なぜ、脳は神を創ったのか? (Forest2545Shinsyo 15)
- フォレスト出版 (2010年6月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894518155
感想・レビュー・書評
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不確定性原理、不完全性定理で神が存在しえないことが証明された、と言われても門外漢にはピンとこない内容だった。
それでも人智を超えた何かがあると思うことは、部分情報しか持ち得ない人間が、絶対情報を有する存在を恋慕するという古代シャーマニズムのDNAの所為なのか。
共感できたところは、仏教が中国に輸入された瞬間にタオのアプリオリに変換されたということ。
シャキャムニ滅後200年後に創作された「仏教のようなおとぎ話」である法華経をとってみても、鳩摩羅什訳ではタオ思想の本迹観が盛り込まれ、方便品の「十如是」は、本来サンスクリット語では「五何法」であるはずが作為的に異訳されている。
これでは天台の根本教理である「一念三千」は本当は「一念千五百」になるので、最澄らが知ったらびっくりするだろう。
インド思想<中華思想にしようとする意図が見え隠れする鳩摩羅什の名訳「妙法蓮華経」は、研究が飛躍的に進化した今、もう一度再評価をしなければならない。
般若心経が中国で創られたという箇所も面白かった。
お盆の由来が説かれた「盂蘭盆経」も中国で創られたもので、お盆といえば仏教と連想しがちだが、仏教とは全くの無縁であり、道教の教えである。
シャキャムニは、捨置記といって形而上のことをいたずらに説くことはなく、死後の生命や世界を説くこともなかった。
レビューの体になっていないが、最終章は読むに耐えない内容であった。
やはり天才といえども得意不得意はあるようだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
分かりやすい部分もあるし、分かりにくい部分もある。ただ、グリムの定理により1991年神が正式に死んだというのは僕なりに納得出来た。
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ゲーデルの話はおもしろいよね。彼は神が存在しないことを数学的に証明してしまって、そのことにビビってしまい、晩年は、神が存在することを必死に証明しようとしていた、みたいな噂話?を聞いたことがある。
オレは苫米地英人の本は、意味不明なのが多くて、あんまり好きじゃないんだけど、この本と電通の本だけは、非常におもしろかった。 -
1991年、神は死んだ。この概念はとても参考になる。
この概念に基づくと納得いくものも多くなる。
概念を得るとはこういうことやね。 -
一言で言うならば、「机上の空論」。
面白いと感じたのは、「数学が神の不在を証明した」というところと、仏陀の本来の教えは「神の不在」であり、その教えがなぜ今の教えに変わったかというところでしたが、これは単なる史実(と思われているもの)。この著者の考えではない。
なんと言うか、先に自分の中で絶対的な結論があってそれに合わせて無理に論理を構築している感じというか、実践的でないというか・・・
占いを宗教であるとして、毎朝占いを流すテレビ局は違憲だとか書いてありましたが、この人は「人のこころが占いを必要としている」という事実を忘れてる。
最終的な結論が「ひとつのモノサシで世界を測るからおかしくなる」ということのようですが、そのまんまこの著者にあてはまるのでは・・・という感じです。
メタ認知ができていないというか、愛がないというか。
この人は脱洗脳プログラムとかやっているようですが、それは脱洗脳ではなくて逆洗脳なだけであって、宗教はこの世に不要だといいながらこの人は自分の宗教を他人に押し付けているだけのように思います。
もう少し、理論の構築ではなく、人間性の構築をした方がいいのではないでしょうか。 -
苫米地氏の抽象度の高さを感じました。
広い視野での情報が面白かったです。 -
人はなぜ、神を必要とするのか?
宗教と政治権力の結びつき
そもそも、神は存在するのか?
神を否定した釈迦の教え?
神や宗教から自由になる方法
完全存在としての神をゲーテルとチャインティンの不完全性定理を引用し論理的に否定している。
なぜ、神を必要とするのかという点については、人は完全情報を求めて信仰心を抱くことから、脳が神を創ったという立場。
複数の例を引用しつつ、最終的には、価値や自身のコンフォートゾーンから抜け出すための助言をされている。
自分の価値観で生きるための指南書になっている。
正直なところ、著者の言う世界や国家の在り方には賛同しかねるのだが、彼の世界観を具現化するとしたら、そのようなステップもなくはないと思う。
毎度ながら、解説がやさしく、興味深く読むことができた。
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【内容(「BOOK」データベースより)】
生まれつき脳に刻みこまれた「死への恐怖」のために、脳は自ら神を創り、さらには宗教、国家を創ってきた!ベストセラー連発の脳科学者であり、オウム真理教の脱洗脳でも有名な苫米地英人が「脳科学」と「宗教史」が証明した「幸福な生き方」を初めて解説!「人間関係」「お金」「病気」「将来」…などの不安・恐怖・トラブルから、あなたを解き放つ最新の脳科学とは。
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【目次】
はじめに
序 章 なぜ、脳は神をつくったのか?
第1章 人はなぜ神を必要とするのか
第2章 宗教と統治力
第3章 神は存在するのか?
