- Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003311813
作品紹介・あらすじ
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」-こう説きおこした新渡戸(1862‐1933)は以下、武士道の淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす。「太平洋の懸橋」たらんと志した人にふさわしく、その論議は常に世界的コンテクストの中で展開される。
感想・レビュー・書評
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流石に訳が古いので、一度読んだだけでは理解は困難。
著者の東洋西洋問わずの知識の広さ、深さに感銘を受け、武士道の内容そのものよりも、これだけの優秀な人物が明治のこの時期にいたという事実に何よりも驚かされる。
武士道は、孔子、孟子といった中国思想家の考えをベースにして、日本固有の道徳観がかけ合わさって来ている。我々日本人のDNAに深く刻まれているであろう道徳観である。
新訳を別途読み、理解を深めたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古臭い言葉が並ぶようではあるが、新自由主義の行き過ぎが言われる時代においては、改めて読み直す価値があると感じる。
渋沢栄一の「論語と算盤」と併読すると、現代理解の橋渡し役になってくれるかもしれない。 -
参考文献として読んだ。思っていてより面白かった。アメリカ化に走る現代において、読む価値のあるものだと思う。
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ほたるいかくん
元気ですか?
参考文献ばかり読まずに、たまには頭を休ませて上げてね!
FIGht !ほたるいかくん
元気ですか?
参考文献ばかり読まずに、たまには頭を休ませて上げてね!
FIGht !2021/06/17 -
ゆうママさん
元気です♪
けど、期末レポートの時期で死にそうです泣
はやく書き上げて小説読みます!!!ゆうママさん
元気です♪
けど、期末レポートの時期で死にそうです泣
はやく書き上げて小説読みます!!!2021/06/17
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ずいぶん若い頃に三島かぶれの延長で読んだのか、幕末おたくの延長で読んだのかすっかり忘れましたが、新渡戸稲造がお札になるずっと前に読んだきりの「武士道」を久々に再読。
文久2年の幕末生まれで昭和8年まで生きた新渡戸稲造は、明治期のインテリに多いキリスト者だけど(この本も元々は英語で書かれたものを日本語に翻訳しなおした逆輸入)西洋人にわかりやすくするために引用する以外は武士道と宗教に一線を引いており、日本人の精神文化にキリスト教が与えた影響は(その時点では)ない、と断言してるのが頼もしい。(※当時、明治維新について、宣教師の手柄にしたがる輩が結構いたらしく、それに反論する形)
稲造の説く武士道は『葉隠』のいう「死ぬ事と見つけたり」とは少し違う、儒教的な義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義などの側面から解説していてとてもわかりやすいです。そして切腹と敵討というある意味制度化された儀式についても、自殺を悪とするキリスト者にもわかるように解説。
日本における儒教は宗教ではなく「道徳」であり学問。そこから一種の美学にまで昇華された武士道は、現代人にも学ぶべき部分が多いし、日本人の美徳として失ってはいけない部分のような気がします。 -
学生のころより幾度か読んできたが、あらためて通読。
武士道の内容をなす「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」は、いずれも重要かつ普遍的な徳であり、現代でも軽んじられるべきものではない。むしろ、大義がなくなり、確信をもって生きることが難しくなった現代において、武士道は、強く生きてゆくためのよき道標となってくれる。価値観が多様化し、社会状況が複雑化した現代に必ずしもそぐわない点もあるが、100年以上前の作品であればそれも詮なきこと。そもそも本作品が発表された明治32年の時点ですら武士道の衰微が危惧されていたのであるから(本作品第17章「武士道の将来」)。肝要なのは、自分なりに消化した上で、いかに現実の生活に応用してゆくことだろう。 -
儒学の立場から武士道を確立。山鹿素行『武家時紀ぶけじき』1673
毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができる。武士道というは死ぬこととみつけたり。山本常朝つねとも『葉隠』1716 ※佐賀藩士
信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。▼礼節をわきまえ、惻隠の情(同情心)を失わず、私心を捨てる。▼武士道が重んじるのは行動である。知識ではない。新渡戸稲造『武士道』1899
※欧米人の疑問「宗教がなくて、どうして道徳を授けられるのか」に答えるため。
※日清の後、日露の前。
「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。三島由紀夫『葉隠入門』1967
「あなたは無心になろうと努めている。 つまりあなたは故意に無心なのである。 それではこれ以上進むはずはない」こう言って先生は私を戒めた。オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』1982 -
新渡戸稲造氏が1900年に英語で出版したBushidoを、1938年に矢内原忠雄氏が日本語に訳したものですが、本書ほど欧米における日本理解を促進させた本はないのではないかと思われるほど重要な本だと思います。新渡戸氏は主要読者が英米国人ということ、かつ本人がキリスト教徒ということもあって、武士道の考え方をキリスト教との比較、あるいは古代ギリシャ、ローマ、あるいはシェイクスピアなど英米文学の巨匠の言葉を参照しながら解説しています。そのためか日本人であれば相当の高い教養がないと全文を理解するのは困難なのですが、本書を読んで腹におちるところが多々あり、武士道の思想は現代日本においても生きている、と断言できることも確かです。1回だけ読むのではなく、何度も読めば読むほど味が出て理解が深まる本です。
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大学の頃、憧れていた人から誕生日プレゼントとして鞄の中に隠されていた武士道。がんばって(授業中に)読んだけど当時はサッパリ分からなかった。けど、なんとなくかっこいいような気がした。
とりあえず外国で英語版を購入して、今度はその人の誕生日にプレゼントした、淡い思い出の作品(誕生日パーティの帰り、こっそり手紙付で鞄に忍ばし返したなぁ)。 -
武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。
内容的には、綺麗に整理されており、順々に体系的に説明されている。西洋社会が自分のみを正しいとし、日本を文化も宗教もないと判じることに堂々と反論を唱える一冊である。切腹するが、無駄死をよしとせず。入浴の習慣はあるが貞操が武士の夫人の徳であり懐剣を持ち歩くなど、いちいち誤解を招きがちな点を言明してくれている。しかし、期待したほどに、武士のかっこよさは伝わらなかったのが少し残念である。
私の家は、上級士族の家系である。
この本の項目に「武士の教育」という項目と克己という項目があり、「金銭を卑しいものとする」と「感情を表情に出すことは男らしくない」といった内容があるが、まさに大正元年生まれの祖母がそう躾られたと聞いていたので、我が家系ながら少し驚いた。
また、彼は1862年の江戸時代末期の生まれで、8歳の時に廃藩置県、13歳の時に廃刀令が出たことに注目したい。なぜかというと、途中にある婦人の教育と地位の項目においては歯切れが悪い。お茶くみを嫌に思い前職を辞した私の様な現代に生きる女子が読むと若干腹立たしい内容である。
私は江戸時代が最も武士の妻の地位が下げられた時代だと思っているので、その影響下に生を受けたためだと思う。
最後の武士道の今後を論じる章は、少し寂しい。5千円札からはなぜか消えてしまったが、彼が本著を記したことで、武士道が消えなかった功績は大きいと思う。
なお、武士道については、桜のごとく体系としては散ってしまっても香りは残るであろうとしめくくってある。
観念的でやはり難しい点も多く、いずれまた読み直してみたいと思う一冊であった。なお、外人による緒言は読む気が失せる読みにくさで、読まないことを勧める。また五輪書と違い、「the soul of japan」の英語の原文タイトルも素晴らしい。