- Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101196022
感想・レビュー・書評
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高村光太郎は、自身の中の思いを、昇華し、文字として表現してみせたのでしょう。できうるものならば、これほどまでの恋愛をしてみたいものです。
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いちいち頭の中で「いふ→いう」と変換するのが面倒でしたが、それを抜けば、とてもステキな作品でした。
詩よりもわたしは高村光太郎が智恵子について綴っている文章の方が心に残りました。
特に、精神病を患う人への理解が高村光太郎は素晴らしく愛情深いと思いました。愛とは相手を知ること、理解すること、包み込むこと、受け入れること。
素晴らしい夫婦というのは「見てくれが良い夫婦」ではない。健康だとか、子どもがいるとか、裕福だとか、平和とか、そういうことではない。
素晴らしい夫婦というのは、それぞれに「欠け」があるけれど、それを丸ごと包み込み合い、心と心が通じ合い、互いの存在が互いにとって愛おい、ただそれだけなのかもしれないって思いました。 -
夫婦のきずなの深さが感じられる詩ばかりで心打たれた。
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穏和にして凄絶。
やさしさ、やわらかさを感じつつも、強烈に感じるのは、すさまじいほどの、愛。
うまく言葉に言い表せないけれど、そんなことを感じました。 -
芸術家の自己愛が、
次第に浄化されていきつつ、
なおも残り。
孤独に生きられるのは、
愛し、愛された対象が心に生き続けるから。
あどけない話
レモン哀歌
梅酒
などがとても好きです。 -
中学の時、初めて読んで泣きました。
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逆に引くくらいだから
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「おそれ」と「レモン哀歌」以外では、智恵子が亡くなったあとに書いた詩のほうがわたしは感動した。「報告」に紡がれる、すこし淡々としているなかにも智恵子を想い、労るような愛情や語り口が胸を打った。
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並行して読んでる本がずっしり重かったので、逃避。
逃げたはずが、…こちらも重かった。
主に、愛が。
愛とか美とか、追求せずにはいられないのは才能でありギフトなのかもしれないけど、幸せかどうかは、分からないよねえ…。
なんて、生き辛そうな。
全編通して、なんと言うか、みっしり、ッて感じ。
そして猛烈に切ない。
それでもやっぱり、言葉は息をのむほど美しい。 -
明治〜昭和にかけて、ある人間の生涯を貫く愛の詩集。何気なく手にとったのだけど、いつの間にかぼろぼろ泣きながらひきこまれていた。こんなふうに、純粋で繊細でうつくしいものがあるなんて、ほんとうにおどろく。信じられないくらい綺麗な愛の記録。智恵子さんの病が、その心の純粋なうつくしさによるものだと考えることはかなしい。こういう繊細さは世間に押しつぶされるし、自らを殺してしまうんだろう、という認識は絶望をうむ。でも、かなしいけども、人間の最も美しくて大切ですばらしいものが確かにこの一冊に凝縮されている。絶望を越えて、こういうものが残っているというのはやっぱりすばらしいんだ。これからも何度でも、大切に読み返したい一冊。
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中学の国語で習った。「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と、「智恵子は東京に空が無いといふ」だけ断片的に覚えていた。中学の時に持った二人のイメージは、仲良く川原を散歩する仲の良い夫婦。
覚えていた一文はそれぞれ「樹下の二人」と「あどけない話」だった。
始めから終わりまで、光太郎の智恵子に対する愛情が感じられる詩集。言葉の一つ一つが美しい。
序盤は失礼ながらバカップルのおのろけ話のような印象も受けたけど、それも後で結婚生活が貧窮していたことを知ると違った感慨がある。智恵子の発病後、貫かれる愛情は美しい。亡くなった直後はその深い悲しさが表現されているが、しばらくすると悲しさが昇華されたような詩になって、一つの幸福の形が見えた気がした。また、智恵子の方も精神を病んだといっても、最後まで光太郎一筋だったらしい。
どうも詩を味わう力が足りないんだけど、「智恵子の半生」、「九十九里浜の初夏」、「智恵子の切抜絵」のおかげでよりよく知ることが出来た。これらの文章を読んだ後でもう一度詩を読むともっと味わえる。切抜絵も見てみたいなと思ったら、巻頭にカラーで掲載してあった!
「荒涼たる帰宅」の「あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ智恵子は死んでかへつて来た。」を読んだら、先日亡くなった病院嫌いのばあちゃんを思い出した。 -
なんて素敵な詩集。レモン哀歌の重みが変わる。智恵子さんへの愛で溢れてる、美しい詩の数々。大好きです。
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紡がれる言葉はどれを抜粋しても、綺麗で。
黙読しただけでも、流れるような日本語には心打たれる。
音読したときの、音を聴いてみたいと思った。
中学生の頃に、一度読んだっきりで、
良いとされることがいまいちわからなかったことを覚えている。
大分経ってから読んでみて、改めて良さがわかった。 -
はじめてこの本を口頭で勧められた時、頭が良くなる調味料なのかなと思った。
読んでみたら頭は良くならなかったし、胡椒でもなかった。
でも良き本であった。 -
中学生??の国語の教科書に載っていた『レモン哀歌』
トパアズいろの香気が立つ。
この一節に受けた感銘はいまでも深いものです。
智恵子さんと出逢い恋をし、愛し、精神的に崩壊した彼女になおも畏敬の念をもって接する愛妻家の詩集。
憧れの夫婦像ではありますが、彼女をおいつめたものを考えると空恐ろしくも感じます。 -
くゆらせる智恵子はもう人間界の切符を持たない
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夫人の病気を芸術家はこう受け止め共に生きたのだなと感動した。美意識に溢れた作品集。
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二人の愛の軌跡に、ただただ心を打たれた。印象に残った詩は書ききれないが、「うた六首」のたった六首の中にこの二人の愛が詰まっている様に思う。
「智恵子の半生」以後にこの詩集の背景が本人の言葉で綴られているので、ぜひこちらを先に読むか、一冊読み終えた後もう一度詩を読み返す事をおすすめしたい。 -
智恵子は鳥になったんだよ。
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智恵子になりたい
ひたむきで、まっすぐで、頭が痛くなる位愛に溢れている
「案内」は何度読んでも涙が出てくる -
本当の愛を感じられます
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こんな風に、ひとりのひとをまるっと愛するのって、いったいどんな気持ちなんだろう
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読むのが苦しいくらいの愛。
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統合失調症になって自分を失っていく妻智恵子との生活を描いた
作品。高校生のときに読んだときは何も感じなかったが、改めて読むと、
作者の高村光太郎は、変わっていく妻を受け入れるだけでなく、愛していたと書いている。作品の意欲を与えてくれる存在であり、二人の関係は愛情を超えた何かでつながっているかのようだ。
この詩集の中で、だんだん悪化していく智恵子との生々しい描写に、光太郎のそれを受け入れる強い意志と愛情を感じる。
そして「レモン哀歌」で私はいつも泣いてしまいます。
この作品は、夫婦の愛だけではなく、お互いを認め合い、受容する至高の愛の形を提示しています。そして、その中で仕事に打ち込む光太郎の魂にも目を見張るものがあります。ぜひ一読を -
この愛!!