- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106102585
感想・レビュー・書評
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根底には、「萌え萌え言ってるだけのやつと一括りにされたくない!」という気持ちがある中で、書かれた評論(だと思う)。なので、確かな統計情報とか、飛躍のない論理‥というのは期待できない、けど、エッセイとしては面白いんじゃないかと思いました。
自分も萌えアニメが好きな人と、何かに凄く詳しいオタクを一緒だとは思えないし、自分が普通の人なので、尊敬してるのは後者なのもあり、あまり反感もなく読めました。
特にFSオタク文化との比較は興味深いものがありました。
何かの分野の第一世代になれるって羨ましいなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
岡田斗司夫の「オタク」がどのような定義かを認めれば,納得の内容かと思う.彼の言うオタクは,発信者であり創造者であった.
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良い本
世代の考え方の違いとおたくの文化について学んだ -
岡田氏によるオタク第一世代は、ハードボイルドである。第三世代をニワカと片付けずに、社会学的に定義しようとしている。この文脈で言うと、大学もすでに死んでいることになる。
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オタクという抽象度の高い定義のくくりはできなくなってしまったようだ。
オタクは我々の文化にとけこんでしまった。 -
著者の幾つかの本で書かれているが、「オタク=萌え」になってから、オタクは死んだ。
本来なら子供っぽい趣味を選び、それに関して精神力と知性を以て探求するのがオタク。
SFマニアが起こした行動と辿った道を例に、いとも具体的に説明を展開。
相互理解という幻想を失って、滅んだオタク。
萌えコンテンツ商業システムと化したカテゴリーに対し、オタキング廃業を宣言し決別。
確固たる価値観を失い、消費を詠ずることに優位性を誇る現代人への警鐘でもあろう。 -
本書は「オタキング」の異名を持つ岡田斗司夫氏の『転向宣言』と読めるものです。『小さな違和感』から始まった「オタク」に対する疑問。そこから思索の幅を広め、ついには日本社会の病理にいたる。壮大な新書です。
僕も人々から『オタク』と呼ばれる人種の一人でありますが、本書はアニメ製作会社『ガイナックス』の元社長を務め、東京大学で『オタク学講座』を開講してオタクの地位向上に東奔西走してきた「オタキング」の異名を持つ岡田氏が自ら『オタクはすでに死んでいる』という本を上梓するということは音楽で言うとジョン・レノンが『神』という曲で
「僕はビートルズを信じない」
と歌い、ファン達から喧々囂々たる批判を浴びたという話と似通うようなものがあるのではなかろうか?そんなことを考えながら本書を読みました。
岡田氏の本を読もうと思ったきっかけは、氏の話を最近聞き始めたからで、それがまた非常に面白いからで、じゃあ著作のほうも本格的に読んでみようかなと思ったからでした。岡田氏がこう思うようになったきっかけはあるテレビ番組で「オタク」と呼ばれる人たちに対峙したときに感じたある『違和感』でした。ある声優が好きだという人間に
「じゃあ自分でイベント開いてその声優を呼んでみたら?6万円もあればできるよ」
といってみると思考停止したり、『真剣十代しゃべり場』(僕がもっとも嫌いな番組の一つ)に岡田氏が出演したときに
「僕はオタクだ、美少女アニメが好きなんだ、みんな、そんな俺のことを認めてくれ」
という主張に岡田氏を含めた出演者全員が全くかみ合わないことからでした。
ここで岡田氏は「おたく」と呼ばれるものを世代別に分別します。岡田氏が第1世代だとすると、僕は第2世代と3世代の中間に属するのかもしれません。さらに僕は『萌え』という感覚があまり良くわかっていないのかも知れません。四六時中『萌え』を探しているわけでもありませんし、ここまで岡田氏が考察するのは自身がそれこそ『一身を賭して』自らの心血を注ぎ込んだSF業界の凋落と同じようなことがオタクの世界にも起こっていると説きます。
ただ、オタクは死んでもオタク趣味は残り、そういった人たちを対象とするコンテンツはこれからも生み出され続けていくのでしょう。僕自身もこの問題に関してはグレーゾーンが多い立場ですので、こういう問題に関しては興味を持った人間がそれぞれ思考を重ね、自らのたち位置を見定める。それが一番『ベター』な考えではないかとそんなことを考えるのです。 -
読書レポート:オタクはすでに死んでいる | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=3521