グレート・ギャツビー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102063019

感想・レビュー・書評

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  • 以下ネタバレ。



    この作品を理解するカギは最後の数段落にある。ここで作品の要点が作者自身の手でまとめられている。
    この作品の主要登場人物たちは西部(田舎)から東部(都会)に出てきた者たちである。作品のラストでは、語り手ニックは、アメリカ建国の父祖たちに思いを馳せる。アメリカ建国はヨーロッパという過去から離れて新しい社会アメリカを作る試みだった。つまり東部-都会-未来/西部-田舎-過去という対照が明らかに見てとれる。
    アメリカの夢は都会の夢・資本主義の夢だと言える。作者フィッツジェラルド本人も一時期そういう雰囲気の中で生きた。「つねに過去に押し戻されながら、未来の夢をつかもうとして、前へ前へと進んでいく」のはアメリカン・ドリームに象徴されるアメリカ人の典型的イメージである。新大陸に新国家を創設しようとした建国の父祖たちもおそらくそういう思いだっただろう。
    しかしこの作品の本当の主役である、ギャッツビーという奇人の場合は、これが屈折しているのだ。彼は過去の恋愛を成就させるために巨万の富を築いた。彼にとっては、富はロマンチシズム(いわば西部の夢)のための手段にすぎない。彼が盛大なパーティを開くのも、富をひけらかすためではなく、ひとりの女性を誘い出すため。彼にとっては未来は過去の夢を実現するための手段なのである。多くの人が彼を誤解する。彼は誰にも(東部の人間にも西部の人間にも)理解されずに死んでいく。偉大で滑稽なギャッツビーだが、彼を唯一理解したのはこの物語の語り手ニックだけだった。
    最後の幕引きも、単純にアメリカン・ドリームを肯定したものというよりは、作者のアンビヴァレントな思いが表れているとみるべきだろう。

  • 一人の女に全てを捧げた男の栄華と破滅の物語。ギャツビーという男はアメリカを体現する人物であり、そこに優雅さと儚さを感じる。非常に美しい文章と表現で、実際に20世紀前半のアメリカにいるような、そんな気分にさせられた。

  • #英語 The Great Gatsby by Francis Scott Key Fitzgerald

    ディカプリオ主演の #映画 もよかったが、小説もよい
    小説の展開のほうが救いがあると思いました

  • ギャッツビーの一途さと純粋さ、周りの人間の薄情さが対比されていると感じた。
    「正直者が馬鹿を見る」という諺を体現したような作品。

    生々しいリアルな人間観が、描写されている点がとても魅力的で引き込まれるものだった。

    読み終わると、少し切ないような、寂しくなるような感じがした。

    個人的に少し読みづらいと感じ、読み終わるのに時間がかかってしまった。
    しかし、先に映画を見ていたこともあり、ストーリーはすんなりと理解出来た。

  • 最初から最後まで、夏の終わりの夜というイメージ。
    開放的で、寂しくて、終わりがくることがわかっている。

    解説に書かれているような、西部と東部の違い…都市部の富裕層と地方との対立、価値観の差みたいなものは、現代でも日本でも無縁ではないな、と思い切なくなった。

  • 学生時代に初めて読んだ時は全く良さが分からず途中で挫折したんですが、社会に出てしばらくしてから読んだらまぁ、どハマりまして。解説本とかまで読みました。訳は村上春樹よりこの野崎孝訳が私は好きです。
    初読では冗長に感じた比喩比喩比喩のオンパレードも、経験を積んで想像力にも幅が出たのか、再読時は、なんと豊かな情景や心情を詩的に描くのだフィッツジェラルドは!表現力やば!となりました。私が比喩表現で感動したのは三島由紀夫とフィッツジェラルドです。
    ギャツビーのある意味無垢で純粋な思いの行く末、人生のままならなさ、そして絢爛豪華なひと時の無常さ。米文学の中では一番好きな小説です。
    映画もロバートレッドフォード版、ディカプリオ版両方見ました!映画はフラッパー時代の可愛いビジュアルも堪能できるのでオシャレムービーとしてもおすすめ。

