- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105900182
作品紹介・あらすじ
学校の帰りに気分が悪くなった15歳のミヒャエルは、母親のような年の女性ハンナに介抱してもらい、それがきっかけで恋に落ちる。そして彼女の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになる。ところがある日、一言の説明もなしに彼女は突然、失踪してしまう。彼女が隠していたいまわしい秘密とは何だったのか…。数々の賛辞に迎えられて、ドイツでの刊行後5年間で、20以上の言語に翻訳され、アメリカでは200万部を超える大ベストセラーになった傑作。
感想・レビュー・書評
-
苦しい。愛…。これは愛。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ドイツのある町に住む少年ミヒャエルは、母親ほど歳が離れた女性ハンナと親しくなり、やがて性的な関係まで持つようになる。彼女は本の朗読をするように頼み、ますますミヒャエルは恋に溺れていくのだが、ある日突然ハンナは姿を消す。
思春期真っ盛りの少年と年上の女性のロマンスを書いたこじゃれた小説かと思ったら、ハンナの失踪の原因を知った瞬間から、あの戦争がまだドイツでは終わっていない現実を突き付けられ、胸が苦しくなる冷酷な展開が最後まで続く。
ハンナとの別離がトラウマとなっていたミヒャエルは、何年も経ってから法廷でハンナの過去と悲しい秘密を知ることになるのだが、すでに運命の輪は回りはじめ後戻りができないところまできていた。かつてハンナから頼まれていた「朗読」という穏やかな行為に、悲惨な記憶が結びついていたことを知ったときはミヒャエル同様ショックだったし、そのときのハンナの思いに至ると胸が締めつけられる。
ハンナの悲劇の原因は、文字を読めないということを隠してきたことだったが、のちにそれを克服し、朗読テープを送り続けたミヒャエルにたどたどしい手紙を書くまでになる。それなのに、戦争の責任をひとりで負うかのように自分の運命をひとりで決めつけてしまった。
文盲を隠そうとした人間の悲劇と言うと、ルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』を一瞬思い浮かべるが、狂気ミステリとは一線を画す戦争文学であり、美しくも悲しい記憶にふちどられた物語だった。 -
映画を観てて,原作を読んだ。ハンナシュミッツの生涯。15のときに出会った大事な人。その人の秘密と罪。ネタバレは是非なしで読むことをおすすめします。
-
小学生から高校生ぐらいまで使っていた机の右上の鍵がかかる引き出しにそっとしまっておきたいような、大切なお話に出会えた。
-
もう一度読みたい❗️ゆっくり1行づつ
味わって理解して読んでみたい。 -
学校の帰りに気分が悪くなった15歳のミヒャエルは、母親のような年の女性ハンナに介抱してもらい、それがきっかけで恋に落ちる。そして彼女の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになる。ところがある日、一言の説明もなしに彼女は突然、失踪してしまう。彼女が隠していたいまわしい秘密とは何だったのか…。数々の賛辞に迎えられて、ドイツでの刊行後5年間で、20以上の言語に翻訳され、アメリカでは200万部を超える大ベストセラーになった傑作。
原題:Der Vorleser
(1995年) -
以前、大学のゼミでお世話になった教授から「愛を読む人」という映画が「教育」を考えるうえで大変参考になるし、映画としても面白い作品だ、と聞いたことがあって気になっていました。
その映画の原作が本書です。
恋愛小説のひとつとしてネットで紹介されていましたが、この本が語るテーマは様々で、とても奥深い作品だと思います。
恋愛に没頭する思春期の青年の昂ぶり、周囲の目を意識して恋人を「裏切る」ことへの罪悪感、家族からの自立、生涯の恋人との別れ、ナチス支配下でのユダヤ人迫害をめぐる裁判と「罪」と「許し」の意味、教育を受けることの意味、本当の意味で「個人を尊重する」とはどういうことか。
