暇と退屈の倫理学

著者 :
  • 朝日出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255006130

感想・レビュー・書評

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  • 凄くバランスの良い本でした。
    読み物として楽しめる(もちろん“暇潰し”にもなる)一方で、理解して自分のフィロソフィーを作るところまでいこうとすると深く読み込む必要があり、深く学習できるように注も大充実。

    何についてかいてあるかすぐわかる表紙のデザインや細かい章の区切り方など、トコトン敷居を下げに来ている編集も良かった。

    ハイデッガーの言う「決断」というのがつかみきれなかったけれど、色々な分野のネタが絡み合って著者の結論へ収束していく過程にワクワクしました。

  • 暇と退屈は同じようで違う。
    暇でなくても退屈し得る。
    この本のおかげで
    映画ファイトクラブにハマった。
    欲しくもないものを勝って喜んでいた自分をやめた。

  • 想像以上に分かりやすくて驚いた。読む前は内田樹のエッセイに近いものかと思っていたけど、読んでみると竹田青嗣の哲学解説に近かった。
    この本の感想を述べるのは一朝一夕では不可能だろう。読んでから何日も、何週間も経ってから、ふと府に落ちる類いのものだと思う。久々に何度も読み返したい本に出会った。章ごとに要約して所感をまとめたいほどだ。

    パッと言えるのは、後書きにあった次の内容に共感した。

    フィロソフィーとは「俺はこういうことを考えているんだが、君はどう思う?」と手渡せるもの。
    それがこの本であり、僕にとってはブログやツイッターだったりするのだろう。

    僕もまた、フィロソフィーを作っている最中だ。

  • 消費することに疲れながらも、そのスパイラルから抜け出せなかった。大事なものまで消費の対象になっているのではないかと不安を感じながらも、その実体をうまくつかめないでいた。

    難しい部分はつかめていないかもしれないけれど。

    退屈を受容しよう、受容していいんだと思った。

  • 面白かった。面白かったんだけど、どこがどう良かったのか、自分の言葉で表すことができない。多分、まだ理解しきれていない部分が多いからだと思う。あと2,3回読めば分かるようになるかもしれない。
    暇と退屈について
    消費と浪費について
    人間と動物について
    …基本は哲学なんだけど、その説明のために用いられる例や参考文献の分野幅広いことといったら。ほんとこの人の頭の中どうなってるんだろう…

    最後に印象的だった文章をひとつ。
    『私たちの生活がすべて気晴らしであるわけではないだろう。しかし、私たちの生活は気晴らしに満ちている。』

  • スケジュール帳を開いてみてください。あなたのスケジュール帳に書かれている予定は,暇と退屈を潰すためにあるのではないでしょうか。「いかに暇をつぶすか」が人間の(特に大学生の)切実な問題なのです。本書は,人間の退屈の問題を人類史と西洋哲学から考えます。質の高い暇つぶしのヒントが隠されています。

    *推薦者 (国学)J.K.
    *所蔵情報
    http://opac.lib.utsunomiya-u.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB00313927&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • 見た目の分厚さに対して、「この本を読む事自体が退屈にならなければよいが・・」と思っていたが、これは大きな間違い。

    暇と退屈の成り立ちについて、とても分かり易く、引き込まれるように書いてある。

    なんでこんなモノに時間を費やしてるのだろう、お金を使っているのだろう、という疑問が生じたら、この本はとっても明確な理解を呼び起こしてくれる。現代は退屈感との付き合い方がとても大切、これが出来るととても楽になる、そう思う。

  • 暇と退屈は一生のテーマだと思う。すごく頭のいい人だ・・

  • 平易な文章かつ内容が濃く、おもしろかった。
    暇と退屈について考えながら、著名な哲学者たちの思想について知ることができて、哲学入門書としても適していると感じる。
    論理展開がおもしろく、手もとにおいておきたい一冊となった。