  • 冒頭のニックの語りと、夏の日の(初夏のイメージ)気怠く爽やかな部屋、その部屋での魅惑的なデイズィの叙述に、胸が躍った。私は主観的な感覚描写が好きなんだな。
    前半はふわふわと心地良く読んでいたけれど、後半スピードを増して読み進めてしまった。
    ギャツビーが哀しく愛しく哀しい。読後感は爽やか。
    村上春樹が好きでこの本を探したけれど本屋に野崎訳しかなくてとりあえず購入したのだが、とても良かった。村上訳も続けて読みたい。
    ニックとギャツビーと同世代ということもあり、過去がある程度の重層感を帯びてきたこと、鮮やかな記憶のように若くはないこと、でも確たる未来を進めているわけでもないこと等に思いを巡らされた。
    もやもやも増したがそれでも前へ進まなければという思いも生まれた。
    緑の光の描写が好き。
    次はじっくりと読みたい。

  • 外国文学は苦手な私でも割と読みやすかったです。
    訳(特に女性のセリフ)は「何で?!」と感じる箇所がチラホラ。

    村上春樹訳のも読んでみたいと思います。

  • 野崎訳…語り手ニック含めた誰にも感情移入させず淡々としつつも行間に凄まじい力、読者を惹き付けて話さない物語の力が込められているように思えて、進むにつれページを捲る手が止まらず。豪華絢爛であると同時に空虚さに満ち満ちた二律背反的な世界観が絶妙に描かれていたと思う。

    個人的には(これが正しい読み方なのか否かは知らないが)最後の最後にトム・ビュキャナンにある種同情にも近い気持ちを抱いてしまった。ニックの影を借りギャツビー自身が嫌悪の対象として描く、先祖代々の資産に胡座をかいた資産家のトム。ギャツビーのディズィに対する一途な愛情は勿論この物語の見所であり『偉大なるギャツビー』という題材が示す通りの掛け替えのないファクターであるのだが、同じ女性を巡って真っ向から対立する(そして婚姻関係という世間的にも正当な側にある)彼の「夫」としての愛情・寵愛も決して軽視してはいけないと強く感じさせる。尊大で愚かな男で、そして浅薄なディズィもそんな彼を捨てきれない様子に胸が痛くなる。「言えないわギャッツ、あの人を愛してないなんて言ったら嘘になっちまう」…ただ妻とギャツビーの関係に分かりやすく嫉妬しておきながら、自分も友人を裏切り情婦を抱えている、という状況には困惑したけど。
    一度彼に注目してしまうと、最後に求める握手にもどことなく悲壮感が漂っているように思える。宝石商のショーウィンドーを覗く「野暮な清潔感」から永遠に遠ざかってしまった背中も何とも言えず辛い気持ちにさせる。
    ただトムに限らず、全員がそんな悲壮感と絶望と罪悪感と何よりすべての中心に位置する「愛」に溢れているのがこの文学を世界文学たらしめる要因の一つなのかなとも思う。読了直後の熱で文章が破綻しているのは百も承知だが、これほど自信を持って星5をつけられる文学は早々見当たらないかもしれない。

    あと細かい所で言えば、野崎訳独自(?)の、女性の喋り方が好き。特にジョーダンとかマートルとかに多く見られる「〜っちまった」「〜すりゃいいだろ!」というのが結構気に入っている。

  • 「女の子は、ばかなのが一番いいんだ、きれいなばかな子が」

  • 決して大統領選のただなかだからってわけじゃあないんですが、どうにもその感じと気分が似ているというかなんというか、祭りの後? その空虚さといったら……。

    というか読み切れんのですよぉ、アメリカ文学史上の傑作ってマジですか? どこらへんが? が、なぁ『ホテル・ニューハンプシャー』の核にいるんですよこのギャッツビーが。アメリカ人も好きなんでしょう? 夢、ですかね? かの黄金時代=狂想の1920年代に想いを馳せているんでしょうか?

