- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881531
感想・レビュー・書評
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3冊を通して,最終的には人という生き物そのものの限界を,言葉を尽くして探る方法論こそが哲学なのかとすとんと腑に落ちる.読んでいて,これ程知的に興奮する本には滅多にお目に掛かれない.年齢を重ねたときに再読したら,また感じ方が変わるだろう.そのときが楽しみである.
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<a href="http://mediamarker.net/u/akasen/auth1/%E9%AB%98%E6%A9%8B%20%E6%98%8C%E4%B8%80%E9%83%8E/?st=regdate" target="_blank">『限界シリーズ3部作』</a>の最後の一作。五感の限界ではなく、行為・意志・存在の限界。いわゆる心理学みたいな表層的なものではなく、行動科学の話が中心。というわけでとりあげられるのは一番有名なパブロフの実験に始まり、アンカリング効果、ブーメラン効果、フレーミング効果、認知的不協和、ミルグラムのアイヒマン実験などなど。そして最終的には意識と無意識の限界から、存在の意味について。
これらの内容は行動経済学の本でもよく取り上げられるので、自分としては馴染み深かったが、人の行動の意味を”経済的”に考えるのではなく、行為・意志・存在の所在という視点から眺めるとなると、なるほど人間の限界が見えてくるような気がして面白い。人間の不合理で不自由で不条理な行動を科学的に観察することで哲学に至るというのは、宇宙論のときもそうだったが、科学と哲学の境界と親和性について改めて認識させられる。
さて、この3部作を振り返ってみると、ゲーデル・べき乗則・行動科学と、義務教育では教えてくれない、現代の社会人の必修科目がほどよく抑えられており、僕の嫌いなタイプのタイトル『デキる社会人になるために、絶対に読んでおくべき3冊』みたいな企画に無理やり参加させられるとしたら、この3冊を推すだろう。
日々を生きていれば否応なしに自身の限界を思い知らされる毎日であるが、自分には出来ない範囲を、知らない誰かに託すことで現代社会は成り立っている。ともすれば「僕には出来ないが、政府なら、大企業なら、社会ならできるだろう」と思い上がって任せてしまうこともあるだろう。しかし、その優秀な誰かにも、誰であっても到達できない限界が、この世には存在する。その限界を知れば、無責任に任せることなく、不確かな情報に惑わされることなく、自分でやらなくちゃいけない範囲が見えてくることも、あるかもしれない。 -
高橋昌一郎の限界シリーズ第4作(『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』を「数学の限界」とする)。今回のディスカッションは行動経済学&認知科学入門である。偏った知識に全体観を与えてくれる好著。高校のテキストにするべきだと思う。若いうちに読んでおけば無駄な読書をしなくて済むことだろう。軽めの読み物でありながら軽薄に堕していないところがミソ。議論の本筋と関係のない部分にまで細心の注意が払われている。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/04/blog-post_9153.html -
序章 シンポジウム「感性の限界」開幕ー結婚披露宴会場より
第1章 行為の限界
1.愛とは何か
2.カーネマンの行動経済学
3.二重過程理論と不合理性
4.人間行為の限界と可能性
第2章 意志の限界
1.自由とは何か
2.ドーキンスの生存機械論
3.進化と不自由性
4.人間意志の限界と可能性
第3章 存在の限界
1.死とは何か
2.カミュの形而上学的反抗
3.意識と不条理性
4.人間存在の限界と可能性 -
限界シリーズの第三作。導入部分はやや難しくついていけない感じだったが、二重過程論のあたりから何とか理解することができた。しかし、理性を持った人間が、理性に基づく合理的な判断ができないのは、生物としての限界であったというのはややショックを覚えた。
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かけねなしの面白さ。
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3点弱。結論も途中の論理も曖昧。
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限界シリーズ3冊目ということで購入。
理性の限界や知性の限界に比べて、抽象的な内容が多かったように思う。
愛とはなにか、自由とはなにか、人間の存在とはなにか、などについて科学的な引用を交えて書いてある。
我々人間の認知における矛盾などに関しては科学的事実として楽しめた。
しかし、今までよりも曖昧で、本書で扱われた内容には明確な答えがないものが多かったように思う。
それこそ人々の思想であって、事実ではない。
そういう意味で、今までと同じ流れを期待すると少し当てがはずれるかもしれない。
内容は充分面白いし、単一の作品としてはありだと思う。
だが、シリーズで見ると少し異色。そんな感じ。 -
おもしろい