多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.97
  • (88)
  • (120)
  • (61)
  • (14)
  • (3)
本棚登録 : 1525
感想 : 156
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315414

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • "民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を容易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。(p.6)"

     普段私たちが集団で何かを決めようとするとき、特に何も考えず「多数決」という方法をとるだろう。しかし、この「多数決」は手放しで信用できるものなのだろうか? 実は、多数決は完全からはまったく程遠い、いや程遠いどころかむしろ多くの欠陥を抱えた信用のならないルールなのである。
     最も理想的な意志集約の形は、もちろん「満場一致」であろう。全員が同意しているのだから、一番平和な解決だ。だが、現実には至るところに意見の対立が存在する。そこで、多数の人間の意思をなんとかうまくひとつに集約するルール(=「意思集約ルール」)を考え出す必要に迫られる。
     多数決の長所は、仕組みが単純明快で理解しやすく、しかも集計が容易なところにあると思う。だが、そもそも多数決は必ずしも多数派の意見を実現するわけではない(!)。例えば、A, Bの2人が立候補している選挙を考えてみる。支持率はそれぞれ60%, 40%とすると、この2人に対して多数決を行えばAが勝つ。だが、ここに3人目の候補者Cが現れた。CはAと似た政策を掲げていたために、元々Aの支持者だったうち半分がCに流れてしまった。すると、支持率はA, B, Cで30%, 40%, 30%となって、多数決の結果Bが勝利することになった。こうして、多数派が支持しているはずのA(またはC)の政策が多数決で選ばれないという事態に陥る。(2000年に行われたアメリカ大統領選挙で同様の状況になったそうである。)つまり、多数決は、候補が3つ以上あるとき「票の割れ」に脆弱なのだ。また、多数決は有権者の判断のうち、「誰を一番に支持するか」という一部分しか表明できないという欠点もある。
     本書の副題にもある「社会的選択理論」とは、意思集約ルールが備えているべき性質を数学的に定式化する学問である。18世紀から様々な意思集約ルールが検討されてきたが、その一つが「ボルダルール」である。それは"例えば選択肢が三つだとしたら、1位には3点、2位には2点、3位には1点というように加点をして、その総和(ボルダ得点)で全体の順序をきめるやり方で(p.14)"、票割れの問題を解決している。本書では、他にもコンドルセ・ヤングの最尤法、決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルールなどが紹介されている。
     そうなると、問題なのは、多数決より色々な点で優れた様々な意思集約ルールが提案されているにもかかわらず、社会でそれらがほとんど認知されていないということである。多数決で決まったことに、なぜ皆が従わなければならないか。それは、本来であれば多数決の意思集約ルールとしての妥当性からその正当性が保証されるはずだ。しかし実際には、多数決を用いることは多くの場合妥当とは言えない。このような民主主義の根幹に関わる事実は学校教育で教えてほしかったが、「多数決」という自分の固定観念に穴をあけてくれたその一点だけで、本書を読んだ価値があった。
     本書の後半では、民主主義に関するルソーの議論を参照しつつ、投票について考察を深めている。フランス革命の思想的土台を作ったルソーは、人民は一般意志に基づいた熟議的理性を働かせて投票しなければならず、その限りにおいて少数派が多数派の投票結果に従うのが正当になると述べた。ここで一般意志とは、"自己利益の追求に何が必要かをひとまず脇に置いて、自分を含む多様な人間がともに必要とするものは何かを探ろうとすること(p.76)"である。だが、これは現代の民主主義国家における実際の投票の姿とは異なるもののように僕には思える。それは、有権者たちは(少なくとも僕は)「公」の利益より「私」の利益を最大化してくれそうな候補者に投票しているからだ。そうであるならば、「少数派は多数派の投票になぜ従うべきか」という倫理的な問題は結局、依然として未解決のままなのだろう。一方で、ルソーの構想したような投票は実現がかなり困難そうだ。一般意志に従って投票する(あるいは、投票しようとする)集団があったとして、その中に一人、個人の利益のために投票する人がいれば、彼は僅かかもしれないが他の人より得をするはずだからだ(従って、ルソーの構想した投票を実現しようとするなら、「裏切り者」の得が得ではないような仕組みを作らなければならないだろう)。
     民主主義と切っても切れない「投票」というものが、かなり根本的なところで未完成であることがよく分かった。

    1 多数決からの脱却
    2 代替案を絞り込む
    3 正しい判断は可能か
    4 可能性の境界へ
    5 民主的ルートの強化
    読書案内

  • タイトルにひかれて読んだ。予想とは少し違って「社会的選択理論」の入門書的内容だったが、とてもわかりやすく参考になった。

    今やまったく「多数決」はほとんど暴力。「多数決なんだから民主的だ」「選挙に勝ったからこれが民意だ」という粗雑な論理がまかり通る。どうせアタシゃ少数派ですよ、もう何言ったってムダなんだから、とやさぐれた気持ちになりがちだ。

