったかもしれない。あるいはアミラクヴァリについて不正確な事を書いた本が種本だったのだろうか。
 他のフランス外人部隊ものでも言える事だが、第1次世界大戦でフランス外人部隊を志願して右腕と引き換えにして将軍となり、昭和21年から4年間、日本にいたジノーヴィー・ペシュコフ将軍は一言も触れていない。おそらくフランス外人部隊に一兵卒で入隊して将軍になった人は他にいないのではないか?種本に書かれていないのか、知っていたとしてもスヴェルドロフの兄にしてマキシム・ゴーリキーの養子になった時にユダヤ教から正教会に改宗してゴーリキーの本名を取って父称と姓としたのが気に入らないのかは知らないけれど、ペシュコフはゴーリキーのような当時有名だった作家の養子だからこそ異例とも言える出世があったように思える。「皇女照宮」でペシュコフが照宮と東久邇宮盛厚王及び前田菊子と写真を提供したらしい酒井美意子などと一緒に前田邸で撮影した写真が掲載されていたり、「昭和天皇拝謁記」にペシュコフらしい人物が出て来たりするので、イアン・ブルマの「廃墟の零年1945」にフランス語が話せるウィロビーがロシア風の名前の「フランス大使」(ジノーヴィー・アレクセーエヴィチ・ペシュコフは改宗後の本名)を「赤」だと邪推したかのような馬鹿げた記述があると馬鹿馬鹿しく見える。少なくともウィロビーからすればペシュコフが「赤の標本」ぐらいには「疑わしいもの」を感じたのではないか。
 単行本ではジプチで死んだ外人部隊員の日本人がいたとあるのを削除したのは脱走兵・毛利元貞から聞いたのは他の本で分かる。この話の元ネタの出所は明らかに単行本より先に出ている「戦場のブラックホール」だ。こんな推測を読者にさせるより参考文献目録くらいつけてほしいものだ。

2023年9月22日

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 悪名高い脱走兵毛利元貞を持ち上げて紹介した本だが、どうやら柘植久慶は「戦場のブラックホール」に「フランス外人部隊の任期は5年から3年に変わった」という手紙があるのを鵜呑みにしたらしく「フランス外人部隊」で書いたのを毛利が読んで自分を売り込んだらしい。毛利元貞の「傭兵修行」では脱走した事を遠回しで「去った」とあるが、この本では任期を終えたので「勝利者」とある。毛利に騙されたのならば柘植は被害者と言えるが、こういう本を鵜呑みにして「俺もフランス外人部隊に入隊して男になる!」とフランスに行った青年層がいるらしいので罪作りだ。

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 柘植久慶の「フランス外人部隊から帰還した男」と描写が違う本。実は陸自では脱柵してフランス外人部隊でも脱走しましたでは様にならないだろう。毛利は迫撃砲手の訓練は受けていてもボディーガードの訓練など受けていないのにダラムサラへ売り込んだらしいが、「反支那」の右翼団体にでも取り入って近づいたのか?脱走兵なのが知れ渡ったので経歴を変えているので、どこまで信用出来るのか知れたものではない。

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 フランク・キャンパーの傭兵学校はお金を出せば、訓練についていけるかは別として誰でも入れるとは一切書いていない。落合信彦はDDRについて知識がなかったらしいので自称「元NVAのコマンド部隊員」と称する人物の駄法螺を信じたのか、あるいはまだ徴兵制がない時期なのに再々軍備と共に徴兵制が施行されたドイツ連邦共和国と混同して「徴兵された」と創作したのか。この本を信じれば傭兵学校で2週間の訓練さえ受ければ軍隊経験の無い元牧師や元ギャンブラーでも「凄腕の傭兵」になれるようだ。「傭兵部隊」と言っても別にキャンパーが私兵を持っているわけでもないだろうに。ミリシアでもあるまいに。
 F-4ファントムⅡの射出座席から脱出したパイロットはM-16やAR-15などを持っていたそうだ。ゴルゴ13でもまだ描写はまともだ。
 何でも落合信彦は自由レバノン軍のハダト少佐をインタビューした事があるそうだが、その記事を鵜呑みにした読者の手紙を黙殺したとあるのは、せいぜい自衛隊かまだ少なかったはずのフランス外人部隊での経験があったとしても実戦経験などないし言葉も分からないし風習や宗教も知らないような読者が参加したところで追い出されるのが筋だからだろうか。あるいは自称「国際ジャーナリスト」の嘘がバレてしまうからか、ひょっとしたら誰かが上手く言いくるめて自由レバノン軍に参加して「名誉の戦死」でもしてしまったら集英社共々家族から訴えられてしまう可能性があるからかもしれない。わざわざ書くところを見るとそういう手紙がたくさん届いていたようだ。
 自称「元フランス外人部隊員」のソルジャー・オブ・フォーチューン誌の編集者のアメリカ軍での「軍歴」では戦闘経験があるとすればドミニカだけだ。アメリカ軍がタイで誰を相手に戦っていたのか?仮にタイ共産党軍でも時期が合わない。フランス外人部隊はシチリアで1年にわたって訓練するのか?この本を鵜呑みにして毛利元貞は「傭兵に憧れた」そうだが、実際にフランス外人部隊に入隊してから現実を知って驚いたのではないか?フランス外人部隊はジプチでソマリア軍やエチオピア軍を相手に戦っていたのか?本当は徴兵で入隊した事があるにしろ、本当の「軍歴」では虚栄心が満たされないので嘘をついているように見えてしまう。写真ではフランス軍の軍装を身に着けていても周囲の森はジプチには見えないのだが、仮に第13准旅団にいたすれば脱走兵の毛利元貞の先輩だ。