なにを求めて、どのような人生を歩むのか、非常に考えさせられる作品でした。
前半部分は性行為の描写も少しあるので、中学生には少し薦めにくい本ではありますが、大学生や大人向けの小説としてぜひ多くの方に読んで欲しいと思える作品です。
人生の中では「後悔」することは多々あるのですが、それを「乗り越える」のではなく、その思い出とともに生きてゆくこと、そしてそのことを受け入れることこそが人生なのだと示されたように思います。 -
15才のミヒャエル・ベルクと36才の路面電車の車掌ハンナ・シュミッツの出逢いと熱烈な恋愛に始まる物語は、ハンナの突然の失踪、戦争犯罪裁判の法廷での再会、そして悲劇的結末へと進む。個人に選択の自由のない戦時下で命令や規則に従って行なった行為を断罪する裁判で、ハンナが裁判長に「あなただったら何をしましたか?」と問う場面、命令に逆らい処罰されることを選択する勇気がある人間がどれほどいるのか、また、犯罪が行われた時点で禁止されていなかった行為を、後に成立した法律によって裁く「遡及的処罰の禁止」についてミヒャエルは「当時は収容所職員の行動が刑法に照らされることなどなかった点を重視すべきなのか? 法律とは何だろう?」と苦悩する。ルールに従って戦った後にルールが変更され敗者となる不条理。何故ミヒャエルはハンナの秘密に辿り着きながらそれを露わにすることを躊躇ったのか。重罪覚悟で罪を認め、自由への扉を永遠に閉じたハンナの心理的葛藤。独房に残されたナチの犠牲者やナチの研究書が彼女に与えた影響等々、読み解くのに必要な知識不足を痛感させられた。
-
九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/484112 -
ハンナ。最初に戻って会話を拾い読み。読み終わっても涙が止まらず余韻に浸っている。正直この本を読むまでアウシュビッツで働いていた人のこと、その後の人生を想像したことはなかった。その時代を生きた人達の背負ったものにショックを受けている。これは別の本でも掘り下げてみたい。年の差21歳。この差がなければこの関係は無かっただろうし、物理的にも精神的にもかけ離れていながらもお互いの人生にかけがえの無い存在として支え合っているのって、ありきたりだけど「愛」を感じる。この強烈な出逢いが人生にあったってことは羨ましくもある。別の作品も読んでみよう。
-
この小説をどう読めばいいだろう。
この小説で起こった出来事を受け止め、いったい主人公達の身に何が起きたのかを、正確かつ理性的に判断することはできるだろうか。
ハンナは「読み書きができないと知られるのを恐れて」18年の独房生活を送ることになるが、果たしてその恥の概念が、自分を刑務所に留め続けるほど罪深いものであったのだろうか?何故それほどまで長く監獄の中にいることを選択したのか?
彼女はナチス時代とミヒャエルと過ごした時代に、朗読を所望している。これは明らかに知識を欲する行為であり、彼女も身の回りの世界を深く理解したいと感じていた。その後18年間の刑務所暮らしの中でやっと読み書きを覚えた彼女は、ナチスの被害者と看守たちの物語を読み漁った。
私は、ここで彼女に自責の念が生じ、彼女を苛んでいったのではないかと思う。だから監獄の中で居場所が出来そうになると、逃げるように孤独の中に身を置いた。釈放間近になり、ミヒャエルとの新しい居場所が出来る寸前、自ら命を絶った。
何故そこまでストイックな生き方をしたのか?それがナチスの被害者に対する彼女なりの贖罪だったのか?この先の真相は闇の中であり、読む人によって異なる結論に至ると思う。
この本は多くの問を読者に投げかける。ミヒャエルが蜜月の思い出の中で美化した彼女と、ナチスの親衛隊で囚人を監視していた時の彼女は、果たして同一人物と言えたのだろうか?彼女は囚人に対して実際に残酷な仕打ちをしたのだろうか?ホロコーストは、冷酷な軍人が無実のユダヤ人を嬲る行為ではなく、判断力も知性も無い一般人が、戦争という特殊な条件下で麻痺した末に行った、ただの無考えの行動ではないのか?