    だいたいデイズィって誰なん? ギャッツビー、なんでそんなに惹かれたん? 謎すぎる。エドモン・ダンテスを袖にしたメルセデスですか? このお話ってフィツジェラルド版『モンテクリスト伯』なんじゃないですか!? 

    とかいって作者スコット・フィツジェラルドと妻のお話らしいですね。どんなに富や名声を築いても彼女を我が物にできなかった虚しさ、か。うーむ、読み切れん。なにか読み落としてんのかなぁ。映画からやりなおします!

  • ストーリーが全く頭に入ってこなかった。もし名作だというなら、別の訳で読んでみたい。

  • 高3以来の再読。文章が非常に美しく、後半の疾走感が素晴らしい。繰り返し読むべき小説。

  • 新潮文庫、翻訳は野崎孝さん。
    クラクラするぐらい気持ち良い文章だった

  • 《「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」》(p.5)

    《「友情は死んでからではなく生きているうちに示すということを学ぼうじゃないですか」》(p.239)

    《この話は、けっきょく、西部の物語であった——トムもギャツビーも、デイズィもジョーダンも、それからぼくも、みんな西部人である。そして、ぼくたちはたぶん、ぼくたりを東部の生活になんとなく適合できなくさせる、何か共通の欠陥を持っていたのだろうと思う。》(p.246)

  • 10年振りに再読。また10年後に持ち越したい。

  • ノルウェーの森からある登場人物の会話の中に本書が登場したことから興味を持ち読んでみた。しかし、情景描写を説明する言葉の列を理解することに苦しみイメージすることが困難であった。また登場人物の心情理解にも苦しみ、全体として小説の世界に深く入り込むことができなかった。時間をあけてもう一度読むか、映画化もされているので鑑賞してみようと思う。

  • 2020年4月

  • かなしいけれどロマンチックな物語。ギャツビーが純粋すぎてかなしいけれど美しい(ようこ)
    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/
    図書館・請求記号 933.7/F29/7/

  • アメリカらしい大味で豪快な登場人物や出来事を繊細に描写している、というような感じか。最後の場面描写は原文を確認したくなる。他の訳者のものも機会があれば読みたい。

  • 好きとか嫌いとかではなく、文学的に素晴らしい作品。創意工夫がこれほどまでに施されている小説に出会ったことはない。設定とかも全てが意味のあるもので最後に強烈な皮肉となるのがまたいいね。

  • 豪奢なパーティーを毎晩のように催し、そこには著名人らが多数出席しているが、主催者であるギャッツビーは純粋で一途に1人の女性を思い続ける好青年である。
    男が女に振り回されるのはいつの時代も変わらない。また、一見華やかに見える世界であっても、そこにはそれぞれの苦悩や闇があるということを感じさせる作品でもあった。

  •  20世紀初頭、第二次大戦前のアメリカ好景気を背景に、もともとの富裕層たちと、なんらかの方法で富裕層に成り上がった人々の物語です。

     豪奢で華やかな描写が多いですが幸せな物語ではなく、どちらかというとノルウェーの森のように、一種の救いの無さが特に後半に現れています。村上作品の場合、そのネガティブな部分を含めて全体的にはどことなく解決策を模索しているようなところがあり、それが一種の優しさのように感じられるのに対し、もっと苦しい印象が残る作品です。

  • アメリカの当時の世相を理解するには格好の小説だと思う。しかし、この作品が評価されるポイントの一つである言葉の美しさは、翻訳によって味わうことができないので、翻訳版には評価されているほどの価値はないと思う。