    おもしろかったのは「暇」と「退屈」の違い、「浪費」と「消費」の違いについて著者なりの簡潔な定義がされていったこと、人間の環世界についての考察、人間の定住生活と暇と退屈との考察、などなど。
    動物や有閑階級という、批判対象になりつづけてきた箇所に光をあて、人間の生き方を考え直そうという試みだったのかなと感じた。定説や既出の考えを疑おうという態度、「あるべき姿」を提出することにつきまとう危険性に意識的な態度に非常に好感がもてた。
    ほかの著作も読んでみたい。

  • 暇と退屈に悩まされてた自分にとってとても参考になった本だ。何度でも読み返したくなる程、世の中の真理について書かれている。

  •  おそらく人間以外の生物は「退屈」はしないだろう。哲学者たちは「人間とは何か」を考える上で「暇」や「退屈」について考えてきた。しかしそもそも「暇」があって「退屈」でなければ誰も哲学など始めようとはしなかったのではないだろうか。

     人間が狩りや採集の生活から牧畜や農耕を始めて次第に「生きるためにしなければならないこと」に費やす時間が短縮され、「余暇」つまり「暇」ができてきた。その時にはじめて「退屈」という概念が生まれたのではないだろうか。

     人間の社会や行動が複雑になってくるにしたがって「退屈」の概念も変化してくる。ハイデッガーのいう退屈の第二形式、「することもあるしそこそこ楽しいのに退屈だ」などという状況が現れてくる。さらに第三形式になるともう救いがない。なにしろそれは「なんとなく退屈だ」なのだから。

     人間という生きものはやはりどこかおかしい。限りなく貪欲に刺激を求め過ぎるのかもしれない。なぜこのように進化してしまったのか、生物学的にもこの問題を解明できないものかと思う。

  • 興味深い一冊だった。同意できない部分もあったけれど、それを含め新しい視点を持てた。
    結論の章があるが結論は読んだ人それぞれに違うものだと思う。
    読みやすいのに密度が濃く、本棚に置いておきたい本になった。

  • 新進気鋭の哲学者の本です!

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • チェック参考文献
    ・B・ラッセル『幸福論』1930
    ・ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』1947
    ・パスカル『パンセ』
    ・ニーチェ『悦ばしき知識』1882
    ・レオ・シュトラクス『ドイツのニヒリズムについて』
    ・スヴェンセン『退屈の小さな哲学』
    ・ハイデッガ『存在と時間』
            『形而上学の根本諸概念』
    ・ヴェブレン『有閑階級の理論』
    ・マルクス『資本論』
    ・グラムシ『フォーディズムと禁酒法』
    ・ガルブレイス『ゆたかな社会』
    ・F・ラッサール『憲法の本質 労働者綱領』
    ・J・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』
                『物の体系』
    ・M・サーリンズ『石器時代の経済学』
    ・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』
    ・ベケット『ゴドーを待ちながら』
    ・ラクロ「危険な関係」
    他、ルソーなど。

  • 平易に書いてくれているのは分かったけど、如何せん、読みなれないのであまり理解はできなかった。どうにか全部読んだ、という体験を実感したのみ。でもまた読みたいと思った。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784255006130

  • 哲学の入門書を謳う本の中でも、類を見ないほどの懇切丁寧な解説ぶり。文体も平易。読者が違和感を覚えるであろう点を先回りするかのように繰り返し解説が入るので、立ち止まることなく、読み進めることができる。が、そのぶん、繰り返しが多く、冗長になっている感は否めない。ボリュームがあるわりに、もっと深い記述をこそ読みたいと感じてしまう。要所は、ハイデッガーをめぐる論述(それ以降)になるだろう。逆にいえば、ハイデッガーに至るまでの前段が長過ぎるので、「哲学」「倫理学」以外の章は、もっと凝縮してコンパクトに論じても十分だったと思う。個人的には、もっと深い記述、この先の論述こそが読みたい。あくまでも「入門書」という意味では悪くないのかも知れないけれど、端的に、物足りない感が残る。最後は、著者の強い道徳的態度(指向)に、いささか怯むと同時に感心もさせられた。

