暇と退屈の倫理学

著者 :
  • 朝日出版社
4.20
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255006130

感想・レビュー・書評

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  • 2年前に大手町の本屋で見かけて、面白そうだと思ったけど、決して安くない価格なので、少し躊躇もあり、その時は買わなかった。ようやく最近買って読んだけど、とても面白かったです(なぜもっと早く買わなかったのか?)。
    まずテーマが良い。商学部を出ている人間の言うことではないかもしれないが、元々学生の時から、会計とか英語とか、実利的なことへの関心は高くない。それよりも、どちらかと言えば社会科学・人文学的な意味合いにおいて、世界がどう成り立っているのかとか、どう生きるかとかをふわふわ考えている方が性に合っている。
    また特にこの手の本は、著者の癖(文体、姿勢、息づかいetc.)が合わなかったり、また話が専門的、抽象的過ぎて理解できないということもままあるが、この本においてはそのようなことはなかった。話も具体的で、理解しやすい。
    そして学際的なテーマのせいか、あらゆる知見を駆使しているが、その一つ一つが面白く、印象深い(特に「定住革命」「消費と浪費」「退屈の第一~三形式」の話など)。
    最後に、やや論の展開には強引な印象も受けるけど(というのも、あらゆる知見が総動員されているため、というか、されすぎているため、門外漢からすれば、我田引水的にはなっていないだろうか?と多少不安を感じないでもない)暇と退屈、引いてはどう生きるかということについての筆者の取り組み姿勢そのものは、至って真面目であると感じました。

  • 東久留米Lib

  • 二度目の既読。

  • 2014/08/29

  • ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではない。
    巻末で著者が記している通り、結論をまとめると凡庸に聞こえるのだが、通読することで「退屈」についての自分なりの考察が芽生えてくるので、飛ばし読み、つまみ読みを許さない、手ごたえのある本である。
    自分はちょっと中盤以降の哲学の詳細解説で目が滑ったところがあるので理解は不十分だろう。

  • 人間が人間らしく生きるとはどういうことか、どのような条件で達成されるのか。
    一度読んだだけでは、自分の日常に引きつけて考えることはできない。
    でも、これまでの自分の考えの矛盾、不足が明らかになる。思考が整理されて、スッキリする。繰り返し読みたい。

  • 厚いですが問題なくさらっと読めます。面白いですよ
    お勧めです

  • ■面白かったんだけど,
     ちょっと難しくて消化不良。

  • かなり分厚い本で、手に取るのは躊躇しますが是非読んでみて欲しい一冊です。
    どうして「退屈」するのか?という大きなテーマについて、色々な角度から論じています。

  • 人はこうあるべきだ」という押しつけがましさは一切なく、人の性質に迫っていく。人は定住し始めたときから退屈と向き合ってきたとか、動物だって退屈しうるとか、退屈にも何種類かあるとか、面白い考察がたくさん。退屈よ、さようなら。そして、こんにちは。

  • こんな面白い哲学の本はないでしょ。読めたっていうこと。

  • 興味を惹かれるテーマの一つでぜひ読み込みたかったけれど、どうにも文体がもりもりしすぎているというか、合わなくて苦痛になったので三章までしか読めていないけどもしばらく寝かせる。またリベンジします。わたしが哲学というものに対し疎いのもあるけど、哲学のアプローチでそこまで論じるの?と思ったりした。非正規雇用の課題など。この辺りはそれこそわたしの思考がソーシャルワークに根差しているからかもだが。

  • そういえば自分は暇や退屈を感じたことがないな。

  • 結論はチクセントミハイのフロー現象の話によく似ている、著者自身が本文で述べているようにラッセルの幸福論の結論にも近いだろう。しかし、この本を読む読書経験そのものによって読者が変わることを期待する、それゆえにこの本を要約することはできないという立場は、素直にかっこいいと思った。

  • 「俺」とか文体がかっちょええ。マダニの話が面白かった。

  • 今、私は何をしているのか。
    なぜ退屈なのか。何をしたら「面白い」ことができるのか。

    なるほどなーという、人間や時間や生き方に対する考え方のヒントが端々に散見されて面白かった。縄文時代の人間の生態の話が基礎になって論理が展開していくわけだけど、そこは正直余計だった気もする。

  • いい本だなぁ。面白くて、真摯で。結論だけ読んでも意味がなくて、通読することで、それぞれの読者が自分なりのこの本との付き合い方を発見していくこと、その過程で、暇と退屈というテーマの自分なりの受け止め方を涵養していくこと。あとがきの寛容さと対話。まとまっているのに、葉脈のような拡がりを感じさせる、いい読書体験。何より、考えることはやっぱり大事だし、自分の考えや意見がある、手渡せるものがあるってやっぱり素敵だ。

  • 國分功一郎氏にハイデガーの講義を1日中してもらいたい。
    もちろん2人で。

  • 冒頭まえがきの中に出て来る人々、
    自分の存在を主張しつづける悲しい姿。
    暇と退屈の罪悪なのか
    かなり衝撃を受けつつどくしょかいし

    どくご
    文明社会に生きる人間であれば逃れ得ないと考えられる”退屈”に対し、どのように応えるべきか?という問いにたいする答えを、八章をかけ丁寧に導き出していました。

