- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102010099
感想・レビュー・書評
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ドストエフスキー 「 地下室の手記 」
驚きの読書体験だった
主人公が著者の思想から独立している
*著者は 主人公の自意識を悲劇的に描き
*主人公は 合理主義者(無神論者、自然科学崇拝者)の理性を批判する
2つの場面が 1つのメインテーマ(おそらく反キリストの悲劇)を 照らしている
*過剰な自意識による自閉な世界(地下室)
*誤った人間観を持つ合理主義(無神論、自然科学崇拝)
人間観の秀逸さ
*道は〜どこかに向かって 続いている〜大事なのは方向でなく、それが続いていること
*人間が破壊と混沌を愛するのは、目的を達し完成するのを恐れているから
合理主義への批判
人間は 自分の欲するまま行動するのであり、理性や利益ではない〜人間に必要なのは自分独自の恣欲詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
Ⅰ 地下室 の感想。いつの時代から比喩の意味での「地下室」で生活する人々が生み出される社会になったのか分かりませんが、同時代的には、社会規範が強いところ・それに従うのが是とされるところほど、「地下室」とそこで生活する人々を生み出していると思います。人々の生活の糧を得るところ・それの前の教育を受けるところがシステマティック≒「二二が四」「水晶宮」「自然法則」なところに変わりだした時代から、少しずつ「地下室」とその住人を生み出してきたのだと思います。
村上さんの「壁と卵」のスピーチの比喩を借りると、ドストエフスキーはほとんどの作品で卵側の人間を主要登場人物にしていると思います。一つの卵側の人間の性格がⅠ 地下室で描写されていると思います。壁にぶつかって卵が割れないようにするには壁に対して回れ右をすれば良い、こういった示唆を与えてくれた最初の小説家がドストエフスキーらしい。彼の作品を読むと、壁にぶつかって卵が破裂する結末がほとんどだと思います。卵を破裂させる壁から距離を置いたり、回れ右をする、そういった事を作品から感じて欲しいという事でしょうか。
作品を読んで、一番気になったところは、地下室側の人間が社会を根底から変える力が在るという主張です。壁≒社会に対して距離を置いたり、疑問を感じたりする人々が地下室側≒卵側の人々だと思います。壁≒社会に対してのアンチテーゼはこういった人々しかいない事になるので、この主張はある意味当たり前だと思います。「地下室」を快適にする事・他の「地下室」と連携をする事・「地下室の住人」を孤立させない事等が同時代の地下室≒卵側の人々達が出来るスクラムでしょうか。 -
とても他人事とは思えない内容だった。
この「地下室の住人」の惨めな虚栄心や友人から受ける屈辱感というものが凄くリアルで、19世紀に描かれたものと思うと驚かずにはいられない気持ちになる。
また、解説の方も面白く、ここで言及されたシェストフなる思想家の本も読みたくなった。 -
再読。初読の時はあまりにもの救いのなさにいたたまれずどんより沈んだが、今回は主人公の自意識過剰の思想や妄想の饒舌さに幾度となく可笑しみ覚えた。この強い自意識の持ち主である主人公は、ラスコーリニコフのような信念の裏付けがないものだから、いかなる行為も奇矯な振る舞いにしか見えない。それでいて、何かしら身につまされる思いを齎すのだからたまったもんじゃない。これだけ全否定のモデルを仕立てといて、人間の機微に触れるドスの狡猾さ。そしてまた、来世はきれいな心をした娼婦になりたい、と思わせるドスお得意の女性像!
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やべーわ、面白すぎて全然先へ進まんタイプの本だわーすげーわ!パンチがすごい重たい。が、その後の名作と比べるとまだ読みやすいと思う。
前半のちょいちょい出てくる「諸君、」っていう語りかけが読んでいて楽しみになってくる。日常の微かなこと、意識や羨望、特殊性について、自分じゃあ気になっても意識しないことを題材に、掘り下げて書くのがこんなに面白いとは。
読了。一回だけじゃわからない。主人公は我々自身であり、リーザとの最後の場面はとても気に入っている。文句なし。さすが。
小説といわず、人間の営みはすべて人生を肯定するためにあるとして、このようなある種人間の絶望的な側面を暴くことでかえって肯定感を喚起する、開き直りの境地が一番パワフルだと思う。 -
前半部分。結構うんうんって思ってしまった。共感できてしまう自分って、、、
割と合理的にできている人間だから、自由を確かめたくて非合理的な行動をする衝動にかられてしまうのか。
とにかくものすごい洞察だと思います。
こんな難解な内容を文章にできる力もすごいし、これを翻訳できる力もすごいと思う。
安っぽい幸福or高められた苦悩
難しい。とりあえずどちらか一方だけじゃ生きていけない気がする。
またしばらくしたら読み返したい。 -
いまだかつて読んでる途中でこんなに不愉快になったのに読むのをやめられなかった本があっただろうか。もうほんといい加減にしろよというかもういいからというかそれ以上言わないでくれというか、とにかくすっごい擲ちたくなるんだけど、最後まで読んでよかった。クライマックス、神がかってる。さすがドストエフスキー・・ほんと鳥肌たちました。
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「安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」
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肥大化した自意識と逸脱者の自覚に苛まれる苦悩が徹底的に描かれている特異な名作。どこまでも内向的で否定的でありながら、超然と構えることもできず、外界の些細な出来事に惑わされ、人間関係において言動のすべてが裏目にでてしまう様は、読んでいてヒリヒリする。思考にほとんど飲み込まれながら現実の肉体や情念がそれに抵抗し、退屈や人恋しさ、屈辱に耐えられない。そんな齟齬の内に懊悩する様子は、積極的価値をどこにも見出だせない消極的な否定性の恐ろしさをあぶり出す。
主人公が縁のあった娼婦と感情をあらわにしあう劇的なクライマックスさえも、もつれきった否定的性格ゆえにカタルシスに昇華することのできない「どうしようもなさ」が辛かった。
思考を披瀝するだけの前半にしても、見てられない失敗を回想する後半にしても、やや誇張が過ぎる気もするが、自らの中にいくらかのアウトサイダーの意識がなければ書くことのできない小説だと思う。この主人公にリアリティを全く感じない人があれば、その人は幸せなんだろう。そして、本作自身が、自らが単なるヒューマニストにとどまらないことを示す、ドストエフスキーの自己顕示にも思われる。 -
プライド高く、斜に構えた叙述。
人間は、抽象的帰結に弱いようにプログラムされており、合理性よりも”自分独自の私欲”を優先するとか、、
理性、名誉、効用に無意識に逆らい、もっと本源的な利益に対して動くとか、、
ネガティブに世の中を捉え、やや拗れた世界観を持つが、どこか本質を突く部分はある。
直情で活動家な体育会系とかドストエフスキーは大嫌いだったんだろうな〜
変に自信のある自尊心の強い若者の事も嫌いだったんだろうな〜
スラスラ読みたい人には、向かない。
個人的には展開が遅く、ネチネチ述べたこの小説はわりと大好物