第4章 西洋のキリスト教と東洋の仏教
第5章 神・宗教から自由になる方法
おわりに
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仏教に行き着くとこが、胡散臭そうな著者を若干認めるところ。神がいないことが証明された話は、神を完全無欠に仮定した場合の話でした。
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人は完全情報にアクセスしたがる。
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正直、この苫米地英人という人物がどういう人なのかよく知らないのだ。本書の著者プロフィールによると、「脳機能学者・計算言語学者・分析哲学者・実業家」ということになっている。「カーネギーメロン大学博士」というのがメインの肩書のようだ。しかしその大学がどれくらい凄い大学なのかよくわからない。いまネットで調べてみたら、ノーベル賞受賞者も多数出しているようなので、結構ランクの高い大学なのかも。そのほかにも大企業や大学、国の機関で働いていたこともあるようなので一応ちゃんとした人なんだろう。
ここまでなんとなく懐疑的に見てしまうのは、どうもこの人の著作が多方面に渡りすぎているからで、英語の勉強本から洗脳の解き方の本まで様々だ。もちろん僕もすべて読んだ訳ではないので、内容をよく読みこんでみたら共通の分野で括る事ができるのかも知れない。例えば脳科学とか。
それでもなんか「やたらハウツー本をたくさん出している人はなんか怪しい」という先入観がある。ちょっと疑りすぎかも知れないけど。そもそも苫米地の書く本は「ハウツー本」ではないのかも知れないけど。
でもとりあえず、個人的に今までこの人の著作を読んだ印象としては、「非常に難しいテーマを分かりやすく書く人」「専門知識が豊富な人」という感じである。今でもどこまで信用していいのか判断がつかないのだけど、神は存在するのかというテーマのこの本はとても興味深く読めた。苫米地の主張は非常に明快で、僕のように宗教学の知識がなくてもほぼ引っかかることなく読めると思う。
最初に書いておくと、僕自身は神の存在も宗教的なものも信じていない。唯一信じているとしたら「フライング・スパゲッティ・モンスター教」くらいか。
スピリチュアルとか超自然的な現象も信じていない。盆にお墓参りしたり、お正月に初詣をしたりするが、クリスマスと一緒で年中行事の一つと捉えていて、宗教行事だとは思っていない。
そして苫米地も本書中で神の存在を明確に否定する。というか、科学的にはとっくに神の存在なんかあり得ないって結論出ているんだぜと主張する。
この主張を組み立てるための過程が面白い。神がいるとした場合といないとした場合それぞれの仮説を設定したうえで、存在しようがしまいがそれは脳の引き起こす現象に過ぎないと理屈で切り捨てる。なんかここらへんは瀬名秀明のSF小説『パラサイト・イヴ』とかが好きな人はすんなり頭に入ってくるかも。
その上で歴史上宗教が果たしてきた役割を論じ、宗教とは何かを論じる。その中で資本主義やマルクス・レーニン主義も宗教と何ら変わらないとされる。そうか、そういう意味では僕自身もある考え方に傾倒してしまう事は往々にしてあるから、宗教に染まっていると言えるのかも。例えばそれが憲法とかそういうのであったとしても。
そして苫米地は本書の第3章「神は存在するのか?」において論理的に神が存在しない理由を順序建てて解説していく。この過程が個人的には本書の白眉だと思う。1991年に宗教哲学者パトリック・グリムが発表した「グリムの定理」において完全なる存在=神が存在しないことが論理的に証明されてしまった事は宗教界にとってはエライ事だったはずだ。ま、100年以上前に「神は死んだ」とニーチェは宣言しているので目新しい発見ではないのかも知れないが…。
それでも21世紀の現在、世界は宗教に支配されているように見える。その点こそが問題だと苫米地は語る。釈迦の教えを引用し(釈迦は実は神やあの世の存在を否定しているそうだ)、いつまでそんな思想に縛られているのだ、早く自由になれと説いているのだ。
宗教からの自由。簡単なようだが今実際世界が自由になれていない事を考えると容易ではないのだろう。それが実現してこそ人間的な生き方が実現できると言うのだ。戦争や殺し合いのない世界が。
…しかし、ここまで読めば著者の主張がわかってくるのだけど、そうでなくて本に巻かれた扇情的な帯のキャッチコピーにまず目を通すと、『脳科学と宗教史からわかる幸福な生き方!』『不安・恐怖・トラブルから、あなたを解き放つ最新の脳科学とは?』などと書かれていて、どうも胡散臭く感じてしまう。この帯やキャッチコピーでだいぶ損している気がするのだが。
でも本書中では何度も物事は疑ってかかれというような意味の事が書かれていて、だからやっぱりこの著者のことも頭っから信用するのはやめようと思う。非常に面白い本だったのだけど、書かれていることのすべてがすべて信じられることなのかはわからない。
ただその事に気づかせてくれただけでも本書には意味がある。宗教の中身を明らかにすることは、自分の心理を覗き見ることである。
終盤近くで披露される著者の主張は極端すぎる気がするが、思考実験としては面白いと思う。