人間の条件 (ちくま学芸文庫 ア-7-1)

  • 筑摩書房
3.86
  • (105)
  • (90)
  • (131)
  • (7)
  • (2)
本棚登録 : 2752
感想 : 118
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480081568

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 読んでいて一番驚いたのは、あまりにもページが進まないことだった。kindle版を購入し、右下に%を表示させていたのだが、いくら読んでも%の値が変わらない。まるで果てしなく高い山を登っているような気持ちになりながら、この本を読み進めた。しかし読み終わった今思うのは、「こんなに濃い内容で、かつこんな量の良質な文章を1500円程度で読めるなんて物凄く良い買い物だったな」ということだ。

    正直、読む前は「物凄く偉そうな哲学書なのかもしれない」とか、「押し付けがましい文章かもしれない」とか、この本に対してあまり良いイメージを持っていなかった。タイトルが「人間の条件」なんていうあまりにも誇大なものだからだ。しかし実際読んでみると、その中には緻密で、直向きな哲学的思考と、それに基づいた分析、考えが一生懸命並べられている。その文章全てを丸呑みできるわけでは勿論ないけれど、私はその文章を読みながら普段考えないことを考えたり、ハッとさせられたりした。社会に対する目、自分の生に対する目が読む前と後で変わった気すらした。素晴らしい文章であった(とはいえ、最初の最初は何を意図した文章かわからずかなり読むのに苦心した。宇宙開発、何の話だ?何かを暗示する系の文章がずっと続くのか?と思ったが、読み終わってから何が言いたいかやっとわかった。辛くなったら最初は読み飛ばせばいいと思う。ちゃんとロジカルに、ストレートに伝えてくれるパートが後に続くので。)。

    この本は教訓的で、私達が一度立ち止まって世界を客観視する機会を与えてくれる。同時に、今の考え方、常識、社会のあり方が、「基から」あったものでなければ、「そうでなくてはならない」ものでもないということを気付かせてくれる。全ては変遷の末にできたもので、そして変遷の過程にある。変わりゆくものであることと、そこに道理があることを伝えてくれる。それだけで救われるものもあるのではないか、と個人的には思う。読む価値はある。そして時代遅れでもない、と私は思う。むしろ今の時代について考えるに相応しい本である。是非、気になっている人がいたら読んで欲しい。

  • 全体主義の問題に向き合った政治哲学の書籍である。
    本書はジャン・ジャック・ルソーについて、国家の抑圧に対する反抗ではなく、「人間の魂をねじまげる社会の耐え難い力にたいする反抗や、それまで特別の保護を必要としなかった人間の内奥の地帯にたいする社会の侵入にたいする反抗」を評価する(61頁)。この視点は集団主義的な日本社会にとって特に重要である。
    本書は詩や音楽、小説のような芸術の隆盛と連動して建築のような公的芸術が衰退したと指摘する(62頁)。ここにはトレードオフの関係がある。公的芸術は壮大であるが、集団的な成果を追求することは個人を押し潰す面がある。大勢の人を駒としなければ成立しない芸術が衰退することは個人主義の見地から好ましいことになる。
    本書はプルードン解釈も面白い。プルードンは私有財産を批判したが、全面廃止には躊躇したとする(95頁)。何故ならば全面廃止は暴政というより大きな悪をもたらすためである。これはソ連型社会主義の失敗を予見する指摘である。
    その上で本書は私的領域の重要性を指摘する。金儲けのための私有財産ではなく、生活の場として私的領域が保護されるものである(102頁)。この点はマネーゲームや競争重視の自由主義者や新自由主義者にはき違えがあるだろう。

  • おそらく半分くらいしか理解できていないだろうが、「出生が人間事象への唯一の希望」という表現は心に残っている。

  • 読み終えたけど、とても読んだといえる状態じゃない。
    内容が理解できていない。複文表現についていけず、断片的にしか内容が頭にはいってこない。こりゃ準備をしたうえでリターンマッチに挑むしかないな。

