プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫 白 209-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003420935

感想・レビュー・書評

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  • 社会学は多元論。〜宗教、経済の因果は単純ではない〜

    ■所感と評価
    ウェーバーは多元論を用いるが単純化しないと理解難しいので、あえて単純化すると「天職を全うするという倫理が世俗内に広まった結果、富の蓄積につながり、皮肉にも営利主義→資本主義の精神を生んだ」と強引に解釈できる。ただこれだと語弊があり過ぎるので、様々なキーワードの定義とそれらが生まれた背景と与えた影響を丁寧に見ないといけない。
    そもそも我々は戦後のパラダイムやレジームが当たり前の様に感じるが、歴史で見るとまだまだ浅く、今後新しい概念が何から生まれるかは非常に複雑であり、単純にVUCAや情報化社会といったことからだけでは予測できない。まして16〜17世紀の宗教改革が資本主義精神を生む"一翼を担った"(あくまで一要素)のは誰も想像できなかっただろうし、そもそも資本主義という概念すら当時はなかったはず。

    ★すぐに役立つ知識は皆無でまさに教養。イージーカムイージーゴー。時々あえて本書の様な役立たないが世の本質をあらゆる角度から切りまくる本を読むことで、本質は何かを抽象的に考える力を身につけていきたい。

    非常に読みづらい。もう少し簡単な言葉で訳してくれたらいいのに、と思いつつも正確にウェーバーの意図を汲むとこうなるのだろう。訳者解説が非常に丁寧でわかりやすいので、①ざっと全体読む→②訳者解説→③精読すると理解が深まりそう。
    おそらく内容的には最高の古典なのだが、いかんせん理解が難しく評価は普通となった。

    ■概要 〜めちゃくちゃざっくり〜
    ・カトリックには世俗内的禁欲はなく、修道主義の様な世俗外的な禁欲。ここで言う禁欲は何かを控える修行僧的なものではなく、ひたすら何かに打ち込む"行動的禁欲"。
    カトリックの修道的な考えだと「祈り働け」が有名。
    ・それがルターの訳や宗教改革によって天職という概念となって表れるのだが、ややこしいことにルター派の禁欲はまだプロテスタントの倫理に直接は影響しない。
    ・その後のカルヴィニズムやピュウリタズムの中で天職やら世俗内的禁欲が広まることで、働く→富が増える→でも浪費しない→ますます富む。これが資本の蓄積を生んだ。
    ・やがて(ここが飛躍してるように思えるが、自分の中で説明できていないだけで、ちゃんと書いてあるんだろうけど)近代資本主義がいよいよ外から、ー上記の倫理(エートス)からくる行動は「内面的」ー資本の蓄積と消費ではなく再投資を促すことで、Protestantismの倫理や資本主義の"精神"なるものを必要とせず、ただただ近代資本主義的な行動が残ったのだという
    ・マルクスの唯物史観とは一線を画すものの、唯物史観批判のために書いたというのは的外れの論評。ウェーバーは多元論(ゆえに注釈が多い)を駆使しつつ、その中でもプロテスタントの倫理・エートス、天職観念に着目しただけ。資本主義の精神を宗教改革に見出した、という単純なものではない。(だから話が複雑)

    • tr26さん
      後は忘れてはいけない予定説
      後は忘れてはいけない予定説
      2022/02/20
    • tr26さん
      労働とは何か、働くとは何か?天職=神な与えられし役割と世俗的職業。現代においても職業を考える上で種になる内容ではあります
      労働とは何か、働くとは何か?天職=神な与えられし役割と世俗的職業。現代においても職業を考える上で種になる内容ではあります
      2022/02/20
  • 世界史や思想史で頻繁に言及される本書。高校時代や予備校で耳にしたことがある方も多いと思います。で、その趣旨たるや、「天が授けた過分の賜物。この賜物を用いて天職を全うし蓄財することこそ神の栄光に適う行為である。そしてこのエートスこそ、近代資本主義の一因となった。」
    こんな感じだと思います。

    私は、まっさらな状態から本を読みだすというより、本当に上記のようなことが書いてあるのかな、と探り探り読んでいく形のアプローチをとってみました。

    その点で結論を言えば、大体書いてあった。こう言えると思います。

    ・・・
    その中でも、本書での一番の出色は、資本主義の発展(「お金」)とプロテスタントの倫理規範(「清貧」)という、いわば逆説的な二つの概念が実は通底する、というダイナミズムだと思います。

