グレート・ギャツビー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102063019

感想・レビュー・書評

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  • 先日、映画版のこの作品にいたく感激したので小説版にも触れてみました。登場人物が多くて、あれ、これ誰だっけ?という場面が何度か。少々わかりづらかったですね。でも内容はすごい。一人の男の一途な想いは美しく、そして切なすぎる。周りに寄りつく人びとの心の汚れと対比されてその彼の心の綺麗さが際立っています。綺麗とするには一般的にいえば語弊があるのかもしれませんが、自分はやはりその表現しか思いつきません。訳は野崎さんのものを読ませて頂きましたが、あまり気に入らない表現も多々ありました。次は他の訳者のものも読んでみたいです。あぁ、まあ原本が手元にあるのでそっちが先かな。

  • ノルウェイの森を読んで興味を持ち読んだ作品。
    正直あまり入り込めなかった。
    ギャツビーの一途な片思いを題材に、個性を持った周辺の人々を使って人間の欲や哀愁など様々な面を見せた作品。でなのかな?

    解説によって少し、文章の細かい構成(言葉の使い方など)を理解し、自分の中での評価が上がった。

  • 正直、この小説の良さが分からない。

  • 村上春樹が ノルウェーの森 で主人公に読ませている本。
    作者は第一世界大戦にも出生し大恐慌で没落した作家。
    作品では、西部出身者が東部のお金持ちにあこがれながら
    なりきれない姿を描いている

  • ニューヨーク、ロングアイランドのきらびやかな一角に屋敷を構え、毎晩豪奢なパーティを開く謎多き男ギャッツビー。

    冒頭の美しい描写と、戦争で引き裂かれた恋人、もう少しのところで取り返せない過去ののイメージがノスタルジック。

    人生ってやり直せないからねぇ…。

    余談。
    ブラピの出てたベンジャミン・バトンは船乗りだったけど、それってギャッツビー氏と関係あるのかしらん。

  • 村上春樹の小説に出てきて気になっていました。とても面白い作品でした。村上訳もあるようなので読んでみたいですね。

  • 読書会に参加するために、15年ぶり?くらいに読む。村上春樹が絶賛の小説。しかし、そこまでとは思えない。もっと面白い小説はたくさんある。読 書会はうんちくをばかりを8割がたしゃべる女が司会でまったくつまらなかった。

    金持ちに自分の女を奪われたとき、かなりの男は金の力を、自分の境遇を恨むだろう。女を口説く方法は金だけではない。それが決定打になることはない。方法はいろいろあるが、若い男にはそれはわからないだろう。ひき逃げのあとで、ディズィーが寝るまで外で待っていたシーン。ギャツビーの不器用で若い情熱を強く感じた。

  • 一人の女性を手に入れようと想い詰めてのし上がり、最後は彼女の犯した罪を被って殺されてしまう主人公の隣人ギャツビーの物語。
    主人公のニックがギャツビーの純粋さと想い人とその夫の傲慢さ、醜悪さを等距離から冷めた視点で語るので違いが際立って見える。
    ギャツビーが痛くて後半かなり読むのが辛かった。
    途中から悲劇で終わるだろう空気が濃厚に漂って、その予想通りに終わるのが儚くて寂しかった。

  • パーティーは終わった。
    そこにはお金と愛と美の哀しい現実があった。

    表現が曖昧なところはあるけれども、想像力を掻き立てられ充分楽しめた。

  • ギャッツビーさんの良い話。風景描写がすごく良い。そのためか何か話がよく分からんくなる瞬間とか、誰やコイツ?とかなったりするけどまぁええわ。

  • ギャツビーという男の物語 ニック君から見たギャツビー 昔の恋人とヨリを戻したいギャツビー 恋人には家庭があった 未練タラタラ? 成り上がりのギャツビー 元恋人の旦那の不倫 ある事件からギャツビーはひとつの決断をする