  • 人間の条件 ハンナ・アレント ちくま学芸文庫

    政治思想家と言う触れ込みだけれど
    哲学者と言うべきだと思う
    しかし法律書を読むように気の重い文章である
    単語がシックリとこないしクドイ
    それでも内容に惹かれて五百ページも読むことになる

    プルードンの格言に
    「財産とは盗みなり」とあるという
    しかも彼は財産をすべて人間社会から
    取り上げてしまうことで
    暴政を発生させてしまうことの方を恐れたとある
    コレこそ何とかしなければならない
    パラドキシカルで皮肉な話だ
    視野を広げた意識の成長によって邪な自らを
    管理する方法を編み出せるはずであると思う

    (私とあなたが双方に選び合うことで出合いが起こる
    個と集合の対等観の関係がつくりだす相乗効果
    生き延びる為の行為である天性による《労働》から
    物質的に豊かになるための行為である人為的な《仕事》へと発展し
    更に精神的に成長するための行為であるお互いの《関わり》へと向う
    アクションを起こして意識上の全体観へと飛躍する)

  • 人間の自発的な力による行いを労働、仕事、活動に分類する。その射程や古代ギリシアから20世紀にいたるまでを含む。私的領域、公的領域、その混ぜあわせとして成立した社会の概念を用いて人間とその生活空間を分析する。そして、人間の性質の変化と近代に対して、哲学的に問いかけていく。

  • 名著だと思う。ハイデガー・ブルトマン・ヤスパース等に薫陶をうけながらも、ナチスの台頭によって、フランスへ逃れ、ユダヤ人として収容所暮らしもしたアレントが、国を失った人間の「生存の恐怖」を感じながら、亡命先のアメリカで1958年に上梓した政治哲学の書である。テーマは「私たちが行っていること」を理解することで、文中では「どうすべきか」という主張を抑制しているが希望も語っている。全体として、西洋古典文明・キリスト教・デカルトの懐疑・ガリレオの科学革命などの分析を通し、生命観・宗教・科学などを分析し、これらの営みが深く政治に関わっていることを指摘している。人間の行動は「労働」(生存のため消費されすぐに消える物を作る行為)、「仕事」(世界のなかで比較的長く残る物を作る行為)、「活動」(演じる等の行為で人の多数性に依存する行為)の三つに分かれる。また、公共は「テーブル」であり、そこに集う人間を集めると同時に切り離す。テーブルがなくなれば、私的領域も消え、ただただ孤独な人間たちが、同じように振る舞うように強制される「社会」が台頭してくる。ギリシア・ローマの古典文明では、公共の領域は人に見られることで「自分が誰か」を示す場であり、はかない生命の人間がその中に「勇気」をもって自己を顕し「活動」することで、不死の生命(名声)を得ようとする場であった。キリスト教はこの価値観を転倒し、世界こそはかなく、「魂こそ不死」と主張した。これによって、公共で不死を得ようとする「活動する人間」の源泉を奪ったのである。しかし、キリスト教的生命観もデカルトの懐疑によって決定的痛手をうけ、「欺く神」の「不条理」のなかで、魂の不死も信じられなくなった。「仕事」は芸術作品のように「世界」にのこる物を樹立しようとする孤独な行為であるが、イデアを「世界」に写し取る行為でもある。イスを作る職人はイスのイデアをみて設計するのだ。プラトンはこの「仕事」の行為を政治に応用し、哲人王が考え、民が行動するという支配を考えた。アレントによれば支配は政治からの逃走である。政治は本来、多数の人間が「活動」することなのだが、「活動」は人の網の目の中で作用・反作用をくり返し、本来、とりかえしもつかないし、一定の範囲に閉じ込めておくこともできない。これを無理矢理、型にはめるのが支配なのである。この型が「仕事」をする人が用いるイデアである。「仕事」は近代の価値観のなかで勝利を収めるが、ガリレオによる望遠鏡の利用は人間に地球外へ離脱することを教え、デカルトの方法的懐疑によって「世界」からも離脱し、存在するものは自分の精神だけとなった。「仕事」をする人間は自分が働く場であり、物を残す場でもある「世界」を失ったのである。こうして、自然への無制限の暴力、環境破壊がおこってくる。「労働」は生存と結びつき、自然のリズムのなかで行動する喜びをともなっていたが、産業革命以降、消費社会の台頭と連動して、リズムが加速され、人間的な行動ではなくなっていく。そして、ただやみくもに消費し生存する形にゆがめられた「労働」だけが残る。ここでは「生命」が「最高善」とされる。歴史は「労働する動物」の勝利の過程であった。現代は「不死」を信じないのに「人の命は地球より重い」と考える時代で、「生きるために働く」のか「働くために生きる」のか分からない時代である。生命を維持するという目的はあるが、生きる意味を見出せないのだ。だが、「目的」ではなく「意味」を思考し、「活動」の「とりかえしのつかない」ことを「許し」、「約束」をして「活動」の意味をふたたび見いだすところに希望はあるのである。アレントは東洋の思想については述べていない。東洋思想がアレントの指摘とどう結びつくのかということは課題として残る。