    カトリックでの修道院出家生活と世俗の生活(プラス贖宥状で罪を拭う)という二分法的分類ではなく、プロテスタント各派の世俗内倫理の徹底と「天職(Beruf)」という職業倫理との徹底という世俗一元的な在り方との違いはきっちり書かれていたと思います。つまり、プロテスタント的生活においては、神様のために慎ましい生活をする(節約する)、そして神様のために仕事頑張る(「天職」)、その結果お金溜まる、と。いわゆる在家においても清い生活を実践することで神への道を全うする。

    この命題を明らかにすべく、詳細な宗派分析とプロテスタント文学からの例証がなされています。ルター派、カルヴァン派、メソジスト、長老派、クウェイカー等々。

    このあたりの詳細はキリスト教の勉強の足りない私にはちんぷんかんぷんでした。そう、本書のダイナミズムを味わうためには神学、わけても聖書理解が必要だと思い知りました。そもそもプロテスタントの宗教改革は、誤解を恐れずに言えば聖書主義から始まったことを鑑みれば、その聖書の基本的理解がなければ本書の理解もおぼつかないと言えると思います。新訳も旧約も適当にしか読み込んでいないと本当に厳しい。

    あと、プロテスタンティズムが蓄財と結びついていた点はわかりましたが、近代資本主義の発展とどこまで結びつくかについては通読一回だけではよくわかりませんでした。つまり事業の拡大や発展・再投資についての分析はあまりなかったかのように思いました。

    本書の主張に沿えば、再投資や事業拡大も神の意志に沿うべきなのですが、プロテスタントがその再投資の方針・分量などをどのように判断したのか気になりました。

    ただかすかに最終段で、米国について、世俗の禁欲的倫理が忘れ去られ職業倫理が残ったことがシニカルに描かれていました。

    ・・・
    久しぶりにドイツ系の思想本を読みました。
    実に読みにくい。そして、注釈が長い!注釈に大事なことが書いたり、批判者に批判返ししてたり笑 訳者の大塚氏は相当頑張ったのだと思います。原文は見ていませんがそう感じました。

    哲学、社会学、宗教学、神学、ドイツ文化、キリスト教等々に興味がある方は何とか読めると思います。ただ、内容をよりよく理解するには聖書の通読(新約・旧約あわせて)数回しておくとよいと思いました。私も聖書を読んだらまた読んでみたいと思います。

  • 清貧・純潔・服従(禁欲)を守りながら、勤労にはげめ。祈り、働け。『ベネディクトゥス戒律』539  ※モンテ・カシノ(伊の中部)の山の上にある修道院。

    あなたが神に救われるか、救われないか。それは神によってすでに決められている(カルヴァン予定説)。あなたの運命はすでに決まっている。この世での善行は関係ない。儀礼(サクラメント)をしても救われる保証はない。▼人は自分が救われるのか分からない。不安。孤独。自分は神に選ばれた人間だと確信したい。欲望を克服し、自然からできるだけ遠い地点に行くことができる。それは選ばれた人間にしかできないはず。▼禁欲に勤めよう。職業労働を頑張ろう。安息日以外は週6日働きづめ。富はあくまで神と自分との関係を示すしるしであり、欲望を充たすものではない。▼享楽的な消費はしないのでお金が手元に残る。それを再投資して事業が拡大。利潤を最大化する最も合理的な方法を考える。近代資本主義を生み出したのはこうした精神。▼しかし資本主義が発展するにつれて、神との関係・禁欲は忘れ去られ、営利・快楽の追求が目的となっていく。『倫理と資本主義の精神』1904

    アメリカは多民族・多宗教であるが、アメリカで生まれて暮らしていると、個人の宗教とは関係なく、特定の信念・価値感(civil religion)をもつようになる。ロバート・ベラーBellah『Civil Religion in America』1967

  • 広義の資本主義は歴史上どこでもあったが、近代の資本主義は様相が異なる。昔は幸せに暮らせれば働くことは最低限に、という捉え方。今ではとにかく働くことが第一優先みたいな捉え方。自らの職種を天職と捉え、労働に勤しみ、合理的な手段で営利を獲得し、日々の生活では禁欲的な行動を促す倫理観、世の中の雰囲気、資本主義精神はプロテスタンティズムの倫理から生み出され、のちに近代資本主義社会のシステムが構築されると、宗教的な思想は排除されて、ひたすら営利を求める精神だけ残ったという話。