「あなただったらどうしましたか?」ハンナが法廷で裁判長に投げかけた質問は、この小説の読者にも向けられている。 -
会話はできても、文字を読めない、文字を書くことが出来ない。文盲とはつまり、会話でしか言葉を生み出せない、ということだ。会話でしか生まれないハンナの言葉は、できては直ぐに消えゆく泡のようなものだ。ハンナとミヒャエルが愛し合う場面で入浴の光景が多いのは、水や泡のように流れてゆき、そしてすぐに消えゆくものを暗示している。
文盲を隠し、そのために世界から、そして周りから置き去りにされ、ナチス第三帝国の戦犯として、いつのまにやら裁かれるものとなってしまい、自尊心のために(文盲を明かさないために)牢獄に入れられてしまったハンナ。ハンナと溺れるように恋をし、ハンナに身を捧げ、ハンナに裏切られたにもかかわらず、愛だけはなくならずにそこにあったミヒャエル。
社会は罪を生む。
文盲、それ自体は罪であるわけはない。
社会が文盲を罪とし、それを十字架としてハンナに背負わせた。ハンナはその十字架と共に生き、十字架を隠し、愛する人にも見せないようにした。ミヒャエルは十字架を取り除こうとした。そしてそれは不可能だった。もしかすると、牢獄にいる間だけは、ハンナの背から十字架はなくなっていたのではないか。牢獄でのハンナはまるで教祖のようだった。出所してまた罪人になること、また背負うことになるだろう十字架を、ハンナは拒絶して、だから牢屋で自死したのではないか。
愛とはなにか、罪とはなにか、裁くこととはなにか、あらゆる問いが波のように押し寄せてくるが、著者は「答え」を求めて、これを書いたのではないと思う。
心の解放、そして思い出がなくならないように。
一文、次の文、その次の文と、示唆に富んだ言葉の波。私にとって『朗読者』は、何度も手にとって読むべき本の1冊だ。
-
終始、主人公ミヒャエルの視点である。
ある点では、愛という感情の話であるがナチスドイツを題材としている。
ハンナという歳上の女性と15歳の時に出会った。
ミヒャエルとハンナというキャラクターは共感できるかと言われたら、出来ない。
だが、当時のことに思いを巡らすのには良い作品であり読者はよく考えることが出来る。
非常に文学的で、興味深い。 -
とても暗い重い話でした。
これを読んでしばらく海外小説を敬遠してしまったくらい。 -
深い想い。
それしか伝えられない!
いつの日にか触れて欲しい作品。 -
映画を見てから読んだ。
本は2度読むべきと書いてあったが、確かに1回ではあまり心情などが伝わってこなかった。
映画の方が、ハンナの文盲がどんなに彼女を不幸にしていたかや、ミヒャエルの苦悩がより伝わってきた気がする。
また同じ場面で、映画と翻訳が違う部分もあり、ちょっと消化不良気味。原作を読めて、映画を字幕なしで観れるほどの語学力が欲しいとつくづく思った。 -
朗読者 (新潮クレスト・ブックス)
-
翻訳は読みにくかったけれど、淡々と流れる心情はわかってなかなかよかった。
YAとして紹介していいか?という話を聞いて読んだのだけれど・・・
大人の本だよねぇ・・・
ナチスとその罪のあたりは若い人に読んでもらいたいけれど。
映画はどうだったんだろう?R指定じゃなかったの? -
「わたしたちは幸福について話しているんじゃなくて、自由と尊厳の話をしているんだよ。幼いときでさえ、君はその違いを知っていたんだ。ママがいつも正しいからといって、それが君の慰めになったわけじゃないんだよ」
安易に感想をまとめたくない作品。
読んだ後も自分のまだ言葉に出来ない部分、まだ意識にさえ上らない部分も執念深く考えて暴いていきたい。 -
数年前に読んだ作品を再読。以前読んだときは作品中の言葉に強く共感したのを憶えている。今回は作品そのものに心打たれた。切ない恋だね。思い出に焼き付いてしまったものは、墓場まで持っていくことになるのでしょうね。歳をかさねて、そんなことがわかるようになった気がした。
-
初恋は特別なのだと思う。そしてそれが思春期であるならば、日常とは違う見え方をするのかもしれない。そんなことを思いました。
背景にナチスのユダヤ人迫害があり、単純な恋愛小説とは異質な印象です。罪と愛は対なのかもしれません。 -
ドイツの小説の主人公って、
・影が薄い(地味)
・頭でっかち(自分の頭の中ばかりでごちゃごちゃ考える)
・自尊心が強い(青二才のわりに…)
…というのが多い気がする。
この小説も主人公よりハンナの方が印象に残る。
裁判の場面で、「私はどうすべきだったんでしょうか」と問いかけるところ、このシンプルな質問が胸を刺す。
人がある状態に置かれたとき、どう行動するかなんて、その場に立った人にしかわからないというのに、それを想像したつもりで他人が裁くって、なんだか変だなぁと思った。 -
少年の淡い恋物語かと想像していたら、まさかのアウシュビッツ関連で、後半いきなり心が重くなる。戦争中の狂気の中でだれが自分の思う正しい行動を出来ただろうか? 裁判長に問いかけたハンナの言葉が印象的でした。「あなたならどうしました?」言葉につまる裁判長。