  • 読み終わるのに3ヶ月ぐらいかかった。
    本書の内容は殊更に述べる必要もないだろう。人間の活動力を労働、仕事、活動(言論など人々の間で行われるもの)に分け、今日は人々が種々の利害に囚われず活動する公的領域がなく、労働だけが支配し、人々が政治に参加せず(=活動せず)ただ生産と消費に終始する虚しい社会になったよね、という話。

    僕が注目するのは、以下のようなことである。
    アレントは、ただ食っちゃ寝の「労働」の虚しさから人を救うのは永続する世界を作り出す仕事で、何のために作るんだかわからない「仕事」の虚しさから人を救うのは物語を作り出す「活動」であるという。
    そして、注目すべきは(あとがきでもスルーされているが)、何やっても思い通りにはいかない「活動」に救いを与えるのは「許し」と「約束」であるということである。
    これは目に見える人と人との関係性の中でのみ生まれ、あらゆる形で概念化され習慣化されている。しかし今までそれはよく研究されてこなかった。それは手段としてしか考えられてこなかったからだ。しかし、それはもしかしたらそれ自体として重要な……あるいは可能性としては絶対的な……価値を持つものかもしれない。

    何を言っているかわからないという人はよろしい。ともあれ、本書はあまりに示唆に富み、学ぶところ多い書である。是非根気よく取り組んでみてほしい。

  • これはいい本だと思う。広く勧めたい。
    しかし、かと言ってここでのハンナ・アレントの思想に深く共感できるわけではなく、そもそも彼女の思想は私には非常に隔絶したところから不意にやってくる「他者の声」にすぎない。それでも、この本は素晴らしく豊かな示唆に満ち、読者に沢山の思考をもたらすだろう。考えさせてくれる本である。
    ただし、論述が下手なせいもあり、また、発想があまりに独創的なせいもあって、少々わかりづらいかもしれない。たとえばアレントは「活動力」を「労働」「仕事」「活動」の3つに分けるのだが、「労働 Labor」と「仕事 work」の違いは、どうもわかるようでわからない。
    先が見えない(論旨のみとおしがたたない)文章なので、どうもわからないようであれば、繰り返して読むことをおすすめする。

    現代が「労働」(と消費)に覆い尽くされ、活動(他者とのコミュニケーションや論述)や(創造としての)「仕事」が抑圧されてゆく、というハンナ・アレントの予見は鋭い。この本は1958年のものだが、まさに現代は彼女の予想したとおりの事態に至っているのではないだろうか。

全118件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1906-75年。ドイツに生まれ、アメリカで活躍した哲学者・政治思想家。主な著書に、本書(1958年)のほか、『全体主義の起源』(1951年)、『革命について』(1963年)など。

「2023年 『人間の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ハンナ・アレントの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×