- Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120041952
作品紹介・あらすじ
遠く隔絶された場所から、彼らの声は届いた。紙をめくる音、咳払い、慎み深い拍手で朗読会が始まる。祈りにも似たその行為に耳を澄ませるのは人質たちと見張り役の犯人、そして…しみじみと深く胸を打つ、小川洋子ならではの小説世界。
感想・レビュー・書評
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人質たちが朗読する話は、どれも透明感と寂しさのある、少し不思議なものでした。
ただ語るのではなく、きちんと原稿をかいて朗読しているというところが、エピソードを引き締めていると思います。
全員が助からなかったことを分かった上で読むと、どうしても深読みしてしまう気もしますが、
果たして彼らは助からないことを悟っていたのでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
そこに悲壮感は感じられない。
地球の裏側で人質にとられた人たちが、朗読会というより自己を語る会をする。ひとつひとつがひとりひとりの人生の深部を告白するように語る。
この本は、あるラジオ番組のゲストだった中嶋朋子さんが、大好きな本と紹介していた。「北の国から」の螢ちゃん時代から注目していた中嶋朋子さん。早速図書館で探し出し、読み始めた。
不思議で優しくて残酷。
杖、やまびこビスケット、コンソメスープ名人、槍投げの青年がことのほか面白い。
初小川洋子さん。文章も気に入った!また好きな作家が増えた。 -
テロリスト達の人質となり、かつ犠牲者となった日本人達がそれぞれが語る物語を朗読会という形で発表される
各物語は関連性はなく全く別の物語なので好みなものとそうでないものがあると思います
やまびこビスケットが好きでした
自分も誰かに一つだけ語るなら何を語るのか考えさせられた
全く人質としての内容が無いので、短編を一つの本に纏めようとしている様に感じられました -
映画がとてもとてもよかった!
本を読んで、映画を見て、またこの本を読んだ。沁みた。
「遠く隔絶された場所から、彼らの声は届いた。紙をめくる音、咳払い、慎み深い拍手で朗読会が始まる。祈りにも似たその行為に耳を澄ませるのは人質たちと見張り役の犯人、そして…」
「この小説の中では、いろんな人が年齢も職業も違う人と出会っている。でも、身の上話をするどころか、あまり言葉は交わしていないんですよね。極端な話、ほんの一瞬の出会いだったりもする。そういうことが書きたかったというのはあるかもしれません。必ずしも深くつきあった人が深く記憶に残るわけではない。たとえ数時間の出会いでも、相手は忘れてしまっているかもしれないけれども、一生記憶に残る人はいる。もうひとつ思ったのが、この人たちは、それぞれの出来事についてはじめて語っているのではないかということ。もしかすると本人も忘れていたのだけれど、この状況の中でなぜか思い出したのではないか、と思うんです」小川洋子さんインタビューの言葉より -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/56940 -
地球の裏側で遺跡旅行に参加しゲリラ組織に人質とされてしまった8人。
犯人でさえも遮ることのできない人質達の朗読会。
それぞれが誰にも損なわれない自分の中にしまわれている大切な過去を語っていく。
8人の遺体は吹き飛ばされても尚バラバラになることなくピッタリと寄り添っていたという。
大変不幸な出来事だが結果的に生きた証を共感し合え、残せたのは救いだったと思う。 -
面白かった。ぬいぐるみは、縫い包みと書くようです。平凡で目立たぬ様に暮らしたい気持ちにわかりみが深かった。
表紙に使われた子鹿は木像で、国内外で評価されている彫刻家土屋仁応(よしまさ)氏の作品だ。東京芸術大学大学院で仏教美術の古典技法と修復を学んだ土屋氏の作品は、伝統的な仏像彫刻の技法で動物やユニコーンなどの幻獣をモチーフとしている。
一見して木彫りとは思えない滑らかな表面と独特な色合いによって幻想的な雰囲気を醸し出している。水晶やガラスを玉眼に用いた作品は、見る角度によってまなざしが変わり、まるで生きているかの如く神秘的だ。
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静かに余韻に浸れる読後感
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外国の地で誘拐され亡くなった8人が、監禁中に
自分の事について朗読をし、それをラジオでながして
という体の短編集。
登場人物のそれぞれの半生の一部分が本人の口から語られ、聞き手がその名もなき人の一生を想像する。
物語の聞き手と読み手が同じであり虚構と現実の差しか無い、ラグ?のなさがこの物語をかえって考えさせないようにしているように思える。
会話で無く、朗読。しかも一度文章に書き出したものを自分の口から虚空に向けて語るのは、一つの祈りの形であるし、受け入れるための儀式のようにも思える。 -
とある事件に巻き込まれた8人の人質が拘束されている間に犯人の動向を知る為の盗聴器から聞こえてきたのは、それぞれの物語を語り合う人質の声。緊迫している現場とは不釣り合いにも思えるその朗読会で語られる物語は一つ一つが温かくその人の人となりを感じられるような話ばかりで、人質の朗読会という一冊の本の中に何篇もの物語が楽しめて面白いと思った。繰り返し読みたい本の一冊。