  • タイトルに惹かれて購入。
    思った通り素晴らしい本、というか著者がすばらしい。

    楽しむための訓練をすれば、退屈を感じるトータル時間を減らしていけるのだと思った。

  • 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』朝日出版社、読了。「暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか」誰も教えてくれない。哲学のみならず文化人類学から動物行動学まで様々な知見を参照し「退屈について教えてあげよう」。近代的「個人」の最大の課題を取りあげ、認識を新たにする一冊。


    國分功一郎『暇と退屈の倫理学』朝日出版社 asahipress.com/hima_web/ (後日改めて詳論しますが)設定だけでなく内容も刺激的な一冊ですね(ややアクロバティックな処もありますが)。ハデイガーとユクスキュルが切り結ぶとは思っても見なかったですが、こういう授業は大事かも

  •  とても興味深く、読みだしたら止まらない感覚の本でした。端的に言えば、僕はこの本より3つの新しい視点を得ました。視点を得たというか、少し視野が広がったというか。それら3つの視点とは、①定住革命によるエネルギーの余剰と文化の発展、②本来的な人間でなくあくまでも今の社会をブラッシュアップするために違う社会像を掲げたルソーとマルクスの功績、そして③ユクスキュルの環世界に基づいた今の人間の考察、の3点です。

    ①定住革命によるエネルギーの余剰と文化の発展

    この話が、個人的には一番しっくりきたような気がします。話はシンプルで、(約500万年前~)約1万年以前、人間は定期的に住む場所を変えて生きる動物でした。ある時期(約250万年前)から石器等を使い、狩猟を行いながら移住を繰り返す生活を送っていました。しかし、約1年前から農耕を始めました。本の言葉を借りるなら、始めざるを得ない状況に追い込まれました。なぜなら気候が変化したからです。

    それ以前は氷河期で、人間が暮らしていた地域では森などもなく、見晴らしの良い草原地帯が広がり狩猟もしやすく、マンモスなども大きな動物も存在していたため、適宜狩猟をして食べることで生活が成り立っていたそうです。なので、食べ物の保存の必要がなかった。動物が少なくなり、ゴミ、排泄物や動物・人間の死体などにより土地が荒れてきたら別の場所に引っ越せばよかった。しかし1万年前氷河期が最終期に突入し、森林が表れ狩猟がしにくくなり、動物で生きる動物もマンモスのような大きなものではなく、小さなものが多くなると、適宜狩猟することで毎日の食糧が賄えなくなってきました。狩猟で賄えないので、植物や川・海の動物も食糧の対象になります。しかし、天候により植物や川の動物を安定的に十分に得ることもできません。ここから、農耕や保存の概念が生まれます。また同じ場所に定住するために、掃除もしなければならなくなり、前は放置していた死体も、きちんと処理する必要が出来たといいます。

    これにより何が起こるかというと、エネルギーの余剰(退屈)だといいます。前はいつも外に出ていて、環境の変化が少なくなるとただ移動すればよかった。しかし、同じ場所に住むことが強要されると、簡単に移動することはできない。よって、人はその退屈を解消するために何かに没頭したりする必要性が出てきた。その1つが、日本でいう土器をはじめとする作品であるといいます。もしただ何かを飲みたいだけだったら、土器を装飾する必要はありません。ただの、何も装飾の無い味気ないツボで事足りるはずです。しかし、芸術的な装飾を土器に施したのは、定住によるエネルギーの余剰から生まれたものだといいます。

    著者はこうも言っています。子どもが生まれたときに一番最初に覚えさせるのが大変なことは、トイレだと。決まった場所でトイレすることを教えるのが、とても難しいそうです。この事実も、元々人間が定住型の動物でなく、色々な場所で排泄する動物であったこと。そしてそういう生き方が長い間許されてきたことの証だと言っています。

