なぜ、脳は神を創ったのか? (Forest2545Shinsyo 15)
- フォレスト出版 (2010年6月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894518155
感想・レビュー・書評
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脳については昔から興味があり、この本の著者である苫米地氏の本を何冊か読んだことがあります。
この本は、宗教や神がどのようにして作られてきたかについて解説してあり、それだけではなく、米国を支配している人たちがプロテスタントであり、実行部隊はカトリックであるなど、初めて知る内容もあり興味深かったです。
苫米地氏が最初にコメントしているように、神は存在しないものであると証明されたとしても、最善を尽くしたのちの「最後の神頼み」は否定されるものではなく、今後も多くの人がお世話になることでしょう。
また、日本が中国経由で輸入した仏教は、本来のものとは異なり、中国風にアレンジされているという内容は興味が惹かれました。
以下は気になったポイントです。
・儲かりもしないのに国民の生命と財産を浪費して戦争をする国はない、やむをえない場合に戦争に訴えても良いというのは、国家が利益のために戦争を行い、そのためには罪もない人々を巻き添えにして良いという理屈である(p24)
・一度、脳に神の情報が入ってしまうと、神が存在する場合と存在しない場合との間に、差はいっさいなくなってしまう(p36)
・人間が信仰心を抱く理由として、1)自分が不完全なシステムであることを、何かをきかっけにして自覚する、2)巫女や祈祷師の能力によって成り立つ信仰心の醸成、3)死の恐怖、である(p48)
・世界の歴史に書かれてきたことは全て勝者の歴史であるように、宗教についても、勝者の宗教のみが記録されている(p62)
・原始キリスト教では、輪廻転生の概念があったが、現在のキリスト教では排除(553年にバチカンがコンスタンティノ公会議において聖典から外すことを決定)されている(p64)
・プロテスタントは、カトリックよりも厳しい戒律を持つ宗派である(p75)
・2009年夏に、原爆を投下したエノラゲイには13人目の人物として、カトリックの神父も乗っていたことを明らかにした、死刑執行の場に神父や牧師が立ち会うのと同様の論理(p86、99)
・貿易商は、バチカンが「現地の人は人間ではない」という正式回答を待って、現地の人間を奴隷という貿易品目に仕訳した、東インド会社の最大取扱品目は、奴隷貿易であった(p92)
・アメリカがドイツに原爆を落とさなかった理由、イラク戦争やアフガニスタン戦争で、原爆に劣らない大量殺りく兵器を使用している(それが許されている)のは、キリスト教徒以外は人間ではないという思想が流れているから(p93)
・アメリカの支配層は、WASP(白人:white、アングロサクソン:Anglo-Saxons、プロテスタント)であり、戦争の最前線に立たなければならない庶民は、たいていはカトリック(p94)
・大量殺戮の汚名は、WASPである国の指導者から、最前線で戦うカトリック兵士に付け替えた、ブッシュがオバマにツケを回したように(p97)
・神の存在を語るうえで、1)物理学における不確定性原理、2)数学における不完全性定理、という画期的な大発見(1980年代)は非常に重大である(p117)
・不確定性原理(ボーアとハイゼンベルク)を示す、「△Lx△v>h、△L:位置の分布、△v:運動の分布、h:プランク定数」は、「2つのものをかけて絶対にゼロにならない=位置と運動を同時に知ることができない」ということ(p119)
・量子力学の不確定性の公式:「△e x △t>h、△e:エネルギー分布、△t:時間の分布」は、1)時間には最小ユニットがある(△eも△tもゼロにならない)、つまり時間は不連続である、2)物質においても、ゼロの状態をつくれない、ということを示す(p124)