    「有権者の無力感は、多数決という『自分たちの意思を細かく表明できない・適切に反映してくれない』集約ルールに少なからず起因するのではないだろうか。であればそれは集約ルールの変更により改善できるはずだ」

    なるほど、そういう面も確かにあるだろう。して、具体的にどんな方法があるのか。

    筆者は、18世紀の革命前のフランスに遡って(!)話を始める。ボルダという科学者がパリ王立科学アカデミーで多数決についての研究報告を行い、そこで述べられたルールが今ではボルダルールと呼ばれているそうだ。これは、たとえば選択肢が三つだとしたら、一位に三点、二位に二点、三位に一点を加点してその総和で全体の順序を決めるやり方のこと。

    これを皮切りにいくつかの集約ルールが紹介され、比較検討される。その中で「社会的選択理論」というものの成り立ちも説明されている。学術的で難解なところは省き、一般向けにかみ砕いた内容になっているが、学問としての厳密さも伝わってきて、そこがおもしろかった。

    章が進むと論点は広く深くなり、ルソーの「社会契約論」にも言及しながら、「真の人民主権」とはどういうことかについても考察される。最後は、つい最近の小平市の住民投票について。この都道328号線問題は「多数決さえまともにさせてもらえない現状を疑うことの大切さを教えている」と筆者は書いている。「民主的」と称されているだけの制度を実質的に民主化していくことが必要なのだと。

    自分の無力感の出所をもう少し整理して考えてみようという気になった。たとえ末端のそのまた先っぽであっても、今ある仕組みを民主的とは名ばかりのものにさせないことが大事なのだろう。

  • 坂井豊貴(1975年~)氏は、早大商学部卒、神戸大学経済学修士課程修了の経済学者。専門は社会的選択理論、マーケットデザイン、メカニズムデザイン。慶大経済学部教授。
    本書は、「多数決ほど、その機能を疑われないまま社会で使われ、しかも結果が重大な影響を及ぼす仕組みは、他になかなかない。とりわけ、議員や首長など代表を選出する選挙で多数決を使うのは、乱暴というより無謀ではないだろうか」と言う著者が、異なる多数の意思を一つに集約する様々な方法を分析する「社会的選択理論」について、具体的な数字を示しながら、わかりやすく解説したものである。
    「社会的選択」は、言うまでもなく、我々日本人にとっても、国会議員や地方の首長・議会議員などの選挙において行われているが、二大政党制下で行われ(どちらが選ばれるかで政策が大きく異なる)、世界で最も影響力がある米国大統領を選ぶ選挙で起こった事象の印象が非常に強い。本書の冒頭でも取り上げられている2000年の選挙では、民主党のゴアが有利と見られながら、途中で泡沫候補のネーダーが現れ、支持層の重なるゴアの票を喰ったために、共和党のブッシュが漁夫の利を得たといわれる(「票の割れ」の問題)。また、同選挙では、選挙人選挙の得票数は、ブッシュはゴアを下回っており、記憶に新しい2016年の選挙でも、選挙人選挙の得票数では、共和党のトランプが民主党のヒラリー・クリントンを下回っていた。そうした過去の疑問もあり、また、次期の米国大統領選挙がメディアでも頻繁に取り上げられるようになったこともあって、本書を手に取った。
    そして、読み終えてみると、様々な社会的選択の方法について(多数決以外にいろいろあることは経験的にある程度知ってはいたが)、数理的な分析により、その強み・弱みがかなり明確であることがわかり、同時に、それにもかかわらず、実際には、多くの選挙において多数決が採用され続けていることへの強い疑問が湧いてきた。
    (日本の)政治家は、選挙で勝つと例外なく、「国民の支持を得た」と言うが、本当にそうと言えるのか。また、我々の将来の強い関心事として(コロナ禍の影響で、安倍政権において実施される可能性は低くなったが)、憲法改正のプロセス(衆議院・参議院でそれぞれ2/3以上の賛成+国民投票で過半数の賛成)がこのままでいいのか。。。
    我々は、著者の問題意識の通り、社会的選択の方法について、その重要性を含めてあまりに認識がなさ過ぎ、その結果、疑問も持たずに多数決が採用されていると言わざるを得ない。民主主義の価値を重んじればこそ、それを反映させる社会的選択の方法について、もっともっと真剣に考えるべきであろう。
    (2020年8月了)

  • 多数決が本当に民主的なのか。多数決の欠点、それを補う方法が何か。そういったことをまとめた本。中盤に学術的な話となってしまい、非常に苦痛となってしまったが、内容は非常に面白い
    いわゆる多数決の最大の問題点は票割れ。それにより本来の民意と異なるものが選ばれてしまう。票割れさせないために1対1で対決すると、どこかで矛盾(AはBより強く、BはCより強く、CはAより強い。いわゆるジャンケンの関係)が起きる。そのための対策として何点か紹介されているが、スコアリングポイントの一つであるボルダ方式(あらかじめ1位、2位、3位のポイントを決める)が紹介されている
    また民意が本当に正しい判断をするか。神の見えざる手を期待するには、多数決は非常に危うい。ここでは計算式により65%以上でなければ正しい判断がされたとは言えないと書かれている
    最後に小平市の例で、いかに政治の民意が脆弱であるかが纏められている。また「それならば選挙で勝てばよい」という意見に対して、「取引コストがあまりに高く、それは沈黙の強制。それが民主主義にかなっているか」いう返しも痛快。

