絶望の裁判所 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882507

感想・レビュー・書評

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  • 序盤は東大在学中に司法試験に合格した英才にして、数多くの本とあらゆる芸術に親しんできた、半分は欧米人的精神を有する、元エリート裁判官による自慢と愚痴。
    その他の部分は「知ってた」と四語で表すことができる。
    裁判所は清廉潔白にして公明正大、公平無私であると信じている方がいれば読んでみてもいいかもしれない(ただし、序盤の自分語りを除く)

  • 【書誌情報】
    製品名 絶望の裁判所
    著者名 瀬木比呂志(せぎ・ひろし)1954ー
    発売日 2014年02月18日
    価格 本体760円(税別)
    ISBN 978-4-06-288250-7
    判型 新書
    ページ数 240ページ
    シリーズ 講談社現代新書
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062882507


    【メモ】
    “もういささか古くなったが、たとえば、漫画『家栽の人』(毛利甚八[原作]、魚戸おさむ[作画]。小学館)にも、このパターナリズムの思想がよく現れている。”(157頁)


    【目次】
    はしがき――絶望の裁判所 [003-009]
    目次 [010-012]

    第1章 私が裁判官をやめた理由〔わけ〕――自由主義者、学者まで排除する組織の構造 013
    私が裁判官になった理由〔わけ〕/薬害裁判と留学/最高裁判所事務総局で感じた違和感/談合裁判、判決内容の事前リーク、東京地裁内の出来レース選挙/大阪高裁と那覇地裁沖縄支部での経験/最高裁判所調査官就任、闘病生活、筆名の執筆と実名による研究/さらに研究に打ち込む/学者への転身/転身に関するいやがらせと早期退官の事実上の強要/私がたどった軌跡の意味

    第2章 最高裁判事の隠された素顔――表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数〔けんぼうじゅっすう〕の策士〔マキャベリアン〕たち 046
    裁判所における人事の実情/最高裁判事の性格類型別分析/よい裁判官は最高裁には入れない?/裁判員制度導入の舞台裏/刑事系裁判官の問題点と不人気/刑事系裁判官の逆襲と大規模情実人事/学者が誰一人認めない「学者枠」最高裁判事

    第3章 「檻」の中の裁判官たち――精神的「収容所群島」の囚人たち 083
    事務総局中心体制――上命下服、上意下達〔かたつ〕のヒエラルキー/人事による統制とラットレース/恣意的な再任拒否、退官の事実上の強要、人事評価の二重帳簿システム/司法研修所という名の人事局の出先機関、職人的教育システムの崩壊/裁判所による取材統制と報道コントロール/「檻」の中の裁判官たち=精神的「収容所群島」の囚人たち/裁判所の官僚化の歴史とその完成

    第4章 誰のため、何のための裁判?――あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所 119
    統治と支配の根幹はアンタッチャブル/及び腰と追随の民事裁判/和解の強要、押し付け/水害訴訟に関する大規模追随判例群、新しい判断をきらう裁判官たち/司法判断の活性化の必要性/『それでもボクはやってない』は、あなたにも起こる/裁判員制度の陪審員制度への移行の必要性/やる気に乏しい裁判官が目立ち手続保障の感覚が鈍い家裁、「家栽の人」の限界/「裁判官多忙」の神話/現在の制度ではよい裁判は望めない

    第5章 心のゆがんだ人々――裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理 167
    多過ぎる不祥事、日常的なハラスメント/裁判官の精神構造の病理/イヴァン・イリイチの問題とイリイチ以下の高位裁判官たち/私というケース 一人の人間に立ち返るまで

    第6章 今こそ司法を国民、市民のものに――司法制度改革の悪用と法曹一元制度実現の必要性 203
    日本のキャリアシステムの非民主性/裁判官の能力低下傾向、優秀な裁判官の離散傾向/キャリアシステムの実質的な崩壊の可能性/弁護士任官制度と判事補の他職経験制度の限界/司法制度改革を無効化し悪用した事務総局解体の必要性/法曹一元制度実現の可能性、必要性/憲法裁判所の可能性/今こそ司法を国民、市民のものに

    あとがき――不可能を可能にするために(二〇一四年一月一日 瀬木 比呂志) [232-238]