  •  村上春樹の「ノルウェイの森」の主人公が一番好きな本として紹介されていたので、以前挑戦したが、野崎訳は最初の方で挫折してしまった。その後村上春樹訳で読み(多分10年ほど前)、その時は読了したのだけれど、ああ面白かったなという印象だけで、ストーリーをよく覚えていなかった。そして、今回野崎訳を再トライしてみたが、こんなに素晴らしい話だったのかと感動してしまった。
     以前野崎訳を挫折したのは、じっくりと本に向き合うという気持ちがなかったため(ストーリーを追うことに主眼を置いていた)、この小説における詩的な表現が、どこか甘ったるい上にまどろっこしく感じたのだった。しかし、今回再読をしてみて、その文章一つ一つが洗練されていることに気づき、心の奥底の泉に石が投げられ、その波紋が体中に広がっていくように感じた。
     ストーリーとしてはバッドエンドと呼べる部類なのだけれど、どうしてもギャツビーの悲惨な運命について考えると涙を禁じ得ない。この話を最初に読んだ時、自分はまだ20代で、未来にはまだまだ希望があり、世界には素晴らしいものが満ち溢れていると信じていた。しかし、語り手であるキャラウェイの年齢を超えてしまえば、それは幻想だったというか、若者特有の熱に浮かされていた状態だったのだとも気づいてしまう。もちろん、まだまだ世界の素晴らしいものを目にしたいし、手に入れたいとも思っているが、ギャツビーが海峡の先の緑の光に感じていたことが、デイズィと出会ってから失ってしまったように、熱に浮かされていて、手に入らないものを渇望しているときの気持ちというのは、手に入らないからこそのものなのだと思う。つまり、やはり齢を経て現実を知るとともに失われる、あるいは変わってしまうものなのだ。そして、その熱に浮かされている状態は、その時には気づくことができず、後から気がつくものではないだろうか。昔の自分はギャツビーの悲惨さについては心を動かされるというよりも、なんでこんな結果になってしまったのだろう、ある意味自業自得ではないかと、冷めた視線で眺めてしまったのだけれど、人生経験をある程度積み、今この歳になって、こんなに真っすぐに人を愛すること、つまりは人生を過ごすことの素晴らしさについて、そておそらく自分も持っていたその熱について、心が動かされるようになった。
     村上春樹訳ももう一度読んでみたいと思う。何度でも読み返したい、生涯の一冊と思える小説。

    追記:
    文庫版解説を読んで。この物語においてギャツビーが求めたもの、それは「虚栄」としかい言いようがなく、東部に存在したものは、結局のところ何もなく、トムやデイズィは空っぽと言っても良いのだろう。ギャツビーの破滅はある意味で必然であったのだ。

  • 文学

  • 自分も歳か青春のやわらかな景色をほほえましく思う一方で徒そこへたゆたうに苛立たしくもなる
    どんな時代も文化も主義も宗教もそれが人間のものである以上暮れて移って変わっていくのに気付くときは
    諦めと周知である前途への安堵でもある

  • 2017.06.10 シミルボンより

  •  フィッツジェラルドの代表作。アメリカ文学の有名な作品。少し古い本なので、書き言葉的に少し読みにくい。でも繰り返し読むとわかってくる。
     映画でもあるので、どのメディアでもいいのですが、おすすめする作品です。少し前の成り上がっているアメリカの内情がそのまま書かれているのでその点でも面白いですし、ギャッツビーの爽やかな生き方を読み解くのも面白いです。
     本を書く人の技量が現れる点であると思うのですが、風景描写や人々の行動の描写であったりするところが、とても深みがあり、映画化もうなずける一品

  • きらびやかな世界で繰り広げられる甘い夢。
    人気と孤独。
    過去の世界に浸りながら今を生きることは果たして幸福なのだろうか?

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著者プロフィール

1896年ミネソタ生まれ。ヘミングウェイとともに「失われた世代」の作家として知られる。大学在学中から小説を書きはじめ、『グレート・ギャツビー』を刊行して一躍時代の寵児となる。激しい恋愛の末、美貌の女性ゼルダと結婚、贅をつくした生活を送る。しかし、夜ごとの饗宴を支えるため乱作をはじめ、次第に人気を失い、ハリウッドの台本書きへと転落の道を辿る。1940年、再起をかけて執筆していた『ラスト・タイクーン』が未完のまま、心臓発作で逝去。

「2022年 『グレート・ギャツビー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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