  • 「ノルウェイの森」の主人公が不動の1位にあげた作品。
    ワタナベと永沢さんとの出会いの一冊ともなった作品。
    最後の結末は悲しくも美しかった。

  • 原文は「英語で書かれた20世紀最高の小説」で2位のたいへん評価の高い小説で、学校の授業などにも扱われる題材らしいです。

    ただし原文の評価なので
    翻訳本としてのクオリティは不明。
    過度に修飾された文章をひとつひとつ追っていたら迷子になりそうになったので、まずは読み流すくらいの気持ちで一通り読んで見ました。
    それでも人称が"彼"とか"彼女"で、誰の台詞なのか混乱しやすかったです。
    そのうえ女性が「あたし、お会いしたいんだがな」と男性的な言葉使いを言ったりするので、大いに戸惑います。

    その他の日本語にもひっかかる点が何点かあるのですが、正しい日本語なのかどうかわかりません。
    50年前はこれが一般的だったのでしょうか。
    とりあえず今読むには少し違和感がありました。

    一途に(あるいは病的に)ひとりの女性を愛し続けたギャッツビー。
    あらゆる成功をその女性のために捧げようとする。
    しかしその女性には夫がいて……。
    女性の友人であり、ギャッツビーの隣家に住むニックの目線で
    物語はある悲劇的な結末を迎えていく。

    そこにあるのは理想を求める高潔な心境と、実際の醜い人間味。
    欲に駆られた人間の薄情さ、偽善、不公平とも言える公平さ(どんなに潔癖に生きようとも、どんなに打算的にずる賢く生きようとも、幸、不幸の訪れる確率は不変であり、また生死の確率も変わらない)が、生きていく残酷さを表していると思います。

    村上春樹氏が大きく影響を受けた本らしく、
    確かに主人公であるニックの醒めた、
    それでいて内心に孤独と情熱を秘めた人柄は
    村上春樹氏が描く登場人物に通じるものがあると思います。

    ニックが交際していた彼女と別れる場面で、こう描かれています。

    ”ぼくは腹立たしく、しかも彼女が半ばいとおしく、さらにまたたまらなくすまなくも思いながらくびすを返した。 ”

    私はさして村上春樹氏の本を読んでいるわけではありませんが、
    それでもなんだか村上さんぽくないですか?

    この部分は原文ではどう描かれ、
    村上春樹訳ではどう表現されているか。
    村上さんはじめ、数人の作家が翻訳されているので
    読み比べてみるのも面白いかもしれません。

    私としてはいずれ時間をおいて、読み返してみようと思います。

  • サスペンス(^O^)/

  • ギャツビーなんてさ、一人の女性に想いを寄せ続けてさ、彼女に近づくために危ない橋を渡って金持ちになり、最後は彼女が起こした交通事故を彼が起こしたと勘違いされ殺されちゃうっていうヤツなんだけどさ。そこがねー。切なさとか儚さとか思いとか、いいねなんて思うんだよね。情景描写もとても綺麗だしね。僕は新潮文庫のこの訳が大好きです。

  • 虚飾とはなんだろうか。人は何のために自分を飾るのだろうか。
    村上訳も読んでみたいところだ。

  •  村上春樹繋がりで。

     なので、敢えて村上春樹訳じゃないのを選んでみる。彼は誰の訳書を読んだのだろうな・・・。

    というわけで始終村上春樹が頭から離れないで読んでしまった。

    話の書き方、というだけでなくて、人との距離の置き方みたいな感じが、似ているのかなと思った。どこか真剣には入り込まない一線を持った感じと言うかな。

     わたしは多くに対して、傍観者的なスタンスを取るような人間なので―まぁ、同じじゃないだろうけど―ちょっと分かるような気になった。


     話が逸れた。後書きにも書いてあったけれど、初めは東部の雰囲気に気後れするような、自分が田舎者に感じると言った引け目を漏らしていたけれど、ラストでは、引け目を感じていた類の人間を、子どものように感じるようになったという心境の移り変わりを考え作品を思い返したり、どこか東部の人間に対し馴染めない感覚を持つ西部の人間の物語、というような目線で見ると、
     