  • 通常の職場でもそうだが、業務をしている時に「周囲が見えない状況」に落とし込められることが、その当人にとって精神的・肉体的に最も危ない状態になる。
    自分を客観視できず、(その暇もなく)、どんどん深みにはまっていき、抜けられなくなる。

    本書についても、取り立てて「裁判官」という職業について興味があったというよりかは、その置かれている状況に興味があった。
    裁判官とは全国に跨がった「精神収容所」、であり、自分たち国民が裁かれるのは基本的には「そういう人たち」というところ。

    やっぱり「新しい血」というところは、常に、必要であり、「変化」を伴わない組織は「死」を迎える。

  • 元裁判官で学者に転身した著者が日本の裁判所と裁判官の実態を描いた本。司法行政について内側からしかも批判的な視点で書かれているのは興味深いが、面白味に欠けるように感じられて途中から斜め読みしてしまった。

  •  日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」の見えないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている。反面、その結果、そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通の国民、市民は、第二のラインを超えること自体に対して、また、そのようなテーマに興味を持ち、考え、論じ、行動すること自体に対して、一種のアレルギーを起こすようになってしまう。不幸な事態である。

  • 裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、これまで基本的にそういった言葉とは無縁で存在してきた。わたし自身、そのような文脈で裁判官が攻撃された事例は寡聞にして知らない。要するに、裁判所は正義の組織であるから、いついかなるときも聖人君主のふるまいをしており、絶対的に正しいと思われているのである。しかし、本作を読むと、この考えがたんなる思い込みにすぎないことがよく理解できる。裁判官におけるヒエラルキイ構造など、ひょっとしたら先にわれわれが思い浮かべたような組織よりも、よっぽど硬直的、官僚的かもしれない。そして、さらに驚きなのは、こういった構造が判決などにもじっさいに影響を及ぼしている点である。上司のポイントを稼ぐためには、あまり思い切った判決は出せない。そのためお上の顔を窺いながらつねに金太郎飴のようなおなじ判決が繰り返されるようになり、かくして驚異の有罪率が完成するのである。この本の中にはこのような事例がほかにも数多く掲載されている。自身の実体験をもとに書いている部分も多いが、それでもこの本を読んで、日本の司法制度に対して、タイトルどおり「絶望」を感じずにはいられなかった。

  • 本書は、元裁判官の研究者が、官僚化する裁判所組織を憂い、告発した書。今や、訴訟当事者の身になって血の通った判決を書く良心的な裁判官は稀有な存在であり、大方は最高裁の意向に沿った無難な判決を書こうとする、信念なきイエスマンであるという。著者の分析は、組織からはみ出したアウトローの恨みつらみの感はなきにしもあらずだが、現在の裁判官の実情をリアルに描写していることは間違いないと思う。確かに、と頷けるところが結構あった。

  • 裁判所の閉鎖性や官僚制組織であることなどの問題点を、内部にいた人が実体験やデータをもとに述べた本。
    言っていることは分かるけど、筆名で別の著作もある人にしては、文章が読みにくいな。

  • 著者の自分語りと牽強付会気味の立論に違和感がある。
    裁判官の精神構造の病理について著者が論じる点は、現在の著者にも妥当するように思える。

    とはいえ、元裁判官が、これだけ自分の見聞を披露して、裁判所を正面切って批判するということには、やはり意味があるのではないか。

  • 閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。

    思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホルダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。

    まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに最大限の注力を図り、なるほど、うまいこと落としどころを見つけたなぁというようなことであればいいわけである。

    ところが、「ジャスティス」の実現に関し、一番の権限と、権威を持っている「裁判所」という機関の劣化が激しいと嘆かれている。

    一番最初に書いたが、閉鎖的・閉塞社会で官僚組織というのが人間社会において、一番始末が悪いわけである。

    日本社会において、今現在、裁判所も含め、閉鎖・閉塞分野において、色んな不都合が起こってきている。

    はてさて、このことは、現代日本社会全体で考え、取り組んでいかなければならない課題であるが、私自身としては少々悲観的ですが・・・(涙)。

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著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)『民事裁判入門』(いずれも講談社現代新書)、『檻の中の裁判官』(角川新書)、『リベラルアーツの学び方』『究極の独学術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社文庫)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)、『民事裁判実務と理論の架橋』(判例タイムズ社)等がある。

「2023年 『我が身を守る法律知識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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