詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日新書 137)
- 朝日新聞出版 (2008年10月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022732378
感想・レビュー・書評
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詩人とホスピスを営む医者との往復書簡。最後に対談もある。谷川さんの回にはいつも最後に詩が。徳永さんの回にはいつも臨床エピソードが。やっぱり死んでも、死ぬまで許せないことがあるというのが、人間おそろしいと思った。逆に血がつながっていてもいなくても深くわかりあえる、思いが命を動かすようなことがあるんだなあと。正しい答えを人から聞いたり調べたりするのではなくて、「信じる」ことの強さを思い出した。まあ、「信じる」ことは恐ろしいことなんですけどね。
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以前から死について良く考えることがあり、題名の惹かれて本屋で購入しました。読んでみると、共感ができることがあったり、そういう考え方もあるんだと新しい発見もあって面白かった。
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徳永先生が世に伝えてくれる患者さんのエピソードにはたくさん触れたい。知っておきたいことだなといつも思う。
徳永先生の部屋の名前を決めるくだりがとてもほほえましくておもしろかったです。 -
このコラボはおいすぎる…!しかも帯が一青窈だなんて。
生きることと死ぬことはどうちがうの? -
「いのちの現場」にいる医師が描く「生の風景、死の場面」を
「言葉の渦中」にいる詩人が「詩でつなぐ」。
往復書簡であるにも関わらず、
二人の交わす文章のやり取りには、
ずれがあったり、温度差があったりと、
決して息の合ったチームワークは存在しない。
谷川さんが、徳永先生から届く手紙「臨床の綴り」に
込められた悩みや想いに対して、
彼の「相談員」「救世主」であろうとしないところが
私は良いと思う。
自分に投げかけられたものに対して、
そのままの直球で返答しようとしない
谷川さんに私は「真」を感じる。
徳永先生の投げかけてくる問題は、
決して綺麗な言葉で語られるべきものではないし、
よく出来た数式のように
簡単に答えが割り出せるものではないと思うから。
谷川さんは「困ります、そんな事、私には
わからないですよ。」と素早く身をかわしたり、
反対に、徳永先生に質問を投げかけてみたり・・・。
一見、ひょうひょうと軽やかに、
ユーモラスに綴られる谷川さんの返信。
しかし、それはどれも心に染み入る、
「生」が持っている重みや湿気を持っている。
徳永先生は私の生まれた年に医者になったそうだ。
もう30年以上も臨床で働いているのに、
医者になりたての時も、「死を目前にした人」を
受け入れるホスピスの診療所所長になった
現在の日々もそう違わない、と先生は言い切る。
臨床には常に「初めて性」が存在する。
「どの患者さんも世界で唯一の人、初めての患者さん」
と語る徳永先生。
こんな「医者の品格」を持った先生が、
もっとこの世界に増えていく事を願う。
彼が医師として対面した「死の場面」が多く綴られていて、
もちろんそこには痛みも苦しさも辛さも存在しているはずなのに、
不思議と読み終えた後には、悲壮感よりも安らかな感情が残る。 -
教頭先生が貸してくださった本。ありがたや。
詩人・谷川俊太郎さんと、ホスピスに関わる医師・徳永進さんの往復書簡をまとめたもの。
独特な構成だった気がするけど、おもしろかった。
『がんばらない』とはまた違った命の現場が垣間見えて興味深かった。
最後の方に載っていた「あかんぼがいる」という谷川さんの詩がめちゃくちゃ好きだ。なぜか泣けてしまった。
詩の最後の三行の描写が斬新だなぁと思った。本当に好きだ。
いい本を読ませてくださった先生に感謝。 -
詩は声に出して読むことを前提とする。
そんな気になった。
末期ガンの患者が集まる診療所で、
いかに楽に穏やかに、
というよりもその人に合った治療を行うか。
看取る医師としての立場と治療する医師としての立場があって、
どちらも大切なんだけど、
その時々で考えなければならない。
詩は私に近く、また私なるものから、死に還る。
詩と死を結ぶのは公ではなくやはり私なのだろう。
公と私の話はとても良かった。
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谷川俊太郎さんの詩がかみさまのことばであると再認。臨床現場の声とクロスすることで、すごく胸に響く。徳永さんの独特の文体も、慣れると病みつきになりそうだ。
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ターミナルの現場で笑いがある。なんて素敵なことでしょう。きっと家族も本人も、心つぶれる思いで毎日を過ごす中、こんな診療所で過ごすことができたら、それは本人にとっては生きてきた人生の集大成として満足なものに、家族にとってはそれからの人生の糧になることでしょう。谷川さんの詩にも強められました。
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詩人と医者の素敵な文通。