     作品がすごく、味わい深いものに思えてくる。

     というわけで、一度読み終わると村上春樹呪縛から逃れることができて、フィッツジェラルドという人間が内容の色んなところから顔を見せ始める。

     今、2度目に目を通している。結末が分かっているから、冒頭の主人公の心境やバックボーンをあれこれ関連付けたり、思い返している状態が、2度目を読む自分に重なり、

     作品が俄然色彩を帯びてきた。


    追記:何がgreatなのかと。主人公が最終的に決別を示す、昔ながらの富裕層に(いっときでも)もの言わせてやった成り上がりという点と、愛する人のために、憎き彼女の旦那すら含めて誤解をさせたまま人生の幕を閉じた生き様(殺されてしまったわけだけど結果としてそうなったと言う意味で)がgreatなのかなと。すべては愛のために。(わたしは愛なんて信じませんけどね)彼の人となりのすべてを物語る言葉ではないけれど、その点でわたしはその言葉に共感をする。

  • 賑やかな場所で、ふと孤独を感じたときに、いつもこの小説を思い出す。

  • そっけない文体と一文の長さが印象的だった。アメリカの生活が描写された本は初めて読んだけど、物憂げな印象を持った。

  • 村上春樹訳じゃないからか‥‥? 頭にあまり入らなかった。西部のモラルを捨てきれず東部に憧れる作者の二面性を描いた作品。

  • 100ページ越えたあたりから面白くなった。ギャツビー出てくると華やかになる。フィツジェラルドの書く男性はちょっと見栄っ張りだけどヘタレなとこもあって可愛い。女性が自由奔放で小悪魔な印象。作者がメンナクで、ヒロインが小悪魔アゲハといったら笑われた。誰が誰なんだかキャラを覚えるのが少し大変だったから、もう一度ちゃんと読もうと思う。ラストシーンは思わず泣いてしまった。

  • 名作たるゆえんがよくわからない名作、というのは結構あるが、自分にとってこの作品はまさにその典型。最後まで登場人物の人柄がつかみどころのないものに感じた。村上春樹の訳だとまた違うのだろうか。

  • ☆3だけどニックは好きだよ。ニックはわかる。

  • 場所は、ニューヨーク郊外。かつての恋人を取り戻すという夢を抱え、怪しげな仕事で成り上がったギャツビー。一時その夢が叶えられるかと思われたが、すべてを失う悲劇的なお話。

    最初の一章、二章は退屈で挫けそうになるけれど、三章でギャツビーが登場してから、俄然と面白くなってくる。かつての恋人ディズィとの再会のシーンのギャツビーは初々しくて微笑ましい。そして、ディズィの愛を得たと思いきや、悲劇的な結末へ。最終章は哀切きわまりない。

  • ライ麦だったか坊っちゃんだったか忘れたけど、グレートギャツビーがバイブルみたいな主人公がいた気がする。そんなこともあっていつかこれを読みたいと思っていた。でもやはり全然わからなかったっていうね。もーなんだこれ。恋愛小説なのはわかる。ギャツビーがグレートではなかったのもわかる。もちろんグレートなところもあったけども。でもそれでここまで評価されるってなんだよー。やはり純文学的な物は(特に海外物は)よくわからないんだぜ。でも次はフラニーとゾーイを読む予定。わからないからって逃げちゃダメだと思うんだ。

  • 一人の女性のために全てをかけた人のお話。
    人の心はなにものにもかえられなくて、だからこそ大きな意味を与える。
    華やかで乱れたパーティーの中心に、ひとりの孤独があって、どんなに綺麗なドレスも、辺りを酔わせるお酒も、誘いかける音楽も彼には届いていなかったんだなぁ。

