地下室の手記 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010099

感想・レビュー・書評

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  • 主人公のプライドの高さ、自意識の過剰さや独占欲の行き過ぎに苦笑する部分もあったものの、それでも人との関わりを渇望してる内面を見て人間味を凄く感じた

    内容的には第一部が難し過ぎて正直理解出来ていない部分かほとんどだと思う、、

  • 読み難かったですが、
    なんと言ってもパンクだし、19世紀も21世紀も人間なんてものは全然変わってないことを痛感。
    よくもこれだけ矛盾し、相容れぬはずの感情生活をもちこたえられるものだ!
    不変すぎる。

  • 地下室にこもっりきりの話かと思ったが、そうでもなかった。
    最初、グダグダした自分語りが続く。サリンジャーとか、太宰とか、こういう奴の話って筋道立てて話してるようなんだけど、さっぱりその筋道が判らなくてウンザリする。当方の頭が悪いんだろうけれど。
    自分が地下室に引きこもったら、こんなに喋らないだろうな。そういう点が違和感があるなあ。まあ、饒舌でなければ小説にならないだろうけれど。

    古い知り合いの懇談するレストランに押しかけ、醜悪な態度を見せ、他人を罵倒したかと思うと、友情を懇願し、言ってることやってることが支離滅裂。この辺は馬鹿かと鼻で笑ってられたが、娼婦のリーザのその身の不幸を偉そうに知らしめる物言いに頭に血が上った。
    何だ、他人の気持ちに沿う想像力のかけらもない馬鹿は。ぶん殴ってやりたいぐらい不快。それでいて、リーザは自分を尊敬するはずだと考える。ホント、何なのコイツは。

    最後のリーザとの顛末も醜悪。自分が汚した相手に救済を求まる心情が理解できない。ワーグナーも同様だけど女性に救済を求めるって男の勝手な心情だと思う。

    40過ぎでこんなもの書いたのかと、ドストエフスキーのイメージが崩れそうになったが、解説を読むと、主人公は著者を投影したものではなく、当時のロシアを観察をして、絶望の分析をしたとある。
    こんな勝手な事ほざいている奴が絶望のモデル?。絶望はもっと無言なものではないのだろうか。

  • すごく「痛い」本で、強烈な自意識に振り回されるあまり、自ら幸せの反対方向へと全力で突き進んでしまう男の話。論理的にはかなりヤバイ行動原理の彼だが、感覚的にはけっこうすんなり共感できてしまった。ので僕もヤバイのかなと思ったが、レビューを読んでたら結構みんなそう書いてたので安心しました。

  • ドストエフスキーの岐路となる作品
    として読み、ドストエフスキーへの関心の再燃、他の作品網羅への意欲、両者を通じて得ることのできる“今の自分への答え”を知り得たいという意欲、この本に掻き立てられました。
    この本を通じて、ああ、分かる、と受け取る人が一体どれほどいるのか知りたいと強く思いました。
    ※今の自分へのぴったり度という意味で星5つです。

  • 面白い。ドストエフスキーときくと、何やら重苦しい感じがして敬遠していたが、この本は割と平易で純粋に面白く、出来ればもっと若く拗らせていた、中学二年生くらいの頃に読みたかった。今の自分にもこの語り手のような自意識過剰さがなくなったわけではないけれども。

  • 2016.10.17
    読んでて共感と醜悪さを感じた作品だった。前半は主人公の価値観の独白という形をとり、後半はその主人公が青年だった時の物語を独白するという構成になっている。前半では、人間の本性は理論などに還元できず、もっと非合理的なものであるということを述べる。これは当時のカントなどの啓蒙主義というか、人間はもっと賢くなれば自分にとって善なるものを追い求めるはずだ、正しく理性を用いれば正しく生きられるはずだという思想に対しての反論である。人間はそんな単純に、善のみを求めて生きていける存在ではない、それは理想、絵に描いた餅であって、現実はそうではないという。その考え方をまさに体現するかの形で生きた青年期が後半に書かれている。彼の病はまさに過剰なほどの自意識である。周りから自分はどう見られているか、もしくはどう見られたいかという過度の欲求が、はたから見たら全く理解不能な行動に取られてしまう。これは私も青年期によく味わったものである。人の目を気にしすぎる人間は、ある時は嫌われることを恐れて極端な逃避行動をとり、またある時は人に好かれたくて好かれたくて、妄想の中で英雄になるものである。ここには、人間の肥大化しすぎた社会的欲求が見て取れる。そしてまさにこの、過度の社会的欲求、人間と人間の関係に対する歪んだ望みこそが、人間を人間たらしめ、人間を不合理なものにならしめているのではないだろうか。そしてこの歪んだ欲求を生み出すのは、愛の欠如に他ならないのではないだろうか。キルケゴールは人間の理論や一般論に還元できない、各々のかけがえのなさとしての人間存在=実存の定義を、自己自身に関係すること、すなわち私はどんな人間なのか、私はいかに生きていくべきかを自分で自分に問う存在であることとした。私はこの小説を通して、人間の実存とは、他者との関係を通して自己との関係を問わずにはいられない存在、他者からの愛なしには愛されていない自分を愛することもできず、他者から価値を求められることなしには自分で自分の価値を認めることができない存在だと思った。悲劇なのは、では愛されるためにはと言っても、まさに自意識ゆえに適切な行動が取れないことである。他者との関係の中にありながら自己とも関係している人間の実存に対して考えさせられる作品であり、ドストエフスキーの転換点と言われるように、大作群にも見られる人間の醜悪さを感じた作品だった。

  • 真実を描くことが、ある人には救いになる。ときにそれがあまりに醜く、世間の反感を買うことが分かっていても、描き切ることができる作家は、奇跡的な存在だ。視野狭窄に陥った鬱状態の思考をここまで的確に言葉にした文学を私は知らない。ランクの付けようがない。別格である。

  • 初めて読んだドストエフスキー。鬱々とした話が始まるのかと思い、最初はこわごわと読んでいたつもりが、あっという間にページが進み、すんなり読み終えてしまった。人間の心理の移り変わりや、説明のできない感情のあるところを現場で見られたような話だった。心理描写や着眼点が人間を捉えすぎて、まるで見透かされそうで怖くもあるが、他の作品も気になる。

  • 自意識過剰の惨めな男の人道主義・理性主義批判……みたいな話か。人はダメな自分、ダメなままの人生を生きなきゃいかんのだなと思うが、割り切れないよね。死にてえ

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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