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詳しくは言えないけれど、いろんな人が語るお話が集められてます。
私は第一夜と第二夜と第五夜のお話が好きです。
本当にあったような、あったらいいなというエピソードです。
本の結末としては悲しい出来事がありますが、各お話では普通の人が普通の生活のなかで色んな面白いことがあるんだなぁと思わせるものばかりです。 -
人質の朗読会 小川洋子
異国の地で人質となり亡くなった8人。彼らが拘束された期間に行っていた朗読会。自らの物語を語る。
短編小説集という形で構成され、最後9章で通信を盗聴していた特殊部隊員が自らの物語と盗聴していた朗読会を重ね合わせることで締め括られている。
朗読をハキリアリの行進と例えている -
タイトルはおっかないが、内容は厳かで澄んでいて形の曖昧な短編集。
日常にありそうだけれど、印象に残るような残らないような。掴もうとするとすり抜けていくような。
オチも何もないのだけれど、どこかで心に残り続ける人との関わりの記憶。
自分がこの立場になったら朗読できることはあるだろうか…
…なかなか思い浮かばない。
ラジオを聴く限り、小川洋子さんは穏やかな話し方をするマダム系だと想像しているのだが、文体も穏やかで美しい。
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外国で人質となった日本人8名。彼らが始めた『朗読会』。鬱々とした話もあったが、どれもこれまでの人生を振り返って今の自分が存在する理由を物語にしているように感じた。一番好きなのは、ぬいぐるみ屋のおじいさんの話。
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地球の裏側の辺鄙な村で、遺跡観光の帰りにマイクロバスごと拉致された日本人観光客。人質生活も長くなったころ、彼らはそれぞれに思い出を物語にし、互いに朗読する時間を設ける。
子供の頃、近くの製鉄所ではたらく男性に杖をわたそうとした少女。大家さんと食べた「やまびこビスケット」。公民館のB談話室での謎の会合。冬眠中のヤマネのぬいぐるみを売るおじいさん。コンソメスープを作るためにキッチンを借りにきた隣人。人生に希望を失っていた女性が見かけた槍投げの青年。死んだおばあさんに似ていると声をかけられる女性。退職の際にもらった花束を交通事故の現場に手向ける青年。
そして、ハキリアリの研究をする日本人にラジオを聞かせてあげる現地の少年。 -
反政府ゲリラに拉致され死亡した8人の人質が
遺した思い出話の朗読音声の話。
死にゆく哀れな人たちの悲壮感はない。
語られる思い出は心の芯を震わせるような
人肌の温もりがあるささやかな人生の一場面だ。
だからこそ、
一寸の隙もなく哀しい作品だと思った。
この愛しい話の語り手は、
もうこの世にはいないのだから。
ひとりひとりの出番は約20~30ページと短いのに、
彼らの死を悼むのに充分なくらいには
彼らの人となりを知って
好きになっているのだからすごい。
短いエピソードからでも読み取れる
澄んだ感性、優しさ、誠実さ。
素敵な人たちだったのだ。
きっと朗読会でも、人質同士魅力を感じあって、
互いを大事に思うようになっていたのだ。
だから、偶然同じツアーに参加して
バスに乗り合わせただけの8人だったのに、
寄り添いあって亡くなっていたのだ。切ない。
この作品では
①人質達のかたる思い出の中の過去の時間軸
②朗読会の時間軸
③人質達が亡くなり、テープが聞かれる時間軸
があって、
この時間経過が効果的に機能していると思った。
①と②の時間経過が人質たちの人生を、
“作中の登場人物”ではなく、分厚くて奥行きのある
本当の人間のように感じさせる。
③の時間は、死後も失われない彼らの存在意義、
人質たちの人生の一欠片が
誰かの胸の中で暖かくあり続ける様子を描く。
日本語がちっとも分からないのに、
こんなに真摯に人質達の祈りを受け取ってくれた
特殊部隊員の存在に救われるような心地がする。
これって結構すごい。
人質達も、彼らが語る話も、
なんと言うか“普通”なのに、
こんな風に誰かの心に残り続けるのは、
生きた意味というか、
他の誰でもなくその人の心があった価値というか、
上手く言えないけど、そんな風に感じられて
尊いと思ったし、うらやましい気もした。
きっと僕らのありふれた日常にもある
一欠片の物語を、
できるだけ見逃さないようにゆっくり歩いて、
感性研ぎ澄ませて集めていければいい。
もし、できるなら、
大勢じゃなくても、誰かと分け合えたらすてきだ。 -
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雑音に紛れて遥か遠いところから聞こえてくる、
すでにそこにはもういない人たちの声。
語られるのはすべて「過ぎ去った時間」についてであり、そういったテーマが否応なく死を連想させながらも反語的に、語る彼らの人生つまり生きてきた時間を想起させる。
そういった声に"耳を澄ませる"という感覚を
「読書」という行為の中で体験するのは、これは
しれっとしていながら、得難いのではないか?