・この世の現象は、可能性が高いか低いかの違いはあるものの、すべて確率によって決まるという量子論は、宗教的な運命論を否定する、ハンカチを1センチ上から落としたときは、どこにおちるかかなり正確にわかるが、高いところから落とせばランダム性により(0.99x0.99x...=ゼロ)ゼロに近づく(p129)
・宗教では、人間の死は136億年前に決めましたというのが「宗教でいう神の思し召し」であるが、量子論では、この世の現象はすべては確率なので、量子論上では「神は死んでいる」ということになる(p130)
・チャイティンの不完全性定理は、例えとして、コンピュータプログラムでソフトをつくって「このプログラムにはバグはない」と証明できても、それを記述している言語そのものにバグがある可能性もある」というもの(p137)
・1991年に発表された「グリムの定理」は、「神を完全な系と定義すると、ゲーテル=チャイティンの定理により、神は存在しない」というもので、これを覆すことができる哲学者や宗教学者はいない(p138)
・ユダヤ教では、神の名前を口に出してはいけないが、神はキリスト教と同じエホバである(p145)
・釈迦は80歳で死んだが暗殺された可能性が高い、カースト制度を壊そうとしたガンジーが暗殺されたように(p155)
・仏教の出家者は、出家時に全財産を家族においていくか、地元の人に寄付しなければならないという決まりがあった(p159)
・日本に伝わった仏教は、中国がインドから輸入した瞬間に、道教にかわっていること、当時の中国には儒教と道教があり、インドのバラモン教(支配層向け)とヒンズー教(非支配者向け)の関係であった(p164、166)
・釈迦は苦行を徹底的に否定している、悟りを開こうとして餓死す
る寸前まで苦行を行った結果、「苦行がかに無駄なことか」を悟り、それを語っている(p173)
・アメリカ企業では福利厚生費の圧縮が進み生産性が向上しているが、これは従工場牧師の導入によるところが大きい(p187)
・戦費は資本主義では売上になるが、共産主義ではコストにしかならない、だから長い冷戦でアメリカ経済は潤い、それは疲弊した(p204)
2011年9月19日作成詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
実は初めての苫米地英人。「トンデモ」論者としても取り上げられることが多い苫米地さんですが、しかしどうにも人を惹きつける魅力があるらしい。肯定するにしても、否定するにしても、読んでみなきゃ始まらない!
読みながら感じたのは、苫米地さんの博識さに感心しつつも、論が散らかっているなあという感。一言付け加えておくと、博識さに関しても、どうにも肯定的には取りづらい。というのも、その博識さはさまざまな分野に言及をするから感じるのであって、もし苫米地さんを「トンデモ」論者と位置づけるのであれば、それぞれの言及が正しいかどうかには疑念が残る。実際、言語学を学んでいたとは思えないオソマツな言及も見ることはできるのです。
ところで、バラエティ番組や漫才なんかに、本筋とズレた発言をする「ボケ」に対し、「なんの話やねん!」とツッコむ場面がよく見られる。本書を読んでいて、僕は何度かツッコみました。「なんの話やねん!」と。
つまるところ、そういうことから「論が散らかっている」という印象を受けたわけです。各章の始まりで、ぼやかしながらも結論めいた話を出して、その後にそれを裏付けるための知識を提示する、というのが本書のつくり。しかし、その知識を結論に帰結させることをしないため、「結局何の話だったの?」という印象があったのですな。
ところが、各章それぞれが独立しているものだ、というのは僕の早合点であり、一種の偏見に過ぎなかった。本書一冊を通して見ることで初めて、苫米地さんの言いたいことがわかるつくりになっていたのです。そんなわけだから、途中で挫折することなく、通読することをオススメいたします。そのうえで、苫米地さんを肯定するのか否定するのかはそれぞれの方に求められることだす。
また、オマケの音声ファイルによって本書は完結を見るようなので、余力があれば、そこまで行きたい……か?
【目次】
はじめに
序 章 なぜ、脳は神をつくったのか?
第1章 人はなぜ神を必要とするのか
第2章 宗教と統治力
第3章 神は存在するのか?