  • 難しくて読みきれず、流し読みプラス訳者解説を読むにとどまった
    またいつか再挑戦したい

  • 今年は著者没後100年(1920年6月14日没)。

    これまでは、資本主義の歴史、宗教教示の諸相、近代社会についての著者の警鐘といった点に注目していたが、再読にあたっては”労働”や”日常生活”をキーワードにしたい。

    経済成長には、永続的な生産性向上や効率化が必要ならば、それは可能なのだろうか。否応のない技術革新によって労働環境が変わるとき、労働者ーそしてもちろん使用者および資本家ーの”精神”へどのような影響を及ぼすのだろうか。一方で、今日の技術革新は現代人の”精神”とどのような関係を見いだせるのか。
    そして、今においては”鉄の檻”はどのような姿をしているのだろうか。

    幾度となく一面的な社会考察を退けるよう呼びかける著者の声は、時代に真摯に向き合う最良の姿であると、これからも人生の指針にしたい。

  • 資本主義の背景には、しっかりプロテスタンティズムの倫理があるという話。日本の商人道に通じる。

  • 一章は面白く読んだが、二章にはいってキリスト教の色いろな宗派や人物が出てきて詰んだ。でもそこを我慢するとまた面白くなった。禁欲が資本主義の精神に繋がったという逆説はとにかく緻密で説得力があり、こんな社会で生きてゆくには読んでおくべきだと感じる。

  • 現代ではプロテスタンティズムの精神は失われ、それが結果として作り上げることになった資本主義のみが残ってしまった。初期プロテスタントは決して近代資本主義を形成することを意図しなかったこと、スポーツ、遊戯に喩えられるような、営利活動に邁進する人類が歴史の頂点に立っているという自惚れに対する著者の批判?が印象に残った。

    富裕層にプロテスタントが多い理由をその教義から解明していこうとする。プロテスタントの散在が彼らの勤労意欲を掻き立てたことが理由として挙げられており、この点は東京への集団就職者の勤勉性に対する説明にもなっていると思われる。外に出て行かない若者に対する批判もこのあたりから来ているかもしれない。註釈において論敵に対して「何を言っているのかわからない」とか「論文をしっかり読め」など言っているところに著者の性格が現れていて面白い。ベンジャミンフランクリンの職業観を見ているとバブルのころの価値観を思い起こさせる。Time is money について、救いの確証を得る目的においての「労働」時間という意味で時間が貴重なのであり、富の蓄積とは関連づけられていなかったことは興味深い。資本主義も曲がり角に来ているのは明らか。ポスト資本主義を迎えるための思想的転換期においてこのような考察が役に立つはず。

  • 【再読】初めてこの本を読んだのは大学2年生の時。日本語なのに最初から最後まで何が書いてあるかさっぱりわからなくて辛かった。“一冊の本を理解するためにはその本を読むだけでは十分でない”ということを教えてくれた転機となる本。以来、「自分がどの程度まで来たか」ということを確かめるために、繰り返し読んでいる。今回は「どこがわかってどこがわからないか」がはっきりしたのでそれだけでも大収穫ではなかろうか(笑)宗教改革にまつわる理解が圧倒的に乏しく、でも受容のプロセスと近代資本主義の精神は大分掴めるようになったみたい。

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著者プロフィール

1864-1920。ドイツ、エルフルトに生れる。ハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律学を専攻し、歴史、経済学、哲学に対する造詣をも深める。1892年ベルリン大学でローマ法、ドイツ法、商法の教授資格を得、同年同大学講師、93年同助教授、94年フライブルク大学経済学教授、97年ハイデルベルク大学経済学教授、1903年病気のため教職を去り、ハイデルベルク大学名誉教授となる。1904年Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitikの編集をヤッフェおよぴゾンバルトとともに引受ける。同年セント・ルイスの国際的学術会議に出席のため渡米。帰国後研究と著述に専念し上記Archivに論文を続々と発表。1918年ヴィーン大学教授、19年ミュンヘン大学教授、経済史を講義。20年ミュンヘンで歿。

「2019年 『宗教社会学論選 【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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