    これを読んでいると、現在の民主主義がいかに脆弱なルールのもとに成り立っているかが分かる。マジョリティとは何か。現在、大企業の従業員は全体の約3割、それにあわせた法律や経済政策がされている。この歪さをどう理解すればよいか。

  • 民主主義の代名詞のように扱われる多数決が必ずしも民意を反映する方法ではないという点から出発して様々な意思決定のプロセスを紹介した一冊。ある国で実際に行われている、候補者に順位を付けて投票→順位に応じて点数を加算という選挙は興味深い。多数決に対して漠然と感じていた違和感が解けた。

  • 多数決の結果は、ルールの設定次第でいかようにも変わる。このことを具体的な事例で示しつつ、ではいかなるルールを設定すればよいのか、厳密な数式に基づく経済学者たちの理論が平易に紹介されていきます。ボルダルール、ヤング・コンドルセの最尤法、不可能性定理による独裁制、クラークメカニズム、、、近年いろいろ問題となる、選挙制度、政策決定プロセスの妥当性について、考え直すためのヒントが沢山得られました。この本で述べられている社会的選択理論という学問分野の知の集積を、民主的ルートの強化のために用いて実際の我々の暮らしに反映していくにはどうすればよいか。やはり我々自身が、選挙で勝ったのだからOK的な、乱暴な言説や煽動に影響されず理知的な判断ができるように、いっそう学んでいくしかないでしょう。私にとってより学ぶ必要性を感じさせてくれる良書でした。

  • 学校のクラスの話し合いをしていると、最終的な決定は、結局、多数決になる。そんな多数決する生徒たちを見ていて疑問だったのが、子どもたちが意外と数票差とかであっても、多数派の意見になることに対して抵抗感がないことだった。
    かといって、ではその問題点をどれくらい自分がきちんと説明できるのか、多数決に変わる代案を出せるのか、と聞かれると答えることが難しい。そんな問題意識がから手に取ってみた本だ。

    てっきり、「多数決を疑う」とあるから、多数決に代わる、何か画期的な意思決定の方法を見せてくれるのだと勝手に思っていたのだが、違った。この本は、多数決の限界を理解しつつ、それでもなお、「よりマシな多数決」のやり方を模索する、その模索の仕方を教えてくれるというコンセプトのものだ。
    著者が繰り返し言うのは、多数決で多数になったということと、その結果が正当なものであること、「正しい」判断であるということは、異なるということだ。単純に多数決の色々な方法を紹介するだけでなく、集団による意思決定において、理想的な判断とは何か、その決定は、何によって正当化されるのか、といった哲学的な問いにまで議論は及ぶ。
    「ボルダルール」「コンドルセの最尤法」「中位投票者定理」など、いくつかの多数決のやり方が紹介されるが、それぞれの選択場面において、どの方法がより正当なのか、それを考えることの大切さを筆者述べる。そして最後には、「小平市の都道328号線問題」という実際の事例を通して、民主的な判断のあり方について、具体的な説明をしてくれる。

    最近は、多様性やマイノリティに対する意識が高まってきたとはいえ、実際の世の中を見ていると、そうした意識から一見逆行しているかのように見える多数決という決定方法は、まだまだ当然視されている。そんな、数が多ければ正しい、といった単純な発想の多数決に、少しでも違和感を持ったことのある人には、ぜひ読んでもらいたい。

  • 一般常識として疑うことのない多数決を、これでもかというほど論理的に否定してくる。
    時に情熱的に語りかける文体に感嘆しつつ読んだ。
    私のごく少ない読書経験からだが、これは名著ではないだろうか。

  • 多数決な民主的な決め方だという説がまかり通っているが、この本は書題のとおり多数決のあやしさを論破していく内容(だと思われる)。悲しいかな、論が難しくて私は途中で理解不能になってしまった。でも、こういう世間で当たり前となってしまっていることをつくものであり、多数決が「民主的なもの」としてはあやしいことは明らか。
    ルソーの提唱した一般意志の考え方とかもわかりやすく解説されていた。ちょっと利口になれた。論の組み立て方も筆致も落ち着いていて良書のにおいがプンプンする。自分には哲学とか思想に関する体系的な知識とか知識をもとに考える能力が欠けているんだよなー。こういう本をちゃんと理解できるようになりたいなー。

  • 後半難し。
    2/3多数は合理的。
    投票率50%未満でさらに過半数では民意とはとても言い難し。

著者プロフィール

慶應義塾大学教授

「2017年 『大人のための社会科 未来を語るために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

坂井豊貴の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×