第4章 西洋のキリスト教と東洋の仏教
第5章 神・宗教から自由になる方法
おわりに -
物理学における不確定性原理と数学における不完全性定理を根拠に、神はいないと主張している。そして、人生のゴールを宗教や政治よりも抽象度が高いところに置くよう説いている。
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ここ数年のビジネス書ブーム牽引の立役者(と私は思っている)苫米地さんの本
神様というものを非常に広義に捉えているなぁということが印象的でした
当然ですが、神は必要とされて生み出されたもので、
(実在しなかったとしても)神を信じるも信じないも自由であり、
信じるものはバカで不幸で…ということなんてないよ、と言っている気がします
ただ、それを利用する人には気をつけましょう、そういう奴は大体が極悪ですよ、と
宗教にすがる(信仰ではなく)人を見るととても弱いなと感じてしまうところがあって
彼らによって自分の弱さをくすぐられるから嫌悪感を感じていたような気がします
だから神がなぜ作られたか(弱者の絶対視対象としての不可触的存在の必要から)
ということをそれなりの人の意見として聴きたくて手に取った本でしたが
それはメインじゃないんだな…と読んで感じた次第です
価値観の多様性を認めるということはそこに優劣をつけないことだと思いました -
この手のタイトルの本は出尽くした感あり。が、あえて読んでみた。
多岐にわたる話題が提供されており、雑学としては面白かった。
アメリカに冷戦を仕掛けられなければ、まだまだ共産主義が残っていたかも分からないというのは、随分乱暴な話しである。先日読んだハイエクの本には共産主義の明らかに非効率な部分がある。例えばある財やサービスの適正価格の決定である。しかしながら、氏が言いたいのは、共産主義の思想全てが全て悪かった訳ではないだろうということではないだろうか?アメリカに負けたという点では共産主義国家も日本も同様で、負ける以前の価値観はすべて悪しきものというレッテルが貼られ、無きことのように扱われる。最近になり日本の古き良き時代が見直されてきている。共産主義の良さもいずれはそのようにされることもあるのでは無いだろうか?私も共産主義者ではないので、特に共産主義を擁護したい訳ではなく、強者の論理だけを信じ込まされることに抵抗したいだけである。 -
ある意味こちらの方がオカルト。
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神は存在するのか、それを判断するのは、やはり自分だけなのかも知れない。
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著者のウンチクがフルに回転しまくってます。まだ整理がついていません。
この本、かなり面白いと思います。宗教の歴史、在り方と人間の思考の繋がりを著者お得意のマインドで描いています。お金の価値観の転換はこれからの世界の在り方を占っているのかもしれません。 -
結構気になっている人で、これまたきになるタイトルなのですが、やっと読みました。
大阿闍梨らしいけど、比叡山の酒井雄哉大阿闍梨と同じっていうことか。
書いてあることは一部難しくてわからない。ちょっと衒学的?とも思えるのだが、それはこちらが理解できていないだけなのか。多分そう。
非常に面白く読めました。
オウムの洗脳を解いた人というくらいの認識しかなかったけど、宗教学の造詣も深いのですね。
科学的に神の不在は証明された、で始まります。
その部分の説明もなされてはいるのですが、今ひとつ納得できないんですよね。
でも、そこを納得しないと先に進めないので。
切り口としては目からウロコ。実際にアメリカにおけるキリスト教の実態というは、説明されているとおりだろう。
先日池上彰さんが、宗教国家としてのアメリカをレポートしていたけど、着眼点は非常に似通っている。
ひとつ思ったのは、苫米地さんを信じてしまうのもひとつの宗教ではないの、ということ。
他の著作も読んで、ゆっくりと判断していけば、さらに面白いだろう。 -
この本はクリスチャンとしては潜在意識に刷り込んでもらいたく無いので速読では無くて普通に読む事にする。
そう思ったらいつの間にか積ん読になってしまったので、フォトリーディングした後、再び普通に読んだ。
著者の神の定義はどうやら運命論的な全知全能者。全てはもう決まっているのなら、数学や物理の証明した偶然性の肯定が誤りとなる、従って神は居無い。と言うような感じだが、そもそも神の定義が聖書的では無い。パーソナリティーのある神などは著者の頭には無いようだ。そこが時々鼻に付くが、なかなか面白い本。常識を抜け出すのには良い本かも。でも著者主張する脱洗脳も、著者の意見の全面的な受け入れでは再洗脳の受け入れになってしまう。著者はその事には全く触れて居ないのは巧妙だと思った。神に対する定義が鼻についたので星二つ。