    わたしたちが日常感じる違和感や退屈感と、非常によく向き合っていると思う。のに加え、

    退屈を感じる人々や、退屈に関する文献を読む人々、退屈を論じる人々に対して
    陥りやすい誤り、誘惑されやすい気分、注意すべき点などについての指摘。

    これらは、最初のシーンと合わせて、軽いショックがあると思います。


    筆者の論理を全肯定はできない(のは当然)ですが、退屈な時間の生き方へのヒントや、消費or浪費の選択に対する自信みたいなものには繋がると思います。

  • 雑誌「CREA」のガクモンは楽しい!特集で紹介されてたのが読むきっかけに。

    印象に残ったところをメモ。
    ・一般にいう趣味とは、趣味により成される結果を欲するものではなく、負担となる過程を経て退屈を埋めている行為でしかない。(うさぎ狩りを趣味とするひとにうさぎを与えても満足しない)
    ・一万年前、人類の生活様式が定住化したことにより退屈と向き合わなければならなくなった。

  • 各章ごとのまとまりが非常によく、想像していたよりも読みやすかった

    退屈とはなんなのか
    どう向き合えばいいのか
    うっすらと分かった気がする

  • 気晴らしにならない決断を環世界の変化に合わせて実施するのが得策。さすれば、くよくよ悩まずに生きていける。
    弱気でネガティブな心にカツを入れてくれた一冊。

  • 友達に勧めてもらった一冊

    これ、これ、このこと!
    と共感点が多かった

    また読み返したい

    哲学にもう少し触れてみたいと思いました◎

  • これは非常に良い本だ。

  • 暇は客観、退屈は主観によるもので、幸せでも不幸でもいいから、昨日と今日の違いを希望する人。兎狩りの例が出ているが、釣りにしたって、人は魚が欲しくて釣りをするわけではない。音楽が聞きたくて音楽CDを買うわけでもなく、その美談的なものを手に入れたい(あるいは、手に入れたと言いたい)から、ゴーストライターが存在していたと知ると憤慨する人も出るわけだ。そしてそういうことをしたり顔で指摘するのも恥ずかしいことだと。
    本書はその読み方を指摘し(通読しろと)、論述の過程を一緒に味わって変化することが醍醐味だと。いろいろと先回りをされている気がするが仕方あるまい。僕はこの本を読んで退屈を紛らわしたかったのか、この本を読んだよと世間に訴えたかったのか。まあ多分両方だけど、生産が消費をつくるのであって、出された本は読まねばならない。あれ、これは誤読かな…。

  • 生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望する。

    ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではないからだ。
    狩りをする人が欲しているのは、「不幸な状態から自分たちの思いをそらし、気を紛らせてくれる騒ぎ」に他ならない。
    自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためならば、人は喜んで苦しむ。

    ラッセルの話
    人は事件を求める。事件とは、今日を昨日から区別してくれるもののこと。その事件の内容はどうでもよい。事件が起きれば同じ日々の反復が断ち切られる。しかし、そうした事件はなかなか起きない。
    定住革命
    定住によって人間は、退屈を回避する必要に迫られるようになった。
    退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである。

    労働としての余暇
    九かは労働の一部。休暇は労働のための準備期間である。余暇は資本の論理の中にがっちりと組み込まれている。

  • 暇論は「自由で何をしてもいいけど、何をしたらいいのかわからない近代人」に対して、浪費をすることで楽しく過ごしましょうという提案をしている。でも、今僕は忙しくて何をすべきか分かりすぎて辛いので、読む時期を間違えました。読む時期を考えましょうwかえって腹が立ちました、そんなに暇なら時間をくれと

  • 時間が経ってしまったので記憶が完全ではないが一応、忘備録用に。「何かをやりたい」「志望理由」「何々をするために生を受けた」という思想は、すべて「暇つぶし」に過ぎない。錯覚である、と本書は看破する。つまり、本来、ありもしなかった「目的」をでっちあげることで、人は虚無的な、「暇を持て余した」人間になることを、「無意識」のうちに避けているのだ。ウサギ狩りをする人間はウサギが欲しいのではなく、狩りをすることで、「退屈」から逃げているのだ。

    また、「暇」と「退屈」の違いとして、「暇」は客観的、「退屈」は主観的。その起源としては、人が生きるためにしなければならないことに費やす時間が、文明の進化とともに短縮され、「余暇」つまり「暇」ができてきた。かつて、その「暇」という概念は、一部の特権階級だけのもだったが、大衆化し、一般にも広がっていった。一方、「退屈」という概念は、移住型だった人間が、定住型になり、景色や環境が変わらないために生まれた。

    どうでもいいけど、この本の編集者と宮沢りえ「サンタフェ」が同一の編集者ってのが一番の衝撃。

  • 何かを得たわけではないが、単純に面白かった。
    高校生くらいに読んでほしいな。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科准教授

「2020年 『責任の生成 中動態と当事者研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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