  • 2011年5月5日読み始め 2011年5月8日読了。
    とてもロマンチックで、過ぎ去った過去の寂寥感がすばらしい小説。
    アメリカの東部とは、西部とは何か、そのへんの感覚はよくわからないけれど、都会の馴染めなさはよく伝わってくる。
    この小説で語られる男女はどれもハッピーエンドにはならない、お互い嫌いとかそういうのではなく、ちょっとしたタイミングや生きる場所でずれていってしまう関係。時間の経過とともに変わってしまう人間。
    そんな切なさが文学的に語られる。
    ある程度年齢重ねた人の方が共感できる内容かもしれません。

  • これを1発ですごい!とは思えなかった。何回も読まないと。アメリカ文学はあってないのかな?

  • ●あらすじ
    1920年代のアメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドに豪華な邸宅を構えるジェイ・ギャツビーは夜毎のようにパーティーを催していた。彼の身分は謎に包まれていたが、招待客は密輸やスパイ、殺人など法に背く行為の末に大金持ちになったのだと噂し合っていた。そんなギャツビーの隣に住むニック・キャラウェイ(サム・ウォーターストン)は、数回パーティに招待され、徐々に彼の秘密を知るようになった。ギャツビーはダコタの農家に生まれ、17歳のとき鉱山成金に拾われた。そして第1次大戦に参加し、陸軍少尉となった彼はルイビルのキャンプにいるときデイジーと知りあった。2人は互いに心ひかれ激しい恋におちたが、ギャツビーは軍の命令でフランス戦線へ派遣されてしまったのだ。その頃のことをニックは知らなかったが、デイジーとニックは従弟同志だった。ギャツビーがフランスへ発ったあと、デイジーはシカゴの富豪トム・ブキャナンと結婚した。トムとニックはエール大学での級友だった。数年後、戦線から戻ったギャッピーは、自分の青春を賭けて愛したデイジーが結婚したことを知って苦しんだ。しかも彼女の生活はギャツビーの手の届かない上流階級にあり、社交界の花形としてその日々を送っていた。ギャツビーは再びテイジーの心をとり戻す決意を固め、5年が過ぎた。今、ギャツビーはロングアイランドに大邸宅を構えていた。それは、デイジーの邸と湾をへだてて向かい合っていた。ギャツビーは夜毎豪華なパーティを開いた。当然、社交界の話題はギャツビーに集中し、2人はニックの仲介を得て再会した。デイジーはギャツビーの変わらぬ愛を知り、感激した。夫にはマートルという情婦があり夫婦生活がうまくいっていなかったのだ。ある日、ギャツビー、デイジー、ニック、トムが顔を揃え、ギャツビーとトムがデイジーをめぐって対立した。その帰り道、興奮するデイジーが運転するギャツビーの車がマートルを轢き殺してしまった。そうとは知らないマートルの夫のウイルソンは、トムにギャツビーがマートルを轢き殺したと入れ知恵され、ギャッピーを射殺すると自らも命を断った。

  • 論文で使用。

    1920年代アメリカの極上のひと時が詰まってる、それが世界恐慌と共に失われて行く様も。純真すぎる男、狡猾な男、傍観する男、馬鹿な女の話。

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著者プロフィール

1896年ミネソタ生まれ。ヘミングウェイとともに「失われた世代」の作家として知られる。大学在学中から小説を書きはじめ、『グレート・ギャツビー』を刊行して一躍時代の寵児となる。激しい恋愛の末、美貌の女性ゼルダと結婚、贅をつくした生活を送る。しかし、夜ごとの饗宴を支えるため乱作をはじめ、次第に人気を失い、ハリウッドの台本書きへと転落の道を辿る。1940年、再起をかけて執筆していた『ラスト・タイクーン』が未完のまま、心臓発作で逝去。

「2022年 『グレート・ギャツビー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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