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 大正天皇に光を当てた本としては評価出来るとしても行幸・行啓の記述が多い。「皇后考」と違って著者の深読みのし過ぎがないので読めるのだろう。
 色々な本を深読みし過ぎて?「根拠のない逸話の数々が、まことしやかに語られている」のは同著者の「皇后考」のような本だ。以前に権藤四郎介の「李王宮秘史」の復刻版の解説を書いた時に四郎介が権藤成卿の実弟(それ以前に権藤成卿の存在すら?担当編集者も知らなかったらしいので自社で刊行した「権藤成卿」を参照すればいいのに)と知らなかったらしく正体不明な人物と決めつけていたので、「椿の局の記」なる関屋貞三郎の経歴や宮中での女官の呼び名を知っていれば気がつきそうな「盛っている」本を嬉々として使うのだろうか?何でも「岩波 天皇・皇室辞典」で、あれほど皇室について書いているはずの保阪正康が三笠宮についてデタラメな事を書き飛ばした時に一緒に三笠宮邸に呼び出された時しか皇族には会わないそうだが。

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 最近流行りの「オーラル・ヒストリー」で困るのは、あまり知られていない人の場合には間違いがあっても分からない事だ。「外交官夫人の野村タチアナ」とあるが、この人の夫の野村三郎は5・15で陸士を放校になった士官候補生で陸幼から学んだロシア語を生かして在ルーマニア大使館に派遣された時に知り合ったようだ。息子のジョニー野村と奈良橋陽子との間に生まれた娘が「英語でつなぐ100年」朝ドラの「カムカム」でパトリシア役で出演していた米倉リエナなので何か不思議な縁も感じる。この夫妻に取材をしているが裏を取っていない「もうひとつの昭和」という本で日本人に不満があると語っているが、孫達は英語が話せてもロシア語は話せないのだろうか?
 モルトヴァ出身の野村タチアーナは別として、ハルピン出身の白系ロシア人と日本人との間に生まれた「混じり」がNHKのロシア語放送のアナウンサーなどには多かったようだ。版元は、この本に時々家族込みで言及されていて掲載された写真も多い姉川ローザの「オーラル・ヒストリー」を出せば、一定の層には売れるのではないか。

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 反対側のレーマー将軍を含めて当事者が生きていた頃に刊行された本なのにジョン・トーランドの「アドルフ・ヒトラー」を多用している本。何で著者は取材しないんですか?一つ気になるのは講談社版ではグイド・クノップの本でお馴染みの「騎士十字章に輝く英雄」フィリップ・フォン・ベーゼラーガー男爵がカザーク部隊の指揮官とあるのに、こちらでは単に騎兵となっている。とっくの昔に秘密でも何でも無い「大祖国戦争でドイツ・ファシストに協力した裏切り者」の存在に触れたくないのかもしれないが、意図的に誤訳していたら問題だ。訳者あとがきで邦訳者はドイツの諸政党の前身はヒトラーの政権掌握に道を開いたと罵倒しているが、左翼党の前々身のドイツ共産党はコミンテルンの指導通りに暴動を起こしたりヴァイマル体制を忌避してNSDAPと手を組んでいたりしなかったのか?この本は元々、質が低いのでフライターク・ローリングホーフェン家の将校が総統地下壕にいなかったのか?という疑問すら答えられない。この将軍は長生きしたのでビーヴァーの「ベルリン陥落1945」で取材に応じているんですけど。

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 宮中の女官の呼び名が一字では「高級女官」でないのだが、「貴重な聞き書き」を鵜呑みにした編者は知らないとしても解説者は「象徴天皇制の研究者」なのに知らないのだろうか?この本にある「関屋事件」なるものは関屋貞三郎の経歴さえ知ればあり得ない事が分かるのに、解説者は版元の御用研究者なのか?もし関屋貞三郎が(多分)宮内次官当時、土足で宮中三殿へ上がったら、その時点で経歴が終わり、中央協和会理事長や枢密顧問官にはなれない。おそらく関屋貞三郎は無教会派、衣子夫人は聖公会信徒なので「耶蘇の夫婦」といったところで生まれた噂話でもあったのか?この解説者は岩波の「昭和天皇拝謁記」2の解説でも在日コリアンの法的地位の変遷を知らないらしいので「王公族の法的地位の変遷」など書かない方がいいのに。

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 この著者は香淳皇后を書くのに朝彦親王と邦彦王を取り違えている。担当編集者共々、大したものだ。

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