    こう考えると、車や電車、飛行機をはじめとする交通手段の発達、もっと言うと、そういう移動を熱望した人が過去に存在したことは、とても自然なことだと思いました。そういう願望は、人間のもともとの生き方に裏付けされたものだったのかもしれない、と思いました。また今情報社会が進みますます外に出る必要性が少なくなってきている社会ではさらにエネルギーがたまりやすいのだなーと思いました。全く本とは関係ありませんが、そういったエネルギーをどう各個人と周りの人の幸せに持っていけるかが、1つの勝負だなーといつも思っています。

    ②本来的な人間でなくあくまでも今の社会をブラッシュアップするために違う社会像を掲げたルソーとマルクスの功績

    僕は「本来○○は○○であるべき」という言い方が嫌いでした。本来って何?という風に思うことが多かったです。たとえば本来人間は母親の愛を一杯受けて育つべき、という話を聞くと、では母親の愛を一杯に受けられなかった人は人間じゃないの?と思ってしまいます。

    なので元々ルソーの考える"自然状態"は好きではなかったのですが、この本を読んでもしかしたら僕は思違いをしていたのかもしれない、と思いました。というのは、ルソーは別に「自然に帰れ」という言葉は生涯で一度も使っておらず、自然状態という1つのモデルに過ぎない、といいます。あくまでも今の人間の在り方をブラッシュアップするための1つのモデルなのだと。モデルを作成し対比することで今の人間の在り方を批判的に捉えることができ、ブラッシュアップができるのだといいます。なので、ルソーは別に「人間は本来こうあるべき!だから自然に帰れ!」という訳ではなかったことを、この本を通じて知りました。

    同じように、ルソーの百年後ぐらいを生きた共産主義の祖、カールマルクスも、ルソーと同じような形で社会を批判したという。本来的な人間像を描くのではなく、「自由の王国は必然の王国の上に成り立つ」と言っているいように、今の社会と比較し、ブラッシュアップするためのモデルとして、共産主義の世界を提唱したといいます。

    "本来の人間像を求めずに、あくまでも違う(今まで無かったし、今後も全く同じものはありえない)モデルを描き、そのモデルと今の社会を対比することで今の社会をブラッシュアップする"、という視点でルソーもマルクスも見ることができなかった。そういう視点を持つと、2人の行ったことは本当に偉大だと、心から感じました。

    ③ユクスキュルの環世界に基づいた今の人間の考察

    最後に得た視点としてとても嬉しかったのは「環世界」という概念を用いた社会の考察方法です。この環世界は宮台真司さんの言う「島宇宙(世界?)」と近い概念のような気がしました。「環世界」とは、各動物や各個人の持つ世界のことです。各世界で、各生物は周りのものに対する感じ方や時間の流れ方も違います。たとえば小さな男の子が道端の石を見るのと、鉱石学者が道端で同じ意思を見るのとでは、見え方が全然違います。このように世界にある同じものでも、見ている人が違えばその見え方や感じ方は異なるということです。こう書くと、当たり前のことのように聞こえてしまいますが。しかし、本書の1つの定義である「人間はこの環世界を移動しやすい動物であり、それによって退屈が生まれる」というのは、同意しました。

    本書で言及されていたか分からないのですが、僕は人間の環世界の移動の範囲が「理性的な範囲」に限られていることも、退屈の原因なのではないかなーと思いました。理屈・メリットデメリット・合理性という言葉で説明できる環移動しか起きないことによって(というかその移動も"消費"というシンボルに置き換えられてしまうことによって)、退屈してしまうのかな、と思いました。

    人として毎日思考することを楽しみながらも、時には思考をストップさせ、動物への環移動を行い、その状態に浸る。そういう時間を大切にすることが、人間が今後人間として生きていくうえで、大事なことのような、気がしました。

    とても面白い一冊、おすすめです。

  • 素晴らしい本の一言。

  • 「暇」と「退屈」をこれだけの労力を割いて考察した本を読んで、「暇」と「退屈」について考えることができるありがたさ。退屈を恐れて例えば労働の奴隷になってしまう、耳がイタイ。退屈と上手に付き合いつつ、人間らしく暮らしたい、と思った。あと2回くらい読むとちゃんと理解できるかも。

  • とにかく、暇と退屈は似て非なるモノなんだ‼

  • やっと読み終わった・・・詰め込み過ぎ。
    けどまあ面白かった。暇と退屈というものを考えてもみなかったね。
    内容自体はかなり読みやすい。色んな思想家や哲学者の思想を分かり易く説明しているし、勉強にもなる。
    ただ、それゆえに読書中にあれこれ書かれてないこと考えてしまってかなり思考が拡散してしまった。うん、詰め込み過ぎ。

    退屈に関しては、ハイデガーの引用で第一から第三形式まで類別されているわけだけど、実際に自分がどれに入るのか、(もちろん著者もいうようにどれかに決まって入っているというより時に別の類型に移ったりするわけだけど、)抽象的で釈然としない面もあった。そもそもこんな風に類型化できるものかね?
    それと関連して、現代の退屈としてボードリヤールの消費社会論を引用してるけれども、あれこれ引用するだけでなく、現代がどういう社会であるかを直視した考察がもう少し欲しかった。現実よりも言説空間に対応した主張が多かった感がある。

  • 目的とか目標とかに向かってなりふり構わず努力するんじゃなくて、楽しい気晴らしを全力で楽しんでいこうぜ!っていうはなし

  • 気鋭の哲学者による論文。ライトに読み始めたけど、かなりしっかりとした論文。ですがものすごくわかりやすく、納得する部分多数。「暇」と「退屈」をキーワードに、見事にあらゆる学問を横断してみせる。若手哲学者の中では、信頼している一人ではないかと思っていたが、この著書でそれが裏付けられた。

  • 人間が持つ様々な持病の中で、特に「暇」と「退屈」という持病を、手を変え品を変えて分析した本。
    「外側」には答えがないが、外側に答えを探してしまうというジレンマ。

  • ダニの世界のくだりが興味深かったが、どうしても暇と退屈について考えるモードに自分がなれなかったので。。注もしっかり見ながら読んだらより興味が持てたかもしれない。

  • 哲学者、経済学者、生物学者など多くの先人の言葉を引用し批評を加える事で持論を構築していく哲学書。
    考察の結果として、どうしても退屈してしまう人間の生と向きあうためには、<人間であること>を楽しみ、<動物であること>を待ち構えるという結論が導かれる。
    筆者も述べているが、この結論を見ただけでは何のことかわからないだろう。途中の考察が(わかりやすく書こうとするためか)延々と続き冗長と言えるくらいだったが、その考察を経て結論にたどり着くと、すーっと結論が頭に入ってきて理解することができた。

    感想としては、このような哲学書をほとんど読んだことがなかったので新鮮だったし、ものすごく頭を使った。読みながら「言いくるめられている」と感じることもあり、反論したいと思うこともあったが、辻褄が合うように書かれてあり、僕の論理力ではうまく反論できない。もっと思考力を付けなければ、と思う。

    【具体的な内容で面白かったもの】
    環世界:あらゆる動物、あらゆる人はそれぞれが違う世界を持っている
    定住革命:人は定住し余裕を持つことで様々な課題が生じた(“遊動生活がもたらす負荷こそは、人間の持つ潜在的能力にとって心地よいものであったはずだ”)

  • 非常に読み易い内容でした。その都度戻って内容を要約してくれて、難しい箇所を復習しながら読み進める事を提供してくれています。その意味で、読者への配慮に満ちた作品です。内容の素晴らしさもさることながら、語り口自身を学ばさせてくれる点も秀逸です。
    暇と退屈に人間は付き合わざるを得ない。その理路を凡ゆる分野の研究を参考にしながら、提示してくれています。暇と退屈を否定的に捉えるのではなく、人間が本来持つものとして、肯定的かつ生産的に向き合う方法を示唆してくれています。日常の中で余裕を持つ事、楽しむ事の大切さを教えられました。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科准教授

「2020年 『責任の生成 中動態と当事者研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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